Sumatra Quake Report
スマトラ地震メディア速報
スマトラ地震:救援部隊帰国へ 防衛相が活動終結命令
2009年10月16日
12時12分
インドネシア・スマトラ島沖地震で国際緊急援助活動として医療活動を行ってきた自衛隊部隊(約30人)について、北沢俊美防衛相は16日、活動終結命令を出した。17日に活動を終わらせ、部隊を帰国させる。北沢防衛相は16日午前の閣議後会見で「緊急医療のニーズは減少しつつあり、各国の支援活動も終結しつつある」と理由を説明した。
部隊は15日までの11日間で計820人を診察した。【樋岡徹也】
酒気帯び運転:援助隊から帰国の海保職員を容疑で逮捕
北海道警釧路署は13日、釧路市桜ケ岡4、釧路海上保安部職員、佐渡祐介容疑者(41)を道交法違反(酒気帯び運転)容疑で現行犯逮捕したと発表した。
逮捕容疑は、13日午前2時20分ごろ同市桜ケ岡1の道道で、酒気帯びの状態で乗用車を運転した疑い。同海保によると佐渡容疑者は巡視船「えりも」の航海士兼潜水士。インドネシア・スマトラ島沖地震の被災地に派遣された国際緊急援助隊救助チームの一員で、8日に帰国したばかり。11~13日は休日だったという。
同海保では5月にも「えりも」の主計士が酒に酔って盗撮行為をしたとして逮捕されており、同海保の巻木秀美部長は「今後、全職員により一層、不祥事の防止を徹底したい」とのコメントを発表した。【山田泰雄】
毎日新聞 2009年10月13日 12時50分
スマトラ地震:政府の救助チーム帰国
インドネシア・スマトラ島沖地震で現地へ政府が派遣していた国際緊急援助隊の救助チームが8日、ジャカルタ経由で成田国際空港に帰国した。一行は警察庁、総務省消防庁、海上保安庁、JICA(国際協力機構)などから参加した64人と救助犬3頭。1日に成田空港からチャーター機で現地入りし、甚大な被害を受けたパダン市の倒壊したホテルなどで生存者を捜索・救出した。海外からの救援としては日本隊の到着が最も早かったという。医師ら23人は15日ごろまで現地に残り、被災者の治療に当たる。【山田泰正】
毎日新聞 2009年10月8日 10時58分
スマトラ地震:発生1週間 立ち上がる被災者
地震で自宅が倒壊したサムスル・アリフィンさん一家の自宅。子どもたちもがれきの撤去の手伝いをしていた=インドネシア・スマトラ島パダン・パリアマン県のトボ・カドゥドゥ村で2009年10月7日午後4時33分、長谷川直亮撮影
【パダン(インドネシア・スマトラ島)小泉大士】スマトラ島沖地震は7日で発生から1週間を迎えた。民家約15万戸が全半壊した西スマトラ州では、多数の被災者がテントなどでの暮らしを強いられているが、インドネシア政府による住宅再建支援策がまとまるのは当分先になる見通しだ。そんな中、親族や近隣住民が助け合いながら、倒壊した自宅の再建に取り組み始めた被災者たちがいる。
「カンカンカン」。倒壊した民家が目立つ同州パダン・パリアマン県のトボ・カドゥドゥ村に金づちの音が響く。5人の男たちが30度前後の炎天下、がれきの中から木材を取り出し、くぎを打ち付けていた。
農業のサムスル・アリフィンさん(37)は「テントで雨期を迎えるのは子供たちが可哀そうだ。政府の支援を待っていたら、いつになるか分からない」と額の汗をぬぐった。崩落した自宅の資材を使い、自力で小さな家を建てるつもりだ。
サムスルさんと妻ウピさん(37)の兄弟が力仕事を担当。長女サンティちゃん(8)ら子供も手伝い、4世帯20人が総出で働いていた。
同県プングカシ村でも、元教師のジャマアンさん(70)が崩れ落ちた自宅からレンガを拾い集めていた。首都ジャカルタから駆け付けた四男ラムリさん(36)がハンマーで壁を取り壊す。ジャマアンさんは「負けてられないよ。マグニチュード7.6の地震で崩れたなら、より頑丈な家をまた建てればいいだけさ」と力強く話した。
毎日新聞 2009年10月7日 20時22分(最終更新 10月7日 23時02分)
断層:サモア地震200キロ スマトラ地震は30キロ
気象庁は7日、先月末に発生した南太平洋・サモア諸島の地震と、インドネシア・スマトラ島沖の地震を起こした断層の特徴を発表した。両地震の波を基に解析した。
サモア地震は正断層型で断層の長さは約200キロ、最大約8メートルにわたってずれた。海底では上下に最大5メートル動いたために、大規模な津波を発生させたと分析した。
また、スマトラ島沖地震は逆断層型。断層の長さは約30キロで、最大約10メートル動いた。海底の変動は上下で最大0.4メートルにとどまった。【石塚孝志】
毎日新聞 2009年10月7日 18時40分(最終更新 10月7日 22時00分)
スマトラ地震:発生1週間 友よ、安らかに
【パダン(インドネシア・スマトラ島)小泉大士】インドネシア・スマトラ島沖地震の発生から1週間を迎えた7日午前、被災地の西スマトラ州パダン市の公立高校で祈とう集会が行われた。イスラム指導者や同校教師、生徒ら約200人が、犠牲者を追悼する祈りをささげた。
集会に参加したバスリル校長(52)は「本校でも生徒や教師の子供が震災で亡くなった。犠牲者には安らかに眠ってほしい」と話していた。同高1年のミミさん(15)は「まだ悲しみがあまりにも大きい。大きな余震が来るといううわさがあるが、もう二度とこんな思いをしたくない」と言葉を詰まらせた。
