"traces of A city"
核のない世界へ「ある街の軌跡」


原爆ドーム:CGで再現 日米の専門家グループが共同作業

2009113 1138分 更新:113 1216

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再現された広島県産業奨励館(原爆ドーム)=中央奥=に続く猿楽町通り(ナック映像センター提供)

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米・南カリフォルニア大学のスタッフとインターネットテレビで会話しながら、CG画像で原爆ドーム周辺の被爆前の街並みの再現を試みる映像作家の田辺雅章さん=東京都文京区本郷の東京大学で2009年10月28日、内林克行撮影

 原爆ドームが「広島県産業奨励館」と呼ばれていた原爆投下前の姿をコンピューターグラフィックス(CG)で再現する取り組みを、ハリウッドの大作映画にもかかわったスタッフを含む日米の専門家グループが共同で始めた。巨大災害や近未来の情景などを映像化してきた最先端の技術を駆使し、「ヒロシマの継承」に挑む。

 米国側は、映画関係者を輩出した南カリフォルニア大の教授や大学院生ら7人。映画「デイ・アフター・トゥモロー」(04年)などに携わったスタッフも。日本側は東京大のバーチャルリアリティー(仮想現実感)の研究室や、建築史が専門の早稲田大の研究室らが参加する。

 先月28日には、東大と南カ大をインターネット回線で結び会議を開いた。日本側は、円形の青銅の屋根など外観の特徴を解説。リチャード・ワインバーグ・南カ大教授は「平和のシンボルであるドームの歴史など、学ぶことが多い」と語った。

 完成画像は、周辺の街並みの再現映像や被爆者の証言などと合わせて約1時間の記録映画にする。広島の映像作家、田辺雅章さん(71)が2年前から、来春の核拡散防止条約再検討会議に合わせた世界公開を目標に準備を進めてきた。

 ドーム東隣に生家があり、両親と弟が被爆死し、自らも被爆者の田辺さんは「当時を知る自分が生きているうちに、日米の若い世代と協調して、原爆が奪ったものを記録できることに感慨を覚える」と話す。【宇城昇】


20年五輪:広島・長崎の招致をチュニジアが支持

 ヌルディーン・ハシェッド駐日チュニジア大使が2日、広島市役所を訪問し、秋葉忠利市長と会談した。ハシェッド大使は、同市と長崎市が検討している2020年の夏季五輪招致について支援を表明。「(広島、長崎から頼むのではなく)全世界の人々が両市に開催を頼もう」との考えを示した。

 市によると、秋葉市長が「被爆者の思いである2020年までの核兵器廃絶と、その実現を祝う五輪という二つの夢をかなえたい」と協力を要請したのに応えた。また、ハシェッド大使は「チュニジアのカルタゴ市はローマ帝国に破壊された。広島と同市は共に破壊から復興した歴史がある」と話した。【矢追健介】

毎日新聞 2009112日 2250


「核兵器全廃」決議:最多170カ国の賛成で採択 国連委

20091030 1048分 更新:1030 1252

 【ニューヨーク小倉孝保】国連総会第1委員会(軍縮・安全保障)は29日、日本が作成し米国などとともに提出した核兵器全廃を目指す決議案を過去最多の170カ国の賛成で採択した。同種の決議案採択は94年から16年連続。共同提案国は87カ国で過去最多。米国は初めて共同提案国となった。12月の国連総会で採択される見込み。これで、核実験全面禁止条約(CTBT)の発効や来年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に弾みがつくとみられる。

 米国の賛成は00年以来9年ぶり。英露など核保有国も賛成した。賛成は最も多かった06年の169カ国を超えた。反対はインド、北朝鮮の2カ国で昨年から2カ国減った。中国や、昨年賛成だったフランス、昨年反対だったイスラエルなど計8カ国が棄権した。

 決議案は前文で、NPTが核不拡散体制に決定的に重要としたうえで、▽米露の政治的主導で世界的な核軍縮機運が高まっている▽9月の国連安保理首脳会合で「核兵器のない世界」への道筋が確認された--ことに言及、オバマ米大統領が目指す「核なき世界」への動きを歓迎している。

 さらに主文は▽核保有国に核兵器削減を要請▽CTBTの署名・批准を呼び掛け▽CTBT発効までの間、核実験の一時停止の重要性を強調▽兵器用核分裂性物質生産禁止条約(カットオフ条約)交渉の即時開始を要求▽核テロ防止の重要性を強調--する内容となっている。

