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阪神大震災から14年、祈り込め「希望の灯り」

記者の目:阪神大震災「震災障害者」の14年 藤原崇志

 阪神大震災から14年たった今も、取り残された問題がある。「震災障害者」への支援だ。心身に重い後遺症を負い、それまでの生活が一変してしまったのに、十分な社会保障がなく、公的な相談窓口もない。「人間復興」にほど遠い現状を知り、公的支援の確立が急務だと強く感じている。

 2年前の1月17日夕刊で取材班は、震災で頭部障害などを負った少女の成長と家族のきずなを紹介した。少女の父(44)の「震災障害者は娘だけだと、ずっと思い悩んでいた」という言葉を思い出し、震災15年を前に忘れられた問題を明確にしておく必要があると考え、私たちは震災14年のテーマの一つに震災障害者を取り上げた。

 震災で重傷を負った人は1万人を超えたが、障害が残った被災者は行政の支援の網から漏れ、その存在が取り上げられることもなかった。私たちはまず、復興住宅や福祉施設、自治会などを訪ね歩き、震災障害者を探すことから始めた。

 「近所の人が震災後、車椅子生活になった」「友人が震災で長期間入院した」。そうした情報を頼りに、約70人を見つけ出した。「つらい記憶を思い出したくない」と取材に応じてもらえなかった人も多かったが、33人が口を開いてくれた。「障害は一生治らない。『過去のこと』ではない実態を知ってほしい」「苦しみを背負って生き抜くためには、長期的なサポートの窓口が必要だ」。支援を求める切実な声が多かった。

 なぜ、震災障害者の実態が把握されず、これまで支援対象にならなかったのだろうか。被災地復興を研究する岩崎信彦・神戸大名誉教授(社会学)は「行政の申請主義の弊害だ」と指摘している。

 例えば、労災の障害1級に相当する障害を負い、国などが最大250万円を支給する「災害障害見舞金」などの公的支援を受けるには、被災者自身が行政に申請しなければいけなかった。両足に後遺症を負った神戸市中央区の元タクシー運転手、松本武久さん(68)は「震災で障害を負った我々に、どんな支援制度があるのか分からなかった。災害障害見舞金も聞いたことがない。行政の怠慢だ」と話す。

 震災では犠牲者が6434人にのぼり、「多くの遺族を前にして命が助かっただけまし、という雰囲気もあり、支援を訴えにくかった」という声も聞いた。

 こうした実態を知り、行政に対して「座して待つ」という消極的な姿勢を感じた。「他者の痛みを共有・共感する想像力が欠けていなかったか」と訴えたい。

 担当者は「見舞金の支給基準に満たない震災障害者の調査は必要性がない」「つらい経験を質問しにくい」「所在不明で調査は不可能」などと言う。果たしてそうだろうか。支援の第一歩として震災障害者を探し出すことだって、医療機関や震災直後のさまざまな記録をたぐっていけば、難しくないはずだ。障害者手帳申請書類の原因欄に自然災害名の項目を設けるなど、改善すべき点も多い。

 同時に、私たち報道する側も、遺族の気持ちや都市の復興状況、防災対策のあり方などを伝えることに追われて、「後遺症」という視点が震災報道を続ける中で抜け落ちてはいなかったか。自戒しなければならないと思う。

 震災当時、中学2年生だった私は実家の兵庫県西脇市から神戸市に友人の家族と駆け付け、避難所で数日間、炊き出しを手伝った。その時、九州からバイクでボランティアに来た男性と出会った。「困っている人を放っておけない」。仕事を辞めてまで被災地で献身的に支援する姿を見て、「弱者に寄り添う」ということを初めて知った。しかし、3年前から神戸支局で勤務しているが、今回の取材まで震災障害者の苦境に気付かなかった。彼らの「痛み」に思いをはせる想像力が足りなかったと思う。