毎日新聞 2009年10月7日 東京夕刊
スマトラ地震:発生から1週間 被災地では犠牲者悼む集会
2009年10月7日
10時56分 更新:10月7日
12時23分
スマトラ島沖地震で被災したパダン中心部の高校で犠牲になった人たちを悼み祈りをささげる生徒たち=インドネシア・スマトラ島のパダンの第3高校で2009年10月7日、長谷川直亮撮影
【パダン(インドネシア・スマトラ島)小泉大士】インドネシア・スマトラ島沖地震の発生から1週間を迎えた7日午前、被災地の西スマトラ州パダン市の公立高校で祈とう集会が行われた。イスラム指導者や同校教師、生徒ら約200人が、犠牲者を追悼する祈りをささげた。
集会に参加したバスリル校長(52)は「本校でも生徒や教師の子供が震災で亡くなった。犠牲者には安らかに眠ってほしい」と話していた。同高1年のミミさん(15)は「まだ悲しみがあまりにも大きい。大きな余震が来るといううわさがあるが、もう二度とこんな思いをしたくない」と言葉を詰まらせた。
先月30日の地震発生以来、各地のモスクなどで犠牲者を悼む合同礼拝が行われているほか、テレビで追悼のメッセージや義援金を呼び掛けるコマーシャルが流されている。
スマトラ地震:対応遅れる山間部 都市部では徐々に復旧
救援物資のテントを運ぶインドネシア軍兵士ら=スマトラ島パダンで2009年10月6日、長谷川直亮撮影
「ようやく活気が出てきた」。7日で発生から1週間となるインドネシア・スマトラ島沖地震で大きな被害を受けた西スマトラ州では、商店や学校が再開し始め、明るい声も聞かれるようになってきた。だが、テントなどでの避難生活を余儀なくされている住民も多く、復興には相当の時間がかかる見通しだ。【小泉大士】
◇つめ跡のなか「活気」
同州の州都パダン市内では、2割程度の民家が全半壊。崩落したホテルやショッピングセンターなど生々しいつめ跡が残るが、電気や通信は徐々に復旧し、市民生活は平常に戻りつつある。
6日朝、同市西部パサール・バル通りにある青空市場を訪れると野菜や卵などを売る約200の屋台が買い物客でにぎわっていた。地元料理に欠かせない唐辛子を売っていたリザルさん(28)は、客と値段交渉しながら「昨日あたりから屋台が増え始め、ほぼいつものにぎわい」。震災直後、唐辛子の値段は通常の約5倍にまで上がったが、今は2倍程度まで下がったという。
一方、同市の北側に隣接し、震源に近いパダン・パリアマン県では、山間部の道路が寸断されるなどして支援が遅れがち。同県では4割近くの民家が全半壊し、自宅の前にテントを張って過ごす被災者の姿が目立つ。3カ所で発生した土砂崩れに丸ごとのみ込まれた村もあり、約300人が生き埋めになったとみられる。国軍はヘリコプターを使って孤立した地区に空から支援物資を投下している。
避難生活の長期化によって、被災者のニーズも多様化している。テント暮らしを続ける同県プングカシ村の主婦アルマイニさん(39)は「生後1カ月の娘がいるので、夜寒くないように毛布が欲しい。着替えやせっけん、生理用品も足りない」と訴える。被災者の疲労も濃くなり、衛生環境の悪化から発熱や下痢などの症状を訴える人も増えている。
現地で医療支援などにあたる日本赤十字社の五島三保子さんは「雨期を迎え、仮設住宅の建設など住居対策にも取り組む必要がある」と指摘している。
毎日新聞 2009年10月6日 21時00分(最終更新 10月6日 22時53分)
スマトラ地震:「援助物資が届かない」…発生から1週間
崩壊した自宅で2歳のビラちゃんを抱くユシニダールさん=インドネシア・スマトラ島パダン・パリアマン県のシンドゥック村で2009年10月6日、長谷川直亮撮影
【パダン(インドネシア・スマトラ島)小泉大士、長谷川直亮】インドネシア・スマトラ島沖地震は、7日で発生から1週間を迎える。同国の災害対策庁によると、死者が625人、負傷者は2087人に上り、1000人以上が行方不明とみられる。被災地・西スマトラ州では、約15万戸の民家が全半壊しており、支援物資をいかに行き渡らせるかが緊急の課題となっている。
同州パダン・パリアマン県シンドゥック村のユシニダールさん(37)一家は自宅が倒壊し、4畳ほどのテントで寝起きする生活を余儀なくされている。2歳の女の子ビラちゃんをあやしていたユシニダールさんは「食料などの援助物資が届かず、生活が苦しい。家族は全員無事だったがこれからどうすればいいのか」と嘆いた。
毎日新聞 2009年10月6日 20時51分(最終更新 10月7日 2時02分)
スマトラ地震:伝統の木造建築、強い耐震性示す
2009年10月6日
12時6分 更新:10月6日
12時14分
全体が押しつぶされたレンガ造りのビル。外観は西スマトラ伝統の木造建築「ルマ・ガダン」を模している=井田純撮影
【パダン(インドネシア・スマトラ島)井田純】インドネシア・スマトラ島沖地震の被災地西スマトラで、伝統の木造建築が強い耐震性を示したのに対し外見だけをまねたレンガ造りのビルに大きな被害が出ていることが、バンドン工科大などの現地調査で分かった。
