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岩手・宮城地震から1年
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橋が山が岩手・宮城内陸地震を写真で振り返る


岩手・宮城内陸地震:栗駒耕英地区の被災住民が自宅で正月

20091231 1957分 更新:1231 2137

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地震後初めて自宅で正月を迎える金沢さん一家。前日に火入れした、まきストーブが部屋を暖めていた=宮城県栗原市で2009年12月31日午後7時、丸山博撮影

 08年6月の岩手・宮城内陸地震で被災した宮城県栗原市栗駒耕英地区の住民たちが、被災後初めて自宅で正月を迎える。「一年一年着実に頑張ろう」と生活再建への思いを新たにしている。

 耕英地区では「駒の湯温泉」で7人が死亡し、ふもとからの道路が寸断された。復興元年と位置付けた09年。5月に避難が解除され、11月に一般車両が通行可能となった。温泉宿泊施設も営業を再開するなど観光復活にも光が見え始めた。

 今年4月に民宿を再開させる金沢大樹(だいじゅ)さん(67)の自宅には地震後、補強のための太い柱が立った。「いままで先が見えず不安だったが、新しい年は希望が持てます」。笑顔で生後4カ月の孫湊平(そうへい)ちゃんを見つめた。【丸山博】

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記者の目:岩手・宮城内陸地震から1年=鈴木一也

 死者17人、行方不明者6人を出した昨年6月の岩手・宮城内陸地震から1年が過ぎ、改めて現地を訪ねた。被害が集中した宮城県栗原市では、住宅再建のめどが立たない58世帯150人が今も仮設住宅で暮らすなど、復興が進んだとはいえない現実がある。背景には、住民が農業や観光で生計を立てる中山間地域が被災した「山岳地震」の特徴と、被害実態にそぐわない住宅再建支援の不備がある。住宅の損壊度合いを4段階に分けて支援額を当てはめる現行制度を、被災実態に応じたより細かい支援ができる体系に改める必要があると痛感した。

 山あいに水田が広がる栗原市花山。元温泉施設従業員、大山幸義さん(57)の自宅を見て驚いた。トタン屋根は波打ち、傾いた柱やかもいには無数の亀裂が入る。家全体がゆがみ、戸も閉まらず住める状態ではない。だが、「被災者生活再建支援法」による認定は、柱の傾斜角度が小さいなどの理由で「一部損壊」。国の支援金はゼロだ。約130平方メートルの平屋。住むための一部解体・修理の見積額は計1080万円。仮設住宅で暮らす身に出せる額ではない。

 近くの農業、後藤栄喜(えいき)さん(65)は昨年10月、「全壊」と認定された自宅を解体した。築98年の平屋跡は更地となり、雑草が生い茂る。解体費用約120万円は支援法で支給された支援金300万円の一部を充てた。だが、仮に約130平方メートルの家を新築すると約1600万円かかる。

 支援法は、阪神大震災(95年)を契機に98年成立した。当初は家財道具の購入などに最高100万円を支給する内容だったが、04年改正で住宅解体費用が加わり、300万円に増額。全壊が3000棟を超えた同年の新潟県中越地震で、住宅再建への支給を望む声が高まり、07年11月、支援金の使途制限や年齢・年収要件が撤廃された。しかし、内陸地震は、新たに支給対象ではない「半壊」「一部損壊」の問題点を浮き彫りにした。

 被害分類は「全壊(損壊割合70%以上)」「大規模半壊(同50%以上70%未満)」「半壊」と「半壊に至らない(一部損壊)」の4段階。住宅の延べ床面積に占める損壊割合で算定する。支援金の対象は「全壊」「大規模半壊」だけだ。

 栗原市の地震による全壊は27棟だが「半壊」「一部損壊」は計1526棟に上った。大山さんのように家屋の修理や解体に多額の費用がかかる人も多いのに、救済されない。大山さんは「数字に頼らず、住めるか住めないか総合的に判断してほしかった」と唇をかむ。全壊も事情は同じだ。後藤さんは「近くで安い中古物件を探している」と打ち明けた。

 住む場所が地形的に限られる中山間地。被災者の多くは、居住地を離れられない事情がある。宮城、岩手、秋田にまたがる栗駒山の被災者らの合言葉は「山に帰る」だ。畑作やイワナ養殖などで生計を立てる彼らは、ふもとの仮設住宅で暮らしながら、一時帰宅が許される昼間、中腹にある自宅や畑に通う。家を修理したり、地震で出荷を逃した特産イチゴをジャムに加工・販売するなど、復興への希望をつなぐ。イワナ養殖業、熊谷昭さん(64)は「山は生活のすべて。山を下りることは糧を失うこと」と話した。

 こうした悩みに応えて、栗原市は義援金を活用した独自の支援策を創設した。2カ月以上避難している世帯に一律5万円と、家族1人当たり5万円を上乗せし、最大8カ月間支給する。居住地に戻ることを条件に、新築で最高220万円を支給する。だが、それでも資金不足は解消されないケースがほとんどだ。市が今年1月、避難中の169世帯に実施したアンケートによると、避難指示が解除された後、居住地に「戻らない」人が12%、「分からない」が17%もいた。これは、資金不足などの理由で帰りたくても帰れない人がいることを示す。

 公的支援には「個人資産の形成に公金を使うのは適切か」との議論がある。だが、復興とは日常生活を取り戻すことであり、基盤は住宅再建だ。地震被害がなくてさえ疲弊する中山間地の復興のためには、被災者の人生を再建させることが肝要だ。耐震補強や地震保険の加入などの「自助」努力も当然だが、公金で支える「公助」の考え方も復興には必要だと思う。

 栗原市花山の国道沿いで食堂を営む佐々木雄子さん(62)は3年前に夫と死別。仙台市の私立高に寄宿する長女(18)の学費、寮費を女手一つで賄う。避難指示が解除された今年5月に店を再開したが、国道は通行止めが続く。客は工事関係者しかいないが、「店を続けないと収入がない」と汗を流していた。その姿を見て思う。国や行政は、被災状況や被災者の生活を見極め、支援の中身を臨機応変に判断する柔軟な地震対策を講じてほしい。(仙台支局)

毎日新聞 200972日 014


岩手・宮城地震:駒の湯温泉近くで2遺体発見、土砂から

200971 1555分 更新:71 1659

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栗原市栗駒地区の旅館「駒の湯温泉」の捜索現場=市災害対策本部提供

 岩手・宮城内陸地震(08年6月)の行方不明者を捜索中の宮城県栗原市災害対策本部は1日、同市栗駒地区の旅館「駒の湯温泉」付近で、土砂の中から性別不明の2遺体を発見した。県警若柳署が身元の特定を急いでいる。

 市災害対策本部と県警によると、1日午前10時55分ごろ、駒の湯の大広間付近の土砂を重機で掘り進めていた際、建物の建材などと一緒に遺体の一部を発見。さらに掘り進め、午後2時50分ごろに2遺体を発見した。

 土石流にのみ込まれた駒の湯では宿泊客ら5人が死亡、従業員の佐藤幸雄さん(不明当時62歳)と高橋恵子さん(同55歳)が行方不明になっている。泥の中での捜索は困難を極め、発生から約1カ月後に中断したが、排水路を整備して5月20日から再開していた。【鈴木一也】


岩手・宮城内陸地震:警察犬2頭がお手柄夫妻の遺体発見

2009629 2031分 更新:629 217

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感謝状を贈呈された嘱託警察犬のビックス(左)とリンドムート。男性は所有者の松本章さん=宮城県警築館署提供

 昨年6月の岩手・宮城内陸地震で、宮城県栗原市花山地区の観光地「白糸の滝」付近で行方不明になった夫妻の遺体発見に貢献したとして、嘱託警察犬2頭に29日、県警築館署から感謝状が贈られた。2頭はシェパードのビックス(雄、5歳)とリンドムート(雌、2歳)親子。

 栗原市などによると、行方不明になった仙台市の森正弘さん(不明当時61歳)と洋子さん(同58歳)夫妻の捜索が再開された今月8日、現場で2頭が激しくほえたり土砂を足で掘るなどした。重機で掘り進めたところ、翌日、土砂の中から2人の遺体が見つかった。

 現場は、地震直後の捜索で、ビックスの母「キリア」(9歳)が激しく反応を示したのと同じ場所。しかし、道が寸断され重機が運び込めず、落石による2次災害の危険もあったため捜索を断念せざるを得なかった。しかも現場は地形が変わっており、1年越しの遺体発見は警察犬親子3代の鋭い嗅覚(きゅうかく)がなければ困難だった。今年はキリアより2頭が、鼻の状態がよかったためキリアは出動しなかったという。

 贈呈式では、清野薫署長が2頭の首に感謝状を取り付けた首輪をかけ、所有者の松本章さんらに感謝状を手渡した。高橋桂介副署長は「警察犬のおかげで発見できた。感謝は人も犬も同じ」と話している。【鈴木一也】


岩手・宮城内陸地震:住民の機転、県防災計画に 観光客を拠点施設へ、名簿を作成

 1年前の岩手・宮城内陸地震で孤立した岩手県一関市厳美(げんび)町祭畤(まつるべ)地区で、地元住民らが主導した観光客らの救助活動を県がモデル化し、9月改定の防災計画に盛り込むことになった。住民らに防災訓練の経験はなかったが、直感的に客を拠点施設に集め、食料や毛布を確保した。防災専門家は「他地域でも見習うことができる」と評価している。【狩野智彦】

 ◇食料集め名簿を作成


 震源からわずか2キロ南にある祭畤地区(7世帯18人)。昨年6月14日の地震で市街地と地区を結ぶ国道の祭畤大橋が崩落し、秋田県側に抜ける国道も土砂で寸断され陸の孤島に。携帯電話は圏外で、家庭の固定電話も不通。住民や温泉、登山などで訪れていた観光客計約100人が取り残された。

 市営温泉施設「真湯山荘」の職員ら数人が車で周辺を回り、避難場所が分からない観光客らを約2キロ離れた研修施設に運んだ。施設には広い部屋がある。山荘から米や飲み物、毛布を集め、観光客らに氏名や連絡先を書いてもらい名簿を作った。研修施設の電話回線が偶然1本だけ生きており、同日夕には大半の人がヘリコプターで救助されたが、名簿がスムーズな救助に役立ったという。

 地元住民で山荘職員の佐藤律雄さん(63)は「直感で動いた。テレビで見た過去の大地震を思い出した」と振り返る。

 岩手県内には災害で孤立化が想定される地域が331カ所あり、県は食料などを備蓄した参集場所を決め、観光客への周知を含めたルールづくりを進める。県総合防災室の越野修三・防災危機管理監は「予算がないが、まずソフト面から進めたい」と話している。

 人と防災未来センター(神戸市)の、河田恵昭センター長は「土地勘のある人が自主的に動いたことが良かった。山間地を含めた孤立事態を考察・検証して対策を進める必要がある」と指摘する。

毎日新聞 2009621日 東京朝刊


まだら模様の復興:岩手・宮城内陸地震1年/5止 山間部の孤立対策 /宮城
 ◇財政事情で変わる対応

 無投票で再選を果たした4月12日、栗原市の佐藤勇市長(66)は口元を引き締めて誓った。「栗原の復興に全力で取り組むことが、私に課せられた重い責任です」

 言葉通り、市は山間部の孤立対策のため、今月までに衛星携帯電話を購入、10カ所の総合支所に各1台配備した。1台約20万円。今後、住民の要望を受けつつ、孤立想定集落にも配備していく方針だ。加えて5月までに被災者や工事関係者を交え、避難訓練を3回実施している。市危機管理室は「ハードとソフト両面で、地域防災力を強化していく必要がある」と強調する。

 名前を呼ばれた住民が「はい」「はい」と返事をしていく。4月30日、大きな被害を受けた栗駒耕英地区で行われた避難訓練で、金沢大樹行政区長(66)は「山脈ハウス」に集まった住民30人の人数と安否を確認すると、真新しい衛星電話で市に「避難終了です」と報告した。防災無線で避難を呼び掛けて約20分、いつもより市職員らが「早い」と感じる参集ぶりだった。金沢区長は話す。「昨年の地震で一度怖い目に遭っているからね。自分たちでも何とかしようとの思いはあるし、訓練の必要性は皆が感じている」

   ■  ■

 3月に改定したばかりの市防災計画のファイルをパラパラとながめ、苦笑した。岩手県一関市防災課で危機管理担当の岩渕正司消防士長は言う。「昨年の地震は、本当に想定外だった。対策もまだ、万全じゃない」

 市の防災計画は、1947、48年のカスリン・アイオン台風で壊滅的被害を受けた経験から、風水害に手厚い。今年3月に改定したが、6支所の連絡員を災害対策本部に置くなど、市役所内組織内の円滑な情報共有を促すにとどまった。今回の地震で課題となった孤立問題など、地震を想定した対策の姿は描ききれていない。

 孤立を経験した被災者たちが切望する「外部との通信手段」整備への言及は、計画内に一行もない。市内は20カ所の孤立が想定されている。各個所に衛星電話などライフラインが途絶しても確保できる通信手段を設置するとなれば、大きな予算がかかる。厳しい財政下、捻出(ねんしゅつ)は難しい。防災行政無線ですら、05年の4町2村との合併後、統一できていない状況なのだ。岩渕消防士長は言う。「市の防災計画改定は県の防災計画改定を受けてやってきた。まだ県側にも具体的な項目が入っていない」

 同市市野々原地区で孤立し、外部の状況が分からないことに大きな不安を感じたパート社員、佐藤美栄子さん(38)は、市の姿勢がもどかしい。「要望を聞いてもらいたい。被災者側との話し合いの場を設けてほしい」【鈴木一也、狩野智彦】=おわり

毎日新聞 2009620日 地方版


岩手・宮城内陸地震:発生1年 2管本部が地震防災で講演会--塩釜 /宮城

 第2管区海上保安本部は18日、地震防災講演会「岩手・宮城内陸地震から1年・2管本部の対応」を塩釜市内のホテルで開いた。地震発生から1年がたったのを契機に、県沖地震も念頭に企画したもので、市民ら約100人が熱心に聴き入った。

 海上保安庁勤務時代に阪神大震災も担当した三木基実・2管本部長が「4月の着任時、村井嘉浩知事とも防災・災害救援での協力を約束した」などとあいさつ。講演会では、2管本部の小嶋哲哉・海洋調査課長が「海底地殻変動調査により捉(とら)えた海底の動き」▽同本部の松田康夫・警備救難部長が「宮城県沖地震への備え」を詳細に説明した。【渡辺豊】

毎日新聞 2009619日 地方版


まだら模様の復興:岩手・宮城内陸地震1年/4 国道通行止めで観光客激減 /宮城
 ◇周遊コース復活を

 栗原市花山地区の佐々木幸通さん(77)は、高温で砕いた大豆を黙々と搾った。県産大豆100%の「御番所豆腐」。大豆のうまみが凝縮され、懐かしい味がする。

 妻順子さん(75)と二人三脚で豆腐を作り48年。休日には国道398号沿いの店に観光客がひっきりなしに訪れた。だが、通行止めでかつてのにぎわいはない。

 花山地区で一番の11人の大家族。仮設住宅に入りきらず、約11カ月の避難生活は借家で過ごした。機械がさびつかないよう、一時帰宅の度に手入れをしていたが、長い付き合いの店から「御番所じゃなきゃだめなんだ」と電話が入り、今は週2回作っている。売上金は地震前の1割にも満たない。

 「398号が秋田、岩手に抜けるまでは商売にならない。体が動かなくなるのと道路が復旧するのと、どっちが先かな」。冗談めかして笑ってみせた。

 通行止め区域の手前にある道の駅「自然薯(じねんじょ)の館」の三浦勇市店長(40)によると、客の7割が398号から秋田の子安峡や岩手の須川温泉方面に抜ける周遊コースを通っていた。三浦店長は「道路が県境手前まで開通しても周遊できなければ客は戻らない」とみる。

 登山や渓流釣り、温泉に土産の豆腐--。観光スポットを結ぶ周遊コース復活を、住民と客が待ち望んでいる。

  ■  ■

 カーテンが閉めきられた大半の客室に、あかりが見えない。「電気がまばらなのは、寂しいね」。財団法人グリーンピア田老の専務理事、赤沼正清さん(68)はホテルを眺め、吹き寄せる山背風に身震いした。