 被災者の高齢化が進んでいる。年金だけでは治療費や介護費をまかなえない人や、生活保護を受けている人もいる。支援確立は時間との勝負でもある。行政には、震災障害者のために災害障害見舞金の支給を受けるための要件緩和や、相談窓口の設置など公的支援策を確立して実態調査に乗り出すことを提言したい。そうした取り組みは、これからも起きるであろう自然災害でも生きるはずだ。

 被災地を歩いているだけでは、震災の傷跡を見つけることは今や難しくなった。しかし、復興の一方で取り残されてきた人たちがいる。震災障害者への支援制度を早急に整備すべきで、それなしに「真の復興」はありえない。(神戸支局)

毎日新聞 2009年2月12日 0時16分

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阪神大震災:
被災14年 7千本の灯ろうに「希望の灯り」

2009117 910分 更新:117 1212

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ろうそくの前で祈りを捧げる女性=神戸市中央区で2009年1月17日午前6時4分、梅村直承撮影

 6434人が犠牲になった阪神大震災の被災地は17日、発生から14年の朝を迎えた。あの日の傷跡を街に見つけるのは難しい。平成生まれが新成人となり、震災を知らない世代も増えた。その一方で、震災で後遺症を負った「震災障害者」の多くは十分な支援を受けられず、暮らしの不安を訴えている。隣国に目を転じると、昨年5月の四川大地震の被災地では、いまだに多くの被災者が仮設住宅で暮らす。本当の「復興」とは何か。国境や世代を超え、教訓をどう伝えるのか。震災は多くのことを問いかけ続けている。【震災取材班】

 神戸市中央区の東遊園地では、同市などが主催する「阪神淡路大震災1・17のつどい」が開かれ、早朝から約5500人(午前7時現在)が訪れた。週末で好天にも恵まれたためか、昨年より約1000人多かった。

 「1・17」の形に並べられた約7000本の竹灯籠(とうろう)に、公園内の震災モニュメント「1・17希望の灯(あか)り」の炎が移され、風に揺れる炎が夜明け前の空を赤く照らした。地震が発生した午前5時46分、参加者は静かに黙とう。犠牲者への祈りをささげた。

 続いて犠牲者の名前を刻んだ「慰霊と復興のモニュメント」前で、遺族代表として、母親(当時62歳)を失った神戸市嘱託職員、田中千春さん(53)=同市東灘区=が追悼のことばを述べた。田中さんは避難先で被災者同士が助け合ったことを振り返り、「人間にとって何が一番大切かを学ぶことができた。この震災を後の世代に伝えなければならない」と訴えた。

 兵庫県などでつくる「ひょうご安全の日推進県民会議」も、正午前から神戸市中央区の「人と防災未来センター」で「1・17のつどい」を開催。「1・17ひょうご安全の日宣言」が読み上げられ、参加者は、さらなる教訓の発信と防災、減災の取り組みを誓った。

 また、西宮市役所などから人と防災未来センターまで歩く「1・17ひょうごメモリアルウオーク」も県民会議主催であり、参加者は復興した街並みを眺めながら震災当時を思い返していた。

阪神大震災:
娘亡くした62歳母、歩き出す

 阪神大震災で一人娘を亡くした神戸市灘区の女性(62)が16日、同市中央区・東遊園地で、震災追悼行事の準備に初めてボランティアとして参加した。娘の後を追うことばかり考えていた日々から抜け出せたのは、自殺未遂の経験がある震災障害者との出会いがあったから。女性は震災の犠牲者6434人分の竹筒を一つ一つ並べながら誓った。「娘の分も生きよう。震災で苦しむ人にも手を差し伸べよう」【吉川雄策】

「ママ! 助けてー」

 木造2階建ての自宅は震災で全壊。隣室から娘の絵理子さん(当時18歳)の叫び声が聞こえた。扉が開かない。「今行くから。待ってて」。何度も扉に体当たりした。叫び声は次第に小さくなった。約1時間後、ピアノの下敷きになっているところを救出されたが、既に息絶えていた。

