【中越/中越沖震災リンクサイト】

中越沖地震:
柏崎市「移築OK」 暖かく快適、我が家に
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冷暖房効率の良い木造仮設住宅(左)。右は従来型のプレハブ仮設住宅=新潟県柏崎市で2009年1月16日午後4時0分、五十嵐和大撮影

 07年7月の新潟県中越沖地震で柏崎市に建設された木造仮設住宅について、市は被災者の土地への移築を認める方針を決めた。今春、数戸の移設を目指している。仮設住宅の入居期限は今年8~9月だが、自宅再建のめどがたたない被災者も多く、市の担当者は「早期の住宅再建を促し、建築材料もリサイクルできる妙案。被災地では初の試みでは」と話している。【五十嵐和大】
 柏崎市内には地震後、39カ所に1007世帯分の仮設住宅が建設された。昨年末時点で482世帯、1163人が暮らしている。
 建設された仮設住宅の大半は従来型の鉄骨プレハブ造りだが、内部に断熱材を張った木製パネルを使った新しいタイプの仮設住宅を柏崎市の住宅メーカーが04年に開発。この年に発生した中越地震の被災地で18戸が建設され、中越沖地震でも21戸導入された。室内の結露が少なく、冷暖房効率が良いのも特徴だが、再利用を前提とした設計ではなく、使用後は建築廃材となるのが難点だった。
 新しいタイプの仮設住宅については、入居した被災者から「仮住まいの割に快適」との声が寄せられた。こうした意見を受け、市は「もったいない。有効利用できるのではないか」と移築の可能性を探ってきた。
 移築はリース期間終了後に一度解体し、被災者がメーカーから払い下げを受ける形をとる予定。費用は500万円前後かかる見込みだが、被災者生活再建支援法に基づく支援金や義援金を活用することで、被災者の新たな負担はない見込みだ。
 柏崎市復興支援室の白川信彦室長は「低コスト、短期間での住宅再建を後押ししたい」と話している。
毎日新聞 2009年1月19日 15時00分(最終更新 1月19日 17時02分)

中越沖地震:
発生1年半 被災の主婦「心の駅」で語り合う
 発生から1年半がたった新潟県中越沖地震。自宅で暮らす住民がいる一方、今も仮設住宅暮らしを強いられる被災者も。境遇の違いから近隣住民同士のいさかいもあったが、心の溝を埋めようと互いに語り合う場を設ける努力も行われている。
 連日のように強風や雪が続く柏崎市宮川地区。ここに住む主婦、森山よし子さん(60)は、仮設住宅には移らずに済んだ。ただ、震源に近かったこの地区では、木造家屋を中心に被害が集中。地震当時、152世帯約380人いた住民のうち、ピーク時は26世帯56人、昨年末現在でも14世帯31人が仮設暮らしを続けている。15世帯約40人は地区を去った。
 仮設には届く救援物資が、自宅で暮らす住民には情報も伝わらない。ささいなことで隣人同士がいがみ合うこともあった。そんな中、宮川地区に足しげく通ったボランティア、若林和枝さん(49)=小千谷市=の言葉が心に響いた。「みんな同じなんだから、人の悪口を言っちゃだめ」
 若林さんも04年の中越地震で被災。気持ちが落ち込んだ時、阪神大震災の被災地から駆け付けたボランティアに励まされた。食器を持ち込んでくれたり、花の種を贈ってくれたり。押しつけがましくない態度がうれしかった。「あの経験が『自分にも何かできるかも』という自信につながった」と若林さん。
 森山さんも若林さんにならって、昨年春から動き出した。集会所にお茶やお菓子を持ち込み、住民同士が語る場を設け、「心の駅」と名付けた。
 老若男女、世代を超えて住民が立ち寄り、人の輪が広がり始めた。「もともと世話好きだから。こんな楽しい『駅』が私の夢だった」と森山さん。被災者同士の心の雪解けを待ちわびる毎日だ。【五十嵐和大】
毎日新聞 2009年1月17日 12時19分

中越沖地震:
復興公営住宅が完成 入居18世帯に鍵 柏崎
 昨年7月の新潟県中越沖地震で被災した柏崎市で、自宅を失った被災者向け公営住宅(復興公営住宅)が同市希望が丘地区に初めて完成し、19日朝、入居者18世帯に鍵が手渡された。
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中越沖地震:
復興公営住宅が完成 赤ちゃん、泣いてもいいよ
 昨年7月の新潟県中越沖地震で被災した柏崎市で、自宅を失った被災者向け公営住宅(復興公営住宅)が同市希望が丘地区に初めて完成し、19日朝、入居者18世帯に鍵が手渡された。【五十嵐和大】
 一般公営住宅として昨年12月に着工し、全24戸のうち21戸を被災者向けに優先的に確保した。鉄筋コンクリート4階建てで、2DK(50平方メートル)と3DK(66平方メートル)の2タイプ。所得などに応じた家賃は2万1100~6万5000円。
 市はJR柏崎駅前など4カ所にも復興公営住宅を建設中。19日に引き渡された18戸を含め、仮設住宅の入居期限を迎える来年8月までに計224戸を建設する。
 鍵渡し式で、入居者らとともにテープカットをした会田洋・柏崎市長は「仮設などで長い間、不自由な生活を強いられたが、これからは平穏な元の生活を取り戻してください」とあいさつ。1歳7カ月と8カ月の2人の男の赤ちゃんを抱えて、1年2カ月に及ぶ仮設住宅暮らしを余儀なくされた久住(くすみ)裕介さん(30)は「赤ちゃんの夜泣きなどで周囲の人に迷惑をかけないかと、ストレスがたまり落ち着かない生活だったが、とりあえず住めるところが見つかり、うれしいです」と喜んだ。
毎日新聞 2008年12月19日 東京夕刊

中越沖地震:
被災者が復興住宅へ 柏崎市、18世帯に鍵 /新潟
 昨年7月の中越沖地震で被災した柏崎市で、自宅を失った被災者向け公営住宅(復興公営住宅)が同市希望が丘地区に初めて完成し、19日、入居者18世帯に鍵が手渡された。
 一般公営住宅として昨年12月に着工し、全24戸のうち21戸を被災者向けに優先的に確保した。鉄筋コンクリート4階建てで、2DK(50平方メートル)と3DK(66平方メートル)の2タイプ。所得などに応じた家賃は2万1100~6万5000円。
 市はJR柏崎駅前など4カ所にも復興公営住宅を建設中で、仮設住宅の入居期限を迎える来年8月までに計224戸を建設する。
 鍵渡し式で会田洋市長は「仮設などで長い間、不自由な生活を強いられたが、これからは平穏なもとの生活を取り戻してください」とあいさつ。1歳7カ月と8カ月の2人の男の赤ちゃんを抱えて、1年2カ月に及ぶ仮設住宅暮らしを余儀なくされた久住(くすみ)裕介さん(30)は「赤ちゃんの夜泣きなどで、周囲の人に迷惑をかけないかと、ストレスがたまり落ち着かない生活だったが、とりあえず住めるところが見つかりうれしいです」と喜んだ。【五十嵐和大】
毎日新聞 2008年12月20日 地方版

