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阪神大震災から15年へ


震災障害者支援:法改正含め対応へ 「阪神」で後遺症

2010126 2133

 阪神大震災(95年)で心身に後遺症が残った「震災障害者」について、中井洽(ひろし)・防災担当相は26日、参院予算委員会で「けがをした方々のその後の気持ちについて、国が配慮するよう関係省庁と協力して取り組みたい」と述べ、現状の法制度改正も含め、支援に向けて対応する考えを示した。

 辻泰弘氏(民主)の質問に答え、「井戸敏三(兵庫県)知事や矢田立郎・神戸市長から陳情があった」とした上で語った。中井担当相は今月17日、神戸市で記者団の質問に「ケアで何かできるのか。一度考えてみたい」と答え、国として支援を検討する意向を示していた。

 震災による重傷者は全体で1万683人(総務省消防庁調べ)に上るが、自然災害で障害を負った人に国などが支給する「災害障害見舞金」は労災1級相当の障害を負った場合に限られ、支給は64人にとどまっている。また、行政が追跡調査をせず、震災障害者の実態は不明のまま。神戸市は昨年末、市内の震災障害者数を少なくとも183人と初めて集計し、実態調査実施を表明。兵庫県も実態調査する方針。【中尾卓英、川口裕之】

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社説:阪神大震災15年 「減災力」を発信したい

 ハイチ大地震を伝える映像が、あの日の記憶をよみがえらせる。阪神大震災から15年がたった。近い将来、東海、東南海地震など巨大地震の発生が予測される日本で、被害を最小限に食い止める「減災力」は万全だろうか。

 目安になるのが「耐震化率」だ。昨年の文部科学省調査では、公立小中学校施設のうち約7300棟が、震度6強で倒壊する恐れがあると指摘された。災害拠点病院や救命救急センターも、耐震基準を満たしているのは62%しかない。国や自治体の財政難が影響して、取り組みは遅れがちだ。

 阪神大震災の発生時、救援活動の初動が遅れ、被害を拡大したことが指摘された。民主党は総選挙のマニフェストに危機管理庁創設を掲げ、その実現を急ぐ動きも出ている。

 しかし、第一線で市民の生命を守るのは自治体の使命であり、その権限強化も必要とされる。国と自治体の役割分担など課題は多い。

 むしろ、限られた予算の優先度を見直して、自治体の消防、救急体制の拡充や公共施設の耐震化を手厚く支える方が先決ではないか。

 「震災障害者」と呼ばれる人たちの存在も浮かび上がってきた。震災の重傷者は1万人を超えたが、障害の残る人の大半は孤立したまま、十分な支援が受けられず、行政は実態すら把握していなかった。

 被災して兵庫県外に避難したままの「県外被災者」からも「高齢になって元の街に戻りたいが、経済的に無理だ」と嘆く声を頻繁に聞く。

 「減災」とは、モノの被害を減らすばかりではない。住民を体や心の傷から守るということも、極めて重要なのである。

 関西の大学の研究者や弁護士が先に、「災害復興基本法」の試案を発表した。被災者を復興の主体とし、国や自治体はその自立を支援する責務を負うという内容だ。とりわけ、地域コミュニティーの重要性や住まいの多様性を確保することの大切さを強調した点で傾聴に値する。

 新潟県中越地震の被災地では、コミュニティーの高齢者と外部の若者が力を合わせて、地域社会を復興させた例がある。都市部でもこういうやり方は十分可能だろう。

 もちろん、住宅耐震化など市民個々の努力と工夫の積み重ねが、減災への第一歩なのはいうまでもない。さらに、災害を体験した市民の発想を国や自治体の施策に生かしていけば、減災社会への道が開ける。

 地震など巨大災害への備えが必要な国や地域は無数にある。国際支援の一環として、日本が身をもって学んだ減災の知恵を、広く発信していきたい。

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毎日新聞 2010118日 237


阪神大震災:神戸で追悼式典 皇太子ご夫妻、首相も出席

2010117 1922分 更新:117 2139

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追悼式典で献花される皇太子ご夫妻=神戸市中央区の兵庫県公館で2010年1月17日午後0時44分、貝塚太一撮影

 6434人が犠牲になった阪神大震災は17日、発生から15年を迎えた。被災地では早朝から、さまざまな追悼行事があり、鎮魂の祈りがささげられた。「ひょうご安全の日推進県民会議」主催の追悼式典には、皇太子ご夫妻と鳩山由紀夫首相も出席。防災行事も各地であり、大きな犠牲を払った教訓を生かし、災害に強いまちづくりを目指す決意を新たにした。

 神戸市中央区の東遊園地では午前5時から「1・17のつどい」(実行委主催)が開かれ、約6万6000人が参加。15年の節目であるとともに、日曜だったこともあり、昨年より約1万6000人多く過去最多を記録した。

 「1995」「1・17」の形に並べられた約1万本の竹灯籠(とうろう)にともされた炎が揺れる中、地震が発生した午前5時46分、一斉に黙とうした。弟(当時22歳)を亡くしたゴスペル歌手、森祐理さんが復興応援歌「しあわせ運べるように」を独唱、参加者も口ずさみ、寒空に歌声が響き渡った。

 祖母(当時85歳)を亡くした神戸市北区の下浦裕美さん(49)が遺族代表として追悼の言葉を読み上げ、「震災は多くの大切な生命、大切なものを奪ったが、大切なことも教えてくれた」と訴えた。

