Three Fishermen Resqued
3人が奇跡の生還/漁船「希望丸」転覆
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Three Fishermen Resqued
3人が奇跡の生還/漁船「希望丸」転覆

漁船転覆:奇跡の生還 船室に海水 船底で体寄せ合い

2009111 914分 更新:111 928

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第1幸福丸の略図

 伊豆諸島・八丈島(東京都八丈町)近海で転覆した鎮西町漁協(佐賀県唐津市)所属のキンメダイ漁船「第1幸福丸」(8人乗り、19トン)に閉じ込められ、奇跡的に生還した甲板員3人が31日、静岡県下田市の伊豆漁協で記者会見した。救助されるまでの約90時間、3人は後部船室ではなく、浸水を避けて床下のわずかな空間に身を寄せ合っていた。宇都宮森義さん(57)=静岡県下田市▽早川雅雄さん(38)=大阪市平野区▽鳰原(にゅうばら)貴光さん(33)=静岡市駿河区=らの話から、転覆後の船内の様子が徐々に浮かんできた。

 船が転覆したのは10月24日午後8時14分ごろだった。鳰原さんの腕時計で確認した。午後3~4時は天候は悪くなく、牧山新吾船長(40)はかじをとり、残る乗組員7人全員が居住区といわれる後部船室(最大値で高さ1.7メートル、幅2.9メートル、奥行き2.2メートル)で寝た。目が覚めた時、船は左の方に倒れ、床が壁になり、どこが天井でどこが床か、前後さえ分からなくなっていた。

 操舵(そうだ)室にいる牧山船長が連絡用ベルを鳴らした。声は聞こえたが、何を言っているのか分からない。岩本海人さん(31)=福岡県古賀市=と浜田広之さん(41)=下田市=が外に出ていくのが見えた。鳰原さんは「助けに来てくれるかなという思いがいっぱいでした」。それ以前にも2人が外に出たようだが分からない。頭上のスクリュー付近から「おーい、おーい」という浜田さんらしき声が聞こえた。

 船室のハッチは調理室の冷蔵庫にふさがれ、閉じ込められてしまった。早川さんは「僕ら3人は逃げ遅れた」と振り返る。転覆まで3分あったか、すぐだったかはパニック状態ではっきりしない。「いつ、どういう死に方をするか。いつ、息が吸えなくなるか。恐怖でいっぱいだった」。鳰原さんはそう話した。

 転覆して上になった床板が落ち、頭上にわずかなすき間ができていた。「キール(竜骨)」と呼んでいる床下部分で、エンジンとスクリューを結ぶシャフトが通り、荷物置き場にも使う。立てるほどの高さはなかったが、船室は浸水し始めており、水を避けられる空間は、そこしかなかった。

 3人は狭い「天井裏」によじ登り、骨組みに床板を敷いて、体を密着させてあおむけになった。「スペース的にそれぐらいしかなかった」。「キール」は機関室に通じ、船内の空気が行き来するので息苦しくなかったという。船底のペンキの薄い場所から透かして見える光で昼夜を判断した。

 何日かすると、冷蔵庫でふさがれたハッチにすき間ができ、光が差した。「経験が少なくて、とにかく、この暗闇から抜け出たい。出たら助かると、その時は思った」。外に出ようとする鳰原さんを2人が止めた。早川さんは「泳いで出られるような感じじゃないと思った。無理して出るなら、ここで(救助を)待っていた方が……」と語った。

 食べ物は一切無かった。腰の高さほどに浸水した船室に下り、水の入ったペットボトルを見つけた。一つは口が開いておらず、もう一つは飲みかけ。異様な味がしたという。

 台風20号が近づいており、2、3日は救助が来ないと覚悟していた。3人は「会話はほとんどなかった。たまに『生きてるか』と声を掛け合うぐらい」。鳰原さんは「後半は意識がほとんどない状態だった」と言い、宇都宮さんは「生きることばかり考えていたから」。早川さんは「助かるか、助からへんか。半信半疑の気持ち。半分はあきらめていた」と話し、家族のことを思ったという。

 「今日あたり来るのでは」と期待した5日目、救助船のスクリュー音こそ聞こえなかったが、船底をコンコンたたかれたのが分かった。3人は思いっきり船底をたたき返し、「おーい、ここだ。助けてくれー」と叫んでいた。【山田毅、田口雅士、平林由梨】


漁船転覆:救助の海保潜水士が会見 救出時の状況を語る

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第1幸福丸の見取り図を示しながら救助の様子を説明する潜水士ら=横浜港に停泊中の巡視艇いずの船内で2009年10月31日、高橋直純撮影

 伊豆諸島・八丈島(東京都八丈町)近海で転覆したキンメダイ漁船「第1幸福丸」。宇都宮森義さん(57)=静岡県下田市▽早川雅雄さん(38)=大阪市平野区▽鳰原(にゅうばら)貴光さん(33)=静岡市駿河区=の3人を救出した第3管区海上保安本部の巡視船「いず」の潜水士6人と船長が31日、横浜港に停泊した同船内で記者会見し、救出時の状況を語った。

 28日午前、第1幸福丸の発見場所に到着した「いず」から、潜水士2人が船底に登った。知念俊助潜水士(25)が右手に持ったハンマーで船底をたたき、口を付けて「誰かいますか」と叫ぶと、内部から声が返り、次第に鮮明になった。船が消息を絶って約4日。榎木大輔潜水士(28)は「よく生きていてくれた」と驚いた。