中越沖地震:
北陸道、全面復旧 22日から片側2車線通行に /新潟
 東日本高速道路株式会社は18日、中越沖地震で被害を受けた北陸自動車道の復旧工事がすべて完了し、22日午後4時から片側2車線通行を再開すると発表した。速度制限も地震前に戻す。
 北陸道上越インター-長岡ジャンクション間計約66キロは地震で大きな被害を受け、復旧工事に伴う車線規制が長く続いてきた。安全性の問題から、昨冬いったん解除されたものの、ゴールデンウイーク明けから本格復旧工事が行われていた。【渡辺暢】
毎日新聞 2008年12月19日 地方版

中越沖地震:
募金とミカンに励ましの一言 沼津NPO、きょうも被災者に /静岡
 昨年7月の新潟県中越沖地震の被災者にミカンを贈るため、沼津市のNPO法人日本沼津災害救援ボランティアの会(稲木寛男理事長)が13日、沼津駅南口で募金を始めた。沼津産の西浦ミカンに励ましの一言を書き込んでもらい、「寒さに負けずがんばって!」などの言葉が続々と寄せられた。14日まで。
 初日は会員とボランティアの市民約30人が活動に携わった。朝から夕刻まで街頭に立って呼びかけた三島高校福祉科2年、後藤教文さん(17)は「温かい気持ちを受け取り、自分もよかった」。NPOは2日間の募金全額でミカンを買い、22日に柏崎市の仮設住宅などに直接届ける。【安味伸一】
毎日新聞 2008年12月14日 地方版

中越地震:
「助け合おう」灯火に誓い
 最大震度7を記録し、68人が死亡した新潟県中越地震から4年。被災地では発生時刻の23日午後5時56分、人々が犠牲者に黙とうをささげた。長岡市の市厚生会館前では、地元の街づくり団体などが1000本のキャンドルをともし、追悼の意を表した。
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中越地震:
被災から4年 小雨交じりの中、長岡市で追悼式
 最大震度7を記録し、死者68人、負傷者4795人を出した新潟県中越地震から4年を迎えた23日、被災地の長岡市で追悼式が営まれた。小雨交じりの中、参列した約200人は犠牲者の冥福を祈り、献花した。
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中越地震:
発生から4年 阪神被災者と出会い米作り再開
 68人が死亡し12万棟の家屋被害をもたらした新潟県中越地震発生から4年を迎える23日、震度7の激震に見舞われた川口町木沢地区に阪神大震災の復興住宅に暮らす被災者18人が初めて訪れる。木沢で農業を営む小林正利さん(67)は、18人の一人で兵庫県西宮市の飯干初子さん(62)との出会いを機に再び米作りに励み始めた。「木沢はまだまだ復興の途上ですが、美しい風景を楽しんでほしい」と、飯干さんとの再会を心待ちにしている。
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新潟中越地震:
発生4年(その1) 復興へ思い新たに /新潟
 68人が犠牲になった中越地震から4年を迎えた23日。長岡市や小千谷市、川口町などの被災地では、さまざまな追悼式が営まれ、地震発生時刻の午後5時56分に黙とうがささげられた。仮設住宅の入居者こそなくなったものの、甚大な被害を受けた旧山古志村(長岡市)などでは今も復興作業が続く。地震は過疎化に追い打ちをかけ、07年の中越沖地震による二重被災者も出た。震災の傷跡は今も深い。「2、3年は無我夢中だったけど、今になってつらさが出てきたて……」。そんな声も漏れる中、被災者は復興への思いを新たにしていた。【根本太一、渡辺暢、五十嵐和大、川畑さおり】
 ◇川口町木沢、西宮から17人訪問
 ◇意見交換機に交流、被災者と黙とう
 震源に近い川口町木沢には、今年1月の阪神大震災13年を機に交流を続ける、兵庫県西宮市の復興住宅に暮らす17人が訪れ、木沢の被災者とともに黙とうした。
 「よくおいでくださいました」
 「やっと、ここまで来られました」
 午後4時45分、川口町の温泉施設に到着した西宮市の飯干初子さん(62)。13年前の震災で脊髄(せきずい)を傷め、車椅子の生活を送る。出迎えた木沢の農業、小林正利さん(67)と約9カ月ぶりに再会した。
 2人の交流は、木沢の住民が1月17日に西宮市を訪れ、震災後の生活再建などについて意見交換したことがきっかけ。
 その後も手紙や電話で連絡を取り合い、小林さんは自分の田んぼで取れたコシヒカリや山菜を、飯干さんはお返しに果物を贈るなどして親交を深めてきた。
 初めての新潟旅行に「何か胸にこみ上げてくるのを感じる。宮崎県の古里を思い出すよう」と話す飯干さん。バスで8時間の長旅をねぎらい、小林さんは「木沢の景色を楽しんでください」と、車椅子を押しながら声を掛けた。
 ◇「希望の鐘」を鳴らし、児童ら感謝の合唱--旧山古志村
 全村避難した旧山古志村(長岡市)では、茨城県の鋳物業者から贈られた「希望の鐘」を鳴らし、約400人が黙とうをささげた。今年は帰村を希望した住民全員が山古志に戻っての追悼セレモニーとなった。約1000本の竹灯ろうに火をともし、関連死を含む犠牲者5人の冥福を祈った。その後、全国からの支援に感謝して、山古志小・中学校の子供たちが「ありがとう」の歌を合唱した。
 竹沢地区にある市役所山古志支所前では、地元産の山菜や野菜などを直売し、虫亀地区では桜の植樹式も行われた。午後5時56分、「最も壊滅的な被害を受けた山古志は、震災を耐え抜き、創造的復興を目指している」との森民夫・長岡市長のメッセージが代読されると、会場からはすすり泣きの声も漏れた。
 昨年夏、肉牛の飼育を再開した梶金集落の関克史さん(27)は、この1年間に4割も値段が上がった飼料や燃料費に悩みながらも「ヤマに帰って良かった。自分の心が古里で落ち着ける分、牛たちにも愛情を注げる」と笑顔で話した。
 ◇児童3人を追悼、ろうそくともす--小千谷市塩谷地区
 倒壊した自宅の下敷きになり児童3人が死亡、住宅の9割が全半壊した小千谷市塩谷地区では、住民や遺族ら約150人が追悼に集まった。
 午後5時すぎ、震災で集落を離れた元住民や、亡くなった児童の同級生たちも慰霊塔の前に集まり始めた。参加者たちは塔の周囲にろうそくをともし、静かに黙とうした。
 小学6年の二女和美さん(当時11歳)を失った星野武男さん(50)は「4年は、あっという間だった」と振り返る。「人ごとみたいに考えないと、やっていられなかった。けど、夢でもいいから出て来てくれよ、とも思うんですよ」。そうつぶやいて、ろうそくをじっと見つめた。
毎日新聞 2008年10月24日 地方版

