Dalai Lama
ダライ・ラマ:地味な訪台 台風被災者「政治利用するな」
2009年9月3日 19時53分 更新:9月3日 20時57分
ダライ・ラマの訪台に抗議する先住民族の被災者ら=台湾・高雄市で2009年8月31日、大谷麻由美撮影
【台北・大谷麻由美】台風8号の被災地慰問を目的に台湾を訪れているチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世は4日、6日間の日程を終えてインドに戻る。滞在中は被災者と対中融和政策を進める馬英九政権への配慮から「非政治的な活動」を強調したが、先住民族の被災者から「我々を政治利用するな」と抗議を受け、活動規模を縮小する地味な訪問となった。
ダライ・ラマは8月31日、土石流で大きな被害を受けた高雄県小林村に入ったが、宿泊先のホテル前では先住民族の被災者約30人が「ダライの政治は必要ない」と書かれた横断幕を広げて抗議した。大半がキリスト教信者の先住民族にとって、台湾野党・民進党が招請したダライ・ラマの訪台は複雑な感情を引き起こした。
ダライ・ラマは滞在中、▽記者会見を中止▽高雄市での講演会の規模を1万5000人から1200人に縮小▽台湾北部での講演会中止--と予定の変更が続いた。
ダライ・ラマ側は訪台前、▽中国を刺激しない▽馬英九総統の立場を悪くしない▽政治的干渉を受けない--との方針を決めたという。中国を刺激したくない馬英九政権の要請に応えた。
これに対し、中国側は中台経済交流事業の凍結を通告。中国要人の訪台延期や中止が相次いだ。中国は「両岸(中台)関係に必ず不利な影響を与える。今後の推移を注視する」と露骨な圧力を掛けた。ダライ・ラマは訪台中、「誰にも不便をかけたくない」と語り、活動を自粛した。
ダライ・ラマ14世:ラサ暴動巡る判決で中国政府を批判
2009年4月22日 21時47分 更新:4月22日 23時17分
米国訪問途中、成田空港での乗り継ぎの間に会見を開き、あいさつするダライ・ラマ14世=千葉県成田市内のホテルで2009年4月22日午前10時34分、三浦博之撮影
チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世(73)は、亡命政府のあるインドから米国へ向かう途中で成田空港に立ち寄り、空港そばのホテルで22日、記者会見した。昨年3月に起きたチベット自治区ラサでの大規模暴動に関与したとして起訴された被告らに死刑などの判決が出ている点について、「政治的な動機による判決だ」と中国を批判した。
ラサ暴動を巡っては、今月8日に放火などの罪で起訴されていた4被告に死刑(うち2被告は執行猶予)が言い渡されるなど、多数の被告に有罪判決が出ており、ダライ・ラマは「(状況を)見守っている」と話した。
暴動から1年となった今年3月は、チベット動乱から50年の節目ともなったが、ダライ・ラマは「銃の力で正義を消し去ることはできない。メディアには現地で(状況を)調査してほしい」と訴えた。【服部正法】
仏大統領:「チベットは中国の領土」胡主席と会談で確認
2009年4月2日 20時00分 更新:4月3日 4時25分
【パリ福原直樹】フランスのサルコジ大統領は1日夜、ロンドンの主要20カ国・地域(G20)の第2回緊急首脳会議(金融サミット)を機に、現地で中国の胡錦濤国家主席と会談し、「チベットは中国の不可分の領土」という中国の立場を確認した。両国関係はチベット問題で昨年以降、悪化しており、仏側が対中融和政策を前面に押し出した形だ。仏はこれをテコに今後、経済を中心とした対中関係の強化を図るとみられる。
ロンドンからの新華社電などによると、サルコジ大統領は会談で「台湾とチベットは中国領土の一部」と確認。また、国際経済に占める中国の重要性を認め、新たな国際経済秩序作りで協力する意向を示した。一方、胡主席は同日の会談を「両国間の新たな出発点」と位置づけ、仏側が「一つの中国」を認めたことを評価した。
