Japanese Homeless
一寸先はホームレスという社会


ホームレス:厚労省が実態調査へ 背景など個別に聞き取り

2009716 2238

 厚生労働省は「日本の貧困」の実態把握に乗り出す方針を決めた。所得と生活状態の関係や、ホームレスとなった背景などを詳細に調査して「貧困」の実像を明らかにする。調査費を来年度概算要求に盛り込む方向で調整している。日本には生活保護やホームレス支援、失業対策などの施策はあるものの、これらを統一的に扱う部署はなく、「貧困」の概念も明確にはされていなかった。

 同省は、3年ごとに国民生活基礎調査の大規模調査を行い、所得や世帯構成、医療保険や年金の加入状況などを調べている。ホームレス調査は過去に03、07~09年の計4回、ネットカフェ難民調査も07年度に実施している。だが、いずれも数字の把握にとどまるうえに別々の部局で実施されていたため、体系的な貧困対策には結びついていなかった。

 厚労省は来年度に(1)国民生活基礎調査の再分析・再調査(2)ホームレスなどの実態把握を実施する方針だ。ホームレス調査では、個別に聞き取り調査を行い、職や住居を失った背景なども含めて踏み込んだ調査を行う。

 国際的には人間的な生活を営むことができない「絶対的貧困」との概念があり、独自の指標・基準を設ける国や機関もある。日本では憲法に基づき最低限の生活を保障した生活保護制度はあるが、実際に必要な世帯のうちどの程度が生活保護を受けているかを示すデータがなく、「貧困」の実情は明らかではない。【鈴木直】


ホームレス:生活保護申請したいのに置き去り 福岡・朝倉

2009713 1056分 更新:713 1327

 福岡県朝倉市の市教委職員が、市の体育施設の敷地内で暮らしていた無職男性(62)を、福岡市で生活保護を受けさせるため同市のホームレス支援団体に連れて行き、置き去りにしていたことが分かった。厚生労働省は今年3月、住居がなくても生活保護申請を受け付けるよう自治体に通知していたが、朝倉市側は男性の申請を受け付けず、男性はその後、行方が分からなくなっている。

 福岡市博多区のNPO法人「福岡すまいの会」によると、今月1日に朝倉市教委の職員から「福祉事務所に保護申請を断られた男性を(定期相談窓口が開かれる)明日連れていきたい」と電話があった。会の職員は「市で保護すべきだ」と指摘したが、相談には応じることにした。2日午後、会の職員が相談窓口に出向くと、市教委職員はおらず、男性だけが自転車などの所持品と共に置き去りにされていた。

 男性は「どこに行くとも聞かされずに連れてこられた。生活保護を申請したい」と話したため、福岡市に生活保護を申請することとし、翌日再訪するよう指導した。だが、その後男性から連絡はなく、行方は分からないという。同会は「自治体からの相談はよくあるが、置き去りにしたケースは初めて」とあきれている。

 朝倉市によると、男性は、暮らしていた体育施設の敷地内でたき火などをしたため、施設を管理する市教委が立ち退きを求めた。市福祉事務所に保護を相談したが「住居がないため生活保護は申請できない」と断られたという。市は「男性が『福岡で仕事を探したい』と希望したため、市教委職員が支援団体まで連れていった。住居がなくても保護申請ができることが周知徹底されていなかった」と釈明し、詳しい経緯を調べている。【扇沢秀明、門田陽介】


企画・4年の決算:派遣労働 一寸先ホームレス 「雇用の調整弁」危うい派遣

Pasted Graphic
支援団体による炊き出しに集まったホームレス。中には元派遣社員の30代男性もいた=北九州市で09年6月26日午後8時39分、松田栄二郎撮影

 <企業と労働者の双方が多様な働き方を求めている。労働者からも一定のニーズがある>(福田康夫首相、衆院予算委員会で答弁=08年1月22日)

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 「仕事も家も同時に失くした。あんな苦しさは二度と味わいたくない」。北九州市の職業訓練校でホームヘルパーの資格取得を目指して勉強中の男性(30)は昨冬、派遣労働者からわずかな間にホームレスになる、厳しい体験をした。

 福岡市出身。工業高校を中退後、県内の豆腐製造会社に入社したが、待遇への不満から1年半で退社した。派遣会社に登録したのは03年。「正社員ほど責任が重くなくて気楽だ、と思った。入社する時に学歴や資格が問われないのも魅力だった」。ただ「ほかに選択肢がなかった」のも現実だ。

 04年の改正労働者派遣法施行で、日雇い派遣の対象が製造業にも広がり、男性も愛知や三重県などの自動車部品工場に派遣された。日当は約7000~8000円。主に部品の組み立てをした。

 昨年9月、大分県中津市の自動車部品工場に着いた。7カ所目の派遣先。しかし11月から生産調整が始まり、勤務時間は1日8時間から4時間に減った。12月19日、派遣会社は派遣先との契約終了と同時に男性を解雇。3日後、会社が用意したアパートを出た。

 仕事を求めて北九州市に来た時、所持金は約6万円。節約のためJR小倉駅の駐輪場で野宿したら、荷物ごと盗まれた。両親とは5年以上連絡を取っておらず、連絡を取ろうとしたら転居していた。その日からホームレスになった。

 北九州市のホームレスは04年7月の434人をピークに減り始め、昨年9月には152人になった。しかし昨秋の世界経済危機後、再び上昇に転じ、今年3月現在184人。だが、市内のNPO「北九州ホームレス支援機構」は、「見えないホームレス」の存在を指摘する。失業後もわずかな蓄えを持ち、漫画喫茶などで寝泊まりする人たち。奥田知志理事長は「夏ごろには所持金も底をつき、一挙にホームレス化するだろう」と心配する。

 男性は幸い、ホームレス生活5日目に支援機構の担当者に声をかけられ、食事や生活保護申請などの支援を受けた。今年2月からアパート暮らしを始め、機構のボランティア活動に参加するうちに「人を支える仕事」に目覚め、介護の道を目指し始めた。

 「今回の件で、派遣労働者がいつ解雇になるか分からない存在だと身にしみた。あの体験はもうこりごりです」

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労働者派遣法

 派遣会社の労働者を他の企業などに派遣し、仕事をさせることを認めた法律。派遣可能な業務は当初、通訳やソフトウエア開発など専門性の高い業務に限られたが、03年に製造業への派遣を認める改正法が自民、公明、保守新党(当時)の賛成多数で成立。07年には製造業の派遣期間の上限が、1年から3年に拡大された。

 派遣労働の規制緩和は、結婚退職後の主婦や高齢者にも雇用機会を広げ「働き方の多様化を認める」とうたわれたが、景気後退後に「派遣切り」が相次ぐなど、結果として企業の「雇用の調整弁」に使われた形だ。08年2月の衆院予算委員会で、共産党の志位和夫委員長が派遣労働問題を取り上げたのを機に政治問題化し、政府は同年、日雇い派遣の原則禁止などを盛り込んだ改正案を国会に提出した。一方、民主、社民、国民新の野党3党は今年6月、製造業への派遣を3年以内に原則禁止する、とした対案を提出している。

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