新潟中越地震:
発生4年(その2止) 献花し母娘悼む /新潟
 ◇生き埋め男児救出現場--長岡・妙見町
 母子3人が乗った車が土砂で埋まり、男児が奇跡的に助け出された長岡市妙見町の現場では、一般の立ち入りが震災後初めて認められ、地元住民らが小雨の中を相次ぎ献花に訪れた。
 小千谷市の無職の女性(74)は、亡くなった皆川貴子さん(当時39歳)と真優さん(同3歳)の冥福を祈りつつ「いま自分が生きていることに感謝しました」と話した。
 自宅は現場から徒歩約5分。地震発生時は市中心部での民生委員の会議を終えたばかりで、信濃川の河川敷に避難した。真夜中に歩いて家に帰り着き、惨事を知ったという。
 皆川さんと面識はないものの、「ここ(現場前)のバス停からいつも仕事に通っていた。私にも孫がおり、人ごとは思えない」と声を詰まらせた。
 また、献花した泉田裕彦知事は「亡くなった68人のご冥福を祈りながら復興を誓った」と語った。
毎日新聞 2008年10月24日 地方版

中越沖地震:
復興の大輪 2年ぶり花火大会--新潟・柏崎
 新潟県中越沖地震の被災地、柏崎市で26日夜、恒例の「海の大花火大会」が行われた。昨年は7月16日の発生直後だったため中止を余儀なくされ、2年ぶりの開催となった。「早く、柏崎に元通りの夏が来て」。復興を誓う住民は大輪の花火に祈りを託した。
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中越沖地震:
柏崎で「海の大花火」 20万人が復興喜ぶ
 新潟県中越沖地震の被災地、柏崎市で26日夜、恒例の「海の大花火大会」が行われた。昨年は7月16日の発生直後だったため中止を余儀なくされ、2年ぶりの開催となった。「早く、柏崎に元通りの夏が来て」。復興を誓う住民は大輪の花火に祈りを託した。
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中越沖地震:
2度被災の酪農家 資料高騰で新たな苦難
 震災は、一瞬にして暮らしを踏みつぶす。人はそのつど、負けるものかとはい上がる。新潟県柏崎市で酪農業を営む五十嵐英利さん(52)は、「中越」(04年10月23日)、「中越沖」(07年7月16日)の二つの大地震を乗り越えた。しかし今、原油高などによる飼料高騰という新たな苦難が襲う。「離農」の2文字も頭をよぎるが、生まれたばかりの子牛が「もう少し、頑張ってみっか」と思わせる。震災を乗り越えたように--。
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中越沖地震:
追悼式に500人 早い復興誓う…発生1年
 最大震度6強の揺れに見舞われ、15人の命が奪われた新潟県中越沖地震は16日、発生から1年を迎えた。被害の大きかった柏崎市にある市民プラザでは午前10時から合同追悼式が営まれ、集まった500人が犠牲者の冥福を祈るとともに、一日も早い復興に向けて誓いを新たにした。
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中越沖地震:
きょう1年 柏崎で追悼式 午前10時13分、各地で黙とう /新潟
 ◇復興への希望、新たに

 15人が死亡、最大1万人以上が避難生活を強いられた中越沖地震から16日で1年。柏崎市東本町1の市民プラザでは県、市と刈羽村共催の合同追悼式が開かれ、発生時刻の午前10時13分には被災地の各所で犠牲者に黙とうがささげられる。また復興を願うさまざまなイベントも催される。

 約500人規模の合同追悼式には遺族26人が招かれ、出席者による献花が行われるほか、泉田裕彦知事が追悼の辞を述べる。式典の後、会場は午後1~3時には記帳所として開放される予定。

 午後2時からは駅前2の市産業文化会館に場所を移し、「復興セレモニー」が行われ、市民による復興へのメッセージなどが紹介される。

 西港町のみなとまち海浜公園では柏崎青年会議所などが復興イベント「ありがとうの日」を企画する。午後6時半からの「復興コンサート」では、避難所で被災者らを元気付けた自衛隊音楽隊が演奏する。【五十嵐和大】

毎日新聞 2008年7月16日 地方版

中越沖地震:
きょう1年 「復旧を着実に進める」 知事、原発対応明言避ける /新潟
 ◇復興への希望、新たに

 泉田裕彦知事は15日、中越沖地震1年を前に会見を開き、「被災者の個別カルテを作成して、着実に(支援を)実施していく。復旧を着実に進めるとともに、あしたに向けた県づくりを進めたい」と述べた。一方で停止中の柏崎刈羽原発については明言を避けた。

 泉田知事は原発について「原発内の状況や地形がどうなっているのか分からない状況。予断を持たずに判断したい」と強調。会見後、報道陣に対し「(『廃炉もあり得る』とした昨年の姿勢と)変わらない」と述べた。

 また産業面、観光面での復興を課題に挙げた。県交流企画課が同日発表した速報値では、07年度の観光客数は6846万8000人で、前年度比5・0%減。泉田知事は「県外客のマイナスをどうにかしなければ」と述べた。【渡辺暢】

毎日新聞 2008年7月16日 地方版

中越沖地震:
きょう1年 航空写真家・神林さん、被災地の記録120点 /新潟
 ◇復興への希望、新たに
 ◇あの日から再建の姿を--きょうまで柏崎で

 新潟市の航空写真家、神林純夫さん(70)の個展「あの日 空が見ていた--中越沖地震航空写真展」が柏崎市の市立図書館「ソフィアセンター」で開かれている。地震3日後の昨年7月19日から今年5月にかけて撮影した約120点を展示。貴重な震災の記録が、見る者に強い印象を残す。

 ブルーシートで覆われた屋根また屋根、土砂に埋まった国道。息をのむような光景が広がる。ひときわ目を引くのが、土砂崩れで線路が覆われたJR信越線青海川駅付近の写真パネル。隣には復旧工事が進む昨年11月の写真が対比的に並ぶ。撮影を重ねるうち、「少しずつ町並みが変化し、再建への道筋が見えてきた」と話す。

 地震直後、倒壊した酒造会社の前に立ちすくむ社長が「負けてたまるか」と奮起する姿に背中を押された。「カメラマンとしての義務感」にかられ、自らヘリをチャーターして被災地を飛び回った。

 航空会社「旭伸航空」で航空写真を始め、60歳で独立。県内各地で航空写真を請け負うかたわら、「中越地震記録 よみがえれ山古志」、「田園交響都市・新潟」などの写真展を開いてきた。

 今秋、第一線から退くことにしている。その前に「もう一度、撮っておきたい」。復興に向かう被災地の姿をできる限り見届けるつもりだ。

 写真展は16日まで、入場無料。16日は合同追悼式会場「市民プラザ」にも展示される。問い合わせは実行委事務局の飯塚さん(090・2232・8914)へ。【五十嵐和大】

毎日新聞 2008年7月16日 地方版

特集:
中越沖地震1年、被災地はいま(その2止) 原発再開、焦点に
 ◇安全性巡り論議 市長、停止命令いつ解除--柏崎刈羽

 東京電力柏崎刈羽原発(新潟県柏崎市・刈羽村)は現在、法的には全号機とも「定期検査中」扱いになっている。中越沖地震で停止した後、原子炉等規制法で義務付けられた定期検査の時期に入ったためだ。

 地震を受け、経済産業省原子力安全・保安院は、設備点検の計画書の提出などを東電に指示。新潟県など地元自治体も東電と結んだ協定に基づき、安全確認を求める措置要求を出した。運転再開の前提として、安全性について地域の了解を得るよう求めている。

