Haruki's Speech

村上春樹さん:
イスラエルの文学賞「エルサレム賞」授賞式・記念講演全文/上(1/2ページ)

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エルサレム賞の授賞式で賞状を受け取る村上春樹さん(右)=2月15日、前田英司撮影

 作家の村上春樹さんが2月15日、イスラエルの文学賞「エルサレム賞」の授賞式で行った記念講演が大きな反響を呼んでいる。体制を「壁」、個人を「卵」に例え、「私はいつも卵の側に立つ」と、作家としての姿勢を語った内容だ。イスラエル軍の攻撃によってパレスチナ自治区ガザ地区で1000人以上が死亡した直後だけに、受賞拒否を求める声も挙がったが、村上さんは「語らないよりは語ること」を選択した、と出席を決めた理由を明言した。そこで、村上さんが英語で行った講演の録音を文章にし、全文を2回に分けて掲載する。(翻訳は学芸部・佐藤由紀)
 ◇小説家は、隠れている真実をおびき出してしっぽをつかみます
 ◇壁が正しく、卵が間違っていても、私は卵の側に立ちます

 こんばんは。私は本日、小説家として、長々とうそを語る専門家としてエルサレムに来ました(聴衆から笑い)。

 もちろん、うそをつくのは小説家だけではありません。ご存じのようにうそをつく政治家もいます。失礼しました、大統領(聴衆から笑い)。外交官や将官も、中古車セールスマンや肉屋、建築業者と同じく、それぞれの都合に応じてうそをつくことがあります。小説家のうそが他と違うのは、誰も不道徳だと非難しないことです。実際、より大きく上手で独創的なうそをつけばつくほど、人々や批評家に称賛されます。なぜでしょうか。

 私の答えはこうです。巧妙なうそ、つまり真実のような作り話によって、小説家は真実を新しい場所に引き出し新しい光を当てることができるからです。大抵の場合、真実をありのままにとらえて正確に描写するのは実質的に不可能です。だから、私たち(小説家)は、隠れている真実をおびき出してフィクションという領域に引きずり出し、フィクション(小説)の形に転換することで(真実の)しっぽをつかもうとします。

 でもこの作業をやるには、まず最初に、私たち自身の中の、どこに真実があるかを明確にする必要があります。これが上手なうそを創造するための重要な能力なのです。

 でも、きょう、うそをつくつもりはありません。できるだけ正直に話そうと思います。1年のうちで数日しかうそをつかない日はないのですが、きょうはたまたまその日に当たります(聴衆から笑い)。

毎日新聞 2009年3月2日 東京夕刊

村上春樹さん:
イスラエルの文学賞「エルサレム賞」授賞式・記念講演全文/上(2/2ページ)

 だから、真実をお話ししましょう。日本でかなり多くの人に、エルサレム賞授賞式に行くべきではないと助言されました。一部の人には、もし行くなら私の著作の不買運動を起こすとさえ警告されました。

 理由はもちろんガザ地区で起きている激しい戦闘でした。国連の発表によると、封鎖されたガザ地区で1000人以上が命を落とし、その多くは子どもや老人を含む非武装の市民でした。

 授賞通知をいただいたあと、このような時期にイスラエルに出向き、文学賞を受けるのは適切なのか、これが紛争当事者の一方を支持し、圧倒的に優位な軍事力を行使することを選択した国の政策を承認したとの印象を作ってしまわないか、と、たびたび自問しました。もちろん(そうした印象を与えることも)著作が不買運動の標的になることも、あってほしくないことです。

 しかし、考えに考えた末、最終的にはここに来ることを決めました。理由の一つは、あまりにも多くの人が「行くな」と言ったからでした。他の多くの小説家と同じように、私は人に言われたのと正反対のことをする傾向があります。もし、「そこへ行くな」とか、「それをするな」と命令されたり、ましてや警告されたりすると、私は逆に「そこ」へ行ったり「それ」をやったりしたくなります。あまのじゃくは小説家である私の天性といえます。小説家は特別な種類の生き物です。自分の目で見たものや、自分の手で触れたものでなければ、心から信頼できません。

 だから私はこうしてここにいます。欠席するより出席することを選びました。見ないことより自分で見ることを選びました。何も語らないより、皆さんに語ることを選びました。

 だから、ここでごく個人的なメッセージを一つ紹介させてください。小説を書いている時、いつも心に留めていることです。紙に書いて壁に張ったりはしませんが、心の中の壁に刻まれているもので、こんなふうに表現できます。