 震源から約230キロ離れた岩手県宮古市の複合施設「グリーンピア田老」は4月、宿泊部門の運営委託先、飲食提供の業務受託大手「西洋フード・コンパスグループ」(東京都)が、契約を5年程残して中途撤退した。昨年起きた二つの地震後、キャンセルが相次ぎ、客数は08年6~12月で1万8971人の前年同期比で2割減少。08年度の赤字は約7260万円で前年比約2200万円増え、経営を一層圧迫した。

 同社は「風評」を、経営悪化の理由に挙げる。県内観光地は昨年、この風に苦しんだ。花巻市の花巻温泉郷も、被害がないのに宿泊客のキャンセルが相次いだ。被災地以外は義援金の分配もない。市は風評被害があると認めた宿泊施設の固定資産、入湯、法人市民の3税の徴収を最大1年間猶予した。

 グリーンピアは、今月末までの委託先決定を急ぐ。5月末まで行った業者公募に応募はない。「不景気風も吹いて、思うようにいかない」。赤沼さんは、寒そうに上着の前を合わせた。【伊藤絵理子、狩野智彦、湯浅聖一】=つづく

毎日新聞 2009619日 地方版


岩手・宮城内陸地震:住宅耐震化、必要性認識9ポイント減--県アンケ /岩手
 ◇「倒壊の恐れ」判定の住民、不況影響「費用ない」

 県は、08年度に耐震診断を受け、震度6強の地震で倒壊の恐れがあると判定された住民を対象にしたアンケート調査の結果を公表した。岩手・宮城内陸地震を経ているにもかかわらず、「自宅の耐震対策の必要性を認識した」は68%と前回調査(07年)より9ポイント減少していた。県建築住宅課は「地震で住宅被害が少なかったことや、昨今の不況が影響しているのではないか」とみている。

 調査は今年5~6月、内陸地震から1年を迎えることを機に647人を対象に実施した。536人から回答があった。

 住宅の耐震化について、「関心が高まった」と回答したのは81%に上った。だが、具体的な行動になると、「建て替えも耐震改修も特に考えていない」は49%に達した。理由は「費用がない」が52%と最も多かった。「昨年の地震で自宅に被害がなく、建て替えの緊急性を感じない」が26%、「景気動向が不透明で出費に不安がある」が9%で続いた。

 改修費の平均額は約140万円かかる。だが、不況で出費を一層控えさせているようだ。県は08年度から国や市町村と、耐震改修費の半分(最大60万円)を助成する制度を始めているが、「建て替えや改修の具体的な予定がある」は前回比4ポイント増の17%にとどまる。

 同課の沢村正広建築指導課長は「昨年の地震は揺れの周期が住宅被害を生じさせにくかった。特殊な場合と考え、過信しないでほしい」と話す。今後、広報の仕方を再検討するなど、耐震化対策を進めるという。【岸本桂司】

毎日新聞 2009618日 地方版


チャリティーライブ:ギタリスト・吉川さん、栗原で 入場無料、来月5日 /宮城
 ◇「被災者がメーンゲスト」

 国内屈指のギタリスト吉川忠英さん(62)が、栗原市栗駒の会社員、菅原聡(さとし)さん(31)と共同で7月5日に、「みちのく風土館」(同市栗駒)でチャリティーライブを開催する。被災者に財布の心配なく聴いてもらおうと、入場無料だ。

 菅原さんは07年に盛岡市であった吉川さんのライブを聴き、熱心なファンになり、演奏中の吉川さんを撮った写真を送ったりして交流を深めた。昨年6月の岩手・宮城内陸地震後、吉川さんから菅原さんに被災地を気遣う見舞いの電話があった。

 そんな経緯があり今年3月、吉川さんから「この夏に東北を一巡する公演旅行の折に栗原でチャリティーライブを開催したい」と連絡があり、菅原さんが実行委員会を作り、奔走してきた。

 菅原さんは地震から1カ月半後、営業不能となった勤務先の温泉施設「温湯山荘」を解雇。だが、周囲の協力で市内の金属鉱業会社に再就職がかなった。地元への恩返しの思いから、これまたファンのシンガー・ソングライター宇佐元恭一さん(48)の快諾を得て昨年12月、チャリティーコンサートを開催。11万円余の益金を同市耕英、花山両地区の被災者に贈った。

 一方、吉川さんは、障害を持つ肉親がいることもあり、20代後半から病院や福祉施設、少年院などを慰問し、聴き手を励ますライブを重ねてきた。そんな意識から今回も「被災者がメーンゲスト」として菅原さんと話し合って入場無料にしたほか、出演料も受け取らないことにした。

 吉川さんは「ギター演奏ばかりでなく、小話を入れたり聴衆と歌ったり、元気が出るライブにしたい」と話す。菅原さんは「復興へ努力する被災者はじめ地元栗原の人たちに無償で安らぎを贈るのがチャリティー。本物の音楽を楽しんで」と呼び掛けている。

 ライブの開場は午後1時。会場のいす席と立ち見を合わせ約150人が入れる。市外の人も入場可。先着順。問い合わせはみちのく風土館(0228・45・6161)。【小原博人】

毎日新聞 2009618日 地方版


まだら模様の復興:岩手・宮城内陸地震1年/3 厳しい状況続く温泉宿 /宮城
 ◇「希望の灯り」ほのかに

 暮らしを激変させた地震発生日が翌日に迫った13日夜、栗原市花山地区がほのかな明かりに包まれた。神戸市内から分灯した「1・17希望の灯(あか)り」が、手作りのランタンにともされた。「栗駒山のふもとにあってこその魅力。そのともしびを絶やしてはいけない」。営業停止中の湯浜温泉「三浦旅館」の三浦治さん(54)は、明かりを前に誓う。傍らには、共に営業再開を目指す湯の倉温泉「湯栄館」の三塚倉雄さん(69)、温湯温泉「佐藤旅館」の佐藤研一さんの姿があった。

 花山、栗駒両地区の5館が昨年11月、「栗駒五湯復興の会」を設立。会長の三浦さんは「一館でも欠ければ復興とは言えない」。

 だが、土砂崩れで修復困難な宿、源泉が止まって新たに掘った源泉の湧出(ゆうしゅつ)量が2割に減った所など課題は多い。源泉の確保にも多額の資金が必要だ。

 それでも5軒が相乗効果を生み、復興に向けて歩み出した。宿が水没した三塚さんは「お客さんとの触れ合いを知っているから、宿でしか食っていけない」と、別の場所での再開を考えている。建物の修復が厳しい佐藤さんも「源泉が出れば、無事な露天風呂で秋には日帰り入浴だけでも再開できるかもしれない」という。

 それぞれが将来に思いを巡らせる。第三セクター「ゆめぐり」に出資する栗原市に掘削してもらって温泉を買い取れないか。温泉観光地としてどうやって存在感を上げるか--。「希望の灯り」は、ほのかに、そして温かく思いを包んでいる。

  ■  ■

 用事を済ませた途端に電話が鳴る。従業員が呼ぶ声が聞こえる。一関市厳美町祭畤(まつるべ)地区の温泉旅館「かみくら」の女将(おかみ)、佐藤奈保美さん(42)が館内を駆ける。あちこちでハスキーな声が響く。

 心配した湯脈の変動もなく、昨年末に営業を再開した。今や1日40人ほどの客入りで働き手が足らず、今月から従業員を3人増やした。「1年で、ここまで再建できたなんてね」と、感慨深げだ。

 開業から5カ月後、巨大な揺れに襲われ、建物はゆがみ、窓ガラスは飛び散った。迂回(うかい)路ができた6月末から一人で片づけを始めた。公的補助はないが家族や知人が援護してくれた。

 ただ、「取り残された感じ」が心のどこかを占める。市は今月、旅館がある真湯・祭畤地区の「活性化基本構想」策定のため、市民委員11人の懇談会を開催した。佐藤さんは何も知らなかった。「一声ほしかった」。波風を立てるつもりはない。小さな温泉郷を超えた観光地になるため、地区全体で力を合わせる機会を待つ。【伊藤絵理子、狩野智彦】=つづく

毎日新聞 2009617日 地方版


栗原・高清水公民館:無期限使用停止へ 耐震度低く崩壊の危険性 /宮城

 栗原市はこのほど、住民の避難場所に指定している同市高清水の高清水公民館の耐震度が極めて低いとして7月1日から無期限に使用を停止すると発表した。

 同公民館は40年以上前に本体部が建てられ20年前までに講堂棟やホール棟が建て増しされた。同市は岩手・宮城内陸地震を機に、旧建築基準法時代の81年以前に建った12の公民館施設の耐震診断を行い、高清水公民館は「地震の震動、衝撃で倒壊または崩壊の危険性が極めて高い」と判定された。同館の構造耐震指標は「耐震性あり」とされる0・7を下回る0・07~0・4程度しかなかった。

 同市は耐震診断を再度実施し最終的な対応策を決める方針。【小原博人】

毎日新聞 2009616日 地方版


岩手・宮城内陸地震:「サンドウィッチマン」、被災地へ25万円寄付 /宮城
 ◇「仮設での生活よくなれば」

 仙台市泉区出身の人気お笑いコンビ「サンドウィッチマン」の2人が15日、岩手・宮城内陸地震の被災地に義援金25万円を寄付するため、村井嘉浩知事を表敬訪問した。コンビの伊達みきおさん(34)は「義援金で仮設住宅で暮らす方の生活が少しでもよくなれば」と被災者を励ました。

 2人は昨年10月、コミュニティ放送局で収録したラジオ番組をCD化して発売。地震の被災者に「何かできないか」との思いで2人が発案した。CDの売り上げの一部を義援金として寄付した。

 村井知事は「サンドウィッチマンは県民の誇り。感謝している」と話した。県は義援金の受付を終了しているため、義援金は栗原市に引き継ぐ。【垂水友里香】

毎日新聞 2009616日 地方版


岩手・宮城内陸地震:発生1年 復興へ願い込め--奥州・一関 /岩手
 ◇黙とう、行事や訓練

 岩手・宮城内陸地震発生から14日で、1年が経過した。大きな被害を受けた一関市や奥州市では、発生時刻の午前8時43分に合わせ犠牲者を悼み黙とうをするなど、復興を果たしていこうという願いを込めた行事や防災訓練などが行われた。【湯浅聖一、狩野智彦】

 ■奥州市

 奥州市は、発生時刻を告げるサイレンを合図に防災訓練を行った。同市胆沢区の県境を震源とするマグニチュード(M)7・4の地震が発生した想定で行った。

 サイレンが鳴ると、幹部職員らは庁舎3階の講堂に集まり、犠牲者に黙とうをささげた。この後、各部署から入る土砂崩れや道路の通行止めなど被害報告を整理した。電話回線を使って現地から被害状況などを画像で送るシステムの運用も試験的に行った。

 さらに、自主防災組織や自治会も住民の安否確認をし、5カ所の総合支所にそれぞれ電話連絡した。相原正明市長は「臨場感があった。新しい事態にも対応できるノウハウを引き継いでいく必要がある」と講評した。

 一方、同市胆沢区では今も4世帯9人が仮設住宅で暮らす。同区若柳下鹿合(しもししあわせ)の飲食店経営、高橋信一さん(59)は、この1年に思いをはせ、「今後の生活の形がまだ見えてこない。(仮設住宅の退去期限である)来年7月には出ていかなくてはいけないので不安だ」と心境を語った。

 ■一関市

 岩手県一関市の「時の太鼓顕彰会」(柳橋信行会長)は、同市のJR一ノ関駅前で太鼓演奏を行った。

 発生時刻に市民ら約60人とともに黙とうした後、会員約20人がオリジナル曲3曲を披露した。大小九つの太鼓を、復興への思いを込め「ドンドン」と打ち鳴らした。演奏者の一人で、奥州市の実家が一部損壊した一関市萩荘、会社員、若槻誠さん(31)は「知人が避難生活を送り、古里が大変な思いをした。この音が被災者の心に届いてくれたらいい」と額の汗をぬぐった。

 さらに、地震の経験を風化させず防災意識を高めようと、市が「市民防災フォーラム」を一関文化センターで開いた。約1000人が参加した。講演で岩手大の斎藤徳美副学長が「地震は防げない。日ごろからの備えで災害を減らす『減災』の意識が大事だ」と強調した。討論会では「ヘリコプターの発着場所を地域で考えた方がいい」「地元の防災を担う消防団員が足りない。企業は消防団の活動に理解を持ってほしい」などの意見が出た。

 参加した一関市舞川、無職、熊谷典男さん(72)は「自分たちの地域は自分たちで守るという意識がわき、勉強になった」と話していた。

毎日新聞 2009616日 地方版


まだら模様の復興:岩手・宮城内陸地震1年/2 困難伴う山間地農業 /宮城
 ◇「やらざるを得ない」

 長い間放置され雑草が生えた畑にしゃがみ込み、丹念に苗床を作る姿があった。栗原市栗駒・耕英地区のイチゴ農家、菅原耕一さん(56)は、新品種「サマーキャンディ」の苗を12日に植え終えた。ビニールハウス12棟に植えた計4000株を8月末の出荷まで大事に育てる。

 昨年は地震で避難生活を余儀なくされ、畑までの道路が閉ざされた。出荷を逃し、やむなくジャムに加工して販売した。「今年こそは」との思いは強い。

 父が他界してから2カ月後に地震に見舞われ、さらに半年後には追突事故に遭い首を痛めた。うつ気味になり、「もうできない」とイチゴ栽培をあきらめかけた。だが、畑に戻って山の空気を吸うと、「やっぱりここがいい。オヤジが開拓して60年守った土地を見捨てられない」。

 寒冷地の耕英で、約20年前に始めたイチゴ栽培。地道で根気のいる畑の作業は「正直、割に合わない」と笑う。それでも、「我々は小さい農家の集まりだけど、日本の農業を守っていかないと」との誇りを持っている。

 困難は当然ある。地震で水脈が変わったためか、農業用水に使うわき水が止まった。ホースで水をまけず、飲料水をためた水をじょうろでまく。作業時間は増えたが、「ここで踏ん張って頑張ることが、全国から支援してくれた人たちへの感謝の気持ちになる」。復興への思いを込めた「希望の苗」は、今月末には実を付ける。

  ■   ■

 標高約200メートルの奥州市胆沢区若柳下鹿合(しもししあわせ)地区の棚田に、青々とした苗が風に揺れる。「これで集落が維持できる」と岳山水利組合の高橋信一組合長(59)はつぶやいた。

 同地区の岳山集落は戦後に開墾した約2ヘクタールの棚田で2戸9人が稲作をする。みな60~70代で、病を患う人も少なくない。だが、水の便が悪い集落で農業をする命綱、導水管を地震が壊した。68年に住民が組合を作り、約4キロ離れた小川から自力で敷いたものだ。破損で、昨年はほとんど米が取れなかった。

 昨秋、組合員から導水管復旧の声が出た。だが、補修費30万円を4人の組合員で負担できない。国の災害復旧事業は40万円以上が条件で、結局市が3分の2、残りは何とか組合資金から捻出(ねんしゅつ)した。

 大型連休の4月30日、地元農家とボランティアの県や市の職員計14人が導水管の破損部分を再敷設した。重機が入れず、手作業で重さ30キロのポリエチレン管5本を崩落した土砂や倒木を縫うように配した。高橋組合長は言う。「みんな農業しか生きる道がない。地震や台風が来ようが、やらざるを得ない」【鈴木一也、湯浅聖一】

毎日新聞 2009616日 地方版


岩手・宮城地震:被災地祈りに包まれ 犠牲者悼み

 15人が死亡、8人が行方不明となった岩手・宮城内陸地震の発生から1年を迎えた14日、震源に近い宮城県栗原市、岩手県一関、奥州市などの被災地は、犠牲者を悼む祈りに包まれた。

 栗原市花山地区では地震発生の午前8時43分に合わせ、防災無線のサイレンが鳴らされた。仮設住宅で暮らす住民十数人が土石流で倒壊した旅館「駒の湯温泉」がある栗駒山に向かって黙とう。岩手県一関市のJR一ノ関駅では、市民ら約60人が黙とうした後、復興を鼓舞する太鼓曲が演奏された。