 実は原発の停止に法的な拘束力を持つのは、柏崎市の会田洋市長が出した消防法に基づく「停止命令」のみ。原子炉そのものではなく、周辺施設である油タンクなど危険物施設への停止命令という点がポイントだ。ただ、市は運転停止などに伴う税収減に苦しんでおり、いつ解除を決断するかも焦点となっている。

 柏崎刈羽原発は設備の減価償却が進み、固定資産税収入は激減。08年度はピーク時(95年、127億円)の約3分の1、45億円に落ち込んだ。08年3月期決算で東電が赤字に転落したため、市は一度納付された法人市民税2億7000万円の還付も余儀なくされた。その一方で、地震によるガス、上下水道などの被害総額は215億3200万円。国や県などの補助金を差し引いた自己負担分(132億2000万円)がのしかかる。仮に原発が2010年度から運転再開しても、10年度は一般歳出の約5%、24億6000万円の財源不足が生じる見通しという。

 会田市長は今月10日、経済産業省資源エネルギー庁を訪問した。国が原発立地地域に手当てする「電源3法交付金」を所管し、その財源「エネルギー対策特別会計」を握るのが同庁だ。「財政は非常事態。思い切った手を打たなければならない」。要望中、なごやかな笑い声が聞こえた部屋からは時折、語気を強める市長の声が響いてきた。

 新潟県は原発の安全性を助言する技術委員会の体制を強化した。地質・地盤や耐震安全性などについての2小委を新設。初めて原発反対派の専門家も交え、活断層の評価などに取り組む。委員会の意見は、原発再開をめぐる県などの判断に大きく影響するが、容認派と反対派で議論は平行線をたどっているのが実情だ。

 「原発の安全性に影響はない」とする東電の地質調査について、反対派の石橋克彦・神戸大名誉教授が「地震発生に関係するところを見ていない。不十分な調査」と反発。震源断層が東電の判断より長いとする反対派の説には、衣笠善博・東京工業大教授が「地域を不安に陥れるだけの意見」と反論した。委員が納得しないまま議論打ち切りの可能性も出ている。【渡辺暢、五十嵐和大】
 ◇東電が新耐震想定--「過小評価」修正、国が検証中

 新潟県中越沖地震で被災した東京電力柏崎刈羽原発では、目視点検や地震力に耐えられたかを調べるコンピューター解析など、原発の健全性を調べる詳細な検査が全1~7号機で進められている。同原発が備えるべき地震の揺れの新たな想定もまとめられ、国が妥当性を検証中だ。運転再開に向けては今後、東電が行う原発の健全性評価などを国が検証した上で、地元自治体の了承が必要だが、現時点で再開の見通しは立っていない。

 中越沖地震により原発で見つかった不具合は7月現在、3400件を超えた。このうち、機器の破損や変形、建物のひび割れ、水漏れが全体の8割を占めている。

 被災した原発の健全性を調べるため、東電は詳細な検査に取り組んでいる。▽目視点検、分解点検、動作試験などの設備点検▽地震の揺れによって原子炉建屋や配管など重要な機器類が耐えられたかをコンピューターで調べる地震応答解析--の2種類の方法で確認している。現在、7号機で点検作業がほぼ終了し、残りも順次作業中だ。

 一方、東電は5月、原発を襲った中越沖地震による揺れの解析結果を公表した。耐震設計の基準となる原発直下の岩盤(解放基盤表面)での加速度は最大約1700ガルで、当初の想定を最大約3・8倍も上回った。事実上過小評価だったことを裏付けた。

 揺れの予測に重要な活断層調査も、原発への不信を深めた。中越沖地震の震源とみられる柏崎沖の「F-B断層」について、東電は既存のデータを見直した03年時点で、すでに活断層の可能性を認めていた。だが一般には公表せず、昨年12月にようやく公表したからだ。この断層は80年代当時の知識でも活断層と判断できたと指摘する専門家もいる。

 解析結果に基づき東電は5月、国の新耐震指針に照らして新たに備えるべき地震動の想定を公表した。解放基盤表面での揺れの大きさを最大2280ガルとし、全国の原発の中でも最大の大きさとなった。これを参考に配管回りの補強など柏崎刈羽原発の耐震補強工事を実施中だ。

 こうした想定が果たして妥当なのか。国は検証作業を進めている。【河内敏康】

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 ◇税収減り非常事態--会田洋・柏崎市長

 被災地・柏崎市では、原発の安全性を巡る技術論争が続いている。復興の陣頭指揮を執る会田洋市長(61)に今後の見通しを聞いた。【聞き手・五十嵐和大、光田宗義】

 --復旧状況をどうとらえているか

 柏崎は(04年の)中越地震に続き、間を置かず震災にあった。全国から手厚い応援をいただいて、厳しい状態を乗り越えることができた。過去の震災に比べても速いスピードで復興が進んでいるのではないか。

 --地震後、被災者生活再建支援法=<2>=が改正された。復興にどう生かされているか

 従来は住宅再建に使えないなど満足のいく内容ではなかった。ちょうど制度の見直し期に重なり、ことあるごとに国に要望してきた。年齢や所得、使途の制限が撤廃され、使い勝手が良くなったのは朗報だった。

 --仮設住宅の退去まで時間も限られ、住宅再建に課題が残る

 住宅再建の形はさまざまだが、問題は自力再建が難しい高齢者や1人暮らし世帯への対応だ。台帳を作って情報を整理し、相談の基礎資料にしている。個々に合った生活再建の道筋を探る。

 --道路、下水道などインフラの被害が大きかった。財政に与える復旧作業の影響は

 国や県から(財政面で)配慮をいただいているが市の持ち出しも大きい。原発が止まり、東京電力の赤字決算による収入減も大きく、財政は非常事態と申し上げている。

 (昨年11月に)電源立地地域の対策交付金が3倍(39億円)に増額された。大変ありがたいのだが、災害時の復旧、復興には(用途に)限界がある。災害時、(電源3法交付金の財源)エネルギー対策特別会計を活用できる制度改正を求める。

 --原発の運転再開についての考えは

 東電の調査、点検はまだ途上。地震を受けて大丈夫だったのか、(再び)大地震が起こる心配はないかという確認が必要だ。とはいえ、経済、雇用、財政面でのウエートは大きい。原発抜きに地域振興を語ることはできない。安全性が確認されたうえで、早期の運転再開が望ましい。

 --東電には過去、トラブル隠しなどの問題が相次いだ経緯がある。地震後には震源断層とみられる活断層の存在を隠していたことも発覚した

 発生時、火災の通報が遅れたことなど不手際が指摘されるが、地震と東電の体質とは性格が異なるのではないか。最後は信頼するに足る会社かという問題になるが……。

 私自身、市民の生命を守る責任ある立場にある。しかし、原発は、技術的にとても理解できる代物ではない。安全性は国が責任を持って判断してもらいたい。

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 ■ことば
 ◇特定非常災害特別措置法

 阪神大震災で被災者の権利・利益を保全するため、時限的に講じた行政措置をまとめたもので、96年6月に施行された。同法に基づく「特定非常災害」に指定されると、運転免許のような期限付きの許認可を一定期間延長できるほか、建築基準法で定められた仮設住宅の設置期間を延長することができる。
 ◇被災者生活再建支援法