 日本は細部を変えながらも94年から毎年、同趣旨の決議案を作成、採択させてきた。

 中国は核実験一時停止を求めていることに反発し棄権したと考えられている。

 国連総会決議は安保理決議と違い拘束力はないが、国際社会の政治的意思を示す効果がある。

 ◇国連総会「核兵器全廃」決議案の骨子

一、核兵器全廃に向け、決意を新たにする
一、核拡散防止条約(NPT)の義務履行の重要性を再確認。非加盟国に加入を要請。
一、核保有国に透明性のある方法で核削減を要請
一、米露による第1次戦略兵器削減条約(START1)の後継条約作りを歓迎
一、核実験全面禁止条約(CTBT)の早期発効に向け、署名、批准を要請
一、核テロ防止の重要性を強調


20年五輪:招致検討委参加、福岡市に要請 広島と長崎

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五輪招致検討委への参加を福岡市に正式要請後、報道陣の質問に答える広島市の三宅吉彦副市長(右)と長崎市の椎木恭二副市長(左)=福岡市役所で2009年10月27日、門田陽介撮影

 2020年夏季五輪招致を検討中の広島、長崎両市の副市長が27日に福岡市を訪れ、招致検討委への参加を文書で正式に要請した。その後にあった定例会見で、福岡市の吉田宏市長は「両市と同じ立場ですることはないが、(招致の)ノウハウやネットワークを生かして助言したい」と語った。

 この日は、広島市の三宅吉彦副市長と長崎市の椎木恭二副市長が、両市長名義の要請文を持参。「平和を発信するのは被爆地の責任だが、招致には数のパワーがいる」と要請した。福岡市側は高田洋征副市長が対応した。

 福岡市は16年夏季五輪招致への立候補を表明したが、06年夏に国内選考で東京に敗れた。その経験を踏まえ、吉田市長は共同開催については慎重だが、助言について前向きな考えを示していた。

 両副市長は27日午後に北九州市を訪れる予定。

毎日新聞 20091027日 1123分(最終更新 1027日 1139分)


広島・長崎市長:核保有国大使館に被爆地来訪を要請

 広島市の秋葉忠利市長と長崎市の田上富久市長は26日、東京で核保有国大使館を訪ね、来年5月に米ニューヨークである核拡散防止条約(NPT)再検討会議前に、首脳の被爆地来訪などを呼びかける要請書を手渡した。秋葉市長は「必ず首脳に伝えると言ってくれた」、田上市長は「各国のリーダーが被爆地に来れば大きな力となる」と話した。また、五輪招致計画についても話したとみられ、秋葉市長は「応援していると言ってくれた」と説明した。【矢追健介】

毎日新聞 20091026日 2318


岡田外相:「核の先制不使用」 米に求める方針

20091018 2026分 更新:1018 2141

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閣議出席のため首相官邸に入る岡田克也外相=2009年10月16日、藤井太郎撮影

 岡田克也外相は18日、京都市内で講演し、核保有国が核攻撃を受けた場合の報復以外には核兵器を使わないと宣言する先制不使用について「大きな方向性としての先制不使用は否定できない。日米間で議論したい」と述べ、米国に先制不使用を求めていく考えを示した。外相は「(日本政府が)核の廃絶を強く言いながら(日本にかかわる米国の)核の先制不使用は言わないのは矛盾がないか議論になる」とも指摘した。

 先制不使用は核兵器の果たす役割を限定、核軍縮につながるが、日本政府はこれまで、米国の日本に対する核の傘に影響するとして消極的だった。

 米国が先制不使用を宣言した場合、北朝鮮が弾道ミサイルに搭載した生物化学兵器で日本を攻撃しても、米国は核兵器では反撃しないという保証を与えることになる。今回の外相発言は日米両政府内で波紋を呼びそうだ。【野口武則】


映画:オバマ大統領も見て米の青年がヒロシマを映像化

20091016 230分 更新:1016 1040

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記録映画を撮影したポール・シェパードさん

 映画関係者を多く輩出している南カリフォルニア大で映像技術を学んだ米国人青年が、広島を訪れて製作した短編映画の上映が、米国の映画祭への出品をきっかけに、米国各地で広がろうとしている。映画製作の発端は、広島の被爆者で、約10年前から爆心地の街並みをCGで再現している映像作家の田辺雅章さん(71)の作品だった。映画製作にかかわった人たちは「オバマ大統領にも家族で見てほしい」と話している。