 栗原市の栗原文化会館であった市主催の追悼式には約1300人が出席。遺族を代表して、7人が死亡・行方不明となった「駒の湯温泉」の経営者、菅原昭夫さん(53)が、時折声を震わせながら「目の前の母ががれきに埋もれていく光景を忘れることができない」と話し、「亡くなった人の分まで精いっぱい生きていかなければいけない」と誓った。

 また、15日には秋田市内で、大規模地震災害に備えた秋田、青森、岩手の3県警広域緊急援助隊による合同訓練も行われた。【狩野智彦、須藤唯哉、小林洋子】

毎日新聞 2009615日 1119


岩手・宮城内陸地震:母の姿忘れられない栗原市で追悼式

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追悼式の冒頭に黙とうをささげる参加者=宮城県栗原市で2009年6月14日午前10時1分、梅村直承撮影

 15人が死亡、8人が行方不明となった岩手・宮城内陸地震の発生から1年を迎えた宮城県栗原市は14日、同市築館高田2の栗原文化会館で追悼式を行った。

 遺族や被害の大きかった花山・耕英両地区の被災者ら約1300人が出席。遺族を代表して、7人が死亡・行方不明となった旅館「駒の湯温泉」経営の菅原昭夫さん(53)が「目の前の母ががれきに埋もれていく姿を忘れることができない」と時折声を震わせながら「亡くなった人の分まで精いっぱい生きていく」と誓った。

 追悼式に先立って、地震が発生した同日午前8時43分には、花山地区の仮設住宅で暮らす住民らが栗駒山に向かって黙とうした。【須藤唯哉】

毎日新聞 2009614日 1602分(最終更新 614日 1615分)


岩手・宮城内陸地震:発生から1年、犠牲者悼む

2009614 1542分 更新:614 165

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被災者への追悼と復興の願いを込めて太鼓を鳴らす演奏者=岩手県のJR一ノ関駅前で2009年6月14日午前9時1分、狩野智彦撮影

 岩手・宮城内陸地震発生から1年を迎えた14日、大きな被害を受けた岩手県一関市と奥州市では、犠牲者を悼むとともに、復興や今後の防災推進を誓う行事が行われた。

 一関市のJR一ノ関駅前では、地震発生時刻の午前8時43分に、集まった約60人の市民が黙とうをささげた。さらに、地元の「時の太鼓顕彰会」が太鼓演奏を行った。奥州市では、発生時刻に黙とうをささげた後、防災訓練を行った。【狩野智彦、湯浅聖一】


岩手・宮城内陸地震:米作りたい中山間地の復興遠く

2009614 153分 更新:614 1516

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地震後に傾き、隅の方にしか水がたまらず作付け不能になった千葉勝美さんの水田。昨年の稲株の間から雑草が伸びていた=宮城県栗原市で2009年6月8日、丸山博撮影

 14日、発生から1年を迎えた岩手・宮城内陸地震で被害が集中したのは、過疎化や高齢化が進む中山間地だった。面積の9割が森林の宮城県栗原市花山(はなやま)地区もその一つ。わずかな平地にしがみつくように農業を続けてきた住民に、地震は追い打ちをかけた。今も窮状にあえぐ姿は、耕地面積の4割を中山間地が占める日本の農家を取り巻く、厳しく、危うい現状をも浮き彫りにしている。

 谷間を走る国道を外れ、軽自動車がようやく通れるほどのつり橋を渡る。深い林に埋もれるように、三浦長美(おさみ)さん(67)の築130年という旧家が全壊したまま残されていた。仙台藩の肝いり(村役人)を務めた旧家の24代目。だが、昨年末、ひっそりと古里を離れた。「400年にわたる先祖代々の土地を手放すことが、どんなに悲しいか」。隣町の転居先で語る表情は苦渋に満ちていた。

 周辺の山々に群生するアズマシャクナゲが地名の由来とも言われる花山。5月末現在、人口1406人のうち65歳以上の高齢者は41.6%。全国平均22.5%や県平均21.8%の倍近い数字だ。

 三浦さんの家は地区で最も山奥にあり、生活水も農業用水もわき水に頼っていた。その命の水が地震後、ピタリと止まった。1.4ヘクタールの水田に水も張れない。それでもここで暮らせないか、同居する会社員の長男(41)に相談した。「赤字なのに続ける意味があるのか」。即答された。

 疲弊した農業に、古里を離れた若者を再び引き戻す力はなかった。「花山で農家を続けたいという若い人が戻って来る可能性はある。その日のためにも復興を」。三浦さんの言う「若い人」とは、定年後のUターン者も想定している。

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 「大事に育てた米だけど、刈るのは簡単だった」。仮設住宅に家族6人で暮らす三浦清男(きよお)さん(76)は昨年、2ヘクタールの水田に実った稲を運び出せず、すべて刈って捨てた。自然災害の被害を補償する農業共済制度の共済金を受け取るためだ。本来の収穫量の約7割分が補償された。

 自宅へ通じる道路は今も土砂崩れで不通のまま。一時帰宅の度に長靴で川を渡らなければならず、今年の田植えはあきらめた。約200万円の収入が消えるが、何の補償もない。作付けしないと、「被害」とみなされないからだ。

 転作をしようにも、冬は家の近くでも1メートル以上の雪が積もる土地。豆は小粒のままで、麦は雪解けが遅いため根腐れしてしまう。「割に合わなくても米が一番安定している。田んぼなんだもの、やっぱり米を作りたい」。いつでも再開できるよう、水田に牧草を植えた。

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 田植えが終わったばかりの6月初旬。千葉勝美さん(62)の所有する1ヘクタールの水田に、苗は1本もなかった。収穫期を迎えた昨年秋の光景は、忘れることができない。土地が傾いて水が偏り、枯れた稲と実った稲で水田がツートンカラーになっていた。収穫量は例年の約4割。今年は地震前に地区の高齢者6人から委託されていた5ヘクタール分の復元作業で精いっぱいだった。

 「地球が動いちゃったんだ。『地震、雷、火事、おやじ』。何で地震が1番なのかと思っていたけど、今はよく分かる。起こったらもう避けられない」

 今も、まとまった雨が降ると自宅前の川が決壊する恐れがあり避難指示が出る。自宅と数百メートル先の水田の間にかかる橋は復旧工事中で、農作業は6キロの山道を軽トラックで遠回りする。

 自分の田が来年再開できるかは分からない。水田復元に対する国や市の支援は最大40万円。さらに約200万円の自己負担が必要だが、既に自宅の修復に300万円をかけた。地震がなくても経営は「とんとん」。機械を購入すれば、すぐに赤字だ。「10年前ならともかく、今の米価ではとても割に合わない」

 それでも農業をやめる気はない。「いったん荒れてしまえば、この辺はすぐ山に戻ってしまう。一人一人が動かなくても勝手に発展する都市とは違う」からだ。「国に全部負担してほしいなんて言うつもりはない。でも、都市の水を守っているのは田舎の森や水田。その恩恵はもっと感じてほしい」

 先行きの見えない被災地の農業を、米作りで生きてきた意地と誇りが支えている。【伊藤絵理子】

 ◇中山間地の農業


 中山間地は、林野の割合が50%以上で耕地に傾斜地が多いなど、農業生産条件が不利な地域で、国土面積の65%、耕地面積の43%を占める。平地に比べ早いペースで過疎化や高齢化が進んだ結果、耕作放棄地率は平地の5.6%に対し、13.1%と2倍以上(05年農林業センサス)。水源の保全や洪水防止など多面的機能があり、国の農業にとっても重要だとして、農林水産省は00年に傾斜地の水田などに補助金を出す「中山間地域等直接支払制度」を導入している。


岩手・宮城内陸地震:発生1年 被災地は今 生活再建、厳しい現実

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地震で落下した祭畤大橋(奥)と仮橋=岩手県一関市で9日

 15人が死亡、8人が行方不明となっている岩手・宮城内陸地震は14日で発生から1年を迎えた。避難指示・勧告の大半は解除されたが、自宅の建て替えや修理のめどが立たない176人(5月末現在)が今も仮設住宅で暮らす。生活再建の鍵になる農業や観光の復興も道半ば。ライフライン断絶で孤立した集落との連絡・救助体制など、防災計画の見直しは急務だ。山間部特有の困難を抱える被災地の現状を報告する。【鈴木一也、狩野智彦、比嘉洋、写真は丸山博】

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今も地震被害の大きさを伝える荒砥沢ダム周辺の崩落現場=宮城県栗原市で同日、いずれも本社ヘリから尾籠章裕撮影

 ◇「住めない」一部損壊/震災後の移転5回


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避難訓練で地区集会所に集まった住民たち。小さな子供を見つめて笑顔がこぼれた=宮城県栗原市花山で5月14日

 ■宮城・栗原

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天井が落ちるなどの被害を受けた大山幸義さん(手前)の自宅。仮設住宅に避難している間に野良猫が天井裏にすみついた。妻かずみさん(奥)は「追い出すのはかわいそう」と帰宅の度に餌をあげている=宮城県栗原市花山で1日

 その手は、傾いた自宅の柱をいとおしげになでた。「これで一部損壊なんて。とてもじゃないけど住めない」。宮城県栗原市花山地区の住民が作った復興の会「がんばっぺ」の会長、大山幸義さん(57)は悔しさを絞り出すように話した。

 今も41世帯が入居する同地区の仮設住宅で暮らす。一時帰宅できるのは日中だけ。仮設住民たちで行政への要望を話し合う時は、復興への希望に胸が膨らむ。だが、その足で住み慣れたわが家に戻った途端、厳しい現実に引き戻される。

 あの朝、激しい揺れが築57年の木造平屋を襲った。鴨居(かもい)や天井にひびが入り、土台が沈んで家の半分が傾いた。それでも、柱の傾斜角度と延べ床面積に占める損壊割合が低いとの理由で、行政の認定は「一部損壊」だった。

 被災者生活再建支援法で、「全壊」と「大規模半壊」の住宅には最大300万円の支援金が国から支給される。しかし、「被害はさして変わらないのに一部損壊には一銭も出ない。家の解体や修理に1080万円もかかる」。大山さんが受け取れるのは、義援金からの見舞金5万円だけだ。

 たとえ支援金があっても建て直すのに十分とは言えない。再び花山に戻るか、ためらう人もいる。土砂崩れの記憶は容易に消えず、再発の危険性もある。

 「子ども3人に『こんな危ない所には住みたくない』と言われた。緑、空気、水。震災前のすべてが懐かしい。あの生活に戻りたいけど、戻れない」。大山さんの手は、柱をつかみ、震えていた。

 ■岩手・一関

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土砂でせき止められた磐井川(右)の河道を拡幅するため、築100年の自宅(左奥)からの立ち退きを迫られている沼倉恵子さん=岩手県一関市厳美町市野々原で3日

 窓からのぞく先に、生まれ育った家がある。「こんな景色を見ながら暮らすことになるなんて……

 岩手県一関市厳美町(げんびちょう)市野々原(いちののばら)地区の主婦、沼倉恵子さん(54)はため息をついた。地震後、避難所と2カ所の仮設を経て、8月にようやく自宅へ戻った。しかし、それもつかの間、5月24日、再び仮設住宅へ。地震後、窓の外の景色が変わるのは5回目だ。

 岩手、宮城、秋田の3県にまたがる栗駒山(1627メートル)に源を発する磐井(いわい)川沿いに自宅はある。「その川の中に山ができた」と錯覚したほど大量の土砂(360万立方メートル)が崩れ落ち、土砂ダム(貯水量約113万3000立方メートル)ができた。除去は不可能で、ダムの仮排水路拡張と国道の付け替えのため、沼倉さんら2世帯6人が移転を余儀なくされた。

 沼倉さんは、所有する休耕田に新居を建てることにした。しかし、規制を外すのに手間がかかり、着工のめどはたっていない。国土交通省との移転契約もまだだ。

 「自分たちは一生ものの家を建てなければならないのに、性急過ぎる」。沼倉さんの思いをよそに、今月、雪に閉ざされる前の完成を目指して土砂ダムの工事が始まった。

 古里の原風景、生家と共にある思い出……。地震以来、多くのものを失った。仕方がないと、心の整理をつけようとする。その思いさえも被災地の見物に来る人々に乱される。目が合わぬよう、沼倉さんは国道側の窓のカーテンを閉め切っている。

 「何も望まないから、地震以前の生活に戻りたい」。大山さんと同じ願いが口から漏れた。

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きれいになったわき水を使って名産品の「御番所とうふ」作りを再開した佐々木順子さんと幸通さん夫婦。14日まで花山地区で開かれる復興市で販売。「また多くの人に食べてもらえる日がくると信じて頑張ります」=宮城県栗原市花山で2日

 ◇衛星携帯電話、ヘリポート、食料備蓄


 ■孤立集落対策

 「情報と隔絶され、余震や山鳴りが続く中での一夜は、とにかく不安だった」。震源から南へ約2キロ、岩手県一関市厳美町祭畤(まつるべ)地区(7世帯18人)の温泉施設職員、佐藤律雄さん(63)は、そう振り返る。

 約30キロ離れた市街地とを結ぶ国道の祭畤大橋が崩落、秋田県側に抜ける国道も土砂で寸断された。通話エリア外で携帯電話は使えず、固定電話の通信ケーブルも切れた。岩手・宮城の両県では、計7カ所の集落で500人余が孤立、ヘリコプターなどで救助された。

 国土の約7割を占める中山間地の孤立集落対策は、04年の新潟県中越地震で初めて注目された。内閣府の05年の調査では、孤立する可能性がある集落は全国で1万7451カ所。岩手県は230カ所、宮城県は150カ所あった。しかし、両県とも将来の宮城県沖地震を想定した津波対策に重点を置き、内陸の中山間地対策まで手が回っていなかった。

 この教訓から、宮城県は今年3月に策定した「第2次みやぎ震災対策アクションプラン」に、衛星携帯電話の配備や臨時ヘリポートの整備を進める方針を初めて盛り込んだ。

 栗原市は既に衛星携帯10台を購入。今後、総合支所や孤立する恐れがある集落に配備する。5月までに3回実施した避難訓練では、住民が実際に衛星携帯を使って市との連絡方法を確認した。

 一方の岩手県は、想定する孤立集落が331カ所に増えたことを基に、今年9月に地域防災計画を見直すことにした。しかし、現時点では5月に▽住民による安否確認用の連絡網整備▽避難先の設定▽3日分の食料備蓄--などの「自助努力」を各市町村へ通達したにとどまる。財政難の中で、課題は積み残されたままだ。

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 ◇復興へ道半ば

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 ■土木

 宮城県では約1200カ所でのり面崩壊や地滑りが起き、道路の被害額は約63億円。栗原市では2次災害の危険や積雪のため、被災地の主要道路の全面復旧は10年秋になる見込み。現在は許可証を持つ住民のみ通行できる。

 岩手県では、317カ所、77億5143万円の土木関連被害が出た。5月末の復旧率は約59%。特に、山崩れは48カ所中、1カ所しか復旧していない。

 川にできた土砂ダムは両県で15カ所。復旧は9カ所にとどまる。

 ■観光

 宮城県は、観光関連施設の再建費用を約53億円と試算。温泉旅館9軒が倒壊、水没するなどした栗原市では、08年の宿泊観光客数が7万8000人と前年の半分に落ち込んだ。山間部では店舗の移転に踏み切る業者も。市は観光施設の再建目標を13年度に設定。被災地域の地形を一部保存して観光資源とする「ジオパーク構想」を検討している。

 岩手県では、37カ所の観光施設が被災し8億5826万円の被害が出た。

 ■農業

 水田の隆起や土砂流入、ビニールハウスの倒壊など、農業関連施設の被害額は宮城県が約288億円。岩手県が約24億円にのぼる。

 宮城では、特産品のイチゴや米などの農作物は08年だけで2億円超の被害が出た。栗原市の花山、栗駒地区では多くの農家が農業を再開できないでいる。

 米農家には農業共済制度での補償がある。しかし、減収量に応じて共済金が支払われる仕組みで、田植えができず収穫がないため受け取れないケースも生じている。

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 ■地震発生からの主な出来事

 <08年>
6月14日 午前8時43分ごろ、岩手県内陸南部を震源にマグニチュード(M)7.2の地震発生。岩手県奥州市、宮城県栗原市で震度6強を観測
  16日 岩手県一関市で被災者の公営住宅への入居が始まる
  18日 福田康夫首相(当時)が現場視察
  22日 陸上自衛隊が行方不明者の捜索打ち切り
7月 4日 国が奥州、一関、栗原3市の一部を「局地激甚災害」に指定
  11日 栗原市で仮設住宅の入居始まる
8月 1日 奥州市で仮設住宅の入居始まる
9月21日 地震発生から100日目。栗原市主催の慰霊祭開かれる