被災地に入ったバンドン工科大やインドネシア科学院などによると、パダンでは大型ホテルや学校を含む公共建築物などに被害が目立ち、中でも特徴的な屋根の形状を持つ西スマトラの伝統木造建築「ルマ・ガダン」のデザインを採用したレンガ建築のビルが多く倒壊していた。
水牛の角をかたどった屋根を持つルマ・ガダンは、西スマトラに特有の大規模住宅で、築数百年の物も現存、極めて高い耐震性を示しているという。インドネシアの伝統建築に詳しい同大防災研究センターのワヤン所長によると、スマトラ各地にはルマ・ガダン以外にも、竹や木材を利用し、地震多発地に適した伝統建築があった。しかし、植民地時代にオランダから持ち込まれたレンガ建築が広まり、手間のかかる伝統工法は次第に廃れたという。
さらに、インドネシア科学院のダルヨノ研究員によると、被害の大きい建物は質の悪いレンガ、セメントが使われ、鉄筋が入っていない物も多かった。ダルヨノ研究員は「本来のルマ・ガダンは木材をX字に組み合わせるなど、揺れに強い構造を持つが、外見だけ採用したビルは上部が重くなり、むしろ危険性が高い」と指摘し「適切な建築基準を設けるべきだ」と警告。ワヤン所長は「地震多発という実情を踏まえた新たな耐震テクノロジーの導入が必要だ」と話している。
スマトラ地震:5日ぶりに学校再開
2009年10月6日
2時30分 更新:10月6日
2時30分
学校が再開され、仮設のテントで先生の話を聞く生徒たち=インドネシア・スマトラ島のパダン市第七中学校で2009年10月5日、長谷川直亮撮影
【パダン小泉大士】スマトラ島沖地震の被災地西スマトラ州で、休校となっていた小中高校が5日ぶりに再開された。子供たちにも笑顔が戻ったが、心の傷のケアも課題となりそうだ。
同州パダン市北部の第七中学校は5日午前、ユニセフ(国連児童基金)が設置した仮設テントを使用して再開。アムリル・ウィダナ校長(51)が全校集会で「悲しんでばかりいられない。みんなで励まし合って元気を出そう」と呼びかけた。2年のイヌ・フェビヤンさん(13)は「学校で友達とおしゃべりがしたかった」とうれしそうだった。
スマトラ地震:救助の手もどかしく……
2009年10月5日
23時49分 更新:10月6日
0時19分
地震で倒壊した建物でがれきの下に生存者を捜す日本の国際緊急援助隊=インドネシアスマトラ島パダンで2009年10月3日、長谷川直亮撮影
インドネシア・スマトラ島西岸沖で9月30日発生したマグニチュード(M)7.6の大地震から間もなく1週間。各国の緊急援助隊による懸命な活動にもかかわらず、生存者の救出作業は難航、救援物資も被災地の隅々まで行き渡っていないのが現状だ。地震多発国インドネシアの災害対策の問題点や、地震発生のメカニズムを検証する。
◇遺体収容優先に阻まれ
インドネシア政府は5日、西スマトラ州の州都パダンなど被災地での生存者の捜索活動を打ち切った。発生から5日が経過し、「これ以上、生存者がいる可能性はない」と判断した。日本や英国、スイスなど10カ国以上の援助隊は、いずれも生存者を発見できないまま現場から撤収を開始。成果を上げられなかったのは、被災状況がひどかったこともあるが、一部では受け入れ側の問題点を指摘する声が出ている。
「緊急援助隊が増えすぎた。我々が残っていてもできることはない」。韓国の援助隊員は疲労の濃い顔で話した。韓国隊は探査機器、災害救助犬を持ち込み、2日以降に44人が現地入りした。時間経過とともに生存率が低下していく災害救助は、可能性が高い場所に効果的に投入する調整が不可欠とされる。しかし、遺体収容を望む地元側の意向もあって、韓国隊は次々に別の現場を指示され、最終的にパダン・パリアマン県の土砂崩れ現場の捜索を要請された。
各国の援助隊はビル崩壊現場など都市型災害の救助が専門で、土砂崩れ現場を想定した重機などの装備はない。「思い付きのようにあっち(の現場)へ行け、こっちへ行けと言われた。我々はトルコ、イラン、昨年の中国(四川大地震)などの災害現場を経験しているが、こんなことはなかった」。韓国の隊員は苦い表情を浮かべた。
各国の援助隊は合同ミーティングを連日開き、少しでも効果的な活動ができるよう検討してきた。それでも、インドネシア側の強い要請で、他国の援助隊が完全に調査を終えた現場をもう一度調べさせられるなど、隊員の士気に影響しかねないケースがあったという。ある援助隊からは「インドネシアは海外からの支援を当然と考えているようだ」との声も聞かれた。
インドネシア側が遺体収容にこだわるのは、死者は速やかに埋葬せよというイスラムの教義の影響もある。パダンは同国内でもイスラム信仰が特に強い地域。埋葬された後に肉体と魂が再び出会うという教えを多くの人が信じており、地元関係者は「遺体収容を急ぎたいという家族らの意向が強い」と話す。【パダン井田純】
◇アチェ教訓に海を離れ避難
西スマトラ州では、04年12月にスマトラ島北部アチェ州を襲った大津波以降、住民の防災避難訓練を何度も実施。今回、津波被害は出なかったが、多くの住民は海から離れて広い場所に逃げる行動を取り、ラフマン副知事は「アチェの教訓は生かされた」と指摘する。しかし、建物の耐震性向上などは手つかずの状態で、今回の地震でも多くの建物が倒壊した。また、援助物資が山間部など遠隔地に届かず、被災者からは不満の声が上がっている。震災多発国としてインドネシアが取り組むべき課題はまだまだ多い。
