Senior Drivers
高齢ドライバーと地域交通

クルマ高齢社会:
第6部・
命を守るために/上 認知症で免停、ごく一部

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高齢者講習で運転シミュレーターを使って運転動作をチェックする人たち。6月からは認知機能検査が加わる

 ◇検査「75歳~3年ごと」 病院は運転評価体制なく


 運転していたのは認知症の男性だった。

 1月下旬の雨まじりの夜。東京都調布市の中央道下り線で、トラック(1・5トン)が追い越し車線を逆走し、避けようとしたワゴン車が側壁に衝突、3人が軽傷を負った。トラックはさらに逆走を続け、3キロほど離れたところで、大型トラックと正面衝突した。トラックは前部が大破し、運転していた62歳の男性は間もなく息を引き取った。

 「昼食を作るため、台所にいると車の音がした。あわてて外に出たが、もういなかった。離れたのはほんの1、2分だったのに……」。千葉県成田市の自宅で、男性の妻(58)は涙をにじませた。

 物忘れが頻繁になってきた男性が認知症と診断されたのは3年前。家業はサツマイモ農家。農作業にトラックの運転は欠かせない。1人で車を運転させないことを家族で決め、いつも妻が助手席に座った。

 しかし、あの時、いつもは隠していたエンジンキーを車の運転席に置き忘れてしまった。「私が悪いんです……」。妻は今も自責の念にかられる。

 男性は3カ月ごとに通院していたが、妻は「医師から車の運転をやめるように言われたことはなかった」と漏らす。

 昨年9月には、男性は運転免許を更新していた。成田署交通課は「前の免許証の名前の漢字が戸籍と違うと言って、戸籍抄本を持ってきて訂正したぐらいの人なので、認知症とは気付かなかった。更新手続きで認知症かどうかを見分けるのは難しい」と説明する。

    *

 認知症の高齢ドライバーによる事故が相次いでいることを受け、警察庁は6月から高齢ドライバーが運転免許を更新する際、認知機能検査を義務付ける。「認知症」と診断されれば、運転免許の取り消し・停止となる。

 だが、コストの問題もあり、検査対象は75歳以上。検査を受ければ次の免許更新まで3年間はチェックを受けずに運転が可能だ。

 認知症に詳しい三村将・昭和大医学部准教授は「これまでは明確な免許取り消し基準がなく、認知機能検査は第1ステップ」と評価する。しかし、「実際に取り消されるのはかなり重症のドライバーだけ。検査にパスしたからといって必ずしも安全に運転できるわけではない。症状が軽くても危険な運転をするドライバーはいるし、症状が急速に進む人もいる。75歳未満の認知症ドライバーの免許更新はフリーパスに近い」と懸念する。

 では、現行の制度のほかに、運転の適性をどう見抜いたらいいのか。三村准教授は、昭和大病院付属東病院(東京都品川区)の脳障害患者向けの「高次機能外来」で、08年から試行的に「運転評価」を行っている。ペーパーテストや運転シミュレーター、脳活動の計測などで運転に必要な能力があるかどうかを検査している。

 これまで7人の高齢者を診断した。その一人、東京都大田区の弦巻辰雄さん(84)はごく軽度の認知障害がある。妻と2人暮らしの弦巻さんは「病気の妻を病院に送り迎えしなくてはならないので、車なしでは生活できない」と話すが、3カ月ごとに通院している。弦巻さんは「家族や医師には『運転が危ないようだったら、運転をやめるように言ってくれ』と伝えている」と話す。

 米国カリフォルニア州では、認知症の患者を診断した場合、医師に通報義務があり、運転評価を行った上で、運転の適否を判断する。運転評価で合格しても6~12カ月後に再検査が行われる。

 三村准教授は「軽い認知症でも最低6カ月ごとにチェックが必要。しかし、医療機関で運転適性を評価できるところはほとんどない。運転評価をきちんと行う仕組みが求められている」と指摘する。