 「ひょうご安全の日推進県民会議」主催の追悼式典は同市中央区の兵庫県公館を主会場に行われた。皇太子さまは「助け合い、安全で安心して暮らせる地域づくりを期待する」と語った。鳩山首相は「万全の備えをし、命を守ることは政治の大きな役割」と防災対策の充実を誓った。現職首相の参列は小渕恵三首相(当時)以来10年ぶり。【震災取材班】

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阪神大震災:難病女性 犠牲の恩師に初めての墓参り

2010117 1146分 更新:117 1154

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寝たきりで難病治療を続けながら、阪神大震災で亡くなった恩師の水谷トシ子さんの墓前に高校進学・卒業を報告する小林佐和子さん(手前)。奥は両親の剛典・三千代さん=神戸市須磨区の自宅で2010年1月13日、三村政司撮影

 寝たきりの生活を送りながら難病と闘っている神戸市須磨区の小林佐和子さん(30)が17日、阪神大震災(95年1月17日)で亡くなった中学の担任教員、水谷トシ子さん(当時57歳)の墓に初めてお参りする。「一緒に道を開いていこう」。恩師の言葉を励みに高校に進学、卒業した。あれから15年。体の自由は徐々に利かなくなっているが、今も前を向いて毎日を過ごしていることを報告する。【山下貴史】

 小林さんは3歳の時、全身の筋力が衰える難病、進行性脊髄(せきずい)性筋萎縮(いしゅく)症と診断された。小学2年の時に、同市立友生養護学校訪問教育部(わらび学級)に転入したが、寝たきりになり入院先の病院で授業を受けていた。

 同校中学部で担任になったのが水谷さんだった。「最初は怖かった。けれど、親身になってくれる先生だった」。9歳で気管を切開、声を失った小林さんに、水彩画を描く楽しみを教えてくれた。94年春の卒業を記念して小林さんの詩や作文を添えて文集の出版を計画してくれた。「いい本にしましょうね」。そう小林さんに言葉をかけた4日後、震災が発生、倒壊した兵庫県芦屋市の自宅マンションで死亡した。

 恩師の死を聞いた小林さんはショックを受けながらも、「私、負けない。やるだけやってみる」と96年に通学が前提の同校高等部に入学。人工呼吸器をつけたまま週3回、ほとんど休まずに通学した。パソコンの学習は「自由に意思表示ができる」ため楽しく、熱心に取り組んだ。翌97年には自宅用呼吸器を取り入れ約10年間の病院生活を終え、帰宅した。

 20歳の時に高校を卒業。ショッピング、コンサート、東京ディズニーランド……。「普通の女の子」と同じ夢を一つ一つ実現し、自信につながった。

 その一方で、数年前からは口も動かしにくくなった。「先生に何を報告する」。母三千代さんの問いかけに、小林さんは答えた。「今の生活を見てほしい。また会いたい。ありがとう」

 文集「野のゆりのように」は95年9月に完成。収められた水谷さんの「遺稿」(94年10月付)には、こう記されている。「繊細さ、強さ、不自由な外見の中に秘められた豊かな表現力に出会い続けた」

 17日は分骨が眠る神戸市東灘区の霊園に参り、水谷さんが毎週通った教会の礼拝に出席する。

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阪神大震災:発生から15年の朝 さまざまに鎮魂の祈り

2010117 91分 更新:117 139

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阪神大震災発生から15年の朝を迎え、竹筒の中にともる追悼のろうそくの明かり=神戸市中央区の東遊園地で2010年1月17日午前6時43分、山本晋撮影

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阪神大震災発生から15年を迎え、公園に並ぶろうそくやビルの室内灯の明かりで作られた「1・17」の日付=神戸市中央区の東遊園地で2010年1月17日午前6時27分、山本晋撮影

 6434人が犠牲になった阪神大震災は17日、発生から15年の朝を迎えた。被災地では、さまざまな追悼行事が行われ、鎮魂の祈りがささげられた。

 神戸市中央区の東遊園地で開かれた「1・17のつどい」(実行委主催)には早朝から約8000人(午前7時現在)が参加。「1・17」の形に並べられた約1万本の竹灯籠(とうろう)にともされた炎が闇夜に揺れる中、午前5時46分、一斉に黙とうし、犠牲者へ思いをはせた。

 弟(当時22歳)を亡くしたゴスペル歌手、森祐理さんが「しあわせ運べるように」を独唱、歌声が寒空に響き渡った。祖母(当時85歳)を亡くした神戸市北区の下浦裕美さん(49)は遺族代表として追悼のことばを述べ、「震災は多くの大切な生命、大切なものを奪ったけど、大切なことも教えてくれた」と語った。また、震災で後遺症を負った震災障害者と、その家族は矢田立郎・神戸市長と対面、15年間の思いをつづった手紙を手渡した。

 神戸市中央区の兵庫県公館では正午前から、「ひょうご安全の日推進県民会議」主催の追悼式典があり、皇太子ご夫妻や鳩山由紀夫首相が参列する。震災の教訓を後世に伝える神戸震災復興記念公園も同区で開園する。

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交流協定:米ハリケーン被災地と神戸市の住民が結ぶ

 阪神大震災の被災地・神戸市と、ハリケーン・カトリーナ(05年8月)で被災した米国ニューオーリンズ市の地域住民組織同士が16日、交流協定を結んだ。草の根レベルで被災の教訓を共有し、住民主体の災害復興を進める狙い。