 <高くて頑丈な壁と、壁にぶつかれば壊れてしまう卵があるなら、私はいつでも卵の側に立とう>

 ええ、どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていても、私は卵の側に立ちます。何が正しく何が誤りかという判断は、誰か別の人にやってもらいましょう。時間や歴史が決めてくれるかもしれません。しかし、どんな理由があっても、もし壁の側に立って書く小説家がいるとすれば、作品にどれほどの価値があるでしょう。

 ここで申し上げた壁と卵のメタファー(隠喩(いんゆ))の意味とは何でしょう。ごく単純で明らかな例えもあります。爆撃機、戦車、ロケット弾、そして白リン弾は、高い壁です。卵は、押しつぶされ、熱に焼かれ、銃で撃たれた武器を持たない市民たちです。これがメタファーの一つの意味であり、真実です。

 ■ことば
 ◇エルサレム賞

 「社会における個人の自由」のために貢献した外国人作家に隔年で贈られるイスラエル最高の文学賞。過去の受賞者には英国の哲学者バートランド・ラッセル、メキシコの詩人オクタビオ・パス、米国の作家スーザン・ソンタグらがいる。

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 ■人物略歴
 ◇むらかみ・はるき

 1949年生まれ。79年『風の歌を聴け』でデビュー。乾いた文体で現代人の喪失感を描き、人気を集めている。小説以外に、オウム事件の被害者に取材した『アンダーグラウンド』など、社会的関心を示したノンフィクションもある。

毎日新聞 200932日 東京夕刊

村上春樹さん:
イスラエルの文学賞「エルサレム賞」授賞式・記念講演全文/下(1/2ページ)

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エルサレム賞授賞式後、イスラエルのファンからサインを求められる村上春樹さん(中央)=2月15日、前田英司撮影

 エルサレム賞授賞式で行った記念講演で、作家の村上春樹さん(60)は「壁と卵」のメタファー(隠喩(いんゆ))を用い、パレスチナ自治区ガザ地区を攻撃したイスラエル軍を批判。小説家である自らは「卵」である「武器を持たない市民」の側に立つと語った。その後、講演は次のように続いた。
 ◇小説を書く理由は、個人の魂の尊厳に光を当てることです
 ◇体制に勝つ希望あるとすれば、魂の独自性を信じること

 でも、それがすべてではありません。さらに深い意味が含まれています。こんなふうに考えてください。私たちはそれぞれが多かれ少なかれ卵なのです。世界でたった一つしかない、掛け替えのない魂が、壊れやすい殻に入っている--それが私たちなのです。私もそうだし、皆さんも同じでしょう。そして、私たちそれぞれが、程度の差はありますが、高くて頑丈な壁に直面しています。

 壁には名前があり、「体制(ザ・システム)」と呼ばれています。体制は本来、私たちを守るためにあるのですが、時には、自ら生命を持ち、私たちの生命を奪ったり、他の誰かを、冷酷に、効率よく、組織的に殺すよう仕向けることがあります。

 私が小説を書く理由はたった一つ、個人の魂の尊厳を表層に引き上げ、光を当てることです。物語の目的とは、体制が私たちの魂をわなにかけ、品位をおとしめることがないよう、警報を発したり、体制に光を向け続けることです。小説家の仕事は、物語を作ることによって、個人の独自性を明らかにする努力を続けることだと信じています。生と死の物語、愛の物語、読者を泣かせ、恐怖で震えさせ、笑いこけさせる物語。私たちが来る日も来る日も、きまじめにフィクションを作り続けているのは、そのためなのです。

毎日新聞 200933日 東京夕刊

村上春樹さん:
イスラエルの文学賞「エルサレム賞」授賞式・記念講演全文/下(2/2ページ)

 私は昨年、父を90歳で亡くしました。現役時代は教師で、たまに僧侶の仕事もしていました。京都の大学院生だった時に徴兵されて陸軍に入り、中国戦線に送られました。私は戦後生まれですが、父が毎朝、朝食前に自宅の小さな仏壇に向かい、長い心のこもった祈りをささげている姿をよく目にしました。ある時、なぜそんなことをするのかと聞いたら、戦場で死んだ人を悼んでいる、との答えが返ってきました。死んだ人みんなの冥福を祈っているんだよ、味方も敵もみんなだよ、と父は言いました。仏壇の前に座った父の背中を見つめながら、父のいるあたりを死の影が漂っているような気がしました。