 製作したのは、ポール・シェパードさん(28)。米国で田辺さんのCG作品に触れ、昨年夏の1カ月間、広島に滞在。平和記念公園の地にあった街並みをよみがえらせるCGプロジェクトに着手していた田辺さんに密着取材した。

 映画は「traces of A city(ある街の軌跡)」。15分間の作品で、田辺さんがドーム東隣にあった生家跡で少年時代を回想する場面や、原爆で両親と弟を失った田辺さんが、割れた瓦など生活の痕跡を見つめる姿を収録した。

 また、爆心直下の街に暮らしていた旧住民の話にも耳を傾けた。「細い路地に菓子屋やおもちゃ屋が並んでいた」「木に登ってセミを取った」。生き生きと語る様子に、シェパードさんは「この場所に庶民の暮らしと文化があった」と改めて気づかされた。

 映画は今月4日、米ロサンゼルスであった国際児童映画祭で紹介され、映画祭関係者の間で評判になり、ロサンゼルスでの再上映など数都市での上映のオファーがあった。年末に広島である映画祭での上映も決まった。

 映画には、CGプロジェクトにかかわった宝田七瀬さん(29)=米国在住=が共同演出で参加。「原爆で突然、帰る場所をなくした子どもたちが映画の軸」と話す宝田さんは、「この映画が世界の流れに合ってきているのかもしれない。米国の子どもたちが自分のことに置き換えて考える想像力を持ってくれれば、次の戦争を止めることができるのでは」と期待する。

 田辺さんは「原爆を投下した米国から来た若者の情熱に敬意を表したい。核廃絶に向けた国際世論の醸成につなげてほしい」と話している。

 今月9日、核廃絶を唱えて核軍縮に新たな地平を開いたとして、オバマ大統領にノーベル平和賞が決まったが、米国では、原爆投下を正当化する考えも根強い。シェパードさんは「原爆投下は間違っていた。大統領が世界平和を進めてくれると期待する。米国人に平和の大切さを伝えたい」と話している。【宇城昇】

【毎日動画で見られます】
短編ドキュメンタリー「traces of A city(ある街の軌跡)」


ロシア:核兵器先制使用の条件緩和を検討

 【モスクワ大木俊治】ロシアの安保政策を策定する安全保障会議のパトルシェフ事務局長は、14日付のイズベスチヤ紙に掲載されたインタビューの中で、年末までに策定を目指す新たな軍事ドクトリンで核兵器による先制予防攻撃の条件緩和を検討していることを明らかにした。オバマ米大統領が「核なき世界」を提唱したことで盛り上がりを見せている核軍縮の機運に逆行する可能性があり、今後議論を呼びそうだ。

 軍事ドクトリンは軍事戦略の指針となる文書。00年に改訂した現行ドクトリンは、ロシアや同盟国が通常兵器で「大規模攻撃」を受けた場合、核兵器の先制使用の可能性を盛り込んでいる。

 パトルシェフ氏は同紙に、新ドクトリンは「大規模攻撃だけでなく地域の(限定的な)戦争」も対象に含めるとし、「情勢や敵の意向に応じて核兵器を使用する可能性の選択肢を検討している」と述べた。新ドクトリンは年内にメドベージェフ大統領に提出される見通し。

 メドベージェフ大統領は8月、昨年のグルジア紛争を念頭に、国外での軍事力行使の条件を緩和する国防法改正案を下院に提出。改正案はロシアだけでなく、周辺同盟国の脅威に対しても軍事力が行使できると規定している。今回の軍事ドクトリン見直しもグルジアなど近隣の地域紛争を念頭に置いている可能性がある。

 ロシアは5月に公表した「2020年までの国家安全保障戦略」で、長期的には国際的な核廃絶への道も視野に入れつつ、中期的には核戦力を維持する方針を明記している。

毎日新聞 20091014日 2017分(最終更新 1014日 2141分)