 阪神大震災を契機に制定され、国が全壊世帯に100万円、大規模半壊で50万円を一律支給。さらに住宅の建設・購入に200万円、補修100万円、賃借50万円を支給する。かつては年収や年齢などの要件があり、支給金の使途も家具購入や引っ越し経費などに限られていたが、昨年11月の改正で撤廃された。

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 ■人物略歴
 ◇あいだ・ひろし

 1947年、柏崎市生まれ、東大工卒。大阪市職員、新潟県長岡市都市整備部長、環境部長などを経て中越地震直後の04年11月、柏崎市長に初当選した。

毎日新聞 2008年7月16日 東京朝刊

特集:
中越沖地震1年、被災地はいま(その1) 被災者に焦燥感

 新潟県柏崎市、刈羽村を中心に大きな被害をもたらし、15人が死亡した中越沖地震は16日で発生から1年を迎えた。変圧器の火災をはじめ、トラブルが次々と判明した東京電力柏崎刈羽原子力発電所では、今も全1~7号機の運転を停止している。「運転の早期再開」を見据え、原子炉の点検作業などを進める東電。一方、仮設住宅ではいまだ約2500人が不安な生活を送る。「2度目の夏」を迎えた被災地の現状を報告する。(毎日jp http://mainichi.jp/で、本社ヘリから撮影した動画を紹介しています)
 ◇仮設入居あと1年「どこへ行けば…」
 ◇希望つむぐフクロウ

 柏崎市では6月、原発をめぐるイベントが相次いだ。19~21日は国際原子力機関(IAEA)と国が共催する国際会議。約30カ国の335人が集い、被災した東京電力柏崎刈羽原発の教訓を学ぼうと議論を戦わせた。翌週は1000人規模の反原発集会。しかし、会場からわずか500メートルの東港町第一団地応急仮設住宅は、ひっそりとしていた。

 「原発にばかり注目が集まって……。私らはのけ者にされているような気がするよ」。中村恵華世さん(79)はため息をついた。

 6月末現在も900世帯、2531人が仮設住宅で暮らす被災地。住民たちの生活や思いは、東京電力柏崎刈羽原発を巡る論議の陰に隠れがちだ。中村さんの木造2階建ての自宅も全壊した。先の見えない不安の中、世間との違和感をぬぐえない。

   ■  ■

 中越沖地震は特定非常災害特別措置法=<1>=に指定されていないため、仮設住宅の入居期限(2年間)延長が認められない。県などは「取り残される人が出ないよう、全力で支援していく」と繰り返すが、09年の入居期限が近づくにつれ、被災者の焦燥感は増す。

 JR柏崎駅前の仮設住宅で暮らす無職、牧野正吾さん(71)もその一人だ。一戸建ての借家は地震で全壊。公営住宅の入居を希望しているものの、仮申し込みの際、市職員から「申し込んでもいいけど、持ち家でないから入居の可能性は低いかもしれないですよ」と言われた。

 心臓に持病を抱え、左腕に25センチほどの人工血管を埋め込んでいる。月3回の透析が欠かせず、階段の上り下りもおぼつかない。民間のアパートを探すつもりだが、1階の部屋でないと生活はつらい。「みんな大変だから弱音は吐けない。しかし、ここを出てもどこへ行けばいいんだか」と肩を落とした。柏崎市が募集した公営住宅には、予定数を89戸も上回る283世帯が応募した。来月に入居者が仮決定するが、牧野さんにとって重苦しい日々が続く。

   ■  ■

 7月3日。集会所で、久々に中村さんたちの笑い声が響いた。手には作りかけのフクロウの人形。6月に発生した岩手・宮城内陸地震の被災者への贈り物だ。暗くなりがちな仮設住宅暮らしで、人形作りは前向きになれる数少ない時間でもある。

 きっかけは今年1月、中村さんの友人、山村クニさん(58)の一言だった。「いろいろな人たちのおかげで、仮設住宅に入居できた。同じように苦しんでいる人たちのためにも、何かお返しをしないと」

 中村さんは日本人形作家協会会員、人形製作などに50年ほど携わってきた経験もある。まず計画したのは、石川県を襲った能登半島地震(07年3月)の仮設住宅260世帯に手作り人形を贈ることだった。「福を呼ぶように」とモチーフはフクロウに決めた。

 同じ仮設に住む被災者の女性約10人が参加した。譲ってもらった洋服、着物などの布と布団の綿を材料に、週2回の人形作りを続けてきた。

 「止まり木に桜の木を使ったらどう?」「ここにフェルトを付けた方がかわいい」「お香を中に入れて、ラベンダーの香りを付けてみたら」。みんなでアイデアを出し合った。260個が完成したのは3カ月後。一つ一つに添えた手紙にはこう記した。「柏崎と一緒にがんばりましょう」

 現在も100個以上のフクロウが巣立ちを待つ。「注目はされないけど、ここで明るく話せるだけでもいいの。だから来るときは、ちぃとばかし派手な服を着てくるのよ」。中村さんはそう話すと、友人と顔を見合わせて笑った。【光田宗義、黒田阿紗子】
 ◇キラーパルス、周期1~2秒--木造家屋倒壊多数
 ◇地震波、軟弱地盤で増幅か

 新潟県中越沖地震では、倒壊した木造家屋の下敷きになって多くの高齢者が犠牲になった。災害対策本部の調べによると、住宅の全壊は1330棟(4日現在)にのぼる。これに対し、6月14日に起きた岩手・宮城内陸地震では同じ最大震度6強が観測されたが、全壊は23棟(総務省消防庁・10日現在)にとどまった。建物被害の大きな違いの理由は何か。「キラーパルス」と呼ばれる木造家屋に被害をもたらす周期1~2秒の地震波の影響を、多くの研究者が指摘している。

 新潟大災害復興科学センターの卜部(うらべ)厚志准教授(地質学)は二つの地震で家屋の壊れ具合を現地調査した。新潟県柏崎市では、建物の基礎にコンクリートでなく石を使っていた古い商家が壊れる傾向があった。宮城県栗原市の調査でも同じような造りの家はあったが、壁にはひび割れもなかった。卜部准教授は「建築上の問題というより、地震波の影響を考えざるを得ない」と話す。

 建物には、高さなどによって特に揺れやすい周期(固有周期)があり、木造家屋は周期1~2秒で最も被害が出やすいとされる。

 二つの地震の地震波を解析した東京大総合防災情報研究センターの古村孝志教授(地震学)によると、中越沖地震は周期1~3秒の波が強く、岩手・宮城内陸地震では0.3秒前後と短い波が強い傾向があった。

 周期0.5秒以下の波は、橋や工場などに影響を与えることが知られているほか、山を大きく揺らす可能性もあるという。実際、岩手・宮城内陸地震では地滑りなどが多発し、犠牲者の多くは土砂災害に巻き込まれた。

 では、地震波の周期の違いは何に起因するのか。

 東京大地震研究所の纐纈一起(こうけつかずき)教授(強震動地震学)によると、軟弱な地盤では長周期の地震波が増幅されやすく、岩盤など地盤の硬いところでは短周期の地震波が伝わりやすい傾向があるという。