 父は去り、父とともに父の記憶、私が永遠に知ることができない記憶も消えました。でも、父の周辺にひそんでいた死の存在は私の記憶として残りました。それは、父から受け継いだ数少ないものの一つ、最も大切なものの一つです。

 きょう私が皆さんにお伝えしたいのは、たった一つです。私たちは皆、国籍や人種や宗教を超えて人間であり、体制という名の頑丈な壁と向き合う壊れやすい卵だということです。どう見ても、私たちに勝ち目はなさそうです。壁はあまりにも高く、強く、冷酷です。もし勝つ希望がわずかでもあるとすれば、私たち自身の魂も他の人の魂も、それぞれに独自性があり、掛け替えのないものなのだと信じること、魂が触れ合うことで得られる温かさを心から信じることから見つけねばなりません。

 少し時間を割いて考えてみてください。私たちはそれぞれ形のある生きた魂を持っています。体制にそんなものはありません。自分たちが体制に搾取されるのを許してはなりません。体制に生命を持たせてはなりません。体制が私たちを作ったのではなく、私たちが体制を作ったのですから。

 以上が私の言いたかったことです。

 エルサレム賞を授与していただき、感謝しています。世界のさまざまな所で私の本を読んでいただきありがたく思います。イスラエルの読者の皆さんにもお礼を申し上げます。皆さんのおかげで、私はここに来ることができました。そして、ささやかであっても、意味のあることを共有したいと願っています。本日ここでお話しする機会を与えていただき、うれしく思います。どうもありがとうございました。【翻訳・佐藤由紀】

 ■人物略歴
 ◇むらかみ・はるき

 1949年生まれ。79年『風の歌を聴け』でデビュー。乾いた文体で現代人の喪失感を描き、人気を集めている。小説以外に、オウム事件の被害者に取材した『アンダーグラウンド』など、社会的関心を示したノンフィクションもある。

 ■ことば
 ◇エルサレム賞

 「社会における個人の自由」のために貢献した外国人作家に隔年で贈られるイスラエル最高の文学賞。過去の受賞者には英国の哲学者バートランド・ラッセル、メキシコの詩人オクタビオ・パス、米国の作家スーザン・ソンタグらがいる。

毎日新聞 200933日 東京夕刊


村上春樹さん:
人間の尊厳を訴える 聴衆に問題の見つめ直し求め 「エルサレム賞」授賞式・記念講演

 ■解説
 ◇人間の尊厳を訴える 聴衆に問題の見つめ直し求め

 エルサレムの国際会議場で行われた村上春樹さんの記念講演には、地元のファンら約700人が詰め掛けた。村上さんの著書は『ノルウェイの森』『海辺のカフカ』など11作品がヘブライ語に翻訳されており、イスラエルでも特に人気の高い外国人作家の一人だ。村上さんは時折、笑いを誘いながら、控えめな口調でメッセージを伝えた。

 冒頭、村上さんが小説家と政治家、外交官らの使う「うそ」の違いを説明すると、会場がどっと沸いた。最前列にはノーベル平和賞受賞者のペレス・イスラエル大統領と、地元エルサレムのバラカト市長が並んでいた。和やかな雰囲気が広がった。

 それが、村上さんの「(きょうは)真実をお話ししましょう」という言葉を機に、場内は静まり返った。身構えた、と言う方が正確かもしれない。イスラエル軍のガザ攻撃により、日本国内で受賞拒否を求める声が挙がったことは、イスラエルでも話題だったからだ。

 村上さんは講演当日発行のイスラエル最大紙イディオト・アハロノトのインタビュー記事で、イスラエル軍の「過剰攻撃」に踏み込んだ発言をしていた。

 「イスラエルにはイスラエルの道理があると理解している。ガザからロケット弾が撃ち込まれている事実を承知している。しかし、要はバランスの問題だ。イスラエルは強大な軍事力を持っているが、ガザにはない。反撃は激しすぎた。これは単に私個人の意見ではなく、日本の一般的な見方だ。私たちはイスラエルを批判しているのではなく、その行動を批判している」