ヒバクシャ広島/長崎:
オバマ米大統領ノーベル平和賞(その1) 長崎の声が米変えた
 ◇オバマ大統領に平和賞
 ◇受賞で「核廃絶に責任」--「心底うれしい」歓迎

 「核のない世界を目指す」。原爆を使った唯一の国の大統領として道義的責任に言及しながら核廃絶を訴えたプラハ宣言から半年。オバマ大統領にノーベル平和賞の朗報に、毎日新聞大阪、西部両本社が連載企画「ヒバクシャ 広島/長崎」で定点取材する被爆者たちも「心の底からうれしい」「我々の思いが伝わった」と歓喜に包まれた。核兵器被害の実相を見てもらうため、オバマ大統領による被爆地訪問の実現を求める声もさらに高まりそうだ。【古賀亮至、阿部弘賢、錦織祐一】

 ◇山口仙二さん


 「核兵器はなくさなければいけないという我々の思いが伝わった」。14歳で学徒動員先の長崎市の兵器工場で被爆し、長崎の核兵器廃絶運動をリードしてきた被団協代表委員、山口仙二さん(79)は笑顔を見せた。

 妻幸子(さちこ)さんと生活する長崎県雲仙市の老人ホームで報道陣に感想を話した。1月から持病のぜんそくなどにより体調が悪く、寝たり起きたりする生活が続いている。しかし、この日は幸子さんに車椅子を押されながらも、インタビューに応じた。

 受賞決定の背景については「アメリカにも変化が出てきた。やっぱり世論がその変化を起こしたんだと思う」と身ぶりを交えて話した。そして、「核超大国(の大統領)がノーベル平和賞を受賞したということは、核を廃絶しなければならない、という責任がありますから」と今後のオバマ大統領の活動に期待を寄せた。

 かつては長崎市の平和祈念像前に米国側が献花した花を踏みつけるなど、原爆を投下した米国への怒りを抱いていた山口さん。オバマ大統領が来月、来日するが、長崎、広島は訪れない予定とされる。

 「大統領に会いたい気持ちは(これまでより)10倍も20倍もある」としながらも「アメリカにもいろいろな考え方がある。簡単には(被爆地には)来られないということは理解します」と言葉をかみしめるように話した。

 ◇彼の努力際立つ--土山秀夫さん


 また、元長崎大学長で、長崎原爆のため入市被爆した土山秀夫さん(84)=長崎市=は「核廃絶に向けた努力は、これまでの米大統領の中で際立っている。受賞は妥当だ」と評価。「被爆地にとって大きく歓迎すべきことだ」と喜びを語った。

 ◇生の声を聞いて--下平作江さん


 長崎原爆遺族会前会長の下平作江さん(74)=長崎市=も「心の底からうれしい」と声を弾ませた。「長年、世界中で続けてきた被爆者の活動がなければ、オバマ米大統領のこの言葉も出なかったはず。私たちの声が彼の心に響いた」

 下平さんは戦争と原爆で父母と3人の兄姉を失い、生き残った妹も病気を苦に自殺した体験がある。それだけに、オバマ大統領に被爆地・長崎に来て被爆者の生の声を聞いてほしいと願う。

 「被爆者が生きている間に核兵器廃絶を実現してほしい。そうすれば原爆で亡くなった人たちに『あなたたちの死は無駄ではなかった。安心して』と報告できる」と語った。

 ◇世界も変わった--道上昭雄さん


 長崎で被爆し家族5人を亡くした道上昭雄さん(80)=名古屋市南区=は電話で受賞の一報を受け、「本当にうれしい。世界中の人が大喝采(かっさい)するんじゃないか」と声を弾ませた。

 今年2月に米ワシントンで開かれた核軍縮を巡る国際会議で被爆体験を語った。「アメリカが変わって世界も変わってきた」と感じるという。

 ◇期待込めた結果--張本勲さん


 プロ野球評論家の張本勲さん(69)=東京都大田区=は5歳の時に広島で被爆、6歳上の長姉を失った。プラハ演説には共鳴しており「核廃絶を米大統領が表明したことは大きい。必ず実行してくれるとの期待が込められているのだと思う」と喜びの声を寄せた。「これまでの大統領が示さなかった核軍縮への道筋をオバマ大統領は示し、ノーベル賞も後押しした。世界の国々もその道を歩んでくれると信じている」と力を込めた。

 ◇「まだ実績ない」批判も--谷口稜曄さん


 一方、長崎原爆被災者協議会の谷口稜曄(すみてる)会長(80)=長崎市=は「単に『喜ばしい』とは言えない。我々は50年以上、核廃絶を訴えてきた。なのに原爆を投下した国の、1月に就任したばかりで何の実績もないオバマさんが受賞するというのは、平和賞選考委は真実を見極めているのだろうか」と複雑な胸中を明かす。