 纐纈教授は「柏崎市や柏崎刈羽原発の周辺は、岩手・宮城の山間部に比べて地盤が軟弱といえる。この影響で比較的長い周期の波が強くなった可能性はある」と説明する。【斎藤広子】
 ◇復興、道半ば
 ◇医師が避難所巡回/観光産業被害500億円/国の支援利用1961世帯/住宅再建困難107世帯

 ■商店街も苦境

 新潟県のまとめでは、住宅再建のめどが立っていない被災者は6月末現在、107世帯にのぼる。うち仮設住宅入居者で再建のめどが立たないのは柏崎市と刈羽村の27世帯。残る80世帯は親類宅などに避難している全壊世帯だ。

 訪問しても会えず、調査できなかった世帯も一部含むが、県は「住宅再建のめどが立っていない」と判断した。泉田裕彦知事は「大変なのは店舗兼住宅。商店街全体の計画が決まらないと、個人も再建を決断できないのは厳しい」と述べた。

 また、04年の中越地震と中越沖地震の両方で住宅が半壊以上の被害を受けた、いわゆる「二重被害」も305世帯(5月末現在)にのぼっている。

 ■支援法改正で拡充

 昨年11月に改正された被災者生活再建支援法で、中越沖地震の被災者に対する国の支援制度が拡充した。5月末現在の利用状況は1961世帯、35億7569万円。適用直前(07年末)の795世帯、8億7822万円から大幅な伸びをみせている。

 改正により、年収や年齢制限が撤廃され、住宅再建にも適用できるなど、被災者の要望に応えられるよう使い勝手が向上。中越沖地震の被災者にも遡及(そきゅう)適用され利用者が急増した。一方、04年の中越地震では、大規模半壊以上の住宅だけで中越沖地震の2・4倍あったが、発生から1年間の支給決定額は11億9277万円にとどまっていた。

 ■東電社員も支援

 県の試算によると、中越沖地震における観光産業の被害額は約500億円。東京電力柏崎刈羽原発の被災と風評被害が甚大とされ、県旅館組合の野澤幸司理事長は「300億円分は東電のせいだ」と憤る。

 東電は社員への「福利厚生費」として、旅行などに7万円を補助してきたが、地震発生翌月の07年8月から、新潟県への旅行に限り補助を倍増させた。増額は3月末で終わったものの、県内を訪れた東電関係者は5月末現在、約13万1000人。県産品・食材の購入も約8億9000万円と見込まれる。

 08年3月期連結決算で28年ぶりの最終赤字(1501億円)に転落するなど、苦しい状況にある中、「被災地支援」には懸命だ。

 ■「中越」の教訓

 中越沖地震では、04年に起きた中越地震の教訓がいかされた。柏崎市は中越沖地震発生の翌日、「個人からの救援物資を受け取らない」といち早く表明。中越地震で、殺到する物資の仕分けに職員が忙殺された経験を踏まえた。県も個人からの救援物資を辞退。企業との災害協定により、大量の支援物資をスムーズに被災者へ届けることができたという。

 中越地震で問題化した「エコノミークラス症候群(静脈血栓塞栓(そくせん)症)」への注意喚起を徹底し、医師が避難所を巡回した。中越沖地震では同症候群による死者は確認されていない。県防災企画課の池田紀夫課長は「災害経験を別の災害で生かすことが重要。他県にも積極的に発信したい」と話す。

毎日新聞 2008年7月16日 東京朝刊

中越沖地震:
発生1年 2531人、今も仮設生活 高齢世帯、再建めど立たず

 15人が犠牲になり住宅約4万2000棟が被害を受けた新潟県中越沖地震は16日、発生から1年を迎える。復興への動きは進むが、今なお900世帯の2531人(6月末現在)が仮設住宅で暮らす。住宅再建のめどが立たない高齢の被災者も多い。

 16日は被災地の柏崎市で県など主催の合同追悼式があり、発生時刻の午前10時13分に合わせて犠牲者に黙とうをささげる。

 関連死を含む死者は15人、重軽傷者は2316人にのぼり、全壊1330棟を含む計4万2468棟の住宅が被害を受けた。ピーク時は1万2483人が避難し、15日現在も45世帯の122人に避難指示・勧告が出されている。【五十嵐和大】

毎日新聞 2008年7月16日 東京朝刊

中越沖地震:
あす、16世帯55人の避難指示解除--柏崎市 /新潟

 柏崎市は14日、青梅川、西本町3丁目地区の一部計16世帯55人に出している避難指示を16日に解除する方針を明らかにした。これにより、地震発生後に計152世帯421人に出された避難指示・勧告が継続するのは、計29世帯67人となる。

 ただ6月30日時点で、なお計758世帯2033人が仮設住宅に入居するなど、住宅再建のめどが立たない市民も少なくない。会田市長は「仮設も来年には撤去しなければならない。取り残される方が出ないよう、全力で支援を続けていく」と述べた。【根本太一】

毎日新聞 2008年7月15日 地方版

中越沖地震:
被災の北陸自動車道、復旧工事進む /新潟

 東日本高速道路(NEXCO東日本)はこのほど、昨年7月の中越沖地震で被災した北陸自動車道の復旧状況を公開した。

 地震時は、約330カ所で路面に段差が生じるなど大きな被害を受け、現在も長岡ジャンクション-上越インターチェンジ間で、陥没した路面にアスファルトを盛るなどの工事を進めている。

 同区間の一部で、片側1車線通行・時速50キロ規制が敷かれているが、8月8~18日のお盆期間や柏崎花火、長岡花火の期間などは規制を解除する。工事は今年中に終了する予定。

 また復興支援の一環として、群馬、長野、埼玉県の一部ICから柏崎市内のIC(柏崎、米山、西山)を往復利用した車(ETC搭載車限定)に料金割引きなどをする「かしわざき夏割海水浴パス」を実施。詳しくは同社ホームページ(http://www.driveplaza.com/)。【畠山哲郎】

毎日新聞 2008年7月15日 地方版

中越沖地震:
集落の過疎化にも追い打ち…新潟・柏崎

 日本海沿いに75世帯が軒を連ねる新潟県柏崎市椎谷。中越沖地震で55棟が半壊以上の被害を受け、1年で6世帯が離れた。町内会長を18年務めた杉浦平八郎さん(75)は「これから少なくとも5世帯が引っ越す予定」と肩を落とす。高齢化率46%。中越沖地震は集落の過疎化にも追い打ちをかけた。

 「家がなくなるのを見たくなかったんだろうね」。後藤えつ子さん(76)は地震3カ月後に亡くなった元漁師の夫、栄治さん(享年79歳)の遺影を見つめた。07年10月、築56年の家は08年9月までの立ち退きが決まった。

 集落最北の観音岬中腹に長男夫婦、孫2人と暮らす。自宅は一部損壊。しかし防災対策のため、自宅の下にトンネルが新設される。後藤さんを含む3世帯が立ち退きを迫られた。えつ子さんは反対したが、補償金を一部使い、市街地への転居を望む家族に強く言えなかった。半年前に脳梗塞(こうそく)を起こし、寝たり起きたりの栄治さんには黙っていた。