 「いつか田舎で、ヤギや牛と暮らしたいな」。王子動物園(同市灘区)を何度も訪れ、目を輝かせた。一方で裁判官を目指し、2、3時間しか眠らずに勉強する日も多かった。高校3年生。志望校の法学部の受験を間近に控えていた。

 女手一つで育てた娘は、自分のすべてだった。心が折れた。震災で頭に負ったやけどを治療する気力さえわかない。震災から5年が過ぎたころ、大量の睡眠薬を自宅で一気に飲んだ。限界だった。しかし数日後、目が覚めた。「どうして絵理ちゃんのもとへ行かせてくれないの」。天をにらんだ。

 震災から10年の05年1月17日。女性は東遊園地の追悼行事「1・17のつどい」の会場を訪れた。「今日で区切りをつけよう。娘のところに行こう」。カバンに睡眠薬300錠余りを忍ばせた。ろうそくの明かりを守るボランティア活動をしていた切畑輝子さん(69)=兵庫県西宮市=が、様子がおかしいのに気付き声をかけた。「大丈夫ですか」。カバンの中の睡眠薬を見つけた。女性は号泣した。

 切畑さんは震災で自宅が全壊、頭を強打して左足に後遺症があり、入水自殺を図ったこともある。女性の「生きたい」とのシグナルを直感した。その場で女性を抱きしめた。

 数日後、電話で女性に体調を尋ねた。「心と体が傷ついた姿が自分と重なった。妹のように思えた」。以後も連絡を重ね、女性は自分をさらけ出すようになった。「理解してくれる人にやっと出会えた」。女性は徐々に元気を取り戻した。

 女性は07年3月、一人旅に出かけ、富士山を見た。「生きてて心地いい」と初めて感じた。毎日飲み続けた睡眠薬を、旅行中は一度も飲まなかった。小さな自信が生まれた。
 ◇「もう自殺は絶対にしない」

 女性は16日、切畑さんに付き添われ、ろうそくを入れる竹筒を会場に並べた。腕には絵理子さんの形見の腕時計。絵理子さんが米国旅行で買ったものだ。喪失感や後悔の念がなくなることはない。でも一歩ずつ、前に進もう。「絵理ちゃんのためにも元気にならないと。もう自殺は絶対にしない」

阪神大震災14年:
神戸市「須磨多聞線」 住民熱意で道路計画“撤回”

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須磨多聞線の建設予定地=神戸市須磨区で
 ◇「復興名目、押し付け許さぬ」 事業認可後、異例の判断--遊歩道など検討

 阪神大震災(95年1月17日)の復興関連事業として事業認可された10路線のうち、唯一、未着工の神戸市須磨区の「須磨多聞線」について、神戸市は当初の事業計画にはない広場などを整備する方向で検討を始めた。「復興に名を借りた住民無視の公共事業」という住民の反対運動を受け判断した。道路建設で事業認可後に当初計画と異なる整備をするのは異例。住民側は「実質上の見直し」としている。

 計画地は神戸市西部の閑静な住宅街で、震災で大きな被害を受けた。当初計画は総事業費87億円で国道2号と第2神明道路をつなぐ4車線を建設するもので、高度成長期の68年に都市計画決定されたが、住民の反対などから塩漬け状態だった。

 ところが市は震災2カ月後の95年3月、兵庫県から事業認可を受け、計画に向け作業を開始。この間、住民説明会は一度も開かれなかったが、住民は事業認可で建物の売買や新築、改築などが禁止され、計画地の89%が用地買収に応じて市の所有地となった。

 住民は「震災を利用し被災者を町から追い出そうとしている」と反発。道路建設は環境にも悪影響を与えるとして97、99年、地区住民の2割にあたる約3700人が、県の公害審査会に公害調停を申請し、調停中。計画地はフェンスに囲まれて、空き地のままになっており、市は昨年末、当初計画と違った形で遊歩道や広場の整備を検討するため、住民と協議を始めた。