 谷口さんは「現在の『核の時代』の発端となったのは、米国が広島、長崎に投下した原爆。しかしその責任は問われない」と指摘する。さらに「オバマさんは受賞するからには、来日の際には広島、長崎に来て被爆地を見てほしい」と期待を述べ「今後の態度で核廃絶への意志を示してもらいたい」と語気を強めた。

 ◇受賞感心しない--那須正幹さん


 3歳の時に広島市で被爆した児童文学作家の那須正幹(まさもと)さん(67)=山口県防府市=は「私は、現役の政治家にノーベル平和賞を授与すべきではないと思う。沖縄密約問題が浮上した佐藤栄作元首相の例もある。オバマ大統領も、アフガニスタンでどうするのかなど、未知数だ。今回の受賞にはあまり感心しない」と冷静に話した。

 その一方で、「プラハ演説が世界の動向を変えたのは事実で、その点は評価している」として「核兵器廃絶への道筋を示したヒロシマ・ナガサキ議定書の実現に向けて努力し、成果を出してもらいたい」と期待を寄せた。

毎日新聞 20091010日 西部朝刊


ヒバクシャ広島/長崎:
オバマ米大統領ノーベル平和賞(その2止) 次は訪問実現を

 ◇若い世代も強い期待


 長崎県内を中心に核兵器廃絶を求める署名を集め、毎年夏に国連欧州本部(スイス)に届けている「高校生平和大使」も、オバマ米大統領のノーベル平和賞受賞決定に、核兵器廃絶への期待をさらに膨らませた。

 今年の平和大使の一人で、長崎市の活水高3年、大渡(おおわたり)ひかるさん(17)は「私たちが長年活動しても動かなかったものが、オバマさんの力で少しずつだけど動き出した。米大統領の力はすごい、と感じた」と驚きを隠さなかった。

 先輩の平和大使たちはこれまでビデオ撮影した被爆者の体験談をDVDにまとめる活動にも取り組んだが、大渡さんらは昨年12月、DVDをオバマ氏ら各国の政治指導者に郵送した。さらに米国内の高校100校に「ともに核廃絶を考えよう」と手紙で呼びかけた。

 返事が返ってきたのは2校だけだったが、米国内にも核廃絶を考える若者がいることが分かり、意を強くしたという。大渡さんは「日本と米国がともに活動し、世界各国を巻き込んで核廃絶を実現してほしい」と期待している。【錦織祐一】

 ◇「受賞のお祝い、手紙書きたい」--被団協・坪井さん


 広島県原爆被害者団体協議会理事長で日本被団協代表委員の坪井直(すなお)さん(84)=広島市=は9日、島根県での日本被団協中国ブロック大会から広島市内の事務所に戻ったところで記者に囲まれ、オバマ氏受賞を聞いた。

 坪井さんは「人類の立場で核問題を考えてくれる人だから、いずれ受賞すると思っていたが、まさか今年とは。核軍縮・不拡散の流れを進め、核兵器廃絶へと後押しする意味もあって選ばれたのでしょう。ほとんどの被爆者が喜んでいると思う」と歓迎した。

 坪井さんら広島被爆者7団体は今年1月、核なき世界をつくる公約や新しい核兵器の製造を認めないなど、オバマ氏の政策に勇気づけられたことを伝え、広島訪問を願う手紙を出した。返事はまだだが、「ロシアとの核軍縮交渉や国連安保理などでオバマ大統領の行動を見ていると私たちの思いは十分通じていると思う。受賞のお祝いを込め、また手紙を書きたい。生きとる間に会いたい」と話した。

 ◇アフガン空爆やめて--ペシャワール会は注文


 米国はブッシュ前大統領時代の01年、アフガニスタンでの軍事行動に踏み切った。その後を継いだオバマ大統領もアフガニスタンでの対テロ戦争を「必要な戦争」と位置づけ、パキスタンとの国境地帯などで軍事作戦を続けている。だが、相次ぐ誤爆などで住民の反米感情は悪化しており、「アフガンはオバマのベトナム」との指摘も出るようになった。