 <09年>
4月20日 奥州市の避難勧告がすべて解除
5月10日 栗駒山が山開き。約1000人登山
  11日 岩手と秋田を結ぶ国道397号が全面開通
  20日 栗原市の避難勧告の約8割(99世帯、245人)が解除
  21日 栗原市栗駒の「駒の湯温泉」で行方不明者2人の捜索再開
6月 8日 栗原市の白糸の滝のつり橋付近で行方不明になった森正弘さん、洋子さん夫婦の捜索再開
   9日 森さん夫婦の遺体発見
  12日 一関市の3世帯14人を最後に岩手県内の避難勧告がすべて解除

毎日新聞 2009614日 東京朝刊


岩手・宮城内陸地震:
土木施設は59%復旧 県内の被害総額209億円 /岩手

 2人が死亡、37人が負傷した岩手・宮城内陸地震発生から、14日で1年を迎える。約209億6000万円にのぼる被害の復旧は、現在も続いている。

 県などの調べでは、道路や橋など土木施設317カ所(被害額77億5143万円)の被害は5月末現在、59%が復旧した。801カ所で被害があった農地・農業施設は、603カ所に公費が投入された。県総合防災室の大谷陽一郎室長は「復旧工事は順調で、ほとんどは今年度中に終わるだろう」と見る。

 ただ、全壊2棟、半壊4棟を含む784棟に及ぶ住宅被害の復旧状況を県は把握していない。一関、奥州両市に出ていた避難勧告は12日にすべて解除されたが、自宅の復旧めどが立たないなど、50人近くが仮設住宅などでの暮らしを強いられている。【岸本桂司】

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 ◇主な県内の被害◇

 (09年3月末現在)

 <人的被害>
死者   2人
重傷者  9人
軽傷者 28人

 <住宅被害>
全壊    2棟
半壊    4棟
一部損 778棟

 <施設等>
農業関係 24億 821万円
林業関係 82億 974万円
土木施設 77億5143万円
学校施設  1億7534万円
観光施設  8億5826万円
水道施設  1億7924万円
商工関係  2億3116万円
電力関係  2億6810万円

毎日新聞 2009614日 地方版


まだら模様の復興:岩手・宮城内陸地震1年/1 歩み始めた人々 /宮城
 ◇生きてりゃ苦難も

 腰下まで来るリンドウの木の緑に、丁寧に消毒薬をまいていく。作業の手を止めた岩手県奥州市衣川区畦畑の小形孝子さん(65)がふと見やった先に稲の苗が揺れている。「あそこはリンドウ畑だったんだよ」

 同市の出荷量は県内3位。米の大規模生産に向かない中山間地では、リンドウに転作する人が少なくない。小形さんも、体の調子が悪い夫の世話と祖母の介護をしながら、1人で栽培を続けてきた。

 あの日、70アールの畑の半分が裂け畦(あぜ)が崩れていた。被害のない木々を育てたが、土地の保水性が落ち、葉や花は張りを失った。泣く泣く7月の出荷をやめた。年最大800箱(1箱100~200本)出荷が450箱に減った。「出荷できない花を見るのは、火事の焼け跡を見るようでつらかった」

 割れた畑のうち20アールは2カ月後に直した。だが、そこには稲が植わる。リンドウに適した土質に戻るのに3年かかる。とりあえず自分たちが食べる物を確保し、回復を待つ。友人らの助けで自らの出費は免れたが、米作と違って修復に支援も、被害の補償もない。やるせない気持ちは、農業体験学習で受け入れた関東や関西の中高生がくれた「頑張ってください」との手紙が癒やしてくれた。

 また、出荷の時期が近づいた。小形さんはせっせと手入れをする。「いつまで落ち込んでいても仕方がない」と前を向く。もうすぐ、緑の中に紫のつぼみが顔をのぞかせる。

   ■  ■

 下から突き上げるような振動で、イワナが養殖池の外にドーンと打ち上げられた。

 稚魚25万匹のほとんどが死んだ。養殖池の石垣は崩れ、土砂が流入。12面のうち半分が今も使いものにならない。それでも、栗原市栗駒・耕英地区の熊谷昭さん(64)は「ゼロからのスタート。生きてりゃ苦しいこともあるってよ」と懸命に前を向く。

 イワナ養殖を始めて45年。我が子のように可愛がってきたイワナは、地震で2000~3000匹に減った。客が釣ったイワナを調理するレストランも傾いたが、「建てた時の借金が残っているのに、さらに借金して建て直した」。自宅も全壊して建て直したが、生計を支えるレストランの再建は、復興には欠かせなかった。

 地震から10カ月を経た今年4月、旅館やホテルへの出荷はあきらめ、「今後は釣り堀とレストランで何とかやっていく」と決意した。だが、耕英と栗駒山のふもとをつなぐ県道は土砂で寸断されており、復旧は来年秋の見込みだ。

 熊谷さんは、養殖池の傍らで、自らに言い聞かすように語る。「観光客が来ないと、本当の復興にはならない。そのためには元気な姿を見せないとさ」【湯浅聖一、鈴木一也】=つづく

  ×  ×  ×

 山間部に甚大な被害をもたらした岩手・宮城内陸地震の発生から、14日で丸1年を迎える。人々はそれぞれの歩みの速度で、農業や観光など生活を支える手段の再生に取り組む。その速度には、被災状況、支援の有無などさまざまな要因で差が生まれる。岩手、宮城両県のまだら模様の復興を、5回に分けて報告する。

毎日新聞 2009614日 地方版


岩手・宮城内陸地震:きょう1年 不明2人の捜索が続く「駒の湯温泉」 /宮城
 ◇家族ら現場訪問「今も泥の中にいることを忘れてほしくない」

 死者15人、行方不明者8人を出した岩手・宮城内陸地震は14日、発生から丸1年を迎える。栗原市栗駒地区では、土石流で倒壊した旅館「駒の湯温泉」で行方不明となっている従業員2人の捜索が先月21日に再開された。「今も泥の中にいることを忘れてほしくない」。家族はそんな思いを抱き、13日も現場を訪れて「また会いに来たよ」と告げた。【比嘉洋】

 あの日、激しい揺れが収まった数分後、旅館は土石流に押し流された。土砂は従業員や宿泊客ら9人をのみ込み、生還したのは2人だった。地下水や雪解け水がはけず、深い泥水に沈んだ旅館。困難を極めた捜索は約1カ月後に打ち切られ、従業員の佐藤幸雄さん(不明当時62歳)と高橋恵子さん(同55歳)は見つからなかった。

 佐藤さんの姉、大内正子さんは「今は何も話す気になれない」と気を落としたままだ。駒の湯があった山あいのふもとに住む高橋さんの妹、千葉百合子さん(53)は「突然すぎてどう受け止めていいのか分からない。けこちゃん(高橋さん)も自分が死んだと思っていないかもしれない。それが悔しい」と唇をかむ。

 高橋さんの家族は捜索打ち切り後も毎月のように現場を訪ね、高橋さんが好きだったコーヒーや花を添えた。弁当を持ち寄って楽しそうに振る舞うこともあった。高橋さんの弟、秋山謙さん(50)に「ピクニックじゃない」とたしなめられたが、「楽しくしていたら『私も交ぜて』って見つかってくれるかもしれない」と千葉さんは話す。

 高橋さんは6人きょうだいの3番目。20代のときに駒の湯でアルバイトした経験があり、保険外交員を辞め、07年4月から再び駒の湯で働いていた。栗原市花山地区では今月9日、仙台市の夫妻の遺体が約1年ぶりに見つかっている。「もしかしたらうちも見つかるんじゃないかな。希望は捨てられない」。千葉さんは気丈に語った。

 この日、現場を訪れた千葉さんは花束を添えた後、毎日新聞に心境をつづったメモを手渡した。「私の復興とは今でも仕事中だと思っている姉を土砂から見つけ出し、おつかれ様!! もう終ったヨと言ってあげることです。そこから始まります」と書かれていた。

 高橋さん、佐藤さんの他▽池端桂一さん(43)▽鹿野隆さん(54)▽菅原孝治さん(50)▽佐々木樹一さん(55)▽高橋伸好さん(56)▽高橋美也子さん(50)--の6人が今も行方不明になっている(年齢は不明当時)。

毎日新聞 2009614日 地方版


岩手・宮城内陸地震:犠牲者の思い出去来 栗原で追悼祭やイベント /宮城

 岩手・宮城内陸地震が丸1年を迎えるのを前に、栗原市内では13日、犠牲者の追悼祭や復興を祈るイベントが各地で行われた。参加者の胸には、地震の犠牲者の思い出や、地震後の厳しい生活などが去来した。仙台市内の寺では、栗原市花山地区の観光名所「白糸の滝」のつり橋付近で9日に遺体で発見された夫妻の葬儀がしめやかに営まれた。

 栗駒地区の「くりはら田園鉄道」(くりでん)旧栗駒駅では追悼供養祭が行われ、阪神大震災の被災地・神戸市から届けられた犠牲者追悼と復興のシンボル「1・17希望の灯(あか)り」が線路沿いに並べられた。火を届けたNPO理事の白木利周(としひろ)さん(67)は震災で長男健介さん(当時21歳)を失い、自宅が全壊した過去を振り返りながら「神戸では火は生き残った人たちの生きる力になった。火を届けることで栗原の方々と思いを一つにしたい」と語った。

 駅構内で行われた追悼祭には約100人以上が参加。佐藤勇市長が追悼の言葉を述べ、住職による読経が行われた後、追悼祭を主催したNPO法人「夢くりはら21」のスタッフが線路沿いに並べられた手作りランタン内のろうそくに明かりをともした。参加者は小さく揺らめく火を静かに見守った。

 同NPO代表、千葉幸一さん(64)は「手作りランタンの形は不ぞろいだが、私たちの心は一つ。一日も早い復興と犠牲者の冥福を祈りたい」。

 土石流で倒壊した栗駒耕英地区の旅館「駒の湯温泉」で亡くなった宿泊客の地域づくりプランナー、麦屋弥生さん(当時48歳)と鉄道博物館学芸員、岸由一郎さん(当時35歳)は、くりでんの資産活用について話し合うために東京から栗原に訪れていた。くりでんの元駅員、須藤茂さん(74)は「駅での追悼祭が、くりでんに尽力してくれた2人のための良い供養になってくれれば」と話した。

 5人が死亡、2人が行方不明になっている「駒の湯温泉」がある耕英地区では午後4時から温泉施設「山脈(やまなみ)ハウス」で「追悼・感謝・絆・第二の耕英開拓記念日」と題した追悼式を開催。住民ら約120人が参加し、犠牲者の冥福と行方不明者の早期発見を祈った。参加者は神戸市から届けられた「1・17希望の灯り」の前で焼香した。

 午後7時からは「駒の湯温泉」に向かう約500メートルの下り坂をろうそく300個でともし、静かに行進。現在も捜索活動が続く温泉跡地に建てられた慰霊碑で一人一人が手を合わせていた。

 花山地区の道の駅「自然薯(じねんじょ)の館」では、花山の特産を集めた「感謝市」を開催。イワナや御番所豆腐などを買い求める観光客で、久々のにぎわいをみせた。

 仮設住宅に住む女性で作る「がんばるべぇ工房」は、折り紙の立体飾りやタオルで作ったクマの人形「ガンバルべぁ~」などを販売。用意した品がほぼ完売した。佐々木美恵子会長(52)は「この1年、多くの人に支援してもらった。感謝の気持ちと、自分たちが頑張っている姿を発信したい」と話していた。
 ◇親族や友人、冥福を祈る--森さん夫妻告別式

 一方、花山地区の「白糸の滝」のつり橋付近で9日に遺体で見つかった仙台市の森正弘さん(不明当時61歳)と洋子さん(同58歳)夫妻の葬儀が13日、仙台市内の輪王寺で営まれた。親族や友人ら約120人が参列し、夫妻の冥福を祈った。

 告別式では、正弘さんの姉、伊藤千秋さん(66)が「少し早い旅立ちだったけど、2人であの世に行けたから幸せだったかなとも思う。今まで温かい支援をいただき、本当にありがとうございました」とあいさつすると、参列者からはすすり泣く声が漏れた。【比嘉洋、鈴木一也、丸山博、伊藤絵理子、垂水友里香】

毎日新聞 2009614日 地方版


ニッポン密着:
岩手・宮城内陸地震1年 中山間地、復興遠く それでも米作りたい

 15人が死亡、8人が行方不明となった岩手・宮城内陸地震は14日、発生から丸1年を迎える。大きな被害を受けた山間部の主要道路などでは復旧工事が進むが、今も岩手、宮城両県の仮設住宅では66世帯176人(5月末現在)が暮らす。農業や観光などの生業支援のあり方も課題となっている。

 地震では、全壊30棟を含む2697棟の住宅が被害を受けた。岩手県内の避難勧告は12日にすべて解除されたが、最も被害の大きかった宮城県栗原市では、なお21世帯の55人に避難指示・勧告が出されている。

 仙台市内の寺では13日、栗原市花山地区の「白糸の滝」のつり橋付近で9日に遺体で見つかった森正弘さん(不明当時61歳)と洋子さん(同58歳)夫妻の葬儀が営まれ、遺族や知人らが悲しみを新たにした。同市栗駒地区の旅館「駒の湯温泉」では行方不明の従業員2人の捜索が続いている。【鈴木一也】

 岩手・宮城内陸地震で被害が集中したのは、過疎化や高齢化が進む中山間地だった。面積の9割が森林の宮城県栗原市花山(はなやま)地区もその一つ。わずかな平地にしがみつくように農業を続けてきた住民に、地震は追い打ちをかけた。今も窮状にあえぐ姿は、耕地面積の4割を中山間地が占める日本の農家を取り巻く、厳しく、危うい現状をも浮き彫りにしている。

 谷間を走る国道を外れ、軽自動車がようやく通れるほどのつり橋を渡る。深い林に埋もれるように、三浦長美(おさみ)さん(67)の築130年という旧家が全壊したまま残されていた。仙台藩の肝いり(村役人)を務めた旧家の24代目。だが、昨年末、ひっそりと古里を離れた。「400年にわたる先祖代々の土地を手放すことが、どんなに悲しいか」。隣町の転居先で語る表情は苦渋に満ちていた。

 周辺の山々に群生するアズマシャクナゲが地名の由来とも言われる花山。5月末現在、人口1406人のうち65歳以上の高齢者は41・6%。全国平均22・5%や県平均21・8%の倍近い数字だ。

 三浦さんの家は地区で最も山奥にあり、生活水も農業用水もわき水に頼っていた。その命の水が地震後、ピタリと止まった。1・4ヘクタールの水田に水も張れない。それでもここで暮らせないか、同居する会社員の長男(41)に相談した。「赤字なのに続ける意味があるのか」。即答された。

 疲弊した農業に、古里を離れた若者を再び引き戻す力はなかった。「花山で農家を続けたいという若い人が戻って来る可能性はある。その日のためにも復興を」。三浦さんの言う「若い人」とは、定年後のUターン者も想定している。

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 「大事に育てた米だけど、刈るのは簡単だった」。仮設住宅に家族6人で暮らす三浦清男(きよお)さん(76)は昨年、2ヘクタールの水田に実った稲を運び出せず、すべて刈って捨てた。自然災害の被害を補償する農業共済制度の共済金を受け取るためだ。本来の収穫量の約7割分が補償された。

 自宅へ通じる道路は今も土砂崩れで不通のまま。一時帰宅の度に長靴で川を渡らなければならず、今年の田植えはあきらめた。約200万円の収入が消えるが、何の補償もない。作付けしないと、「被害」とみなされないからだ。