 住民側は公園遊歩道化を要望しており、新しい計画の詳細はこれから詰める。財源は国の補助金を活用するため、一部でも「道路」機能を残すことが条件となる。市は「最終的に道路を造る前提は変わらない」としており、住民が提案している遊歩道が道路にあたるかを含め、国土交通省も含めて協議する。

 調停団の宗岡明弘事務局長は「これまでの努力が実を結んだ。強引な公共工事に対する警鐘になればと思う」と話している。【川上晃弘、川口裕之】

 法政大学の五十嵐敬喜教授(公共事業論)の話 認可後の道路整備事業について、住民と行政が議論して別の計画を作ろうとする取り組みは画期的。自動車万能時代に作られた都市計画は全国で5割近くが未整備のままで、神戸市の決定が与える影響は計り知れない。

毎日新聞 2009年1月16日 大阪夕刊

阪神大震災:
あす14年 芦屋の小学校で追悼式

2009年1月16日 12時50分 更新:1月16日 13時06分

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震災で亡くなった児童らに献花し手を合わせる在校生=兵庫県芦屋市の市立精道小で2009年1月16日午前10時16分、小関勉撮影

 阪神大震災(95年1月17日)で児童8人が亡くなった兵庫県芦屋市立精道(せいどう)小(642人)で16日朝、追悼式が開かれ、全校児童で折った千羽鶴を慰霊碑に供えた。

 同校に入学直前だった長男涼介君(当時5歳)を亡くした時田郁江さん(47)が遺族代表としてあいさつ。子どもたちを前に「自分の命を大切にしてしっかり生きてください。それが、生きたくても生きられなかった人への一番の追悼」と静かに語りかけた。

 また、当時1歳半だった兄を震災で亡くした6年生、上仲大輝君(12)は「兄のことは知らないが、兄と一緒にいる時を想像することがあります。震災がなければ僕の兄は生きていたのにと、考えてしまう」と述べた。

 同校では震災の体験を学ぶ授業をしており、上仲君は「震災のことを忘れず語り継いでいきます」と誓った。【山田奈緒】

阪神大震災:
8割「公的支援不満」 障害者33人調査

2009年1月16日 2時30分 更新:1月16日 2時30分

 阪神大震災から17日で14年になるのを前に、毎日新聞は震災で心身に障害を負った「震災障害者」のうち、所在が把握できた33人を対象にアンケートを実施した。その結果、回答者の多くが暮らしや仕事など生活再建に深刻な影響を受け、行政による実態調査と公的支援の充実を約8割が求めていることが分かった。震災障害者の実情がまとまって明らかになるのは初めて。

 調査は、神戸、西宮、芦屋の兵庫県内各市で被災した男性12人と女性21人(14~86歳)に昨年12月から今月、面談(一部郵送)で実施した。本人が回答できない場合は家族に聞いた。

 回答では、7割以上(24人)が仕事や勉学などの生きがいを失い、6割以上(21人)で世帯収入が減っていた。医療・介護費などが家計を圧迫し、生活設計の変更を余儀なくされた人は約8割(26人)に上った。「自殺を考えたことがある」は約4割(14人)を占めており、深刻な状態に追い込まれた経験のある人が少なくないことが分かる。

 そのうえで、「行政による実態調査」は8割近く(25人)が「すべきだ」と答え、災害弔慰金法の「災害障害見舞金」(最高250万円)など現行の公的支援策は約8割(27人)が「良くない」とした。

 震災では、約1万人が重傷を負った。しかし、国や自治体は追跡調査をしておらず、震災障害者の実態・実数は不明。災害障害見舞金の受給には、両腕または両脚の機能を失うなど厳しい要件があり、阪神大震災での受給者は63人にとどまる。

 岩崎信彦・神戸大名誉教授(社会学)は「最も支援が必要な時期に、震災障害者は放置されてきた。自殺を考えた人が多数おり、14年たっても孤立感にさいなまれているのは、その結果だ。行政は実情を真摯(しんし)に受け止め、見舞金のハードルを低くするなど、制度改正を急ぐ必要がある」と指摘している。【震災取材班】