◇オーストラリアプレート「空白域」で発生
インドネシアは、スマトラ島やジャワ島などに代表される島国で、100以上の活火山が存在し、プレート境界や内陸活断層による大地震が数多く発生している。日本とよく似た地震・火山国だ。
スマトラ島の南西沖は、オーストラリアプレートがユーラシアプレートの下へ沈み込む場所に位置する。この付近では、M9.1を記録した04年のスマトラ大地震がプレート境界で発生して以降、05年、07年に巨大地震が相次いだ。
東京大地震研究所によると、今回の地震の領域は、1833年以降、M8.5以上の地震が起きておらず、地震の空白域とみられていた。震源の深さは約80キロで、プレート境界がある深さ50キロ程度よりも深い。また、動いたとされる断層のメカニズムが、プレートの沈み込む方向と一致しないため、プレート境界ではなく、オーストラリアプレート内で発生したものと考えられている。同研究所の大木聖子助教(地震学)は「この領域でのひずみは解消されていない。今回の地震が巨大地震を誘発する可能性を、注意深く分析する必要がある」と話す。
一方、約16時間半前に南太平洋のサモア諸島付近で発生したM8.0の地震と関連はあるのか。同研究所によると、サモア諸島付近には太平洋プレートがオーストラリアプレートに沈み込むプレートの境界があるが、太平洋プレートの内部で起きたことや、距離が約1万キロ離れていることなどから、「関連性は見つけ出せない」(大木助教)としている。【石塚孝志】
スマトラ地震:6階建てホテル倒壊…男性が自力で脱出
2009年10月5日
19時58分 更新:10月5日
21時5分
激しい地震で倒壊したアンバチャンホテル。いまだに生き埋めになった人の救出作業が続いていた=インドネシア・スマトラ島パダンで2009年10月5日午後5時44分、長谷川直亮撮影
大地震に見舞われた西スマトラ州パダンの中でも最大級の被害を受けたアンバチャンホテル。6階建てのホテルは無残に倒壊し、5日現在、まだ数十人ががれきの下に取り残されているとみられる。生き埋めになり、数時間後に自力で脱出した男性宿泊客が、がれきの中の恐怖と生還の喜びを語った。【パダン(インドネシア・スマトラ島)で井田純】
自力で生還したのは、仕事でジャカルタからパダンを訪れていたブディヤントさん(48)。発生当日の30日、同僚とチェックイン。イスラムの午後の礼拝を済ませ自室でくつろいでいた時、突然強い揺れに襲われた。
「まず横揺れ、次に上下に激しく揺れた。テレビが飛ぶように倒れるのが見えた」。必死の思いで机の下に潜り込んだ直後、すべての電気が消えた。
「暗闇の中で、『助けて』『おお神よ』と、いくつも叫び声が重なって聞こえたが、やがて静かになった」
揺れが収まった後、ブディヤントさんはかすかに見えた明かりの方向を目指し、じわじわとはい上がるように進んだ。倒れた壁や天井が行く手を遮っていたが、少しでも動かせそうなところを手で探り、崩しては進む動作を繰り返した。「自分はここで死ぬのか、家族はどうなるのかと考え、はいながら声を上げて泣いていた」
発生から3時間余でがれきの最上部に達し、再び外の世界を目にした。ホテルの周囲に集まっていた大勢の人は、ブディヤントさんの姿をぼうぜんと見つめるだけだったという。「だれ一人、手を差し伸べてもくれなかった。今思えば、目の前の光景を理解できなかったのだろう」と振り返り、「生き埋めという状況で心の支えになってくれた家族と神に感謝したい」と語った。
スマトラ地震:「怖がることに疲れた」テント暮らしの家族
地震で全壊した自宅前で、配給されたわずかな食料で食事の準備をするユシさん(左から2人目)一家=パダン・パリアマン県で2009年10月4日、長谷川直亮撮影
【パダン・パリアマン県(インドネシア・スマトラ島)小泉大士】スマトラ島沖地震で被災した西スマトラ州パダン・パリアマン県で、全壊した自宅の前に小さなテントを張り、身を寄せ合うように暮らす家族がいた。同県トゥンカス・スンガイ・ドゥリアン村のユシさん(36)一家。地震から6日目を迎えたが救援物資はほとんど届かず「これからどう生活すればいいのか」と不安を募らせる。
先月30日の地震で、ユシさん宅は天井から崩れた。夫ブジャン・ヌルサムさん(47)と3~14歳の5人の子供の7人家族。小学6年の次男リンガ・サプトラ君(12)は、余震を怖がるユシさんの母ジャニアルさん(75)と近くのモスクに避難した。残る6人が広さ1畳半ほどのテントで生活する。「今後が不安で1~2時間しか眠れない」とユシさん。震災後は1度、トラックで通り掛かったNGO(非政府組織)からインスタントラーメン5袋と米、野菜1日半ぶんを受け取っただけ。水は近所の井戸を借りる。リンガ君は「少しでも家族を助けたい」と段ボール箱を手に路上で寄付を求めている。
ブジャンさんは失業中で生活再建のめどは立たない。ユシさんは「地震の直後は何も考えられずただ泣くだけだった。もう怖がることに疲れてしまった」と話し、三女レシちゃん(3)の体をさすった。
毎日新聞 2009年10月5日 11時48分(最終更新 10月5日 20時05分)
スマトラ地震:最大の被災地 今も200人が行方不明