 転作をしようにも、冬は家の近くでも1メートル以上の雪が積もる土地。豆は小粒のままで、麦は雪解けが遅いため根腐れしてしまう。「割に合わなくても米が一番安定している。田んぼなんだもの、やっぱり米を作りたい」。いつでも再開できるよう、水田に牧草を植えた。

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 田植えが終わったばかりの6月初旬。千葉勝美さん(62)の所有する1ヘクタールの水田に、苗は1本もなかった。収穫期を迎えた昨年秋の光景は、忘れることができない。土地が傾いて水が偏り、枯れた稲と実った稲で水田がツートンカラーになっていた。収穫量は例年の約4割。今年は地震前に地区の高齢者6人から委託されていた5ヘクタール分の復元作業で精いっぱいだった。

 「地球が動いちゃったんだ。『地震、雷、火事、おやじ』。何で地震が1番なのかと思っていたけど、今はよく分かる。起こったらもう避けられない」

 今も、まとまった雨が降ると自宅前の川が決壊する恐れがあり避難指示が出る。自宅と数百メートル先の水田の間にかかる橋は復旧工事中で、農作業は6キロの山道を軽トラックで遠回りする。

 自分の田が来年再開できるかは分からない。水田復元に対する国や市の支援は最大40万円。さらに約200万円の自己負担が必要だが、既に自宅の修復に300万円をかけた。地震がなくても経営は「とんとん」。機械を購入すれば、すぐに赤字だ。「10年前ならともかく、今の米価ではとても割に合わない」

 それでも農業をやめる気はない。「いったん荒れてしまえば、この辺はすぐ山に戻ってしまう。一人一人が動かなくても勝手に発展する都市とは違う」からだ。「国に全部負担してほしいなんて言うつもりはない。でも、都市の水を守っているのは田舎の森や水田。その恩恵はもっと感じてほしい」

 先行きの見えない被災地の農業を、米作りで生きてきた意地と誇りが支えている。【伊藤絵理子】

 ◇「希望の灯り」分灯--追悼祭


 栗原市で13日、市民団体主催の追悼祭があった。会場には阪神大震災の犠牲者の追悼と復興を祈るシンボルとして神戸市内で燃え続けている「1・17希望の灯(あか)り」が分灯された。

 07年3月に廃線となった「くりはら田園鉄道」旧栗駒駅では、線路沿い2キロにわたり、ペットボトルでできた約600個の手作りランタンが並んだ。午後7時に点灯されると、温かな明かりが家族や知人の死、厳しい生活再建と向き合ってきた住民たちを包んだ。

 仮設住宅で家族4人で暮らす斎藤キヨコさん(80)は「神戸の人に感謝している。明かりを見ているとさみしさが紛れる」と話した。

 また、市内各地で特産品を集めた「感謝市」や震災1周年フォーラム、追悼式が行われた。【垂水友里香、比嘉洋】

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 ■ことば
 ◇中山間地の農業

 中山間地は、林野の割合が50%以上で耕地に傾斜地が多いなど、農業生産条件が不利な地域で、国土面積の65%、耕地面積の43%を占める。平地に比べ早いペースで過疎化や高齢化が進んだ結果、耕作放棄地率は平地の5・6%に対し、13・1%と2倍以上(05年農林業センサス)。水源の保全や洪水防止など多面的機能があり、国の農業にとっても重要だとして、農林水産省は00年に傾斜地の水田などに補助金を出す「中山間地域等直接支払制度」を導入している。

毎日新聞 2009614日 東京朝刊


岩手・宮城地震:なお不明者、仮設暮らしも 発生から1年

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避難解除後も数十人が暮らす仮設住宅=宮城県栗原市花山で2009年6月9日午後、本社ヘリから尾籠章裕撮影

 15人が死亡、8人が行方不明となった岩手・宮城内陸地震は14日、発生から丸1年を迎える。大きな被害を受けた山間部の主要道路などでは復旧工事が進むが、今も岩手、宮城両県の仮設住宅では66世帯176人(5月末現在)が暮らす。農業や観光などの生業支援のあり方も課題となっている。

 地震では、全壊30棟を含む2697棟の住宅が被害を受けた。岩手県内の避難勧告は12日にすべて解除されたが、最も被害の大きかった宮城県栗原市では、なお21世帯の55人に避難指示・勧告が出されている。

 仙台市内の寺では13日、栗原市花山地区の「白糸の滝」のつり橋付近で9日に遺体で見つかった森正弘さん(不明当時61歳)と洋子さん(同58歳)夫妻の葬儀が営まれ、遺族や知人らが悲しみを新たにした。同市栗駒地区の旅館「駒の湯温泉」では行方不明の従業員2人の捜索が続いている。【鈴木一也】

毎日新聞 2009613日 2146分(最終更新 613日 2207分)


岩手・宮城地震:追悼祭で「希望の灯り」分灯 宮城・栗原

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「希望の灯り」から分灯されたろうそくの炎に手を合わせる子どもたち=宮城県栗原市で2009年6月13日午後7時27分、梅村直承撮影

 岩手・宮城内陸地震で被害が最も多かった宮城県栗原市で13日、市民団体主催の追悼祭があった。会場には阪神大震災の犠牲者の追悼と復興を祈るシンボルとして神戸市内で燃え続けている「1.17希望の灯(あか)り」が分灯された。

 07年3月に廃線となった「くりはら田園鉄道」旧栗駒駅では、線路沿い2キロにわたり、ペットボトルでできた約600個の手作りランタンが並んだ。午後7時に点灯されると、温かな明かりが家族や知人の死、厳しい生活再建と向き合ってきた住民たちを包んだ。

 仮設住宅で家族4人で暮らす斎藤キヨコさん(80)は「神戸の人に感謝している。明かりを見ているとさみしさが紛れる」と話した。

 また、市内各地で特産品を集めた「感謝市」や震災1周年フォーラム、追悼式などが行われた。【垂水友里香、比嘉洋】

毎日新聞 2009613日 2115分(最終更新 613日 2151分)


岩手・宮城内陸地震:あす1年 今も泥の中にいること忘れてほしくない--駒の湯温泉
 ◇家族ら捜索現場に「希望は捨てない」--従業員2人不明「駒の湯温泉」

 死者15人、行方不明者8人を出した岩手・宮城内陸地震は14日、発生から丸1年を迎える。宮城県栗原市栗駒地区では、土石流で倒壊した旅館「駒の湯温泉」で行方不明となっている従業員2人の捜索が先月21日に再開された。「今も泥の中にいることを忘れてほしくない」。家族はそんな思いを抱き、13日も現場を訪れて「また会いに来たよ」と告げた。【比嘉洋】

 あの日、激しい揺れが収まった数分後、旅館は土石流に押し流された。土砂は従業員や宿泊客ら9人をのみ込み、生還したのは2人だった。地下水や雪解け水がはけず、深い泥水に沈んだ旅館。困難を極めた捜索は約1カ月後に打ち切られ、従業員の佐藤幸雄さん(不明当時62歳)と高橋恵子さん(同55歳)は見つからなかった。

 佐藤さんの姉、大内正子さんは「今は何も話す気になれない」と気を落としたままだ。駒の湯があった山あいのふもとに住む高橋さんの妹、千葉百合子さん(53)は「突然すぎてどう受け止めていいのか分からない。けこちゃん(高橋さん)も自分が死んだと思っていないかもしれない。それが悔しい」と唇をかむ。

 高橋さんの家族は捜索打ち切り後も毎月のように現場を訪ね、高橋さんが好きだったコーヒーや花を供えた。弁当を持ち寄って楽しそうに振る舞うこともあった。高橋さんの弟、秋山謙さん(50)に「ピクニックじゃない」とたしなめられたが、「楽しくしていたら『私も交ぜて』って見つかってくれるかもしれない」と千葉さんは話す。

 高橋さんは6人兄弟の3番目。20代のときに駒の湯でアルバイトした経験があり、保険外交員を辞め、07年4月から再び駒の湯で働いていた。栗原市花山地区では今月9日、仙台市の夫妻の遺体が約1年ぶりに見つかっている。「もしかしたらうちも見つかるんじゃないかな。希望は捨てられない」。千葉さんは気丈に語った。

 この日、現場を訪れた千葉さんは花束を供えた後、毎日新聞に心境をつづったメモを手渡した。「私の復興とは今でも仕事中だと思っている姉を土砂から見つけ出し、お疲れさま! もう終わったよと言ってあげることです。そこから始まります」と書かれていた。

 高橋さん、佐藤さんの他、池端桂一さん(43)▽鹿野隆さん(54)▽菅原孝治さん(50)▽佐々木樹一さん(55)▽高橋伸好さん(56)▽高橋美也子さん(50)--の6人が今も行方不明になっている(年齢は不明当時)。

毎日新聞 2009613日 東京夕刊


岩手・宮城内陸地震:14日で1年 家族「希望捨てない」

 死者15人、行方不明者8人を出した岩手・宮城内陸地震は14日、発生から丸1年を迎える。宮城県栗原市栗駒地区では、土石流で倒壊した旅館「駒の湯温泉」で行方不明となっている従業員2人の捜索が先月21日に再開された。「今も泥の中にいることを忘れてほしくない」。家族はそんな思いを抱き、13日も現場を訪れて「また会いに来たよ」と告げた。【比嘉洋】

 あの日、激しい揺れが収まった数分後、旅館は土石流に押し流された。土砂は従業員や宿泊客ら9人をのみ込み、生還したのは2人だった。地下水や雪解け水がはけず、深い泥水に沈んだ旅館。困難を極めた捜索は約1カ月後に打ち切られ、従業員の佐藤幸雄さん(不明当時62歳)と高橋恵子さん(同55歳)は見つからなかった。

 佐藤さんの姉、大内正子さんは「今は何も話す気になれない」と気を落としたままだ。駒の湯があった山あいのふもとに住む高橋さんの妹、千葉百合子さん(53)は「突然すぎてどう受け止めていいのか分からない。けこちゃん(高橋さん)も自分が死んだと思っていないかもしれない。それが悔しい」と唇をかむ。

 高橋さんの家族は捜索打ち切り後も毎月のように現場を訪ね、高橋さんが好きだったコーヒーや花を供えた。弁当を持ち寄って楽しそうに振る舞うこともあった。高橋さんの弟、秋山謙さん(50)に「ピクニックじゃない」とたしなめられたが、「楽しくしていたら『私も交ぜて』って見つかってくれるかもしれない」と千葉さんは話す。

 高橋さんは6人兄弟の3番目。20代のときに駒の湯でアルバイトした経験があり、保険外交員を辞め、07年4月から再び駒の湯で働いていた。栗原市花山地区では今月9日、仙台市の夫妻の遺体が約1年ぶりに見つかっている。「もしかしたらうちも見つかるんじゃないかな。希望は捨てられない」。千葉さんは気丈に語った。

 この日、現場を訪れた千葉さんは花束を供えた後、毎日新聞に心境をつづったメモを手渡した。「私の復興とは今でも仕事中だと思っている姉を土砂から見つけ出し、お疲れさま! もう終わったよと言ってあげることです。そこから始まります」と書かれていた。

 高橋さん、佐藤さんの他、池端桂一さん(43)▽鹿野隆さん(54)▽菅原孝治さん(50)▽佐々木樹一さん(55)▽高橋伸好さん(56)▽高橋美也子さん(50)--の6人が今も行方不明になっている(年齢は不明当時)。

毎日新聞 2009613日 1252


岩手・宮城内陸地震:
教訓元に図上訓練 県がマニュアル実践と検証 /岩手

 県は大震災に備えた災害対策本部の非常招集と図上訓練を12日、盛岡市の県庁を中心に行った。岩手・宮城内陸地震の教訓を元に5月に改訂した災害対策本部の活動マニュアルの実践と検証が目的で、各部局の防災担当職員など約4800人が参加した。

 図上訓練は、宮城県沖を震源とする震度6弱の地震が発生、沿岸地域に大津波警報が発令された想定で行った。昨年6月の地震で課題となった本部内の統括や情報の分析・評価、関係機関との調整機能に重点を置いた。

 非常招集連絡で集合した職員が6班に分かれ、緯度と経度が記された地図や大型スクリーンなどを駆使。現地の情報が入ってから対策を講じて広報するまでを実践した。

 訓練を終えた越野修三・防災危機管理監は「各自の役割を認識して動いていた。情報共有など改善余地はたくさんある。さらにマニュアルを改訂し、訓練を重ねたい」と述べた。【狩野智彦】

毎日新聞 2009613日 地方版


岩手・宮城内陸地震:避難勧告、岩手で12日に解除

 岩手・宮城内陸地震から間もなく1年を迎える11日、岩手県一関市は、厳美町市野々原(いちののばら)、木立(はのきだち)両地区の3世帯14人に出していた避難勧告を12日正午に解除すると発表した。同地震に伴う岩手県内の避難勧告はすべて解除される。だが、土砂崩れの恐れから自主避難者した同県奥州市の9世帯27人と、一関市でも復旧工事に伴う立ち退きで2世帯6人が、今も仮設住宅暮らしを強いられている。(は「木」へんに「爪」)

 一関市の3世帯は自宅裏の土砂が崩れ、地震が発生した昨年6月14、16日から避難していた。この日は午後6時半ごろ、市職員が同市厳美町本寺地区の仮設住宅などを訪れ、「あす解除になります」と被災者に告げた。

 しかし、長期間の仮設生活が続く会社員、佐藤清男さん(52)は「解除されたからといって避難生活は終わらない」と複雑な表情をみせた。一部損壊の自宅の修理が済んでおらず、しばらくは仮設住宅での生活が続く。「8月中旬には(自宅へ)帰りたいが、生活の復興は戻ってからになる」と話した。【天野典文、狩野智彦】

毎日新聞 2009611日 2041分(最終更新 611日 2105分)


岩手・宮城地震:夫は妻をかばうように捜索再開で発見

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遺体が安置されている宮城県警築館署に駆けつけた森正弘さんの姉の伊藤千秋さん(右)と武さん夫妻=宮城県栗原市で2009年6月9日午後5時56分、垂水友里香撮影

 岩手・宮城内陸地震で行方不明になっていた仙台市泉区の森正弘さん(当時61歳)と妻の洋子さん(同58歳)の遺体が9日、見つかった。地震発生から間もなく1年。捜索再開の翌日だった。遺族は「やっと私たちの元に帰ってきてくれる」と涙した。洋子さんをかばうような形で見つかった正弘さん。遺体が安置された警察署で記者会見に臨んだ姉の伊藤千秋さん(66)は「優しい正弘らしい」と思いやった。【比嘉洋、須藤唯哉、垂水友里香】

 森さん夫妻は地震が起きた昨年6月14日、つり橋を並んで歩いている姿を目撃されていた。渡りきったところで激しい揺れに襲われ、土砂崩れに巻き込まれたとみられる。

 仙台市内に住む伊藤さんは安否確認のため2人に何度も電話したが、応答はなかった。翌日、宮城県警から「つり橋近くで森さんの車が見つかった」と知らされた。「まさか」。訪れた自衛隊の災害対策本部で車の写真を見せられても、信じられなかった。

 現場は高さ数十メートルのがけに挟まれたV字谷。谷底は激しい揺れで崩落した土砂や木々で埋め尽くされ、捜索は「掘っても掘ってもきりがない。頭上からは人よりも大きい岩が今にも落ちてきそうな状態だった」(県警警備課幹部)。夫妻は見つからないまま、捜索は余震による2次災害の危険性から約1カ月で打ち切られた。

 「せめて土の中から出してあげたい」と願っていた伊藤さんは今月8日、11カ月ぶりに捜索が再開されたことを泣いて喜んだ。

 転勤生活が続いた森さん夫妻は退職を機に4年前に故郷の仙台に戻った。伊藤さんも昨年4月に東京から仙台に引っ越し「みんなで老後を楽しくやろう」と話していた。子供がいなかった森さん夫妻は仲が良く、ワインが進むと肩を組み、デュエット曲「麦畑」を披露した。伊藤さんは言う。「2人はきっと幸せだった」