 【ことば】震災障害者

 阪神大震災(95年)で心身に障害を負った被災者。行政上の定義はなく、数年前から当事者らが使い始めた。総務省消防庁によると、震災による重傷者は1万683人。しかし追跡調査は行われず、震災障害者の実態は不明。自然災害で障害を負った人に国などが支給する「災害障害見舞金」(最高250万円)は、両腕または両脚の機能を失った場合などに限られ、改善を求める声が上がっている。

阪神大震災:
昨年の孤独死46人 兵庫の復興住宅

 阪神大震災(95年)の被災者らが入居する兵庫県内の災害復興住宅で、1人暮らしの入居者が死亡する「孤独死」が昨年は46人だったことが14日、分かった。前年より14人少ない。復興住宅での孤独死は、統計がある00年以降で計568人になった。孤独死は02年の77人をピークに年々減少する傾向にある。対象は県内の復興住宅292カ所で、県警の検視結果を基に毎日新聞が集計した。

 46人は26~95歳で、平均年齢72.8歳。死因の内訳は、病死36人▽事故死8人▽自殺1人▽不明1人。

阪神大震災:犠牲者を追悼 希望の灯り分灯始まる 神戸

2009年1月10日 22時45分 更新:1月11日 9時49分

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「1・17希望の灯り」の炎をろうそくにともす人たち=神戸市中央区の東遊園地で2009年1月10日午前10時3分、小川昌宏撮影

 阪神大震災の犠牲者を追悼する神戸市中央区・東遊園地のモニュメント「1・17希望の灯(あか)り」の分灯が10日、始まった。震災14年となる17日まで続き、各地の追悼行事などでともされる。

 この日は13団体がロウソクで採火、ランタンに火を移した。復興住宅の高齢者宅を訪れるボランティア活動を続ける市民団体「神戸週末ボランティア」は初めて参加。午後に被災者宅で開く追悼集会であかりに黙とうする。「希望の灯り」は被災者やボランティアが全国から火を持ち寄り、00年1月17日からともし続けているガス灯で、今年は約40団体が採火予定。【辻加奈子】

阪神大震災:
両親亡くした書家が「ありがとう展」開催へ

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展覧会を前に作品を広げる野原神川さん。震災にまつわる短歌や俳句、詩などを募集し作品化した=神戸市東灘区で2009年1月5日、小松雄介撮影

 阪神大震災で両親を亡くした神戸市東灘区の書家、野原神川(しんせん)=本名・久美子=さん(53)が7日から、震災にまつわる俳句、詩などを公募し、書でしたためた作品展「絆(きずな)2 今日までのありがとう展」を神戸市内で開く。野原さんは「それぞれの被災者にそれぞれの震災があることを忘れてはいけない」と訴えている。

 応募の中から19人22点を選び、1カ月半、自宅の工房で制作した。内容に応じて字をにじませたり、指で書いたり。時には涙を流しながら夜明けまで筆を握り続けた。

 神戸大の守衛だった同市垂水区の70代男性は、体育館で被災者と過ごした1週間が頭から離れず「ありがとうの心で食べる震災後」という句に詠んだ。同市西区に住む元小学校教諭の60代女性は、両親を失った当時小学2年と6年の姉妹の気持ちを詩にした。「会いたい 会いたい もう一度 そして伝えたい お父さんお母さん大好きと」

 野原さんは震災で自宅近くの実家と妹宅が全壊。両親と妹の夫が亡くなった。10年間、震災を創作のテーマにできなかったが、「つらい思いをしたのは自分だけじゃない」と思えるようになり、「多くの人の思いを書で表現して残したい」と作品展を企画した。

 神戸市中央区中山手通2のNHK神戸放送局で12日まで。午前10時~午後6時(最終日は午後5時半)。入場無料。【藤顕一郎】


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