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 65歳以上の高齢ドライバーは約1107万人(07年末)。10年後には約1750万人(警察庁推計)に達する見込みだ。増え続ける事故を前に、行政もようやく高齢ドライバー対策に力を入れ始めた。今、何が変わろうとしているのか、何が求められているのか。「クルマ高齢社会」第6部は命を守るための高齢ドライバー対策の最新事情と課題について3回にわたって報告する。【板垣博之】

 ◇免許更新時に記憶力・判断力測定


 認知症のドライバーは道路交通法改正で02年から免許取り消し・停止の対象となった。しかし、明確な基準がなかったため、同法を再び改正し、75歳以上の高齢ドライバーを対象に認知機能検査を導入することを決めた。

 検査は、70歳以上で運転免許更新の際に義務付けられている高齢者講習の前段に行われる。内容は(1)年月日、曜日、時間を記載する(2)イラストを見て、その記憶力をチェックする(3)時計の文字盤を描く--の3種類で、採点、結果の通知を含めて約30分かかる。

 この検査で「記憶力・判断力が低くなっている」と判定され、免許更新の前後に信号無視や一時不停止などの違反行為があると、専門医による「臨時適性検査」を受ける。専門医から「認知症」と診断されると、公安委員会が取り消し・停止の処分を決める。

 検査を受ける必要があるのは、免許の更新期間満了日が09年12月1日以降の人で、満了日の6カ月前から検査が可能。

 75歳以上の高齢ドライバーは07年末時点で約280万人。警察庁は高齢者講習の機会を利用した調査から、記憶力・判断力が低くなっていると判定される人は約3%で、そのうち過去1年間に違反歴のある約2000~3000人が臨時適性検査の対象になると推計している。

毎日新聞 2009317日 東京朝刊


クルマ高齢社会:
第6部・
命を守るために/中 免許返納へ、バス充実(1/2ページ)

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通院や買い物などの高齢者の生活を支える「上限200円バス」

 ◇格安運賃、市が後押し 交通空白地域を解消

 車の運転をやめたくてもやめられない高齢ドライバーは少なくない。バスや鉄道などの公共交通網が乏しい地方では、車がなければ、買い物や病院に行けず、生活に大きな支障が出るからだ。

 「返納すると、代わりの交通機関がない。不便である」。警察庁が05年に実施した「高齢者の交通事故防止に関するアンケート」で、運転免許を返納しない理由を尋ねた(複数回答可)ところ、こう回答した人がほぼ半数の46%に達した。

 そんな中、お年寄りが無理に車のハンドルを握らなくてもすむよう、路線バスの充実をまちづくりの中核に位置づけ、成果をあげつつある自治体がある。

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 「200円バスが走っていなかったら、運転はやめられなかったね」。京都府京丹後市の中心部から約10キロ離れた農村地帯に住む男性(83)は話した。

 男性は昨年7月、車を手放した。他県に住む娘から再三、運転をやめるように言われ、「事故で人の命を奪ってしまっては、償いきれない」と決意した。

 市内には、どこまで乗っても運賃の上限が200円という路線バスが走っている。病院に行くのも、買い物に行くのも、レジャーで出かけるのも往復で400円。「年金生活だから、運賃が安いのは助かる。バスに乗ると、これまでとは違った世界が見える。ゆっくり風景を楽しむことができる。迷いはあったが、今はやめてよかったと思っている」。男性は笑顔を見せた。

 京丹後市は04年、京都府北部の丹後地域の6町が合併して誕生した。約500平方キロの広大な面積に、人口は約6万2000人。65歳以上の割合を示す高齢化率(05年国勢調査)は28%で、全国平均(20%)を大きく上回る。

 市内を縦横に走る路線バスが最大の交通網だが、以前は「10便中7~8便が乗客ゼロで、空気を運んでいるという路線もあった」(京丹後市市民課)。乗客が少ないため運賃を上げると、乗客が減る。赤字に耐えかね路線を廃止すると、さらに乗客が減るという多くの自治体が陥る悪循環に直面していた。