 ◇残る不明者8人


 消防庁によると、残る不明者8人は▽栗原市栗駒・耕英地区の旅館「駒の湯温泉」に2人▽白糸の滝のつり橋上流に2人▽同市栗駒の「行者滝」付近に1人▽同所の荒砥沢ダム付近に1人▽栗駒山方面に山菜採りに出かけた2人。このうち捜索が再開されたのは今回の白糸の滝付近と駒の湯温泉の2カ所だけで、残りは詳しい被災場所が特定されていないため、捜索は中断されたままだ。

毎日新聞 200969日 2138分(最終更新 610日 034分)


岩手・宮城地震:不明夫婦の遺体発見 行方不明者は8人に

200969 1941分 更新:69 225

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捜索が行われ遺体が発見された白糸の滝のつり橋付近。写真下手が上流=宮城県栗原市で2009年6月9日午後1時31分、本社ヘリから尾籠章裕撮影

 岩手・宮城内陸地震(08年6月)の行方不明者を捜索中の宮城県栗原市災害対策本部は9日、同市花山地区の観光名所・白糸の滝のつり橋付近で、男女2遺体を発見した。県警築館(つきだて)署は歯型や所持品などから、付近で行方不明になっていた仙台市泉区の森正弘さん(不明当時61歳)と妻の洋子さん(同58歳)と確認した。同地震の死者は15人、行方不明者は8人となった。

 市災害対策本部や県警によると、9日午前11時10分ごろ、つり橋から約6メートル下流の林道に積み上がった土砂を重機で掘削中、森さんの遺体を発見。約2時間半後、その下から洋子さんの遺体も見つけた。

 付近の捜索は2次災害の危険性などから08年7月16日に中断。国土交通省が雪解け後に重機を搬入する進入路を造成し、今月8日から約11カ月ぶりに捜索を再開していた。【鈴木一也、比嘉洋】

岩手・宮城地震:性別不明の2遺体発見 「白糸の滝」付近

200969 1358分 更新:69 1444

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行方不明になっている森正弘さんと洋子さん夫妻が埋まっていると見られるつり橋周辺では、8日から捜索が再開されていた=宮城県栗原市で2009年6月8日午前11時半、丸山博撮影

 08年6月の岩手・宮城内陸地震で、宮城県栗原市災害対策本部は9日、同市花山地区の観光名所・白糸の滝のつり橋付近で、遺体らしき2体を発見したと発表した。1体は午前11時10分ごろ土砂の中から見つかり、もう1体は午後1時55分ごろに発見された。いずれも性別は不明。県警築館署が身元の確認を急いでいる。

 つり橋付近で行方不明になっているのは、仙台市泉区の森正弘さん(不明当時61歳)と妻の洋子さん(同58歳)。

 同本部は8日、約11カ月ぶりに捜索を再開していた。


岩手・宮城内陸地震:一関市災害警戒本部、復旧状況を発表 /岩手

 ◇農林業関係、108カ所は完了


 岩手・宮城内陸地震から1年を迎えるにあたり、一関市災害警戒本部は8日、市が所管する災害復旧状況を発表した。

 全国から寄せられた義援金は4億7734万7642円(4日現在)は、避難者生活支援や住宅被害など20項目に分けて約2億3382万円の分配を済ませた。残金約2億4300万円は、他の被災地域とのバランスを考えながら、被災者らに再分配するとともに、将来災害対応のため基金を新設し積み立てる。

 主な復旧状況では、農地など農林業関係の被害は147カ所のうち3月末現在で108カ所で工事が完了し、残るのは39件となった。河川や道路など土木施設関係は73%が完了。矢櫃(やびつ)ダム下流の昇仙橋は、今後架橋工事を発注する。

 浅井東兵衛市長は「多くの人に心配していただき、義援金もいただいた。復旧にむけた残りの作業を一日も早く取り組まなければならない」と述べた。【天野典文】

毎日新聞 200969日 地方版


岩手・宮城内陸地震:発生1年 「早く帰って来いよ」 金山の夫妻依然不明 /山形

 ◇83歳母、仏壇に手合わす


 震度6強を記録した岩手・宮城内陸地震から14日で1年。栗駒山方面に山菜採りに出かけた金山町の農業、高橋伸好さん(当時56歳)と妻美也子さん(当時50歳)は、依然として行方不明のままだ。伸好さんの母和子さん(83)は、毎日欠かさず仏壇に手を合わせ、一日でも早く発見されるようにと祈り続けている。【米川康】

 ◇14日に被災者追悼式


 「伸好は田んぼ仕事をよく手伝ってくれましたよ。暇さえあれば山菜採りに出かける山が大好きな息子。美也子さんとは仲もよくいつも一緒でしたよ」と和子さんは話す。

 高橋さん夫婦は、昨年6月14日午前4時過ぎに金山町の自宅を出発、栗駒山方面に出掛けたまま行方不明になった。2人が乗った白の軽トラックも発見されず、何の手がかりも得られていない。「出掛けた朝、何か分からないけど、行かせたくないと感じたんです。前日に雨が降り、斜面が滑って危ないから心配だった」と振り返り「『早く帰って来いよ』と玄関で声をかけたのが最後になってしまうなんて」と、涙ぐみながらしんみり話す。

 6人家族は4人になり、その後、夫婦の次男裕二さん(19)が就職で家を離れた。今は夫婦の長男良平さん(20)が家事を手伝ってくれるという。「当時は兄弟はショックで黙り込んでましたが、最近はしょうがないとあきらめているよう。私も、孫につらい顔は見せられないし、何と言っていいか」と話す。

 雨が降らない限り畑で仕事をして気をまぎらわせる。「息子夫婦のことは一日として心から離れません。つらい、本当につらいです。現在の状況が知りたいです」と話す。

 昨秋に中断されていた捜索は5月21日に再開された。金山町防災担当の小沼均町民税務課長は「宮城県栗原市からも全力で捜索すると連絡があった。進展に期待をするだけ。じっと待つしかないが、何とか見つかるまで捜してほしい」と祈るように話す。

 14日には、栗原市で地震の犠牲者の遺族や被災者らによる追悼式がある。孫兄弟は参列の予定だが、和子さんは欠席する。「私も行きたかったが、迷惑になるので行きません。年ですからね」。肩を落とし語った。

  ◇   ◇

 地震で、県内出身者では、いずれも門脇特殊工業(鮭川村)の門脇義富さん(当時53歳)=鮭川村、五十嵐正巳さん(同54歳)=同、五十嵐みつるさん(同32歳)=金山町=の3人が、栗原市の治山工事現場で土砂崩れに巻き込まれ犠牲になっている。

毎日新聞 200969日 地方版


岩手・宮城内陸地震:間もなく1年 発見祈る家族 栗原・不明夫妻の捜索再開 /宮城

 ◇11カ月ぶり


 死者13人、行方不明者10人を出した岩手・宮城内陸地震は発生から間もなく1年を迎える。栗原市花山地区では8日、白糸の滝のつり橋付近で行方不明になっている仙台市泉区の森正弘さん(不明当時61歳)と洋子さん(同58歳)夫妻の捜索が約11カ月ぶりに再開され、懸命な作業が続けられた。初日の現場は報道陣に公開。重機が土砂を取り除くつり橋の基底部近くには小さな花束が置かれていた。「まーさん(正弘さん)、もうちょっとだからね」。この日、家族が発見を祈り、2人に呼び掛けながら置いた花だという。辺りは急峻(きゅうしゅん)ながけに挟まれ、今も土砂崩れの危険性が残っている。手掛かりを見つけたいとの思いと危険が交錯する現場を歩いた。【比嘉洋】

 赤い主塔が印象的なつり橋は、橋の付け根部分のコンクリートの橋台を両岸に残し、大部分が撤去されていた。週末の雨で川は増水し、茶色の濁流が音を立てている。

 地震直後、谷底を流れる川は、がけから崩れ落ちた木々や土砂で埋め尽くされたが、今はその面影はない。捜索再開に先立ち、国土交通省や市が重機(ショベルカー)で作業できるように川岸などを整地し、岩を除去したからだ。

 市災害対策本部によると、捜索範囲は約15メートル四方。森さん夫妻は並んで橋を渡っている姿を男性2人に目撃されている。橋を渡りきるところで土砂崩れに巻き込まれ、そのまま谷底に転落したとみられる。昨年の捜索時に警察犬が橋台の周辺で反応を示しているという。

 これまでの捜索は、自衛隊や県警の手作業で行われてきたが、今回は初めて重機2台を導入した。川岸に積もった土砂について、同市の菅原進危機管理監は「丁寧に掘り進めていくが、重機を使えば2週間で取り除ける」と語り、作業が大幅に進む見通しを示した。

 だが、両岸の高さ数十メートルのがけは2次災害の危険性を常にはらむ。菅原危機管理監は崩落で地肌がむき出しになったがけの中腹を指さし、「水が漏れているでしょう。ああいうところは崩れる可能性が高い」と指摘した。重機の振動で崩落する可能性があるため、作業時には見張りを4人配置するという。

 花束の近くには森さん夫妻が好きな缶ビールやたばこ、大福餅が添えられた。正弘さんの姉、伊藤千秋さん(66)は「ここに埋まっていると思うと胸がつまった。困難な中で捜してくださっている皆さまには感謝でいっぱいです」と語った。

 地震では5月21日、栗原市栗駒地区の旅館「駒の湯温泉」でも行方不明となっている従業員2人の捜索が再開された。一方、残り6人の行方不明者については、被災現場が特定されておらず、捜索再開のめどは立っていない。

毎日新聞 200969日 地方版


岩手・宮城内陸地震:不明の夫婦 11カ月ぶりに捜索再開

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行方不明になっている森正弘さんと洋子さん夫妻が埋まっていると見られる現場には家族の手で花が置かれていた(奥)=宮城県栗原市で2009年6月8日午前11時半、丸山博撮影

 08年6月の岩手・宮城内陸地震で、宮城県栗原市災害対策本部は8日、同市花山地区の観光名所・白糸の滝のつり橋付近で行方不明になっている仙台市泉区の森正弘さん(不明当時61歳)と洋子さん(同58歳)夫妻の捜索を約11カ月ぶりに再開した。同地震は14日で発生から1年たつが、森さん夫妻を含め10人が依然行方不明のままになっている。

 この日の捜索は県警や消防、市職員ら約30人態勢で行われ、夫妻の家族5人も現地を訪れた。正弘さんの姉、伊藤千秋さん(66)=仙台市=は「捜索再開がうれしくて涙があふれました。弟は幸せだと思う」と話した。

 夫妻は地震直前、つり橋を渡っていく姿が目撃されており、近くで乗用車も発見された。だが、自衛隊や県警の手作業による捜索は、V字谷に巨石が転がる険しい地形に加え、近くの土砂ダム(せき止め湖)決壊や土砂崩れの2次災害の危険性もあって難航、昨年7月16日に打ち切られていた。国土交通省が雪解け後に重機を搬入する進入路を造成しており、今回は作業の進展が期待されている。【比嘉洋】

毎日新聞 200968日 2007分(最終更新 68日 2058分)


岩手・宮城内陸地震:崩落の祭畤大橋 一部の保存を検討 

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地震で崩れた祭畤大橋=岩手県一関市で2008年6月、本社ヘリから三浦博之撮影

 岩手・宮城内陸地震で崩落した岩手県一関市の国道342号・祭畤(まつるべ)大橋(長さ95メートル、幅9メートル、高さ25メートル)について同市は8日、橋の一部保存を検討していることを明らかにした。自然災害の脅威を形にとどめ、防災意識の高揚を図ることが狙いで、保存部位や管理方法、費用などについて意見集約する。

 市民や市議会の保存要望に応じた。治水上妨げとならない一部の橋脚と橋台が保存対象に見込まれている。小岩秀行・市建設部維持課長は「壊れた橋を見たくないという被災者の気持ちにも配慮し、方法を考えたい」と語った。

 揺れで橋げたが垂直に折れ曲がった祭畤大橋は、地震のすさまじさを伝える象徴的な建造物。崩落で祭畤地区の住民ら7世帯18人が一時孤立した。仮橋は08年11月30日に完成。県は今年4月、新橋建設に着工し、10年度中の供用を目指している。【天野典文】

毎日新聞 200968日 1926分(最終更新 68日 2228分)


岩手・宮城内陸地震:不明夫妻の捜索再開 11カ月ぶり

200968 1243分 更新:68 1311

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行方不明になっている森正弘さんと洋子さん夫妻が埋まっていると見られる現場(奥)=宮城県栗原市で2009年6月8日午前11時半、丸山博撮影

 岩手・宮城内陸地震で、宮城県栗原市災害対策本部は8日、同市花山地区の観光名所・白糸の滝のつり橋付近で行方不明になっている仙台市泉区の森正弘さん(不明当時61歳)と洋子さん(同58歳)夫妻の捜索を約11カ月ぶりに再開した。森さん夫妻の家族5人も現場を訪れた。

 地震は昨年6月14日発生。2人は直前につり橋を渡っていく姿が目撃されており、近くで乗用車も発見された。だが、自衛隊や県警の手作業による捜索は、巨石が転がる険しい地形に加え、近くの土砂ダム(せき止め湖)の決壊や土砂崩れの2次災害の危険性もあって難航し、昨年7月16日に打ち切られていた。

 今回は国土交通省が今春の雪解け後に重機を搬入する進入路を造成しており、重機による作業の進展が期待される。警察犬が反応した場所もあるといい、森さんの姉、伊藤千秋さん(66)は「今度見つからなければあきらめようとも思う。でも、ずっと土の中にいると思うとかわいそうで。発見を祈ります」と話している。【比嘉洋】


岩手・宮城内陸地震:被災地の小学生 踊りで支援に感謝

200967 1227分 更新:67 1436

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本番直前の練習に余念がない「伊達っ子隊」の児童たち=岩手県一関市で2009年6月6日、狩野智彦撮影

 岩手・宮城内陸地震で被災した岩手県一関市と宮城県栗原市の小学生らが、地震から丸1年となる14日、札幌市で開かれる「YOSAKOIソーラン祭り」(ジュニア部門コンテスト)に参加する。元気に踊る姿を披露し、全国から寄せられた支援に感謝の気持ちを伝えようと、本番直前の練習に励んでいる。

 一関市立本寺小、栗原市立栗駒小、同花山小の4~6年生計45人。このうち、約2割の児童が避難所生活を送った。チーム名は両市が旧伊達藩領だったことから「伊達っ子隊」と命名した。両市の青年会議所が「全国的な祭りで子供たちが踊れば、多くの人に感謝と元気が伝えられる」と発案。児童らは今年4月以降、練習を積んできた。踊りは、北海道稚内市内の中学校で作られた「南中ソーラン」を使う。6日に本寺小で行った最後の合同練習では、全体の動きをそろえることに注意しながら、仕上げに汗を流した。

 栗駒小6年の野口龍矢君(12)は「大きな声を出して踊りたい」。今も仮設住宅から通う本寺小6年、佐藤香伽(きょうか)さん(12)は「本番で感謝の気持ちを伝えたい」と意気込みを語った。【狩野智彦】


岩手・宮城内陸地震:断層下に液状領域 誘発の可能性

200967 230分 更新:67 230

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岩手・宮城内陸地震の震源断層と軟らかい領域のイメージ図

 昨年6月14日に岩手・宮城内陸地震(マグニチュード7.2)を起こした断層の下部に周囲の岩盤よりも軟らかい、液状とみられる領域があることを、秋田大などが突き止めた。地下水やマグマなどの可能性がある。軟らかい領域があると、断層の上部にひずみがたまりやすく、地震の原因になった可能性もあるという。

 秋田大工学資源学部の坂中伸也助教(地球電磁気学)らは昨年8月、岩手、秋田の県境付近で震源の真上を通る西北西-東南東の約60キロを選び、14地点で地下構造を調べた。

 電磁波を地下に流し、電気抵抗の違いから地質を分析したところ、深さ約8キロにある震源付近は電気抵抗が大きい一方、震源断層の下部にある深さ15~30キロ付近は抵抗が小さいことが分かった。電気抵抗は地盤が固いほど大きく、電気を通す液体などは抵抗が小さくなる。

 同地震は、海底の太平洋プレート(岩板)が陸側のプレートの下に沈み込み、ひずみがたまって陸側がせり上がるように動き、それまで知られていなかった内陸の断層が動いて起きたとされる。断層の下の軟らかい領域が、沈み込むプレートに引きずられて動いた結果、その上の固い領域に強い負荷がかかり、地震を誘発させた可能性があるという。