 講演では個人を「卵」、体制を「壁」に例え、人間の尊厳を強く訴えた。紛争の当事者であるイスラエルやガザのイスラム原理主義組織ハマスという具体名には直接、触れていない。聴衆自ら問題を見つめ直してほしい、とのメッセージだったのかもしれない。

 村上さんは満場の拍手に包まれて講演を終えた。退場の際には大勢のファンにもみくちゃにされながら、次々と差し出される自著にサインして回った。

 左派寄りのイスラエル紙ハーレツは2月17日付紙面で、講演元原稿をすべて掲載した。他のメディアも講演内容の解釈より、村上さんの言葉そのものを引用する報道が目立った。保守系紙エルサレム・ポストは、村上さんの講演趣旨を「イスラエルは『卵』ではない」と要約。自国批判だったと示唆しながらも、全体的には淡々と伝えて「あいまいであっても、これが真のムラカミ・スタイル」と評した。【エルサレム前田英司】
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村上春樹さん:作家の強い倫理性示す 「死者への祈り」も背景に 「エルサレム賞」授賞式・記念講演

200933


村上春樹さん:
作家の強い倫理性示す 「死者への祈り」も背景に 「エルサレム賞」授賞式・記念講演

 ■解説
 ◇作家の強い倫理性示す 「死者への祈り」も背景に

 村上春樹さんのエルサレム賞受賞講演が反響を呼んだのは、イスラエル軍のガザ攻撃への批判に言及したことによる。しかし、講演にはもっと深いメッセージが込められていたと思う。

 何度か村上さんを取材した経験から、講演を聞いてまず浮かんだのは「小説家の社会的責任」だった。寡黙なイメージからは意外に思われるかもしれないが、この作家は社会的な責任感が非常に強い。それは倫理的といってもいいほどだ。

 全共闘世代に属する村上さんは、作家活動の初期のころから、大学紛争時の経験を自らどう総括すべきかという問題意識を語ってきた。1984年に雑誌インタビューで、「70年に、それなりに闘ったことの落とし前は、つけなくちゃいけない」と述べたこともある。全共闘体験は、今回の講演の言葉でいえば「巧妙なうそ」「作り話」である寓話(ぐうわ)の形で、村上作品の中に投影されてきた。

 そうした倫理性がはっきり表れたのが、95年の地下鉄サリン事件に取材したノンフィクション作品『アンダーグラウンド』(97年刊)といえるだろう。刊行後インタビューに応じてくれた村上さんはこう話していた。

 「僕が全共闘や浅間山荘事件の時代に感じたのは、言葉というのはうそだということ。みんなアジ演説するわけでしょう、『制度的な言葉』でね。でも、一時期が過ぎ去れば、そんなのなんの意味も持たない、人の心に届かない言葉になっちゃう」

 講演の中で人間の本来あるべき魂のあり方と対極にあるものを「体制」と表現したが、これは必ずしも国家に限らないだろう。おそらく、この作家がかつて新左翼の運動に見た「人の心に届かない言葉」にも、またオウム教団の生み出した恐怖にも「体制」は潜んでいたはずだ。長い歴史的経緯のある中東の紛争と、戦後の日本社会で起きた事件を短絡はできないが、「小説のテーマとして一貫してとらえているのは、人間の意識、心、魂のあり方です」とも語ってきた。

 日本の読者としては、今回の講演で村上さんが父親について語ったのが印象深かった。京都の僧侶の家に生まれたお父さんが昨年亡くなられたことは人づてに聞いていたが、毎朝、戦争の死者に祈りをささげていたといった様子は初めて知った。オウム信者らを取材した『約束された場所で』(98年刊)についてのインタビューで村上さんは、自らの物語の力で信者が抱えているオウムの「闇」の物語を「できるならデフロスト(解凍)したい」とも話していた。

 中東における紛争こそ、あまりにも深い宗教的な「物語」の対立に根差している。村上さんが表現してきた「宗教的なるもの」への関心は全共闘体験に基づくものと漠然と考えていたが、そのずっと以前に、「死者への祈りの姿」という淵源(えんげん)があったのかもしれない。【大井浩一】
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村上春樹さん:人間の尊厳を訴える 聴衆に問題の見つめ直し求め 「エルサレム賞」授賞式・記念講演

2009年3月3日
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