 ここで市は発想を転換する。「700円で2人の利用より、200円で7人の利用を」。路線バスを運行する丹海バスに協力を求め、06年10月から市と同社が共同運行する「上限200円バス」が実現した。

 最長路線の料金は1150円から200円に。バス停や便数の増設、ノンステップバスの導入で誰もが使いやすいバスを目指した。

 利用者は急増した。2年目の利用者はこれまでの1・7倍の30万3000人。運賃収入は330万円増の約4900万円。市の補助金は約7800万円で、以前より約900万円減った。

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 市は昨年10月、バス路線がない同市網野町浅茂川地区の老人会を対象にアンケートを行った。運転免許を持っている41人に、免許返納の有無を尋ねたところ、「返納したい」と答えたのは12人。「返納しない」は約6割の24人だった。このうち、17人は自分の車だけが移動手段だった。バス事業を担当する同市市民課の野木秀康主任は「免許を返納したくても返納できない高齢者が多いのでは」と推測する。

 同時期に浅茂川地区などにバス路線を延長し、4000人分の交通空白地を解消した。老人会「浅茂川浦島会」の池部貞夫会長(74)は「車は長く運転したいが、いずれは運転ができなくなる時が来る」と、5年ぶりのバスの復活を喜ぶ。市は残る7000人の交通空白地の解消のほか、バス料金の割引制度などを検討している。

 中山泰市長は「高齢者や子供たちはバスがなければ生活できない。車の運転が難しくなった人にバスを利用してもらうことで高齢者の事故防止にもつなげたい」と話している。【板垣博之】

毎日新聞 2009年3月18日 東京朝刊


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命を守るために/中 免許返納へ、バス充実(2/2ページ)

 ◇「返納」で特典制度も 都道府県で温度差

 警察庁によると、08年に運転免許を自主的に返納した人は前年の約1・5倍で、過去最高の2万9150人(前年比9693人増)に上った。そのうち、96%が65歳以上の高齢ドライバーだった。

 都道府県で返納に取り組む姿勢に温度差があり、返納者が100人未満のところが6県あった。一方、最も伸び率が高かった宮崎県は前年比11・3倍の1019人。そのうち、1001人が高齢者だ。今年も1月だけで100人に上っている。同県警が昨年4月から実施した「高齢者運転免許証返納メリット制度」が功を奏したとみられる。

 制度は、免許を返納した高齢者に同県警独自の「返納カード」を配布。カードを提示すると、さまざまな特典がある。県内の129団体・業者の協力を得て、▽バスの高齢者用定期券の半額(1回限り)▽信金や信組の定期預金金利0・1%上乗せ▽ホテル・旅館の宿泊費、温泉入浴料、飲食料金などの割引▽電動車いす購入の際に車体カバーのサービス--などを実施している。

 しかし、課題もある。返納者は都市部に集中する傾向があり、同県警交通企画課は「山間部や農村部では『公共交通機関がないので、無理してでも車に乗りたい』という声がある」と話している。

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 ■都道府県別の免許返納状況■
 (▼は減)
    08年返納件数   前年比
北海道     598    81
青森      314 ▼  13
岩手      159    96
宮城      566   262
秋田     1198   850
山形      506   456
福島      636   545
東京     5827  4533
茨城      582    28
栃木      311    33
群馬      271    13
埼玉     1509    13
千葉      931    22
神奈川    1193   175
新潟      447    28
山梨      228   196
長野     1143   445
静岡     1771 ▼ 344
富山      700    95
石川      139    78
福井      211   109
岐阜      182    67
愛知      292    46
三重      198    43
滋賀       85    13
京都      472 ▼ 247
大阪     1563 ▼ 648
兵庫     1279  1096
奈良      110    10
和歌山      30     8
鳥取      119    10
島根      139 ▼  35
岡山      453 ▼ 105
広島      521 ▼  43
山口      773   178
徳島      169 ▼  28
香川      204   157
愛媛      856   499
高知       84 ▼  35
福岡      233 ▼ 186
佐賀      145    84
長崎      204    34
熊本       91 ▼  11
大分       73    11
宮崎     1019   929
鹿児島     548   172
沖縄       68 ▼  27
 計    29150  9693