 坂中助教は「断層の下に軟らかい領域があれば、地震を起こしやすい断層であると推定できる。今後、中長期的な地震予測の手法として活用できるかもしれない」と話す。【石塚孝志】


歴史資料:地震で全壊の蔵から「お宝」 宮城・栗原

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木鉢番所とその周辺の絵図

 発生から間もなく1年を迎える岩手・宮城内陸地震で全壊した宮城県栗原市栗駒地区の蔵から、地元にあったと伝わりながら詳細が不明だった仙台藩の「番所」(役人の詰め所)の周辺絵図など江戸時代の貴重な歴史的資料が見つかった。地元のNPOが、地震を機に全国で初めて取り組んでいる地域の旧家を対象とした全数調査の過程で確認した。災害で埋もれかけた歴史に光を当てる活動として注目を集めそうだ。

 このNPOは「宮城歴史資料保全ネットワーク」(仙台市)。95年の阪神大震災などで、被災地の旧家取り壊しや修繕に伴って貴重な歴史的資料が廃棄されたり散逸する問題が指摘されたことから、被災地の旧家に伝わる古文書の保存に取り組もうと03年に設立された。

 昨年6月14日に岩手・宮城内陸地震が発生した後、約500軒にのぼる旧家のリストを作成し調査を開始。これまで台帳や巻物、手紙など約3000点を撮影、記録した。

 この中で、これまで伝承などでしか知られていなかった「木鉢(きばち)番所」について書かれた1703(元禄16)年の文書(もんじょ)が見つかった。木鉢番所は通行料を取るため藩境を通る荷物を検閲していたとみられ、文書には、たばこや海産物、麻などの流通物が記録されていた。

 また、盗賊の人相や服装などを書き留めた1852(嘉永5)年の「人像御用留」など番所の役割が推察できる史料もあった。

 同市以外でも、同県大崎市鬼首(おにこうべ)地区の旧家から、「鬼首番所」の存在や、山深い藩境に下級武士の足軽を配備していたことを示す文書を発見。年貢の割り当てや村役人の出費明細、村境を決める際の文書なども見つかった。

 ネットワーク理事長の平川新(あらた)・東北大教授(日本近世史専攻)は「いずれも藩の統治体制や庶民の暮らしを知る第一級の基礎史料。仙台藩だけでなく当時の全国の様子を知る手がかりになる可能性もある」と話している。【伊藤絵理子】

毎日新聞 200965日 1500分(最終更新 65日 1545分)


正藍冷染:岩手・宮城内陸地震で中断 染め作業が再開

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地震以来中断していた藍染め作業を2年ぶりに再開し、土砂の濁りが収まった二迫川で染料を洗い落とす千葉まつ江さん=宮城県栗原市で2009年6月4日午前11時50分、丸山博撮影

 昨年6月に起きた岩手・宮城内陸地震で中断していた「正藍冷染(しょうあいひやぞめ)」の染め作業が再開された。日本最古の染色技術といわれ、宮城県栗原市の栗駒文字(もんじ)地区には平安時代に伝わったとされる。技を継承するのは千葉まつ江さん(79)の家1軒のみ。千葉さんは「いい色に染まった」と顔をほころばせ、自宅前の清流で長さ12メートルの麻の反物を丹念に洗いあげた。

 正藍冷染は藍の栽培から染めまですべての工程を手作業で行う。加熱して発酵させる一般的な方法と違って自然発酵にこだわるため、染め作業ができるのは5月末~6月末に限られる。08年は染め作業に取り掛かろうという矢先の6月14日に地震が発生。土砂崩れの影響で、染めた布を洗う自宅前の二迫(にはさま)川が濁ってしまった。

 千葉さんは「この技は毎年、毎日染まり方が違うから、覚えきるということがない。体力の続く限り、大切に守っていきます」と話していた。【伊藤絵理子】

毎日新聞 200964日 2031分(最終更新 64日 2129分)


岩手・宮城内陸地震:
駒の湯温泉、捜索再開(その1) 家族「早く会いたい」 /宮城

 ◇もうすぐ1年、災害対策本部「今度こそ見つける」


 昨年6月の岩手・宮城内陸地震で行方不明になった栗原市栗駒の旅館「駒の湯温泉」の従業員2人の捜索が21日、再開された。昨年7月の捜索中断から10カ月ぶり。地震発生から1年を目前に控え、同市災害対策本部員らは「今度こそ見つけ出してやりたい」と誓いを新たにした。2人の家族らは「早く会いたい」と語り、祈るように作業を見守った。【高橋宗男】

 駒の湯温泉が土石流にのみ込まれた現場は、干上がった池のようにひび割れた表土で覆われていた。乾いた泥で黄色っぽく見える巨大な流木が何本も地面から突き出ている。実際、つい1カ月前まで現場は池と化していた。捜索再開に向け、ポンプによる強制排水と排水路による「水抜き」で、地盤を安定させてきたのだ。

 災害対策本部にとって昨年7月の捜索中断は苦渋の決断だった。道路が寸断され、重機を運び込むことができず、大量の泥水が作業の障害となった。捜索継続は事実上不可能に近かった。

 だが、ようやく再開にこぎつけた捜索が、今後も「水との戦い」であることに変わりはない。

 捜索再開初日のこの日、本館があった部分にショベルを入れて4メートル掘り進み、玄関の土台にたどり着いた。だが、わずか数分の間にわき出る泥水が穴を埋めていった。掘り下げた周辺の地表に亀裂が生じ、今にも崩れそうだ。

 「抜いても抜いても、泥水は出てくる。いったいどこから出てくるのか」。栗原市の菅原進・危機管理監はもどかしそうに言う。今後は「2人が館内にいた」との想定で、本館が流された地点や、大広間、客室のあった地点を中心に捜索を進める。だが、最大で深さ10メートルの土砂を取り除かなければならない。「掘ってみなければどういう状況か分からない。その都度、検討していく」という。

 現場一帯の地盤は依然として不安定な状態が続き、雨が強く降れば作業を中断せざるを得ない。梅雨もやってくる。菅原危機管理監は報道陣の「捜索期間は」との問いに一瞬、間を置き、「永遠に続けるわけにはいかないが、とにかく一日でも早く見つけ出してあげたい」と強調した。

 ◆思い出たどる

 「旅館の風呂はいつも一人できれいにしてるんだって、兄貴は自慢してた」。行方不明になったままの佐藤幸雄さん(不明当時62歳)の弟、熊谷正勝さん(57)は、作業を見つめながら兄の思い出をたどった。

 佐藤さんの乗用車は昨年秋の排水路設置工事の際に駐車場から40メートルほど離れた土中で見つかった。旅館が祭っていた温泉の神様の祠(ほこら)の目と鼻の先だった。

 熊谷さんは「兄貴には温泉を守ってきたという自負があった。だから『湯神(ゆうじん)さん』がそばに呼んでくれたんだろう」としんみり話す。

 佐藤さんの姉、大内正子さん(71)は「地震が起きたのは普段から大広間や客間を掃除していた時間帯。きっとその辺りにいるはず」と捜索の進展に期待をかける。この日は佐藤さんのために手作り団子を供え、「あの子はお酒が好きだったけど、仏さんにはお団子でしょ」と静かに語った。

 一方、家族が行方不明になった現実に1年近く戸惑い続ける人もいる。高橋恵子さん(不明当時55歳)の妹、千葉百合子さん(53)は「姉は今でもどこかで生きてると思ってしまう」と打ち明けた。「こう言うと、一番上の姉にたしなめられるのだけど、実際に会ってみなければ受け入れられない」と、複雑な心境を明かした。

毎日新聞 2009522日 地方版


岩手・宮城内陸地震:「駒の湯」不明の従業員2人捜索再開

2009521 1157分 更新:521 1241

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行方不明者の捜索が再開された駒の湯温泉倒壊現場。手前は作業を見つめる家族、奥は駒の湯温泉があった場所=宮城県栗原市で2009年5月21日、丸山博撮影

 宮城県栗原市災害対策本部は21日、昨年6月の岩手・宮城内陸地震で土石流に流された旅館「駒の湯温泉」=同市栗駒=付近で、行方不明になっている旅館従業員2人の捜索を再開した。一帯が軟弱な泥で覆われていたため同7月に捜索を中断。県が先月27日に地盤を安定させる排水工事に着手し、10カ月ぶりに再開した。

 この日の捜索は、泥の上でも沈まない特殊なショベルカー2機を使い、現場周辺の泥を掘り返した。旅館従業員の佐藤幸雄さん(行方不明時62歳)、高橋恵子さん(同55歳)の手掛かりが見つかった時点で手作業に切り替える。地震発生直後は、自衛隊や警察による手作業の捜索活動が33日間続けられたが、地下水や雪解け水などに捜索を阻まれた。【高橋宗男】


岩手・宮城内陸地震:栗原市が避難指示・勧告解除

2009520 1110分 更新:520 1212

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避難解除で自宅に戻り、家庭菜園の様子を見る佐々木さん=宮城県栗原市花山で2009年5月20日午前9時22分、比嘉洋撮影

 昨年6月に発生した岩手・宮城内陸地震で、宮城県栗原市は20日、避難指示・勧告の大半を解除した。仮設住宅や親族宅で暮らす避難住民120世帯300人のうち約8割に当たる99世帯245人が対象で、11カ月ぶりに自宅での生活が再開する。ただ生活道路の復旧工事が完了していないため、全面解除は12年ごろになりそうだ。

 解除は午前7時。57世帯が解除の対象となった花山地区では、封鎖されている国道を通行許可証を携えた住民が次々と車で帰宅した。仮設住宅から自宅に戻った佐々木サツキさん(81)は「やっぱり自宅は気楽。7月末には家庭菜園のジャガイモを掘るのよ」と笑顔を見せた。

 また、市災害対策本部は21日、栗駒・耕英地区の旅館「駒の湯温泉」の周辺で、土石流に巻き込まれて行方不明になっている旅館従業員2人の捜索を再開する。【比嘉洋】


岩手・宮城内陸地震:20日に避難解除 「ようやく自宅で生活」 /宮城

 ◇完全復旧には長い道のり


 昨年6月に発生した岩手・宮城内陸地震からまもなく1年。最大の被害を受けた栗原市は14日、栗駒・耕英、花山、一迫(いちはさま)の3地区の99世帯245人の避難指示・勧告を20日に解除することを決めた。仮設住宅や借家などで不自由な暮らしを強いられ、日中の一時帰宅を繰り返してきた避難住民は、11カ月ぶりに自宅での生活を取り戻せることになった。ただ、残る21世帯55人の避難指示・勧告の解除は、復旧工事の進み具合次第だが8月以降になる見通し。地域全体が震災前の生活を取り戻すには、なお長い時間がかかりそうだ。【比嘉洋、小原博人、垂水友里香】

 避難指示・勧告の対象世帯はこれまで、厳しい時間的な制限を受けながら、日中に自宅に戻り片づけや農作業などを続けてきた。仮設住宅から自宅まで細い山道を往復1時間近くかけて通う住民もおり、作業時間の制約や、体力的な負担は大きかった。自宅での生活ができる避難解除は、復興を目指す住民の悲願だった。

 栗原市の佐藤勇市長は14日の対策本部後に会見を開き、「この11カ月、厳しい冬場を乗り越えた被災者や、危険を顧みずに復旧工事をしてくれた関係者に感謝したい」と述べた。そのうえで、復興への道筋について「被災者が自宅に帰れるようにすることと、行方不明者の捜索再開を優先したい。その後に観光や農業の産業再生が始まる」と語った。通行止めになっている国道398号については、6月末に花山地区~温湯(ぬるゆ)温泉地区間、10年秋までに秋田県境までの通行を再開させる見通しを示した。

 市は14日午後6時から、栗駒・耕英と花山の両地区住民を対象に、避難指示・勧告解除の決定と新規支援金制度について、説明会を開いた。

 このうち栗駒総合支所では、46世帯115人に避難指示・勧告が出ている栗駒・耕英地区の住民を対象に開かれ、約70人が出席。損壊した山の住宅や生活の再建策を探ろうと、真剣に説明を聞いた模様だ。

 くりこま耕英震災復興の会の大場浩徳会長(48)は「さまざまな応援を受け、やっと避難解除の日が決まった。昨年、イチゴ栽培やイワナ養殖など生業の本番を迎える直前に被災し、なんとも言えないつらさがあった。一般の観光客は解除後も山に入れない。道路の復旧を進め、温泉や民宿が一日も早く再開できるようにしてほしい」と語った。

 一方、72世帯の176人が避難生活を送る花山地区。市花山高齢者生活福祉センター「湖畔の里」で開かれた説明会には約50人が集まった。

 仮設住宅で1人暮らしの女性は「帰宅の許可が下りたのはうれしい」としながらも、「自宅は地震で半壊し、建て替えるお金はない。夫は入院中で、帰ることはあきらめている」と寂しげな表情で語り、震災の傷跡の大きさをうかがわせた。

 ◆専門家に聞く
 ◇積極的な行政支援を--災害支援などに携わる社会安全研究所(東京都新宿区)の木村拓郎所長の話

 避難解除後の最大の課題は、産業が再開できるかどうか。自宅に戻ったとしても、仕事が再建できなければ復興の第一歩を踏み出せない。農業用水の確保など公共的な側面が大きい分野に関しては、積極的な行政支援が求められている。

 生活面でも、梅雨に入って一時避難が必要になった場合に備え、仮設住宅との二重生活が送れるような配慮が必要だ。(04年の)新潟県中越地震のころから行政の生活支援はレベルアップしてきている。今回も一軒一軒きめ細かな生活再建の相談に乗っていく態勢を取るべきだ。

 一方、住民としては自宅に戻れば目の前のことで手いっぱいになることが考えられる。自分たちだけで頑張りすぎず、農産物の販路拡大や加工食品の商品開発などについて外部の支援者とのネットワークを活用していくことが、早期復興につながる。

毎日新聞 2009515日 地方版


岩手・宮城内陸地震:
20日に避難解除 生活再建へ胸中複雑--栗駒など11カ月ぶり

 昨年6月に発生した岩手・宮城内陸地震で、宮城県栗原市災害対策本部は14日、栗駒、花山、一迫(いちはさま)の3地区に発令していた避難指示・勧告の大部分を20日に解除すると決定した。避難住民120世帯300人のうち約8割に当たる99世帯245人が対象。11カ月ぶりに自宅で生活できるようになるが、自宅が全半壊した住民もおり、「うれしいけれど修理する金がない」と複雑な心境を明かした。【比嘉洋、垂水友里香】

 地震は6月14日に発生。同16日以降、避難指示・勧告が地区ごとに発令された。被害は山間部に集中し、土砂崩れや崩落で道路が不通になり、集落上流の土砂ダム(せき止め湖)決壊や越流の恐れがあったため、避難住民には日中の一時帰宅のみが認められていた。

 同本部はこの日の会議で、県土木部がコンピューター解析した洪水シミュレーションで、一部の地区はダム決壊の恐れが少ないと判断。大雨洪水警報を想定した住民の避難訓練も3回実施しており、土砂ダムが決壊する規模の豪雨でも安全を確保できるとし、解除に踏み切った。会議後に会見した佐藤勇市長は「復興に向けてこれからが本番」と述べた。

 だが、避難住民120世帯のうち107世帯の住宅は損壊したままで、22世帯は全壊、34世帯は大規模半壊または半壊とされている。

 国の補助金だけでは修復できないケースも多く、花山地区の主婦、早坂絹子さん(59)は「自宅に帰れるのはうれしいが、家全体にひびが入り、修理に1000万円かかると言われている。でも、『一部損壊』と判定され、市からは5万円しか受け取れない。困っている」とため息をついた。

 自宅近くの造成や生活道路の復旧工事が完了していない21世帯は今回、解除が見送られた。市によると、全世帯の解除は12年までかかる見込みという。

毎日新聞 2009515日 東京朝刊


岩手・宮城内陸地震:
3地区の避難指示など解除へ 宮城

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避難解除について市職員(左)の説明を聞く被災者=宮城県栗原市花山で2009年5月14日午後6時5分、丸山博撮影