 協定を結んだのは、神戸の▽長田区御蔵▽同区野田北▽灘区六甲▽兵庫区松本地区の組織。震災では住民がまちづくり協議会などを組織、コミュニティーの再形成にも積極的に取り組んだ。ニューオーリンズでは被災後、街の再建が進むが、多数の空き家が放置された地域もあるという。

 野田北ふるさとネットの河合節二事務局長は「小さな地区同士なら、復興に対する住民の気持ちや悩みが共有できる。神戸の住民の取り組みを紹介し、交流を進めたい」と話した。

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毎日新聞 2010117日 037分(最終更新 117日 115分)


余録:阪神大震災15年

 地図は雄弁だ。新たな発見をもたらし、想像力をかき立ててくれる。富山県が作った「逆さ地図」を見る度にそう思う。正式には「環日本海諸国図」という▲地図の南北を逆転し日本列島を大陸から眺めると、日本は孤立した島国ではなく、韓国、中国、ロシアなどと輪でつながってみえるから不思議だ。日本海を軸に「循環と共生」の大切さを読み取ることができる▲6434人が亡くなった阪神大震災からきょうで15年を迎えた。被災地に毎年、書き足され、思いを刻み続ける地図がある。「震災モニュメントマップ」だ。犠牲者を悼み、地域の人たちや遺族が建てた慰霊の石碑や植樹などの場所が地図に落とし込まれている▲地図に示されたモニュメントの場所は当初の55カ所から増え続け、今年は288カ所になった。「いのち」「絆(きずな)」「忘れない」。碑文に刻まれた思いに息をのむ。かけがえのない人がそこで生きた証しであり、人々の営みを支えた「わが街」がしのばれる▲震災の記憶と教訓を未来に伝えるのは、モニュメントだけではない。被災地の語り部がいる。「もらった命」と60代の夫婦は「生きている間は語り継ぎ、災害時に他の人も助かるようにしたい」という。高校の地学教師は、地震の仕組みや身近な断層を生徒に教える。避難所の日常を語り続けるボランティアもいる(本紙大阪本社版「希望新聞」)▲「あの日」の揺れを知らない子どもたちが増えている。モニュメントマップは今春、CD-ROM化され、希望する小中学校や自治体に無料で配られるという。自ら備え、助け合う「共生」の心をはぐくみ減災社会を誓う「この日」にしたい。

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毎日新聞 2010117日 000


阪神大震災:6434人へ祈り 17日で15年

2010116 2111分 更新:116 2216

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「追悼のつどい」で、犠牲者の数と同じ6434本のろうそくに祈りを捧げる参加者=伊丹市の昆陽池公園で、2010年1月16日午後5時50分、山本晋撮影

 6434人が死亡し、4万3792人が負傷した阪神大震災は17日、発生から15年となる。災害救助法が適用された兵庫県、大阪府の15市10町(当時)の住宅被害は63万9686棟。火災で焼けた家屋は7574棟に上った。犠牲者を悼み、その原点を確認する日が、巡ってきた。

 被害が集中した兵庫県では、15年間で計16兆3000億円の復興予算が投じられた。人口は震災前を上回り、まちを歩いても震災の傷跡を見つけることは難しい。しかし、神戸市長田区などでは人口は震災前の水準を下回ったままで、未完了の区画整理や再開発事業もある。同市では震災後に生まれたり転入してきた市民が36%となり、震災の風化も懸念される。

 兵庫県の災害復興公営住宅では、高齢化率(65歳以上が占める割合)が上昇を続け、昨年11月で48.2%に達した。単身高齢者率も43.3%に上る。また、「被災者生活再建支援法」など被災者支援制度の整備が進められてきた一方で、震災障害者支援や被災者の心のケアなど課題も指摘されている。【震災取材班】
 ◇ろうそくで追悼集会

 兵庫県伊丹市の昆陽池(こやいけ)公園で16日夕、阪神大震災の犠牲者数と同じ6434本のろうそくをともす「追悼のつどい」が始まった。地元ボランティア団体「ユー・アイ・アソシエーション」が主催。地震発生の17日午前5時46分まで火をともし続ける。ろうそくに手を合わせていた伊丹市の主婦、清水千代子さん(70)は「地震で家族は無事だったが、友人の兄が亡くなった。孫たちにあの時の大変さなどを語り継いでいきたい」と話していた。【衛藤達生】

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阪神大震災:犠牲者追悼で「灯のつどい」 東京で開催

2010116 1929分 更新:116 1933
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「KOBE MEMORIAL 1・17 灯りのつどい」で明かりを手にする人たち=東京都千代田区の国際フォーラムで2010年1月16日午後5時25分、梅田麻衣子撮影

 阪神大震災の犠牲者を追悼する「いま、わたしたちに、できること。2010 KOBE MEMORIAL 1・17 灯(あかり)のつどい」が16日、東京都千代田区の東京国際フォーラムであった。

 ボランティア団体などでつくる「東京災害ボランティアネットワーク」が毎年開催。会場には、ろうそくを入れた竹筒やグラスなど計約800個が並べられ、火をつけると「1・17 KOBE」の文字が浮かび上がった。

 神戸市出身で自宅が全壊したという東京都港区の女性会社員(30)は「悲劇を少しでも減らすために、家具の固定など身近な備えをみんなにしてほしい」と話した。【福永方人】