【パダン(インドネシア・スマトラ島)小泉大士】スマトラ島沖地震で、最大の被災地・西スマトラ州の中でもとりわけ被害が大きかったパダン・パリアマン県を訪ねた。地震による土砂崩れが五つの村を直撃し、今も約200人が行方不明になっているという。のどかな水田が広がっていた、という以前の風景を想像もできない惨状が広がっていた。
土砂となぎ倒されたヤシの木が一面に広がる。土砂崩れが起こった斜面には赤茶けた真新しい断面がどこまでも続いている。周囲に漂う異臭が鼻を突く。
同県コロン・チュマナ村は、約30戸の民家があったが約20戸が流された。倒壊した民家の軒先で国軍兵士らが板きれをてこに、岩を除去していた。3歳の男児と17歳の女子高生が埋まったままだという。地震発生時、近くの田んぼにいた母親(40)の遺体は数百メートル先の川岸で見つかった。親類のリカさん(23)は「せめて遺体を見つけてほしい。何日も土砂に埋もれたままではあまりにもかわいそう」とつぶやいた。
同県プラウ・コト村で土砂崩れの瞬間を目撃したアマンさん(30)によると、「ゴー」というごう音を立てて丘が崩れ落ち、瞬時にして土砂が民家や水田をのみ込んだ。アマンさんは「この世の終わりかと思った」と青ざめた表情で話した。
毎日新聞 2009年10月4日 21時28分
スマトラ地震:自衛隊先遣隊が現地入り ニーズ調査を開始
【パダン(インドネシア・スマトラ島)井田純】自衛隊から派遣された国際緊急援助隊の先遣調査チーム11人が4日、西スマトラ大地震の被災地パダンに入った。インドネシア側からの要請に基づき、主として医療と航空輸送支援についてのニーズ調査を始めた。
日本からは、すでに緊急援助隊のレスキュー、医療援助チームのメンバー計87人が活動を続けている。
毎日新聞 2009年10月4日 19時30分
スマトラ地震:日本援助隊、懸命に捜索
地震で倒壊した建物で災害救助犬を使って生存者を捜す日本の国際緊急援助隊=インドネシア・西スマトラ州パダンで2009年10月3日午後3時49分、長谷川直亮撮影
【パダン(インドネシア・スマトラ島)小泉大士】インドネシア・スマトラ島沖地震の最大被災地・西スマトラ州パダンでは3日、日本の国際緊急援助隊ががれきの下敷きになっている人々の捜索活動を続けた。地震発生から「生存の限界」とされる72時間以上が経過し、焦りもにじむが、隊員らは生存者の救出に望みをつないでいた。
パダン市東部の商店街。銀行や自動車のショールームが入った3階建ての店舗はぺしゃんこに崩れている。オレンジと青のユニホーム姿の隊員が、足場を確かめながら高さ約5メートルのがれきの山を上った。住民からの情報を頼りに、ブロック片を手で取り除きながら中に入る。「ソファの上にクッションが2枚ある」。隊員が時折声を張り上げて状況を伝えるが、生存者は結局見つからなかった。
すぐ向かいにあるイスラム系の学校では、約30人の隊員が災害救助犬2頭や血流による電磁波に反応するレーダー装置を使い、生存者の有無を調べた。
炎天下での作業の合間、30代の男性隊員は「とにかく少しでも可能性のある限り、やるだけのことはやる」と話し、ヘルメットをずらして顔の汗をぬぐった。
毎日新聞 2009年10月3日 21時26分(最終更新 10月3日 23時36分)
スマトラ地震:日本人は全員無事
外務省は2日、スマトラ島沖地震で被災地パダンに在住または滞在していた日本人全員の無事を確認したことを明らかにした。
パダンには日本人8世帯12人が在住、旅行や出張で14人が滞在していた。
毎日新聞 2009年10月2日 21時36分
スマトラ地震:日本人3人安否確認できず 死者1100人
【パダン(インドネシア・スマトラ島)井田純】国連のホームズ事務次長(人道問題担当)は1日、インドネシア・スマトラ島沖の大地震による死者が1100人に達したことを明らかにした。被災地では多数の人々が生き埋めとなっており、犠牲者の数はさらに増える恐れがあるという。
一方、外務省によると、パダン近郊に滞在していた日本人3人の安否が確認できていない。日本に住むそれぞれの家族らから「電話で連絡が付かない」など問い合わせが在メダン総領事館などにあったもので、確認を急いでいる。
毎日新聞 2009年10月2日 10時39分(最終更新 10月2日 12時48分)
スマトラ地震:救出作業時間との闘い 大統領が迅速化指示
500人以上の死者を出したインドネシア・スマトラ島沖の地震で、被災地のパダンでは2日も、倒壊したビルや家屋の下敷きになった住民らの救出作業が続けられた。
1日にパダン入りしたユドヨノ大統領は同日夜、地元当局者や軍などの救助関係者を集めて会議を開き、作業を迅速に進めるようあらためて指示した。
2日午後には地震発生から48時間となるため、救出作業は時間との闘いになっている。
日本が派遣した国際緊急援助隊も2日朝、ジャカルタから空路でパダンに向かう。
インドネシア社会省によると、地震による死者は1日夜までの段階で、計531人に上り、多数がなお、がれきに埋まっているとみられる。(共同)
毎日新聞 2009年10月2日 7時38分
スマトラ地震:政府、医師らを派遣へ