 07年10月20日、業者が査定に来た。家の隅々まで調べる業者を、栄治さんは布団の中からじっと見ていた。1時間後。栄治さんが目を見開いてこちらを見ているのに気付いた。「どうした」。首を振るだけの栄治さん。やがてゆっくり目を閉じ息を引き取った。「取り壊しを悟ってショックだったんだろう」とえつ子さんは思う。

 椎谷は3日会わなければ心配してくれる土地柄。一足先に立ち退き、市街地に1人暮らす知人女性(74)からは「寂しい」と電話が入る。

 「こんな景色のいいとこ、ほかにないねえ」。岬の風に当たりながらえつ子さんはつぶやいた。椎谷が大好きだった栄治さんのために、一周忌の法要は18日、この家で済ませるつもりだ。【黒田阿紗子】

毎日新聞 2008年7月15日 21時19分(最終更新 7月15日 22時40分)

中越沖地震:
発生から1年 なお2500人が仮設生活
 15人が犠牲になり住宅約4万2000棟が被害を受けた新潟県中越沖地震は16日、発生から1年を迎える。復興への動きは進むが、今なお900世帯の2531人(6月末現在)が仮設住宅で暮らす。住宅再建のめどが立たない高齢の被災者も多い。16日は被災地の柏崎市で県など主催の合同追悼式があり、発生時刻の午前10時13分に合わせて犠牲者に黙とうをささげる。
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中越沖地震:
発生1年 柏崎市長、エネ庁などに財政支援要請 /新潟

 柏崎市の会田洋市長は10日、中越沖地震の発生から16日で1年を迎えるのを機に上京、内閣府や資源エネルギー庁などに対し、震災復興に向けた財政措置の拡充を要望した。

 同庁では、西山英彦電力・ガス事業部長と面談。会田市長は東京電力柏崎刈羽原発が被災し、風評被害などもあったことに加え、地震後の危機的な財政事情を説明。「復旧・復興と持続的な地域振興を図るため」として、電源3法交付金の財源であるエネルギー対策特別会計に関する法整備を求めた。

 要望後、同庁の吉野恭司・電力基盤整備課長は取材に対し、「柏崎刈羽原発は電力需要に大きな影響を与える大切な地域。私どもの財源を柔軟に使っていただきたい」と話した。【五十嵐和大】

毎日新聞 2008年7月11日 地方版

中越沖地震:
柏崎・佐藤池野球場、つめ跡残れども 高校野球開幕を待つばかり /新潟
 ◇1年前のつめ跡残れども 高校野球新潟大会、開幕を待つばかり

 夏の高校野球新潟大会が11日、開幕する。昨年7月16日の中越沖地震で被災した柏崎市の佐藤池野球場も熱戦の舞台となる。球場はこの1年、関係者らが手作業で応急修理を続けてきたが、まだいたる所に地震のつめ跡が残る。苦しい時期を乗り越え、選手と関係者は「プレーボール」再開を待っている。【樋口淳也】

 「またあの球場でプレーするなんて……」。柏崎総合3年の茂野雄太選手(17)はそう思うと、複雑な気持ちになる。柏崎総合は12日、1回戦で小出と対戦する。忘れられない「光景」を胸に刻んだ、佐藤池野球場で。

 足元を揺れが襲ったのは対加茂戦。6-1でリードした五回裏、一塁走者としてヒットエンドランで二塁を回った時だった。揺れに足を奪われ、相手チームの遊撃手と一緒にしゃがみこんだ。

 グラウンドは陥没し、スタンドにも亀裂が入った。あちこちで聞こえる悲鳴。試合はノーゲームとなった。優位に運んだ試合が流れ、選手に悔しさが残った。

 被災後、ライフラインが寸断され、選手らは風呂や洗濯さえも十分にできなくなった。「食事はペットボトルの水とパンぐらいだった」と丸山卓真前監督。

 地震発生の翌日、小池貴裕主将(当時)から選手たちに携帯のメールが届いた。「チーム一丸となって柏崎の人に勇気を与えよう」。心がひとつになったチームは昨夏、ベスト16に進み、被災者を励まし続けた。

  ◇  ◇  ◇ 

 昨秋、新チームを引き継いだ柳沢憂主将(17)。「去年は苦しいときを乗り越え、仲間の大切さを学んだ。あの経験は今のチームにも生きている」と自信を見せる。武本克彦監督も「選手たちは支えられていることへの感謝の気持ちで団結し、昨年以上の成績を残そうと頑張っている」と目を細める。

 チームは球場のスタンドに「感謝・復興ご支援ありがとうございました」という横断幕を掲げるつもりだ。「今年は支援者に恩返ししたい」。その思いを伝えるために。

  ◇  ◇  ◇

 「この球場が使えなくなったら、地元の子が野球をできなくなってしまう」。これが、球場にかかわる「裏方さん」たちの共通の思いだ。

 02年から球場の管理人を務める奥土和則さん(59)は、手作業で応急処置に当たった。ずれた側溝のふたをハンマーで壊し、新しいコンクリートでふたをする作業。秋には、練習試合などに使われるようになった。

 この夏、この球場で17試合が行われる。時間がかかるバックネットなど、球場全体の本格的な修理は今秋以降。完全復旧は来年春になりそうだ。

 球場を管理する柏崎市総合体育館の赤沢一由館長は「ダメージは残るが、利用者には元々、使い勝手がいい、という評判がある。今年こそは思う存分に使ってもらいたい」と開幕を待ちわびている。

毎日新聞 2008年7月10日 地方版

中越沖地震:
1世帯4人の退避勧告解除--柏崎市 /新潟

 柏崎市は1日、中越沖地震後、同市長崎の1世帯4人に出していた避難勧告を解除した。自宅裏の法面(のりめん)工事が終わり、がけ崩れの危険が無くなったため。市内の避難指示、勧告は7カ所の45世帯、122人となった。【五十嵐和大】

毎日新聞 2008年7月2日 地方版

中越沖地震:
震災1年 柏崎の元県立高教諭・猪俣孝さん納骨 /新潟
 ◇倒壊した寺の下敷きで死亡 長男の宏さん「父の面影一層深く」

 昨年7月の中越沖地震で、倒壊した寺の下敷きになって死亡した柏崎市鏡町の元県立高教諭、猪俣孝さん(享年76歳)の納骨が28日行われた。長男で県立長岡商高教諭、宏さん(47)は「改めておやじの背中の大きさを感じている」と振り返り、墓前で手を合わせた。

 昨年7月16日朝。孝さんは日課のウオーキングに出かけた。まさか最後になるとは思わなかった。途中で立ち寄った寺で、倒壊した本堂の下敷きになった。

 宏さんは気持ちの整理がつかないまま仕事に打ち込んだ。救われたのは、父の教え子が毎日のように供養に訪れてくれたこと。「みなさんの心に、主人の足跡がこんなに残っていたなんて」と孝さんの妻セツさん(74)は涙ぐむ。

 宏さんにとっても、父は「恩師」。高校時代、父が顧問を務めるソフトテニス部で指導を受けた。口数は少ないが、とにかく厳しかった。気が付くと、後を追うように高校の体育教諭となり、ソフトテニス部の顧問に就いた。