 昨年6月に発生した岩手・宮城内陸地震で、宮城県栗原市災害対策本部は14日、栗駒、花山、一迫(いちはさま)の3地区に発令していた避難指示・勧告の大部分を20日に解除すると決定した。仮設住宅や親族宅で生活していた避難住民120世帯300人のうち約8割に当たる99世帯245人が対象となる。地震発生以来、11カ月ぶりに自宅で生活できるようになるが、自宅が全半壊した住民もおり、「うれしいけれど修理する金がない」と複雑な心境を明かした。

 地震は6月14日に発生。同16日以降、避難指示・勧告が地区ごとに発令された。被害は山間部に集中し、土砂崩れや崩落で道路が不通になり、集落上流の土砂ダム(せき止め湖)決壊や越流の恐れがあったため、避難住民には日中の一時帰宅のみが認められていた。

 同本部はこの日の会議で、県土木部がコンピューター解析した洪水シミュレーションで、一部の地区はダム決壊の恐れが少ないと判断。大雨洪水警報を想定した住民の避難訓練も3回実施しており、土砂ダムが決壊する規模の豪雨でも安全を確保できるとし、解除に踏み切った。会議後に会見した佐藤勇市長は「復興に向けてこれからが本番」と述べた。

 だが、避難住民120世帯のうち107世帯の住宅は損壊したままで、22世帯は全壊、34世帯は大規模半壊または半壊とされている。国の補助金だけでは修復できないケースも多く、花山地区の主婦、早坂絹子さん(59)は「自宅に帰れるのはうれしいが家全体にひびが入り、修理に1000万円かかると言われている。でも、『一部損壊』と判定され、市からは5万円しか受け取れない。困っている」とため息をついた。

 自宅近くの造成や生活道路の復旧工事が完了していない21世帯は今回、解除が見送られた。市によると、全世帯の解除は12年までかかる見込みという。【比嘉洋、垂水友里香】

毎日新聞 2009年5月14日 20時52分(最終更新 5月14日 22時48分)


インタビュー:
いわておかみ会・大澤幸子会長 /岩手

 ◇「団塊」軸に生き残り模索

 岩手・宮城内陸地震など2度の大地震による風評被害や、世界同時不況などの影響で宿泊客の低迷が続く県内の旅館業界。個人客の増加など旅行形態の変化に合わせて旅館はどう対応していくのか。県内の旅館のおかみによる団体「いわておかみ会」の大澤幸子会長に現状と今後の展望を聞いた。【岸本桂司】

 --昨年度は大地震や世界不況など暗い話題が続いた

 内陸地震が起きた6月から7月まではほとんどキャンセルで、影響は10月まで続いた。それが落ち着いたころから景気の悪化に見舞われた。当ホテルでも07年度比で売り上げは2割落ちた。財布のひもはサービス業から締められるし、特に旅行は厳しくなる。

 --平泉の世界遺産登録への期待は大きかった

 登録になるものと思っておかみ会も行政、観光関係業者と取り組みを進めていた。旅行代理店と共同で平泉の短期宿泊の企画商品を売り出す直前だった。登録が地震で落ち込んだ旅館業界の起爆剤になると期待していただけに登録延期は本当にショックだった。

 --旅館業界の低迷は消費者のニーズの変化もあるのでは

 新しくて安い駅前のビジネスホテルに押されて、盛岡の旅館では廃業するところも出てきている。消費単価が下がっている中で、設備更新の余裕がない旅館も多く太刀打ちできない部分もある。お客様も団体から個人にシフトしていて、従業員数が減る中でそれに合わせたサービスを提供しなければいけない。例えば料理の各種コースを用意することはもちろん、個人のお客様はその土地の情報を欲しているので従業員がこまめに対応することが必要になる。

 --今後の旅館業界の展望は

 これからの一番のターゲットは時間もお金もある団塊の世代。具体的な取り組みはまだこれからだが、日本の伝統文化が凝縮されている旅館の良さを生かしていきたい。小さな旅館では家庭的なサービスを提供するなど、伝統を守りつつ生き残る道を模索していかなければいけない。

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 ■人物略歴

 ◇おおさわ・さちこ

 盛岡市出身。いわておかみ会の3代目会長を04年から務める。西和賀町の湯本温泉「ホテル対滝閣」の専務兼3代目おかみ。62歳。

毎日新聞 2009年5月12日 地方版


雑穀パン:
授産施設で製造販売 花巻の「こぶし苑」、岩手大と共同開発 /岩手

 ◇健康志向の客に人気

 花巻市湯口の知的障害者通所授産施設「こぶし苑」(増子義久園長)は、パン工房「銀の鳩(はと)」をオープンさせ、県産のヒエなどを原料にした雑穀パンの製造販売を始めた。施設利用者の就労の場を増やすため、岩手大に共同研究を提案し、製造技術などの指導を受けた。岩手大によると、福祉施設との共同研究は全国でも珍しく、取り組みが注目される。【湯浅聖一】

 県内の雑穀生産量は741トン(05年)と全国の6割を占めトップ。それに目を付けた増子園長が岩手大に加工技術の支援を働きかけた。昨年3月から雑穀研究の第一人者である西沢直行特任教授が製造方法を指導し、障害者教育に詳しい名古屋恒彦教育学部教授が利用者の適正配置などを受け持った。

 施設敷地内に約5000万円をかけて建てられた工房は、木造平屋建てで総床面積は約154平方メートル。利用者8人が二戸市産のヒエや小麦、ライ麦などを使って製造する。西沢特任教授によると、雑穀を混ぜたパンは膨らみにくいため、製品化までに相当の試行錯誤があったという。

 パンは「雑穀と大地のめぐみのパン」と名付けられ、▽レギュラー▽レーズン入り▽くるみ入り--の3種類を1日計約300個製造し、価格は490~660円。在来のヒエは、善玉コレステロールの数値を上げることが西沢特任教授の研究で分かっており、動脈硬化症や糖尿病の改善・予防に期待できると、健康志向の客に人気があるという。

 こぶし苑は花巻温泉に近く、これまで宿泊施設などで使うおしぼりのリースやタオルの印刷などを受注してきた。しかし、昨年6月の岩手・宮城内陸地震後は、風評被害によって宿泊客が減少。それに伴って受注量も減っていた。増子園長は「選択肢を増やすことで、多くの利用者に働く喜びを感じてほしい。社会で安定した生活ができるよう工賃にも還元したい」と話す。

 県障がい保健福祉課の担当者は「授産施設での商品開発はあまり進んでいなかったが、今回のような大学との協力はモデルケースになる。県としても広い視野から連携を模索し、優れた取り組みを広めていきたい」と高く評価している。

 工房は午前9時~午後5時。土日曜は休み。6月をめどにネット販売も計画している。問い合わせはこぶし苑(0198・28・2088)。

毎日新聞 2009年5月9日 地方版


消防団:
初の女性、7人が団員に--湯沢市皆瀬地区 /秋田

 08年6月の岩手・宮城内陸地震で被害が出た湯沢市皆瀬地区の自営業、主婦、看護師ら7人が、市消防団(金子哲雄団長、約1800人)初の女性団員となった。皆瀬分団(145人)に所属し、救命救急や消火器取り扱い講習などを経て実際に活動する。

 湯沢雄勝広域消防本部でこのほど開かれた決意表明式で、団体職員、高橋ミキ子さん(43)は「女性の優しさを持って『安全で、安心して暮らせる湯沢』を支えていく」と決意を述べた。

 金子団長は「女性の能力を生かすことが不可欠で、地域防災力を高める」と激励した。【佐藤正伸】

毎日新聞 2009年5月9日 地方版


岩手・宮城内陸地震:
被災の栗原・耕英と花山地区、避難解除日を14日に決定 /宮城

 ◇栗原市災害対策本部

 栗原市の佐藤勇市長は7日会見し、昨年6月14日起きた岩手・宮城内陸地震で被災した栗原市耕英と花山の両地区に出している避難指示・勧告の解除日について、14日に開催する市災害対策本部で決める意向を明らかにした。佐藤市長は「両地区とも今月中の同時期をめどに自宅に帰ってもらえるようにしたい」と言及した。

 14日午前中には両地域で、避難住民と復旧工事関係者の計約2000人が参加する避難訓練を行う。同本部はその模様や、関係省庁がこれまでに報告した川の豪雨・増水シミュレーション、宅地裏山の現況調査を基に解除日を判断する。

 佐藤市長は「一部地域では危険が残り避難解除ができない可能性もある」と話している。【小原博人】

毎日新聞 2009年5月8日 地方版


こどもの日:
地震被害の宮城県栗原市で「花山鉄砲まつり」

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昨年の地震以来初めて開かれた祭り「花山鉄砲まつり」で花山地区を練り歩く子供たち=宮城県栗原市で2009年5月5日午後1時35分、丸山博撮影

 「こどもの日」の5日、各地で子供たちの成長を願う催しがあり、岩手・宮城内陸地震で被害を受けた宮城県栗原市花山では「花山鉄砲まつり」が開かれ、約5000人(主催者発表)でにぎわった。

 江戸時代に子供の健康を願い、火縄銃を撃ったことが起源とされ、約300年の歴史があるという。子供たちが鉄砲やみこしを担いで練り歩くと、沿道から拍手がわき上がった。大人による火縄銃の演武では、迫力満点の銃声が響き渡った。

 同地区は現在も41世帯、108人が仮設住宅で生活している。地震後、運動会などの催しを中止していたが、この日は復興への願いも込めて開催した。避難生活を続ける主婦、佐々木孝江さん(45)は「子供たちが楽しそうにしていたことがうれしい」と話していた。【丸山博】

毎日新聞 2009年5月5日 20時40分(最終更新 5月5日 20時46分)



避難訓練:
岩手・宮城内陸地震の被災地住民を対象に--栗原市と国交省 /宮城

 栗原市や国土交通省は30日、岩手・宮城内陸地震で避難指示・勧告を出した同市花山・栗駒両地区の住民を対象にした避難訓練を行った。市や国の関係機関と、復旧工事業者との間の情報伝達訓練も同時に行い、特に問題は起こらなかった。市は訓練の結果を避難解除の判断材料の一つにする方針だ。

 訓練は、両地区の避難所7カ所で、避難解除後に土砂崩れや河川の増水が発生した場合を想定して行われた。この日は仮設住宅から一時帰宅中の64世帯106人が参加。大雨洪水警報発令のため避難を呼び掛ける防災無線が流れると、住民が各地区の避難所に集まった。

 栗駒沼倉耕英地区の「山脈ハウス」前には、無線が流れてから約20分後に住民30人が集合。金沢大樹行政区長(66)が人数と安否を確認し、衛星電話で市に報告した。金沢区長は「昨年の地震で一度怖い目に遭っているので、訓練の必要性は皆が感じている」と話した。【鈴木一也】

毎日新聞 200951日 地方版


内陸地震:
土砂湖の排水工事、宮城で27日開始

 昨年6月の岩手・宮城内陸地震で行方不明になった宮城県内の2人の捜索再開に向け、同県は24日、栗原市栗駒の旅館「駒の湯温泉」付近で27日から排水工事を開始すると発表した。工事の進行状況をみて、栗原市が捜索再開時期を決定する。

 現場の土砂は地下水を大量に含み、今も不安定な状態。県は長さ140~150メートルの排水路を3本設置し、5月20日までの排水工事完了を目指す。

 また、別の2人が行方不明になっている同市花山の「白糸の滝」付近でも、国土交通省東北地方整備局が5月7日以降に道路整備を始める。1カ月前後かかる見通しで、市は完了を待って捜索を再開する方針。【伊藤絵理子】

毎日新聞 2009年4月24日 21時31分(最終更新 4月24日 21時31分)


岩手・宮城内陸地震:
土砂ダム対策、6月着工 一関・市野々原地区復旧説明会 /岩手

 ◇2世帯は移転

 昨年6月の岩手・宮城内陸地震で被害にあった一関市市野々原(いちののばら)地域の復旧対策について、国土交通省岩手河川国道事務所と林野庁岩手南部森林管理署、一関市は21日夜、市野々原公民館で住民らに工事概要を説明した。磐井川の土砂ダム対策では、排水路拡幅工事と国道の付け替え工事を6月から並行して行い、11月完成を目指す。

 磐井川にたまった水を流している排水路の能力は毎秒180トンだが、拡幅で毎秒800トンとなる。これに伴い国道342号を付け替えることもあり、工事区域にあたる2世帯は5月中に移転する見込み。

 移転対象の住民からは「仮設住宅への転居話が急に出てきた。期間があるのは分かるが住民の気持ちを考えてほしい」などの要望が相次いだ。同事務所一関出張所の高橋忠良所長は「土砂ダムを放置すれば一関市街の住民らの生命財産にも影響を及ぼす。皆さんの気持ちを尊重し誠心誠意対応したい」と協力を求めた。【天野典文】

毎日新聞 2009年4月23日 地方版


岩手・宮城内陸地震:
グリーンピア田老、運営会社が撤退 風評被害で営業不振 /岩手

 ◇9月末

 宮古市田老のグリーンピア田老の宿泊施設を運営する飲食提供業務受託大手の「西洋フード・コンパスグループ」(本社・東京、幸島武社長)が、9月末で撤退することが20日分かった。06年4月に財団法人グリーンピア田老(理事長・熊坂義裕宮古市長)から運営を受託したが、昨年発生した2度の大地震の風評被害で営業不振に陥った。9年の契約期間を5年余残し、3年5カ月での中途撤退となる。財団は同日、新たな委託業者の募集を始めた。

 同社広報部によると、岩手・宮城内陸地震などではキャンセルが続出し、08年4月から9月までの宿泊者数が前年同期より5000人減の1万5000人に落ち込んだ。08年度の赤字は前年度より2000万円増の約7300万円に拡大する見込みだ。早期の回復見通しが立たないことから1月、撤退を申し入れた。

 15年3月まで契約期間を残すため、財団は解約に伴う損害賠償の協議を進めるという。財団の赤沼正清専務理事は「施設の有効利用を図るためにも6月までには後継業者を決めたい」と話す。

 グリーンピア田老は85年、当時の年金福祉事業団が368ヘクタールの丘陵地に建設して開業。300人の宿泊施設やテニスコートなどがある。05年には旧田老町が施設を譲り受け、現在は宮古市が所有。財団が指定管理者として施設を管理し、宿泊部門の運営を同社に委託している。従業員は79人。【鬼山親芳】

毎日新聞 2009年4月21日 地方版


観光客数:
県内08年、4.7%減る 地震の風評被害、不況響く /岩手

 県観光協会は08年の県内観光客を前年比4・7%減の約3700万人と発表した。6月の岩手・宮城内陸地震の震源地・一関市では前年比16・6%減、来県外国人観光客も7年ぶりに減少した。2度の大地震による風評被害や世界的な不況などが影響したという。

 同協会によると、県外客は前年比6・4%減の1549万人。県内客は同3・4%減の2167万人だった。大地震発生後の7~9月は最大で同11・1%減少した。一関市では、須川高原で前年比83・1%減少した。11月以降は風評被害対策として行った「総額1億円1万人プレゼントキャンペーン」などの宣伝が奏功して持ち直したが、増加には転じなかった。

 一関観光協会の小野寺広芳・事務局長は「栗駒山の紅葉など観光資源は影響がなく大丈夫だと、全国に発信していきたい」と話す。

 また、外国人観光客は、前年比23・8%減の9万9000人。国内不況が続いた韓国は同33・9%減の1万480人と振るわなかった。円高の影響で足が遠のいたと見ている。

 一方、08年4月に「岩手サファリパーク」が開園した藤沢町内は前年比78・5%増、同年3月に仙人峠道路のインターチェンジ新設で交通アクセスが改善された住田町の滝観洞も同83・5%増だった。【狩野智彦】

毎日新聞 2009年4月21日 地方版


岩手・宮城内陸地震:
11カ月ぶりに国道397号復旧--昨年、被害 /秋田

 岩手・宮城内陸地震で土砂崩れが発生して全面通行止めとなっていた国道397号(東成瀬村-岩手県奥州市)の復旧工事が終わり、11日に全線が通れるようになった。県道路課によると地震があった昨年6月14日以降、通り抜けができなくなっていた。【百武信幸】

毎日新聞 2009年5月14日 地方版
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