インドネシア・スマトラ島西部の大地震を受け、政府は1日、警察官、消防隊員ら約60人で構成する救助チームと、医師、看護師ら23人でつくる医療チームを同日からインドネシアに派遣すると決めた。国際緊急援助隊法に基づく措置で、派遣期間は救助チームが8日まで、医療チームは14日まで。現地で負傷者の救助や行方不明者の捜索にあたる。また、テントや毛布などの緊急援助物資(2000万~3000万円相当)も無償支援する。
一方、日本航空は1日、救援物資と支援者の渡航について、航空運賃を無料で受け付けると発表した。対象は国内の自治体や過去に日航が支援した実績のある民間援助団体で、燃油特別付加運賃(サーチャージ)などの費用は利用者負担となる。期間は5~23日。問い合わせは03・5460・3104。
◇
また、政府の派遣とは別に、日本赤十字社の日赤医療センター国際医療救援部長、槙島敏治医師(58)が1日、成田国際空港から出発。バリなどに駐在する日本人職員3人と現地で合流して約10日間滞在し、被災状況に応じた医療チーム派遣に向けた準備をする。槙島医師は出発前「報道で10万人近くが生き埋めになっていると聞いた。どれだけ全力を尽くせるか考えている」と話した。【斎川瞳】
毎日新聞 2009年10月1日 22時34分
スマトラ地震:死者770人に
1日、インドネシア・スマトラ島西部パダンで倒壊した建物の前にたたずむ少年=AP
【パダン(インドネシア・スマトラ島)井田純】インドネシア・スマトラ島西岸沖で9月30日に起きたマグニチュード(M)7.6の地震で、同国の社会省当局者は1日、死者が770人と明らかにした。AFP通信が伝えた。
震源に近い西スマトラ州パダンでは、倒壊した5階建てホテルで宿泊客少なくとも80人が行方不明になっているという。道路網が寸断されていることなどから救助作業は難航。犠牲者はさらに増える可能性がある。
毎日新聞 2009年10月1日 21時19分(最終更新 10月2日 1時06分)
スマトラ地震:一夜明け、病院に負傷者200人殺到 「街の半分、倒壊」
【ジャカルタ井田純】インドネシア・スマトラ島西部を襲った大地震で、深刻な被害を受けた西スマトラ州パダンでは、家を失った被災者や余震を恐れる住民たちが屋外での不安な一夜を過ごした。がれきの下に残された住民の救出活動は難航し、病院には手当てを求める多数の負傷者が次々と運び込まれており、犠牲者の拡大が懸念されている。
パダン在住の教師、ジャマルさん(34)は地震から一夜明けた1日朝、「商業地区にある3階建てのビルが軒並み倒壊している。中のオフィスで仕事をしていたはずの妻がまだ見つからない」と毎日新聞の取材に答えた。家族とともに避難しているファニさん(26)は、「市内のビルや住宅は半分以上が壊れている。夜中まで大雨が続いたが、恐ろしくて建物の中に入れない」と語った。また妻が頭にけがをしたというリオさん(30)は「自宅は完全に崩れてしまった。がれきの下に閉じ込められた人たちの救出活動も、朝になって始まったばかり」と現地の様子を伝えた。
地元テレビは、倒壊した建物が並ぶパダン市街や、逃げ惑う住民や車、バイクで道路があふれ、パニック状態となった地震直後の模様を繰り返し放映。さらに多数の負傷者が屋外に横たわり、応急処置や点滴を受けている様子を伝えている。
パダンでは、多数の医療施設が倒壊した。現地にある国軍の病院だけで200人以上の負傷者が搬送されるなど、各病院には手当てを求める負傷者が殺到している。
被災地では1日朝になっても電力供給が復旧しておらず、外部との通信も途切れがちな状態が続いている。パダンとスマトラ島の最大都市メダンなど各地を結ぶ幹線道路も土砂崩れの被害が出るなど、生活・交通インフラに大きなダメージが及んでいる。カラ副大統領は会見で、「緊急支援態勢は2カ月間続く」との見通しを示し、捜索活動と復旧作業は長期化しそうだ。
◇大学やNPO、安否確認に懸命
大地震から一夜開けた1日、被害にあったパダン市と交流のある日本の関係者は安否情報の確認に追われた。
鹿児島大は07年から若手研究者育成プログラムとして、パダン市中心部から12キロにある国立アンダラス大学へ毎年、大学院生を派遣してきた。今年も5日から男子院生4人が2カ月弱滞在する予定だった。引率者の米田健・農学部教授は「学生は既にジャカルタ入りしており、どうするか対応を検討しなければならない」と心配そうに話した。アンダラス大からの男子留学生は「電話がつながったが、実家は半壊していた」と話しているという。
インドネシアツアー専門の「インドネシア旅行社」(東京都渋谷区)の藤松滋社長(60)によると、学生の海外インターンシップに取り組むNPO「アイセック・ジャパン」(千代田区)が早稲田大からパダンの日本語学校に男子学生1人を派遣中。「NPOが昨夜から安否確認に追われていたが、『現地の人と一緒に高台に避難した』と無事を知らせるメールがあったと話していた」という。
水質検査や環境教育などのボランティア300人以上をインドネシアに派遣している独立行政法人「国際協力機構」(JICA)も1日朝、インドネシアにいるボランティア全員の無事を確認した。【立上修、真野森作、野口由紀】
毎日新聞 2009年10月1日 東京夕刊
スマトラ地震:パダンで遺体200人超、死者数千人か
インドネシア西スマトラ州の州都パダンで、地震で倒壊した家屋=AP