 昨年12月行われたソフトテニスの全日本高校選抜大会県予選会。宏さんにはひそかな思い入れがあった。優勝カップは、父が県高体連役員の退職時に寄贈したもの。チームの連覇もかかっていた。「他には渡せない」。優勝を果たした後、「父のカップ」を手に、部員たちに事情を打ち明けて感謝すると、真剣なまなざしで聞いてくれた。

 宏さんには、父の死後、学校で繰り返すようになった言葉があるという。「今を一生懸命生きろ」。教師として、地震の犠牲者の遺族として、命の大切さを伝えたいと感じるようになった。「逃げ出す生徒もいるけれど、教育はいつ染みてくるか分からない」と信じている。

 先祖代々の墓は父の亡くなった寺にあり、地震で倒壊。別の場所に新しい墓が完成した。納骨を終えた宏さんは「ゆっくり休んでほしい」とつぶやいた。

 震災から1年。父の面影は一層深く、宏さんの胸に刻まれている。【黒田阿紗子】

毎日新聞 2008年6月29日 地方版


中越沖地震:
復興応援100キロマラソン 来月13日、柏崎で号砲 /新潟

 中越沖地震からの復興を願い、柏崎市内41カ所の仮設住宅を縫うように走る「中越沖地震復興応援100キロマラソン」が来月13日、柏崎市で開催される。主催者代表の飲食店経営、大図辰芳さん(55)は「震災から1年。まだ復興半ばだという現状を肌で感じ、被災地を応援してほしい」と参加者を広く募っている。

 企画のきっかけは今年3月、大図さんが「まだ仮設住宅での生活を余儀なくされている人たちがいるのに、中越沖地震が忘れられている」と危機感を持ったことだった。

 先月、市内にある仮設住宅すべてを車で回った。94・66キロ。「ほとんど100キロじゃないか」。被災地を盛り上げようと、100キロマラソン開催を思いついた。自身も全国のマラソン大会に参加するランナー、「柏崎潮風マラソン」の実行委員でもある。仲間に相談すると、とんとん拍子に話が進んだ。

 初心者も気軽に参加できるよう、タイムを競わず、仮設住宅ごとにスタート時間を設定。好きな仮設住宅間だけ走れるようにした。

 各仮設住宅には移動給水車を置く予定だ。大図さんは「住民に余計な負担をかけたくない。でも、興味があれば応援に出てほしい」と話す。

 100キロコースは午前5時、柏崎市米山の米山小学校でスタートする。ゴールは同市西港町のホテル「シーユース雷音」前に午後5時37分を予定している。参加料は1キロあたり100円。来月6日に柏崎市民プラザで開かれる参加者説明会を、原則最終締め切りとする。問い合わせは大図さん(090・2167・5246)。【黒田阿紗子】

毎日新聞 2008年6月22日 地方版


安心・安全ナビ:
「ぼうさい甲子園」グランプリの福島県立双葉高校。お年寄りを…

 ◆「ぼうさい甲子園」グランプリの福島県立双葉高校。お年寄りを見守る活動は?
 ◇地域支える自覚--軒先の目印で安否確認
 ◇下校時に訪問

 「いらっしゃいますか」

 下校途中に福島県双葉町の民家を訪れた県立双葉高3年、加茂彩花さん(17)らが声をかけた。夫と2人で暮らす井上エミ子さん(77)が出てきて「いつもありがとう」と笑みを浮かべる。「お変わりありませんか」「ええ。今日は美術館に行って来たの」。加茂さんらは10分程言葉を交わし、帰り際に軒先の円盤形カードを回しハートマークを「赤」から「黄」に変えた。

 このカードは「安心カード」と呼ばれ、双葉高FHJ(家庭クラブ)が05年春から取り組んでいる。生徒が下校時に「黄」にして、朝お年寄りが「赤」に変える。それぞれ「元気ですか」と「元気です」を表す。実際に会わなくても、互いに安否を確認できる仕組みだ。時間がある時は声を掛け合い、話し込むこともある。井上さんは「守られているようで安心感がある。毎朝カードの色を変えるのが楽しみ」と笑みを浮かべた。
 ◇役立つ活動を

 FHJは全校生徒が所属する課外クラブで、03年春に生徒から「地域で役に立てる場を作ってほしい」と声が上がり発足した。介護施設でのボランティアや地域の老人会との共同避難訓練などを実施。現在9人が所属する「研究ゼミ」では、災害時の救助道具や介護用品の開発にも取り組んできた。顧問の荒由利子教諭(59)は「生徒たちが高齢者との触れ合いを通じ、さまざまなアイデアを持ち帰ってくる」と目を細める。

 安心カード開発のきっかけは04年10月に起きた新潟県中越地震。ニュースを見た地元の高齢者が「誰も助けてくれる人がいない」「がれきに埋まっても気づいてくれない」など不安を訴え、メンバーが「何か力になれないか」と考案した。現在は7世帯が利用する。カードを通じて、高齢者だけでなく生徒たちも地域から見守られている。
 ◇老老介護から学ぶ

 現在のゼミのテーマは老老介護。06年に開発した「ゆりかごベルト」は、07年度「ぼうさい甲子園」(毎日新聞など主催)でグランプリを受賞した。寝たきりの高齢者のための床ずれ防止器具で、ベッドのさくに装着。ハンモックのようなベルトで高齢者の体を支えて移動し、介助者にかかる負担を軽くした。生徒たちが老老介護の高齢者宅を訪れ、寝返りを打てず苦しむ姿を見たのがきっかけだった。

 今年は入浴介護の補助用具「リラックスベルト」を開発した。入浴の介護は腰への負担が大きく、滑り落ちる危険も大きい。ゼミ生の猪狩菜緒さん(17)は「私の祖母も足が悪く曲がらないので1人では入浴できない。障害を持つお年寄りもゆっくりお風呂に入ってほしい」と話す。試作品に改良を重ね、8月に「全国高校家庭クラブ研究発表大会」で発表する予定だ。

 高齢化の進む町で、生徒たちは地域を支える担い手として、自覚を深めている。【関雄輔】

毎日新聞 2008年6月4日 東京朝刊


中越・中越沖地震:
2度被災の長岡・下小国小で授業再開
 新潟県中越地震(04年10月)と中越沖地震(昨年7月)で2回被災し、校舎が使用禁止になっていた長岡市小国町七日町の市立下小国(しもおぐに)小学校(児童78人)の耐震補強工事が終わり、2日朝から、本来の校舎で授業が再開された。四川大地震では多くの学校が倒壊、多数の子供が犠牲になっただけに、笠木典子校長は「これで安心して、子供を学校に迎えることができる」と安堵(あんど)した様子だった。
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閉校式:
中越地震で世帯転出、財政悪化で 新潟・田麦山小
 新潟県中越地震(04年10月)で震度7を記録した川口町で22日、町立田麦山小学校(内藤智子校長、児童28人)が創立134年の歴史に幕を降ろした。震災後に多くの世帯が転出し、災害復旧事業で町財政も悪化したため、閉校することになった。小学校でこの日行われた閉校式には卒業生ら約300人が詰めかけ、「地震で人口が減り、閉校も時代の流れだとは思うが、本当にさみしい」などと話していた。
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