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記者の目:阪神大震災の震災障害者問題=川口裕之


皇太子ご夫妻:神戸入り 震災追悼式典に出席のため

 皇太子ご夫妻は16日、神戸市で17日に催される「1・17のつどい-阪神・淡路大震災15周年追悼式典」に出席するため、同市入りした。お二人は式典出席後、遺族代表と懇談するなどして同日に帰京する。雅子さまの宿泊を伴う公務は、08年1月に冬季国体開会式が開かれた長野県を訪れて以来2年ぶり。

 ご夫妻は飛行機で大阪空港に到着し、午後5時過ぎに車で神戸市内のホテルに入った。ロビーでは大勢の人たちがご夫妻を出迎え、雅子さまは笑顔で手を振って応えた。

毎日新聞 2010116日 1913


17日に阪神大震災15年 高齢者支援や経済活性化が課題

 6千人以上が犠牲になった阪神大震災から17日で15年。町の整備がほぼ終わり、転入者など震災を知らない市民が増える一方で、孤立する高齢被災者への支援や地域経済の活性化など、生活復興に向けた課題はなお多い。

 約4万人が暮らす被災者向け公営住宅「復興住宅」では、43%が65歳以上の単身世帯。一般県営住宅に比べると約2倍で年々上昇している。

 復興住宅で一人暮らしの住民が誰にもみとられずに死亡した「孤独死」は2009年で62人に上り前年より16人増えた。

 不況の影響も大きく、神戸など被災12市の08年度実質総生産(速報値)は震災前の1993年度を下回った。復興事業で圧迫された自治体の財政も改善していない。

 兵庫県の井戸敏三知事は「課題は残されている」として、09年度で終える予定だった「阪神・淡路大震災復興基金」による支援事業を、少なくとも10年間延長する考えを示した。

 一方で、震災によるけがで障害者になった「震災障害者」の実態調査など、新たな課題も浮上してきている。

 神戸市では転入者や震災後に生まれた市民が計約36%になり、被災経験の継承も求められている。

(2010/01/16 16:39)


阪神大震災:「中越」被災者が交流 山桜の箸贈る

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山桜の枝を削った手作りの箸を掲げる阿部和雄さん=新潟県川口町木沢で、五十嵐和大撮影

 阪神大震災の発生から、17日で丸15年。新潟県中越地震(04年10月)の震源地に近い同県川口町木沢の阿部和雄さん(59)は、被災地同士の交流を続けている阪神大震災の被災者へ、集落に自生する山桜の枝を使った手作りの箸(はし)を贈る。「この箸を使って、自然豊かな木沢を思い出してほしい」との手紙を添えて。素朴な工芸品が、交流の橋渡し役を担う。

 阿部さんは当初、15日に兵庫県西宮市で開かれた復興住宅の住民との交流会に参加する予定で、手作りの箸は手土産のつもりだった。カッターナイフで枝の先端を細く削り出す。手で持つ部分はあめ色をした山桜の皮がつややかに光る。6人で出発した14日、新潟県は大雪に見舞われ、「無理をして心配させてもいけない」と取りやめた。

 「積雪は3メートル以上。木沢でこれだけの雪が降るのは、あのとき以来」。中越地震直後の冬も、木沢は豪雪に見舞われ、高齢化が進む住民を悩ませた。避難所暮らしを終え、壊れたままの自宅へ戻ったころと同じ景色が、苦しかったころを思い出させる。「夜を迎えると『また地震が来るんじゃないか』と心細くなって」。大規模半壊とされた自宅を修理する傍らで、87歳の父を病気で亡くした。「被災後2年間は、つらい時期が続いた」と振り返る。

 西宮市を初めて訪ねたのは2年前。両被災地の救援にかかわったボランティア団体の仲介だった。被災者同士が経験を語り合うなかで、落ち着きを取り戻した。互いに訪問し合う交流会は3回を数え、電話や手紙で親交を深めている。

 17日、木沢では無病息災を願う小正月の行事「塞(さい)の神」がある。阿部さんは「木沢も西宮の皆さんも、健康で再会できますように」と祈るつもりだ。山桜が花を咲かせるころ、「西宮を訪ねたい」と春を待ちわびる。【五十嵐和大】

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毎日新聞 2010116日 1247分(最終更新 116日 1453分)


阪神大震災:09年の孤独死62人

 阪神大震災(95年)の被災者らが住む兵庫県内の災害復興住宅で、1人暮らしの住民が「孤独死」したケースは09年1年間で前年より16人多い62人だったことが15日分かった。男性44人、女性18人で、大半が60代以上。復興住宅での孤独死は統計がある00年以降で計630人になった。対象は県内の復興住宅265カ所。県警の検視結果を基に毎日新聞が集計した。

 62人は44~93歳。死因は病死51人▽事故死6人▽自殺5人。【内田幸一】

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阪神大震災:288のモニュメントを地図に CDで紹介

毎日新聞 2010116日 053


阪神大震災:直後の写真、消防が公開 800点展示へ

201018 2024分 更新:18 2146

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震災直後に燃え上がった家屋に放水する消防隊員=神戸市内で

 神戸市消防局は8日、阪神大震災(95年1月)で隊員らが消火や救助作業中に撮影し、未公開だった写真の一部を初めて公開した。保管されていた写真は最終的に約4500枚に上り、このうち展示用の約800枚を学生らが選定。震災15年を迎える今月17日から、一般に展示する。