両国は会談に先立ち共同コミュニケも発表。▽仏はチベット問題の重要性を認め、内政不干渉の原則からチベット独立を支持しない▽相互の利害を尊重し、国交樹立45周年を契機に、両国の戦略的な友好関係を強化する▽国際金融危機に共同で取り組む--などを盛り込んでいる。
中仏関係は昨年4月、パリでの北京五輪聖火リレーをチベット独立を求める活動家が妨害したことを機に悪化。パリ市がチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世に名誉市民の称号を与えたり、サルコジ大統領がダライ・ラマ14世と昨年末に会談し「中国は静かに対応すべきだ」と発言したことなども加わり、中国から「内政干渉」との批判が強まっていた。この間、中国では仏資本スーパーの不買運動も起きている。
だが最近の経済危機から、仏では製造業などを中心に「対中関係を改善し、経済協力を進めるべきだ」との声が高まっていた。今回のサルコジ大統領の動きは、「一つの中国」という仏政府の立場を再確認することで対中融和を図り、仏国内の声に応える意向があるとみられる。
◇ことば 仏中関係悪化
08年3月のチベット暴動をきっかけに、パリで人権団体が北京五輪聖火リレーを妨害するなど、仏国内で対中抗議が盛り上がり、これに対し中国国内では仏製品ボイコット運動が起きるなど両国の関係は悪化した。昨年12月に予定された仏東部リヨンでの欧州連合(EU)・中国首脳会議は、EU議長国フランスのサルコジ大統領が同月、ダライ・ラマ14世側と会談したことから中国側からの通告で延期された。
中国:ラサで動乱鎮圧50年祝う ダライ・ラマ対決鮮明に
【北京・浦松丈二】中国チベット自治区は28日、ダライ・ラマ14世の亡命につながったチベット動乱を中国政府が鎮圧し、統治権確立を宣言してから50年を迎えたのを記念して、区都ラサ市内で「チベット農奴100万人解放記念日」祝賀大会を初めて開いた。
自治区トップの張慶黎党委書記はあいさつで「ダライ(ラマ)集団との闘争は民族、宗教、人権の問題ではなく、国家の主権と領土を守る闘争だ」と対決姿勢を鮮明にした。同自治区人民代表大会(議会)は1月、農奴解放など民主改革が進んだとして3月28日を記念日と定めていた。
チベット動乱は59年3月10日、チベットの最高指導者だったダライ・ラマが「中国に拘束される」と疑念を持ったラサ市民数万人と中国軍が衝突。中国政府が同28日、地方政府の解体を宣言し、チベット各地で社会主義化を推進した。
毎日新聞 2009年3月28日 19時47分(最終更新 3月28日 21時21分)
南ア平和会議:延期に ダライ・ラマ入国ビザ発給拒否で
【ヨハネスブルク高尾具成】南アフリカ政府がチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世の入国ビザ(査証)の発給を拒否した問題で、ダライ・ラマをヨハネスブルクでの平和会議(27日)に招待していた主催者は24日、会議の延期を決めた。新たな開催日は決まっていない。
一方、南ア大統領報道官は24日、2010年のサッカー・ワールドカップ(W杯)南ア大会以前にダライ・ラマにビザを出さないと表明。平和会議はW杯関連行事として企画されたが、主催者は「ダライ・ラマら招待者すべての参加が認められるまで会議は延期する」としており、開催は事実上不可能な状況に追い込まれた。
毎日新聞 2009年3月24日 22時02分(最終更新 3月24日 23時53分)
南アフリカ:ダライ・ラマ14世のビザ発給拒否
【ヨハネスブルク高尾具成】南アフリカのヨハネスブルクで27日開かれるサッカー・2010年ワールドカップ(W杯)関連の平和会議に出席を予定していたチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世が、南アフリカに査証(ビザ)発給を拒否されたことが23日、明らかになった。南ア政府は対中国関係を優先させ、「注目がW杯からチベット問題になることを懸念した」と説明したが、批判が広がっている。