毎日新聞 2009年3月18日 東京朝刊


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命を守るために/下 逆風、揺れる「もみじ」

 ◇罰則廃止、デザイン変更も/優先駐車場、好評

 高齢者が運転していることを周囲のドライバーに知らせて、注意を促す「高齢運転者標識(もみじマーク)」。08年6月に75歳以上に表示が義務付けられたが、再び罰則なしの努力義務に戻る。

 「高齢者いじめだ」「年齢差別だ」などと反発する声が上がり、警察庁が方針転換した。同庁は「枯れ葉や落ち葉みたい」との批判があるデザインの変更も検討している。

 もみじマークはどうなるのか。

     *

 福島県いわき市中心部から約30キロ離れた郊外にある「マルト中岡ショッピングセンター」。約300台の駐車場の4台分に「もみじマーク」が描かれている。高齢ドライバー専用の駐車場だ。

 「出入り口に近くて便利。毎日のように使っています」。車で約10分離れた自宅から来た小野瀬光子さん(76)はマイカーに買い物袋を積みながら話した。

 小野瀬さんがもみじマークを車につけたのは2年前。運転免許の更新の際、警察に勧められた。「まだつけなくても大丈夫」と運転に自信があった小野瀬さんだが、その効果を実感している。

 以前、法定速度で走っていると「なにノロノロ走っているんだ!」とか、右折しようとした際、「どこを曲がるんだ!」などの怒声を浴びせられた。だが、今はない。

 同店が高齢者専用駐車場を設けたのは06年。平日の午前中や、土日はほとんど「満車状態」という。

 福島県警では、もみじマークを普及するため05、06年に、全国に先駆けて高齢者優先駐車場の普及に取り組んだ。公共機関やスーパーなどに計647カ所が設置された。

     *

 警察庁がもみじマークの方針転換の理由として挙げるのは表示率の上昇。昨年8、9月の調査では75歳以上の表示率が75%。義務化前の昨年2月の42%から大幅にアップした。

 だが、罰則がなくなることで表示率がダウンする懸念もある。

 東京都中野区に住む三橋道行さん(70)は、昨年末にもみじマークの対象年齢になったが、表示するつもりはない。三橋さんは「メリットを感じる人はつければいいが、私はメリットを感じない。マークをつけて走れば、いやがらせを受けると思う」と強調する。

 兵庫県宝塚市の江口忠治さん(77)は、マークをつけて走ると嫌な思いをすることがあるという。「猛スピードで抜かれて、前に割り込まれたり、パッシングであおられたりする。若い運転手の教育をしてほしい」と話す。

 高齢ドライバー問題に詳しい溝端光雄・東京都老人総合研究所研究副部長は「もみじマークは差別という声もあるが、周囲のドライバーがマークをつけた車に幅寄せや割り込みをすれば、反則金が科せられる。高齢者と他のドライバーの扱いは公平だ」と指摘。「マークをつけることで高齢者自身も慎重に運転し、周囲も温かく見守れば事故は減る。高齢者が受け入れやすいように呼び方をベテランマークなどに変えるべきだ」と提案している。【板垣博之】

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 ◇高齢運転者標識(もみじマーク)

 道路交通法が改正され、97年に導入された。当初は75歳以上に表示の努力義務があったが、02年に70歳以上に拡大。08年6月、75歳以上に表示が義務付けられた。違反すると反則金4000円が科せられるが、警察庁は1年間は周知期間として指導にとどめていた。現在、罰則を廃止する道交法改正案が国会に提出されている。

毎日新聞 2009年3月19日 東京朝刊
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