 倒壊家屋から被災者を救助したり、焼け野原で遺骨を捜索する姿のほか、火災被害が広がる様子などが記録されている。

 写真は、震災資料の保存に取り組む水本浩典・神戸学院大教授のゼミの学生らが選定した。写真が展示される「阪神・淡路大震災記録資料展」は17~28日の午前10時~午後6時、神戸市中央区の同市役所2階の市民ギャラリーで。入場無料。【重石岳史】

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阪神大震災:288のモニュメントを地図に CDで紹介

201016 1021分 更新:16 1023

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語り部(左)から説明を受け、焼けこげた跡が残る電柱に触れる高校生たち=神戸市長田区の御蔵北公園で昨年11月、小関勉撮影

 阪神大震災(95年)の遺族らでつくるNPO法人「阪神淡路大震災 1・17希望の灯(あか)り」(HANDS)が、被災地に建つ慰霊碑や記念碑を紹介する「震災モニュメントマップ」のCD-ROM化を進めている。3月末までに1000部を作製、希望する全国の小・中学校や自治体に無料配布する予定だ。

 震災モニュメントは、犠牲者を悼み、震災の教訓を伝えるため、被災地に建立されたり、被災の跡をそのまま残すなどしたもの。個人や自治会、学校、企業など建立者はさまざまだが、毎年新たに作られたり、存在が確認されたりしている。

 「モニュメントは被災者の心のよりどころ。次世代へ伝えたい」と震災15年を機にCD化が計画された。国内外で確認された288カ所について、所在地を地図上に記し、写真や建立日、碑の文言、連絡先などを収める。

 神戸市灘区の石屋川公園には、桜の横に「伸也 富子 生きた証」と記した碑がある。震災で長男伸也さん(享年27)と妻富子さん(同25)を亡くした足立悦夫さん、朝子さん夫婦が「生きた証しを」と、2人が暮らしたアパート跡を見渡せる公園に桜を植樹、根元に新婚4カ月で亡くなった2人が寄り添う写真を収めた碑を建てた。春にはモニュメントを巡るウオークの参加者らが花見を開く。

 同市長田区の御蔵北公園には、焼け焦げた電柱が残る。震災で一帯は火の海に。地域は整備されたが、電柱は震災を語り継ごうと住民の提案で残された。ボランティア団体「まち・コミュニケーション」は修学旅行生に、電柱の前で防災の心構えを伝えている。

 HANDS理事の岸本昌市さん(65)は「地震はいつ、どこでも起こる可能性がある。次の災害に備えるきっかけに」と話した。【小川信】

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阪神大震災:小説「ピンクの雨」出版家族のきずな痛切に

20091231 920分 更新:1231 1031

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被災体験を基に書いた小説「ピンクの雨」を持つ新野さん=兵庫県西宮市内で、南文枝撮影

 阪神大震災(95年1月)で被災した兵庫県西宮市の新野彰子さん(46)が、被災者としての体験を基に書いた小説「ピンクの雨」が出版された。「生き残った者として、震災を語り継ぎたい」との思いを込めたといい、印税は震災遺児支援施設に寄付する。

 6歳で被災し母を亡くした少女が、震災で生き別れになった父と大学生になって再会、父の苦悩を知り、家族のきずなを確認するというストーリー。震災で心が傷つき、復興が進む街並みを見ても素直に喜べないなど、被災者の心の揺れを細かくつづった。タイトルは震災前に家族で花見をした際の、桜の花びらが舞う情景からつけた。

 新野さんは震災で自宅が全壊、2年間避難生活を送った。その後は大学の非常勤講師の仕事に追われ震災を振り返る余裕がなかったが、数年前、震災当時のごう音や寒さに布団を頭からかぶって震えていた自分の姿が夢の中でよみがえった。「書くことで、つらい思いを吐き出せないだろうか」。05年に今回の基になる小説を執筆、出版につながった。

 傾いた家並みなど当時の様子や、避難所で過ごす被災者の不安な様子などは、自分の体験が基になっている。震災の取材を続ける新聞記者や被災者の話なども参考にした。

 新野さんは「震災を知らない子どもたちに読んでほしい。家族そろって生活できる日常の幸せを大事にしてほしい」と話している。四六判、208ページ。税抜き1400円。出版社は、幻冬舎ルネッサンス(03・5411・6710)。【南文枝】

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阪神大震災:今も被災者と年賀状 東京の元ボランティア

20091230 937分 更新:1230 946

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今年も阪神大震災でのボランティア活動で知り合った被災者の女性に年賀状を書く瀬川陽子さん=東京都新宿区で、石井諭撮影

 「この季節が来ると、あの時の情景が思い出されて胸が詰まります」。阪神大震災から来年1月で15年。東京都新宿区の児童相談員、瀬川陽子さん(42)は、ボランティアをした神戸市で出会った被災者の女性(81)に今年も年賀状を書いた。直接言葉を交わしたのは95年の被災直後だけだが、年賀状のやりとりは15枚目になる。「復興した街で孤独感を深めていないだろうか」と思いをはせながら、したためた。

 95年2月、瀬川さんは何度も旅行で訪れ、好きだった神戸市に駆けつけた。灘区の六甲小学校は体育館から教室、廊下まで約700人の被災者でいっぱいだった。身寄りもなく、ぼんやりとたたずむお年寄りたち。瀬川さんらはボランティアで、話し相手になる「声掛け作戦」を始めた。

 「不自由な生活で疲れは見えたが、気丈に明るく振る舞う人が多かった」。年賀状を交わすことになる女性もそうだった。大量に買ったパンをおすそ分けしてもらったり、お見合いを勧められたり。「逆に元気をもらった」