平和会議はノーベル賞受賞者やハリウッドの映画スターらが集い、人種差別の克服や平和に向けたサッカーの果たす役割について議論するために企画。マンデラ元南ア大統領やツツ元大主教、アハティサーリ前フィンランド大統領など、ノーベル平和賞受賞者が出席予定だった。
しかし23日、ダライ・ラマ14世へのビザ発給禁止を受け、デクラーク元南ア大統領は「会議のコンセプトや目的を裏切る政府の決定に落胆した」と、政府にビザ発給拒否の撤回を求め、決定変更がない場合は参加の取りやめを表明。ツツ元大主教も「政府の不名誉な決定を非難する。(平等や民主化のために)闘った我々の歴史に泥を塗るもの」と不参加の意向を示した。ノルウェーのノーベル賞委員会は、AP通信に対し「失望」を表明、「修正なき場合は、他のノーベル平和賞受賞者が会議に参加することはない」と強く非難した。
地元紙は在南アの中国大使館が「両国の関係を損なうと南ア政府に警告し、ビザ発給拒否を要求した」と伝えている。中国との貿易や投資などが拡大する中、南ア政府が関係悪化を避けるため中国側の強硬な政治圧力に屈した形となった。
毎日新聞 2009年3月24日 10時32分(最終更新 3月24日 12時49分)
チベット動乱50年:ダライ・ラマ権限の大半を首相に
会見したダライ・ラマ(左)は、リンポチェ首相に確認しながら質問に答えた=インド北部ダラムサラで2009年3月10日、栗田慎一撮影
【ダラムサラ(インド北部)栗田慎一】チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世(73)の亡命につながった「チベット動乱」から10日で50年となった。この日、ダライ・ラマ14世は、ダラムサラで記者会見し、同席したサムドン・リンポチェ亡命政府首相(70)を「私よりも権限を持つ政治指導者だ」と紹介し、政治的権限の大半を移譲したことを明らかにした。完全な引退はないものの、今後は首相が中国側との交渉などを取り仕切るものとみられる。
会見は終始、ダライ・ラマがリンポチェ首相に助言を求める形で進み、首相が答える場面もあった。
暗礁に乗り上げている中国との直接協議について、「(チベット側の自治構想を記した)『覚書』案の返答を待っている」と述べ、中国側が協議再開を提案すべきだと主張。「中国が超大国を目指すのならば、人口や経済、軍事だけでなく、道徳的責任を果たすことが必要だ」と語り、チベット問題の解決が名実ともに中国を超大国にすると述べた。
また「(中国政府が)私を分離・独立主義者のようにみるのは大間違いだ」と指摘し、今後も亡命政府は高度な自治を求める「中道路線を貫いていく」と明言した。
ダライ・ラマは50年を振り返り、「(亡命を選択した)決断に間違いはなかった。インドはチベット難民に教育、医療など多岐にわたって最大限の支援を与えた」と感謝。「もし(高度な自治が実現した後に)中国とインドが戦争をしたら、チベット人はインド軍を攻撃できない」と笑わせた。
一方、「今後も台湾を訪問するのか」との質問には、「訪問は重大な決断が求められる」と明言を避けた。ダライ・ラマは01年まで計2回台湾を訪ね、中国側が猛反発した経緯があり、中国を刺激する発言を控えて対話継続の意思を示したものとみられる。
会見に先立ち、ダライ・ラマ寺院で「チベットの再興」を願う記念式典があり、約5000人が参加。式典でダライ・ラマは「チベットの苦難はまだまだ続く」と覚悟を求める一方、「しかしこの50年で世界はチベット問題に理解を深めてくれた。非暴力を貫けば、チベットの正義は証明される」と訴えた。
◇ことば チベット亡命政府の中道路線
チベットの独立を求めず、「高度な自治」の実現を求める穏健な立場。チベット人と中国人が平等で平和的に共存する社会を目指す。08年11月にあった亡命チベット人諸組織の代表者会議で行われた投票でも、約7割が中道路線の継続を支持した。一方、独立を求める急進的な青年組織の一部には中道路線への不満もくすぶる。
毎日新聞 2009年3月10日 20時53分(最終更新 3月10日 23時45分)
ダライ・ラマ:「中国政府への信頼なくなりつつある」
共同インタビューで報道陣の質問に答えるダライ・ラマ14世