 両国境地帯で25年間、難民の医療支援や水源確保事業に携わるNGO「ペシャワール会」(福岡市)の福元満治事務局長は「アフガンに爆弾を落として何万人もの死者を出し続けながら、核なき世界を訴えても意味はない。オバマ大統領は空爆にさらされている民衆に思いをいたすべきだ」と手厳しい。「平和賞を意味あるものにするためにも、アフガンでの軍事活動を一刻も早く停止すべきだ」と注文を付けた。【阿部周一】

 ◇一番ふさわしい--長崎市長笑顔


 「今年のノーベル平和賞に一番ふさわしい人だ」。オバマ大統領に被爆地長崎を訪問するよう要請している長崎市の田上富久市長は9日、「長崎はオバマ大統領を支える形で核兵器廃絶を進める機運が高まっている。長崎にとっても励みになる受賞だ」と満面の笑みを浮かべた。

 田上市長は「プラハ演説で『核兵器のない世界を目指す』と明確に目標を示したことは本当に大きいこと。国連で仲間を作り、大きな流れを作ろうとした努力は認められるべき功績だ」と語った。そのうえで「後に核兵器のない世界のストーリーはあの演説から回り始めたと言われるだろう。そういうストーリーになるよう、私たちも精いっぱい努力したい」と核廃絶への決意を新たにした。

 ◇予想ぴったり--広島市長も


 オバマ米大統領のノーベル平和賞受賞を受け、秋葉忠利広島市長は9日、会見し「核兵器のない世界の実現に向けた激励だと思う。よかったですね、予想がぴったりですね」と笑顔で話した。

 秋葉市長は、今年5月にニューヨークであった核拡散防止条約再検討会議準備委員会での演説で、核兵器廃絶を望む世界の大多数を「オバマジョリティー」と呼んだ。9日は、「ノーベル賞には世界の市民や国々の声を代弁する側面があり、今回の受賞には、オバマジョリティーの思いと決意が込められていると思う」と強調した。

 さらに、世界の相互信頼に向けた機運がノーベル賞受賞で生まれたとし、「オバマ大統領が広島と長崎を訪れる環境が整ってきている」と期待した。

毎日新聞 20091010日 西部朝刊


街並みの記憶:所蔵写真から 横川新橋(1935年) /広島

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横川線の電車併用橋だった横川新橋。左が横川橋

 ◆横川新橋(1935年)=西区
 ◇畑も竹やぶもある田舎だった

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幸谷多美子さん

 「橋の周りはぽつりぽつりと家があるだけ。畑も竹やぶもある田舎だった」。西区横川町2で「田中食料品店」を営む幸谷多美子さん(81)は、往時の横川新橋の写真に目をやって懐かしんだ。「よう竹やぶに入って、かくれんぼして遊んだね。イチジクや柿を取ったり、木登りをしたり……

 戦前は楠木町(現・西区)に住み、両親は八百屋をしていた。週に1度、売れ残った野菜をリヤカーで横川新橋の近くに運び、夜店を開いてたたき売った。同じような店が無数に並び、綿菓子や一銭洋食、夏はかき氷の店もあった。食品や衣料品は何でもそろったという。「楽しみもない時代。買う買わんは置いといて、ぞろぞろ歩くのが面白くて」。胸躍らせた夜店街も、戦火が激しくなるにつれて姿を消した。

 爆心地から横川新橋までは約1・3キロ。広島原爆戦災誌第二巻(広島市、71年発行)などによると、被爆時に横川新橋を通過していた電車は川に転げ落ちたという。橋はかろうじて焼け残ったが、翌月の枕崎台風で落ちた。隣の横川橋だけが残り、人々はそちらを渡った。

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現在の横川新橋。被爆前と同様に路面電車が走る

 幸谷さんは勤労動員されていた工場で被爆。爆心地から約2・5キロ離れていたため、大きなけがはなかったが、市中心部にいた妹は死んだ。

 生き残った人たちは、焼け野原で生活を立て直すしかなかった。「掘っ立て小屋を建てて、みんな商売を再開した」という。幸谷さんも46年1月、親せきが用意してくれた今の場所で両親と食料品店を始めた。「ここで商売を始めて63年。お客とお話しするのが私の生きがい」。背筋を伸ばして笑った。【井上梢】

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 被爆前の広島を撮影した写真や資料、証言などを募集します。毎日新聞広島支局(082・221・2181、hiroshima@mbx.mainichi.co.jp)まで。

毎日新聞 2009926日 地方版





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