 瀬川さんは2カ月後に避難所を離れた。しかし、年賀状の交換は続いた。

 「やっと転居致しました。まだ段ボール箱を積んだままですがぼちぼちと思います(00年)」「震災から10年いろいろのこと思い出しております(05年)」。女性は今、神戸市内の復興住宅に1人で暮らす。瀬川さんへの年賀状に短い言葉で近況を伝えてくる。

 瀬川さんは来年の年賀状にこう記した。「くれぐれもお体を大事になさって下さい。そしてまた神戸でぜひお会いしたいです」【遠藤孝康】

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阪神大震災:政府首脳ら400人の肉声記録、来春にも公開

20091224 230分 更新:1224 230

 阪神大震災(95年1月)の当日やその後の復興について、政府首脳や自治体・企業関係者ら400人以上が語った膨大な記録が、早ければ来春、公開される。神戸大名誉教授の五百旗頭(いおきべ)真・防衛大学校長が代表を務めるグループが約10年かけて調査。国家や企業などの機密情報が含まれる可能性や、ありのまま語ってもらう目的から、外交文書などに準じて震災の30年後に公開するとしていたが、教訓を一刻も早く対策に生かそうと公開に踏み切ることにした。

 調査は98年から、林春男・京都大教授、室崎益輝・関西学院大教授らと学生たちが共同で実施。対象者は、震災当時の村山富市首相や国松孝次・警察庁長官ら政府首脳、中内功・ダイエー会長(故人)や、自治体首長や消防士、医師、学校教員、ボランティア、遺族、自衛隊員ら。

 調査は1人あたり1時間から数時間に及び、当時の緊急対策や復旧・復興政策について判断を迫られた時の思いや理由、家族を亡くした悲しみなどが語られた。こうした記録は「オーラルヒストリー」と呼ばれ、震災に直面した人の肉声を体系的に記録した資料は例がないという。【野田武】

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阪神大震災:生きとう限り灯りを守らな末期がん夫の決意

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「1.17希望の灯り」を掃除する舘川勝美さん(左)、千賀子さん夫婦=神戸市中央区で2009年12月21日、大西岳彦撮影

 阪神大震災の犠牲者を追悼する神戸市中央区・東遊園地のガス灯「1・17希望の灯(あか)り」。00年の設置以来10年間、このモニュメントを掃除し続ける夫婦がいる。しかし今月、夫は「余命50~60日」の末期がんと宣告された。入院で掃除を休んだが、21日、約1カ月ぶりに夫婦でガラスを磨いた。「自分の務めを全うし、きれいな姿で1月17日を迎えさせたい」。夫婦は力を込めた。

 ◇阪神大震災モニュメント掃除する夫婦


 近くで日本料理店を営む舘川勝美さん(70)と千賀子さん(67)。震災で自宅マンションと経営する料理店が全壊、東遊園地に避難した。半年後、公園西隣に日本料理店「たて川」を再開。借り入れた1500万円を返すため、必死に働いた。

 震災5年の00年1月、東遊園地に「慰霊と復興のモニュメント」が建立され、一角で希望の灯りがともった。涙を浮かべ、手を合わせる遺族たち。点灯式典に参列し、胸にあふれる思いが込み上げた。灯りは三宮の自宅と店を行き来する途中にある。建立に携わったボランティアから見守りを依頼され、「自分らにしかでけへん」と、翌月から掃除を始めた。

 平日は毎日、立ち寄り、ぬらしたタオルでガラスの表面をふく。内側も、おしぼりに串(くし)焼きの串を通した特製モップをすき間に差し込んで丁寧にふく。「今日はええ天気やなあ」「お客さん来てくれるやろか」。掃除の間は心が穏やかになり、夫婦の会話も弾んだ。

 しかし、勝美さんは先月、腸の検査でがんが見つかった。今月3日に入院、7日手術で大腸を20センチ切除したが、がんは肝臓に転移していた。16日の退院後は治療に取り組まない道を選び、自宅で療養生活を送っている。

 「好きな酒が飲めたからええねん。何の悔いもない」と勝美さんは話す。千賀子さんは体を心配し、「もう、掃除はさせない」と話すが、勝美さんは体が許す限り、掃除をしたいという。「生きとう限り、震災を忘れられへん。灯りを守らな」。勝美さんの決意だ。【重石岳史】

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毎日新聞 20091222日 1500分(最終更新 1222日 1500分)


阪神大震災:慰霊モニュメント4880人に

20091220 210分 更新:1220 216

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震災で亡くなった千代田さと子さんと萌さんの銘板を手でさする健志さん(手前)、康志さん(中央)、雄輔さんの兄弟=神戸市中央区で2009年12月20日午後1時29分、宮間俊樹撮影

 阪神大震災(95年)の犠牲者の銘板を掲げる神戸市中央区・東遊園地の「慰霊と復興のモニュメント」に20日、新たに25人の名前が加わり、遺族ら約70人が訪れた。名前が刻まれた人はこれで4880人となった。

 銘板の追加はNPOメンバーらによる運営委が毎年この時期に行い、今年で10回目。長崎市の長崎県職員、千代田雄輔さん(26)と神戸市の専門学校生、健志さん(19)、福岡市の同、康志さん(19)の3兄弟は、母さと子さん(当時32歳)と姉妹の萌さん(同6歳)の銘板を張った。母子5人家族だったのが震災で子ども3人だけになり、長崎県の祖父母に引き取られた。康志さんは20日、「銘板を見て母を思い出した」と寂しそうに話した。