=東京都中央区で2008年11月2日午前11時33分、内藤絵美撮影
来日中のチベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世(73)は2日、東京都中央区で毎日新聞などのインタビューに応じ「中国政府への信頼はなくなりつつある」と語り、不信感をあらわにした。中国との対話を今後も続けるかについては言及を避け、17日からインド北部ダラムサラで開く亡命チベット人代表による会議で議論する意向を示した。
ダライ・ラマは、3月のチベット暴動後も中国政府による僧侶の逮捕や暴力が続いていることを指摘。中国政府は「自由がなく、腐敗した共産主義だ」と非難した。
チベットの自治を巡っては現在、北京でダライ・ラマの特使と中国政府との対話が行われているが、大きな進展は期待できない。対話継続の是非を巡り、亡命チベット人による議論が始まることをふまえ「私は中立の立場だ」と語った。
自身の後継者については「チベットの民衆が決めることで、私はかかわらない」とだけ述べた。【鵜塚健】
【略歴】ダライ・ラマ14世 1935年7月、チベット北東部(現中国青海省)生まれ。本名はテンジン・ギャツォ。40年、13世の生まれ変わりの活仏として14世に即位。59年3月のチベット動乱でインドに亡命、同国北部ダラムサラに亡命政権を樹立した。89年にノーベル平和賞を受賞した。
◇ダライ・ラマ14世とのインタビューの要旨◇
私がいつも強調するのは、愛と慈悲の大切さ、宗教間の相互調和だ。暴力や紛争が絶えない今、それが平和へのメッセージになる。
3月の危機(チベット暴動)以降、中国政府に期待したが、現実は違った。チベット人は「死刑宣告」を受けたと同じだ。中国政府はウイグル人やチベット人などの少数派に対して耳を傾けず、武力で臨む。中国政府は「チベット問題は存在せず、問題はダライ・ラマにある」とし、私を分離主義者、扇動する政治家だと呼ぶ。私は中国人民を信頼するが、中国政府への信頼はなくなりつつある。
17日から亡命チベット人代表が集まりダラムサラで会議があり、月末にはニューデリーで国際支援会議が開かれるが、私は中立の立場だ。
チベットの文化や伝統を守ることはチベット人のためだけでなく、中国の立て直しにも役立つ。現在の中国は自由がなく、法治国家といえない。腐敗して汚れた共産主義だ。かつてチャーチル元英首相が(東西冷戦を象徴する)「鉄のカーテン」という言葉を使ったが、人の話を聞かない中国政府は「心のカーテン」を引いている。【鵜塚健】
毎日新聞 2008年11月2日 20時06分
北京五輪:ダライ・ラマの出席、拒否される--開会式
【ニューデリー栗田慎一】チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世の代理人として中国側と協議したロディ・ギャリ氏は5日、亡命政府のあるインド北部ダラムサラで会見、ダライ・ラマの北京五輪前の中国チベット自治区訪問や五輪開会式出席の希望が拒否されたことを明らかにした。同氏は「ダライ・ラマは深い失望の中にある」と語った。次回協議は10月に開催することで合意したという。
ギャリ氏によると、前回協議で中国側に求めていた「囚人の釈放」や「チベット自治区での自由な取材活動」などについても、満足できる回答はなかったという。
毎日新聞 2008年7月6日 東京朝刊
特派員すけっち:あめ玉を配るダライ・ラマ14世の素顔に接した----ベルリン
「チベット仏教の最高指導者」といえば、今話題のダライ・ラマ14世だ。ダライ・ラマは5月中旬の6日間、通算33回目になるドイツ訪問をした。私はダライ・ラマを初めて目の当たりにすることができたが、その強力なキャラクターに大いに印象付けられた。一言で説明するなら、我が生まれ故郷、大阪に特徴的な中年女性のような気さくな人物、つまり、大阪のおばちゃんである。
ベルリンの大集会で、満面の笑顔であめ玉を取り出したダライ・ラマ14世=2008年5月19日撮影