【ジャカルタ井田純】インドネシア・スマトラ島西部を襲った大地震で、同国の災害対策庁報道官は1日、震源に近い西スマトラ州の州都パダンで200人以上の遺体が確認されたと述べた。保健省当局者は同日、地震による死者が数千人にのぼる可能性を指摘した。
災害対策庁報道官によると、パダンでは少なくとも500棟の建物が崩壊・破損した。AP通信によると、パダンの市長はラジオ放送で「多数の被災者が出ている。水や電気が不足し、通信状況も十分でない」と援助を求めた。
被災地周辺では地震による土砂崩れが数十カ所で発生、パダンに通じる幹線道路が寸断され、援助物資の輸送に影響が出ている。政府は国軍輸送機で医薬品やテントなどを現地に搬送する方針。同国海軍は1日、負傷者の治療のため医療用艦船3隻を派遣した。
ジャカルタの日本大使館によると、西スマトラ州では日本人全員の無事が確認された。
一方、スマトラ島西部で1日午前8時52分(日本時間同10時52分)にマグニチュード(M)6.8の地震があった。震源はパダンの南東225キロで、30日の地震(M7.6)の震源から約300キロ離れた地点。震源の深さは24.9キロ。現地では複数の住宅が倒壊しているとの情報がある。
毎日新聞 2009年10月1日 12時09分(最終更新 10月1日 13時02分)
スマトラ地震:M7.6の規模 1000人以上が死亡か
30日、インドネシア西スマトラ州パダン近郊のパダンパンジャンの病院で治療を受ける負傷者=AP
【ジャカルタ井田純】インドネシア・スマトラ島の西スマトラ州で、30日午後5時16分(日本時間同7時16分)ごろ大きな地震があった。米地質調査所(USGS)によるとマグニチュードは7.6。保健省当局者は「1000人以上が死亡した可能性がある」と述べた。同国のカラ副大統領は少なくとも75人の死者が出たと発表している。同州の州都パダンでは、ホテルなど多数のビルや住宅が倒壊している。USGSによると震源はパダンの西北西45キロ、震源の深さは80キロ。
現地からの報道によると、パダンではショッピングモールが損壊したほか、住宅倒壊などの被害が出ているという。政府当局によると、病院やホテルが崩壊したといい、入院患者や宿泊客が下敷きになった可能性がある。また数百の家屋が壊れたとの情報もある。保健省当局者は「数千人ががれきの下敷きになっている」と述べた。
現地からのテレビ中継は、がれきの下に埋まった遺体や、多数の市民が余震を恐れ、建物の外で待機する様子を映し出している。
被災地は広範に停電しており、雨も降っている模様。被害把握や救援は難航している。さらに、地震で土砂崩れが発生し、被災地への交通が遮断されたという。
ジャカルタの日本大使館によると、同日夜までに日本人が被害にあったという情報はないが、現地の通信状況が悪く、引き続き確認を進めている。
この地震による揺れは、スマトラ島内各州のほか、マラッカ海峡を隔てたマレーシアの首都クアラルンプールでも観測された。
パダンに住む女性(26)は携帯電話が通じず、携帯電話メールで毎日新聞に「多数の住宅やホテルが倒壊して火災が起きている。一部では橋も損壊し、市内の交通がパニック状態になった」と伝えた。津波を恐れて高いところに避難する住民も多いという。
スマトラ島付近では04年12月、スマトラ沖大地震でインド洋大津波が発生した。
パダンはスマトラ島西部にある西スマトラ州都。農業地域だが、港と空港があり、交通の要衝、商業地域でもある。人口約90万人。00年以降、スマトラ沖の地震や近くの火山噴火による被災が相次いだ。
2009年10月1日
地震:インドネシア・スマトラでM7.6 75人死亡
◇病院・ホテル倒壊「数千人下敷き」
【ジャカルタ井田純】インドネシア・スマトラ島の西スマトラ州で、30日午後5時16分(日本時間同7時16分)ごろ大きな地震があった。米地質調査所(USGS)によるとマグニチュード(M)は7・6。同国のカラ副大統領は少なくとも75人の死者が出たと発表した。同州の州都パダンでは、ホテルなど多数のビルや住宅が倒壊し、保健省当局者は「数千人ががれきの下敷きになっている」と述べた。USGSによると震源はパダンの西北西45キロ、震源の深さは80キロ。
現地からの報道によると、パダンではショッピングモールが損壊したほか、住宅倒壊などの被害が出ているという。
政府当局によると、病院やホテルが崩壊したといい、入院患者や宿泊客が下敷きになった可能性がある。また数百の家屋が壊れたとの情報もある。
現地からのテレビ中継は、がれきの下に埋まった遺体や、多数の市民が余震を恐れ、建物の外で待機する様子を映し出している。
被災地は広範に停電しており、雨も降っている模様。被害把握や救援は難航している。さらに、地震で土砂崩れが発生し、被災地への交通が遮断されたという。
ジャカルタの日本大使館によると、同日夜までに日本人が被害にあったという情報はないが、現地の通信状況が悪く、引き続き確認を進めている。
この地震による揺れは、スマトラ島内各州のほか、マラッカ海峡を隔てたマレーシアの首都クアラルンプールでも観測された。
パダンに住む女性(26)は携帯電話が通じず、携帯電話メールで毎日新聞に「多数の住宅やホテルが倒壊して火災が起きている。一部では橋も損壊し、市内の交通がパニック状態になった」と伝えた。津波を恐れて高いところに避難する住民も多いという。