 兵庫県芦屋市の中学2年、高松輝一さん(14)と小学6年、苑実(そのみ)さん(11)の兄妹は、祖父で元毎日新聞大阪本社編集事務部長、島野威雄(たけお)さん(当時61歳)の銘板を掲げた。島野さんは自宅が全壊して死亡。3カ月後の月命日に初孫の輝一さんが生まれた。

 直接の犠牲者6434人からの希望者以外に、震災が遠因で亡くなった人の名前も刻まれた。【山下貴史、南文枝】

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阪神大震災:
希望の手紙、預かってます 350通書き主探し--大丸神戸店

 大丸神戸店(神戸市中央区)が97年、阪神大震災の被災者につづってもらった「10年後の自分に向けた希望の手紙」のうち、あて先不明で未配達の手紙約350通が残されたままになっている。97年当時は仮設住宅などに住んでいた住民が多く、その後の復興に伴う転居で現住所がわからなくなったケースが多いとみられる。同店は来年1月の震災15年を機に手紙の主を探すため、呼びかけを始める。

 来年1月末まで店舗1階の案内所2カ所に小型の看板を設置するほか、店のホームページで告知することも検討する。神戸店は震災で半壊したが、3カ月後に約3分の1のフロアで営業を再開。建て替えが完了した97年3月、「復興にふさわしい勇気がわいてくる企画を」と、被災者から「10年後の自分への手紙」を募集し、兵庫県内外から2604通を預かった。10年後の07年に手紙を郵送し、「この10年大変だったが、無事に手紙を受け取ることができてよかった」との声も寄せられたが、約350通があて先不明で戻ってきた。

 同店は「震災から15年は節目なので当時を振り返る方も多いと思う。心当たりのある方はぜひ連絡を」と話している。問い合わせは同店(078・331・8121)。【植田憲尚】

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毎日新聞 20091220日 大阪朝刊


福祉避難所:指定自治体4分の1 阪神大震災の教訓どこに

2009126 230分 更新:126 230

 災害時に介助が必要な高齢者や障害者らを受け入れる「福祉避難所」を指定している自治体が、全国で4分の1しかないことが厚生労働省の調査で分かった。指定した自治体がゼロの県もあった。福祉避難所は阪神大震災で必要性が指摘されたが、震災から15年を前に災害弱者が置き去りにされている状況が浮き彫りになった。【遠藤孝康】

 福祉避難所は、地震や水害時に高齢者や障害者らを受け入れる公民館や学校などの公共施設や民間の福祉施設。阪神大震災でこうした弱者が孤立した経験などから、厚生省(当時)が97年6月、全国の自治体に通知を出して指定を推奨した。

 しかし、全国で相次いだ豪雨災害や新潟県中越地震では、高齢者らに被害が集中。特に中越地震ではストレスによる死や車内避難でのエコノミークラス症候群が相次ぎ、対応の不備が問題になった。

 国は04年以降、災害弱者対策を強化。厚労省は昨年6月、バリアフリー化▽介護用品などの備蓄▽健常者より広い生活空間の確保など、福祉避難所の設置・運営ガイドラインをまとめた。「小学校区に1カ所程度の指定が望ましい」とした。

 調査は今年4月、全国の1777市町村(3月末当時)と東京23区を対象に実施。指定している市区町村は429(23.8%)だった。指定済み市区町村の割合は静岡県の89.2%が最多。ゼロの群馬、岡山両県をはじめ、北海道の3.3%など、13道県が1割以下だった。

 田中淳・東京大教授(災害情報論)は「福祉避難所だけでなく、実効的な支援ができる施設と人の整備が必要」と指摘している。


新幹線:運行制御を大阪に一日切り替え

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東海道・山陽新幹線第2総合指令所から列車の制御をするJR西日本とJR東海の社員ら=大阪市内で2009年12月5日午前8時33分、竹内紀臣撮影

 首都直下地震などで東京が被災した場合を想定し、JR東海と西日本は5日、普段東京で行っている東海道・山陽新幹線の運行制御を、大阪市内の控え指令所へ切り替えを行った。95年の阪神大震災を機に東京での災害時にも運行を続けられるよう、「第2総合指令所」を99年に開設。訓練や設備点検のため、この年からほぼ毎年1回、一日だけ切り替えて非常時に備えている。

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毎日新聞 2009125日 1210分(最終更新 125日 1334分)


ルミナリエ:「光の芸術」被災地・神戸を彩る

2009123 2033分 更新:123 2110

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開幕した神戸ルミナリエで光の回廊を通り抜ける人たち=神戸市中央区で2009年12月3日午後6時8分、森田剛史撮影

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まばゆい光を放つ「スパッリエーラ」の下に集まる人たち=神戸市中央区で2009年12月3日午後6時41分、森田剛史撮影

 阪神大震災(95年)の犠牲者の鎮魂と、復興への願いを込めた光のイベント「第15回神戸ルミナリエ」が3日夜、神戸市中央区で始まった。来年1月17日で震災から15年を迎えるのを前に、「光の芸術」が被災地・神戸を彩った。14日まで。

 今年のテーマは「光の抱擁」。過去と未来の輝きとともに生命の尊さを伝えるとの意味を込めた。午後6時、光の回廊「ガレリア」(高さ13メートル、幅9メートル)や光の壁掛け「スパッリエーラ」(全長130メートル、高さ19メートル)などの作品が一斉に点灯。今回初めて、被災者らでつくる市民合唱団が吹き込んだBGMの合唱曲が会場に流れた。