わが母もそうだが、あめ玉(あめちゃん)を配る行為は、大阪のおばちゃんに特徴的だ。何と、ダライ・ラマはあちこちでこれをやっていた。独西部ボッフムでの講演会(5月16日)でのこと。ダライ・ラマは自分の講話が英語からドイツ語に訳されている間、突然、右手で赤い袈裟の中をさぐり、満面の笑みであめ玉を取り出した。会場がどよめく中、舞台を歩き回って、司会者やゲスト、通訳にあめ玉を配った。主催者発表で2万5000人が集まった5月19日のベルリンの大集会でも舞台前の子供にあめ玉を差し出した。この微笑ましい光景は独紙でも大々的に紹介された。
欧州では、最高指導者の称号であるダライ・ラマにさらに「神聖な」という決まり文句が付く。口をはさむ者は少ない。ダライ・ラマの話に熱が入ると、止まらなくなることは度々だ。訪独中たった1度開かれたボッフムでの記者会見でも、約1時間半の間に記者たちが質問できたのはわずか3回。会見ではダライ・ラマの思いつきで、以前の話題に再び逆戻りすることが2度もあった。熱が入ると彼の表情やジェスチャーは子供のように豊かになる。意味不明のうなり声や笑い声を突然上げることもある。自分が言った冗談に記者たちが反応しなくても、自分だけがしばらく大笑いしていることも何度となくあった。
ダライ・ラマはドイツではスターに似た人気者だ。街の書店では、伝記や講話集が平積みにされている。冷戦期にチベットの平和と非暴力を訴え、ノーベル平和賞を受賞したことで敬意を集めているのはもちろんだが、チベット暴動でさらに注目の人となった。知人の説明では、旅行好きなドイツ人にとって地の果てのイメージがあるチベットはあこがれの地でもある。ベルリンに拠点を置くドイツのチベット支援団体の話では、ドイツ在住の亡命チベット人は300人ほどだが、この支援団体の資金提供者がドイツに約5000人いる。ベルリンの大集会ではかなりの著名音楽バンドが次々に登壇し、演奏の合間に「チベットに平和を」と叫んだ。ブランデンブルク門周辺を人が埋め尽くす光景を私は初めて見た。ブランデンブルク門に近いポツダム広場では先日、中国人学生たちが中国政府のチベット政策を支持する集会を開いた。こんなに多くの中国人がドイツにいるのかと私は驚いたが、それでも警察による参加者数は約3500人。中国人学生に混じって中国政府を支持するドイツ人もいるにはいたが、多くはなかった。
ドイツ西部ボッフムでの記者会見終了後、記者たちに話し掛けるダライ・ラマ14世=2008年5月16日撮影
独西部ボッフムでの記者会見でのこと。大勢の警護に付き添われて現れたダライ・ラマは、会場後ろの入り口に待ち構えた多数のカメラマンの一人ひとりに合掌したあと、少し離れてカメラを構えていた私に突然握手を求め、話し掛けてきた。「アー・ユー・チャイニーズ?」。後で分かったことだが、彼は自分自身を報道で「犯罪人呼ばわり」し続けている中国メディアの記者に、敬意を込めてあいさつしたかったらしい。実際、会見本番では中国人記者が質問に立ち、チベット亡命政府の幹部の言葉を引用して、チベット独立を求めないと主張するダライ・ラマの「矛盾」を突いた。
ダライ・ラマは記者の質問を笑顔で歓迎しつつも、「亡命政府にもいろんな意見がある」とかわし、続けて「中国の報道機関は事実をゆがめて伝えている」と大きな身振り手振りで、怒りをあらわにした。会見の後、ダライ・ラマは、この中国人記者のもとに歩み寄り、何事もなかったような笑顔で記者の手を取った。中国人記者も心なしかうれしそうだった。帰り道、ダライ・ラマは再び私に握手を求め、別れを告げた。彼の手は会見前よりも温かく、少し汗ばんでいた。【ベルリン小谷守彦】
2008年6月3日
基礎から分かるチベット問題(上)歴史と仏教
五大陸総延長9万7000キロに及んだ北京五輪の海外での聖火リレーは、中国当局のチベット政策に対する激しい抗議行動にさらされ続けた。直接の発端となったのが、中国チベット自治区で起きた暴動の鎮圧だった。北京五輪の評価を揺るがしかねないチベット問題とは何か。チベット仏教へのあつい信仰に支えられながらも、政治の波に翻弄(ほんろう)されてきたチベットの歴史を振り返るとともに、その現状を分析、今後を展望してみた。
毎日新聞 2008年4月11日