スマトラ島付近では04年12月、スマトラ沖大地震でインド洋大津波が発生した。
パダンはスマトラ島西部にある西スマトラ州都。農業地域だが、港と空港があり、交通の要衝、商業地域でもある。人口約90万人。
毎日新聞 2009年10月1日 東京朝刊
スマトラ地震:「寝ていたら大きな揺れ」現地の学生語る
30日、インドネシア・西スマトラ州のパダンで、地震で倒壊した建物から避難する男子学生ら=ロイター
インドネシア・西スマトラ州で30日発生した地震で、強い揺れに襲われた同州の州都パダン。同地にあるホテルにいた現地の男子学生(17)は取材に「寝ていたら大きな揺れが来た。慌てて外に出て身の安全を確保した」と驚いた様子で話した。この学生によるとホテルは倒壊せずけが人はいなかった。周囲では多数のけが人が出ているという。【野口由紀】
◇04年地震とは違うメカニズム
火山帯が連なるインドネシアでまたも地震が住民を襲った。現地のスマトラ島では、死者が出たほか、多数の住民が倒壊建物の下敷きになるなどの被害が伝えられている。04年12月にはマグニチュード(M)9.0のスマトラ沖大地震が発生。大津波による被害を含め死者・行方不明者が22万人以上となっただけに、被害の拡大が懸念されている。
インドネシア付近はオーストラリアプレート(岩板)の沈み込み帯に当たり、スマトラ沖大地震以降、5700人以上の死者が出た06年5月のジャワ島中部地震など、地震活動が活発になっていた。地震予知連絡会会長の島崎邦彦・東京大名誉教授(地震学)は「今回の地震はプレート内部で起こっており、プレート境界で起きたスマトラ沖大地震とはメカニズムが異なる。だが、位置が近いのでまったく無関係ではないかもしれない」と話す。
島崎さんによると、M7・6という規模はプレート内部の地震としては「かなり大きい」という。「震源は深いが規模が大きかったため、ほぼ真上にあるパダン周辺で大きな被害が出たのだろう。(日本時間30日未明に起きた南太平洋の)サモア沖の地震とはプレートも異なるので、関係はない」とみている。
スマトラ沖大地震の後、被害状況を把握するため現地を訪れた関西大の河田恵昭教授(地震学、危機管理)は「震源はスマトラ沖大地震の震源に近く、この周辺で地震が起きるのは不思議ではないが、前回は津波、今回は揺れによる被害だ」という。04年は人口密集地域に津波が押し寄せ、民家が流されるなどして多くの犠牲が出たのに対し、今回は直下の地震による揺れで建物が倒壊した。
「現地の関係者は、スマトラ沖大地震の後『(プレートのひずみがこれで解消され)地震はしばらく起きないだろう』と考え、他の地域の地震に注意が向いていた」と河田教授は指摘する。【西川拓、元村有希子】
毎日新聞 2009年10月1日 1時21分(最終更新 10月1日 10時23分)
スマトラ地震:M7.6の規模 1000人以上が死亡か
30日、インドネシア西スマトラ州パダン近郊のパダンパンジャンの病院で治療を受ける負傷者=AP
スマトラ島で起きた地震の震源地
【ジャカルタ井田純】インドネシア・スマトラ島の西スマトラ州で、30日午後5時16分(日本時間同7時16分)ごろ大きな地震があった。米地質調査所(USGS)によるとマグニチュードは7.6。保健省当局者は「1000人以上が死亡した可能性がある」と述べた。同国のカラ副大統領は少なくとも75人の死者が出たと発表している。同州の州都パダンでは、ホテルなど多数のビルや住宅が倒壊している。USGSによると震源はパダンの西北西45キロ、震源の深さは80キロ。
現地からの報道によると、パダンではショッピングモールが損壊したほか、住宅倒壊などの被害が出ているという。政府当局によると、病院やホテルが崩壊したといい、入院患者や宿泊客が下敷きになった可能性がある。また数百の家屋が壊れたとの情報もある。保健省当局者は「数千人ががれきの下敷きになっている」と述べた。
現地からのテレビ中継は、がれきの下に埋まった遺体や、多数の市民が余震を恐れ、建物の外で待機する様子を映し出している。
被災地は広範に停電しており、雨も降っている模様。被害把握や救援は難航している。さらに、地震で土砂崩れが発生し、被災地への交通が遮断されたという。
ジャカルタの日本大使館によると、同日夜までに日本人が被害にあったという情報はないが、現地の通信状況が悪く、引き続き確認を進めている。
この地震による揺れは、スマトラ島内各州のほか、マラッカ海峡を隔てたマレーシアの首都クアラルンプールでも観測された。
パダンに住む女性(26)は携帯電話が通じず、携帯電話メールで毎日新聞に「多数の住宅やホテルが倒壊して火災が起きている。一部では橋も損壊し、市内の交通がパニック状態になった」と伝えた。津波を恐れて高いところに避難する住民も多いという。
スマトラ島付近では04年12月、スマトラ沖大地震でインド洋大津波が発生した。
パダンはスマトラ島西部にある西スマトラ州都。農業地域だが、港と空港があり、交通の要衝、商業地域でもある。人口約90万人。00年以降、スマトラ沖の地震や近くの火山噴火による被災が相次いだ。
毎日新聞 2009年9月30日 20時02分(最終更新 10月1日 2時27分)