 同市須磨区の自宅で被災した高校3年、橋村彩奈さん(18)は「ルミナリエがあるから震災を忘れない。鎮魂と復興という本来の意味を伝えていきたい」と話した。

 点灯は月~金曜が午後6時ごろ、土・日曜が同5時半ごろ。消灯は月~木曜と日曜が同9時半、金・土曜は同10時。【高山梓】


ベトナム人記者:阪神大震災の被災地・神戸を訪問

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「人と防災未来センター」を見学するグエン・ブー・ビン記者=神戸市中央区で20009年12月1日午前10時50分、貝塚太一撮影

 「アジア等ジャーナリスト招待事業」(坂田記念ジャーナリズム振興財団、毎日新聞社、毎日放送主催)で来日中のベトナム紙「トゥオイ・チェー(若者)」紙のグエン・ブー・ビン記者(33)が1日、阪神大震災の被災地・神戸を訪問した。ベトナムでは大きな地震被害は少ないが、台風被害で毎年多くの犠牲者が出ているといい、熱心に話を聞いた。

 同市中央区の「人と防災未来センター」では、震災の惨状を記録した映像や展示などを取材し、震災の語り部・秦詩子さん(63)=神戸市東灘区=に被災当時の様子などについて熱心に質問。秦さんは「地震への備えが命を守ることにつながる」と話した。

 ブー・ビン記者は「一瞬で多くの命を奪った地震の恐ろしさを思い知らされた。神戸の教訓を母国にも伝えたい」と感想を語った。【重石岳史】

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掘り出しニュース:鉄人28号が神戸市民に 特別住民票を交付

毎日新聞 2009121日 1353分(最終更新 121日 1416分)


掘り出しニュース:鉄人28号が神戸市民に 特別住民票を交付

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「鉄人28号」の巨大モニュメント=神戸市長田区で米山淳撮影

 【兵庫】阪神大震災の復興のシンボルとして建設された漫画「鉄人28号」の巨大モニュメントに対し、神戸市が特別住民票を交付するイベントが29日、神戸市長田区であった。特別住民票の交付は、神戸市で初めて。住民登録は「28号」にちなんで今月28日に済ませたという。

 この日のイベントには原作の主人公「金田正太郎」と同じ名前を持つ4人の「しょうたろう」君が出席。長田区宮川小5年の港将太郎君(10)が代表して川本勝太郎長田区長から住民票を受け取った。

 特別住民票は鉄人の写真入りで、身長や体重のほか「神戸市民に元気と勇気を与えるため」と住民になった理由も記載されている。

 イベントに来ていた長田区の主婦、西田泰子さん(67)は「同じ市民として、長田区を盛り上げてほしい」と話した。【大金紗知子】

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20091130


阪神大震災:追悼ろうそく作り始まる 10万本目指す

20091125 1057分 更新:1125 1119

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ボランティアの手で作られている「1・17のつどい」のろうそく=神戸市灘区で、大西岳彦撮影

 阪神大震災から15年となる来年1月17日、神戸市中央区の東遊園地で行われる追悼行事「1・17のつどい」でともすろうそく作りが始まった。ボランティアグループ「神戸・市民交流会」(中島正義代表)が市民に参加を呼びかけ、10万本の製作を目指して同市灘区の摩耶埠頭公園で作業を続けている。

 市民手作りのろうそくは、98年の集いからともされている。使用済みのろうを溶かし、半球形の容器に流し込んでいく作業は12月19日までの毎週火、木、土曜日午前10時~午後3時に実施し、誰でも参加できる。中島代表は「これからも追悼の明かりをともし続けたい」と話している。【大西岳彦】


阪神大震災:けがなどでの障害者 少なくとも183人に

 阪神大震災(95年1月)によるけがなどが原因で身体に障害が残った「震災障害者」が、最大の被災地・神戸市で少なくとも183人に上ることが19日、同市の集計でわかった。震災後の生活環境悪化などが原因の人や、精神などに障害を負った人は含まれておらず、実際はさらに多数とみられる。震災障害者について国や自治体は、自然災害で障害を負った人が対象の「災害障害見舞金」が被災地全体で63人に支給されたとしか把握していない。震災障害者を取り巻く問題解明への一歩となる可能性がある。

 183人は男性75人、女性108人。既に亡くなった人も含んでいる。調査は震災が発生した95年1月17日以降、同市で身体障害者手帳を取得した人を対象に実施。申請時に提出された診断書の「疾病・外傷発生年月日」が「95年1月17日」となっている人と、障害を負った原因として「震災」と明記している人が計約260人おり、このうち診断書の記載内容から、震災による外傷で障害を負ったことが明確だと判断できた人を集計した。

 障害の内容は、肢体不自由169人▽臓器などの内部障害7人▽視覚障害4人▽聴覚障害3人。居住場所別では、東灘区52人▽兵庫区26人▽灘区24人▽長田区21人▽須磨区18人--などだった。障害の等級別では4級が最多で48人、次いで2級41人。最も重度の1級は22人。被災時の年齢は生後2カ月~93歳で、60歳代が50人と最も多く、70歳代が41人と続いた。

 総務省消防庁によると、震災による重傷者は1万683人。しかし、追跡調査は行われておらず、その後の実態は不明なままになっている。【川口裕之】

毎日新聞 20091119日 1500



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