 「どこにいる?」「何人?」「入り口は?」。船底越しに3人と約20~30分間、確認し合った。「もう少し頑張れ、絶対に行くから」。潜水士6人が救助に向かった。船体後部の海水面から後部船室までは約7メートル。海中ライトを持った榎木潜水士が近づくと、3人はハッチを囲むように待っていたという。

 「皆さんを助けに来ました」。榎木潜水士の言葉に「よく来てくれた」「早く出してくれ」と目頭を熱くする3人。潜水士6人が3人をリレーしながら、順番にタンクのレギュレーターをくわえさせて船外に誘導した。

 海面に顔を出した乗組員は「太陽の光が見られてよかった」とつぶやいたという。小山裕介潜水士(26)は「暗いところから出てきて、空を見ていたのが印象深かった」と振り返った。

 黒木喜年(のぶとし)船長(54)によると、外洋で転覆した船は沈没する可能性が高く、救出も困難なケースが多いという。今回は▽船のバランスが良かった▽船体がFRP(繊維強化プラスチック)製で、船内に空気が多く残った▽脱出経路が短かった--ことなどが幸いした。

 救出された3人は、行方不明の4人について「どうしていますか」と尋ねたという。榎木潜水士は「まだ4人が見つかっていないので、もろ手をあげて喜ぶことはできません」と表情を引き締めた。【池田知広、高橋直純】

毎日新聞 20091031日 2117分(最終更新 1031日 2331分)


漁船転覆:「出ようとしたので止めた」 生還の3人が会見

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伊豆漁協で会見にのぞむ(左から)鳰原貴光さん、早川雅雄さん、宇都宮森義さん=静岡県下田市で2009年10月31日午後1時3分、武市公孝撮影

 転覆したキンメダイ漁船「第1幸福丸」(8人乗り、19トン)の乗組員で、31日に伊豆諸島・八丈島(東京都八丈町)の町立八丈病院を退院した宇都宮森義さん(57)=静岡県下田市▽早川雅雄さん(38)=大阪市平野区▽鳰原(にゅうばら)貴光さん(33)=静岡市駿河区=の3人が午後、下田市の伊豆漁協で記者会見した。3人はやや緊張した表情ながら、しっかりした足取りで会見場に入った。

 冒頭、同席した伊豆漁協の藤井多喜男組合長(56)が3人から聞いた遭難から救出までの概要を説明した。

 「鳰原さんの時計で確認したが、転覆は24日午後8時14分。当時は(7人)全員が寝ていた。3人は寝室の床板を外し、シャフトと床板の間にいた。転覆の時は死刑宣告された気分だったという。何日かすると、冷蔵庫でふさがれていた入り口が開き、下から光が差したという」と説明した。

 救助を待っている時の心境について、早川さんは「半信半疑。半分はあきらめていた」と話し、鳰原さんは「どういう死に方をするのかなあ、と考えていた。いつ息が吸えなくなるのか」と言葉を詰まらせた。

 また、船内の様子について、早川さんは「ずーっと揺れっぱなしで横になっていた。鳰原さんが泳いで出ようとしたので止めた。泳いで出られるような状況ではなかった」と振り返った。鳰原さんは「自分は経験が浅い。暗闇から抜け出たかった。出たら助かるのかなって……」と話した。

 第1幸福丸は20日に下田港を出港。帰途についた24日、八丈島沖で連絡が途絶えた。台風20号の接近で一時は捜索が中断するなど生存が危ぶまれたが28日午後、転覆した船内から3人は救助された。真っ暗な後部船室に閉じ込められ、水もほとんど飲まずに4日間をしのいだ。「頑張ろう」と励まし合って耐え抜いたという。一方、救命いかだに乗っていた船長の牧山新吾さん(40)は死亡が確認され、残る4人は依然行方不明になっている。【山田毅、田口雅士、平林由梨】

毎日新聞 20091031日 1333分(最終更新 1031日 1537分)


漁船転覆:生還の喜び、家族らと宇都宮さんらが下田到着

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八丈島からヘリコプターで下田に到着し、出迎えた子供たちと抱き合う鳰原貴光さん=静岡県下田市で2009年10月31日午前10時35分、武市公孝撮影

 伊豆諸島・八丈島(東京都八丈町)近海で転覆した佐賀県鎮西町漁協所属のキンメダイ漁船「第1幸福丸」(8人乗り、19トン)の船内から救助、奇跡的に生還した甲板員3人が31日朝、町立八丈病院を退院。3人を乗せた第3管区海上保安本部のヘリが午前10時半、静岡県下田市に到着した。行方不明から1週間。出迎えた家族らと抱き合い、無事を確かめ合った。

 生還したのは宇都宮森義さん(57)=静岡県下田市▽早川雅雄さん(38)=大阪市平野区▽鳰原(にゅうばら)貴光さん(33)=静岡市駿河区=の3人。

 ヘリが下田市柿崎の「まどが浜海遊公園」に着陸し3人が姿を現すと、家族十数人は涙を手でぬぐい、手を振って出迎えた。鳰原さんは涙を流し、2人の幼い子供と高齢の女性を両手を広げて抱きかかえ、出迎えのバスに乗るまで子供を離さなかった。宇都宮さん、早川さんも海保職員に付き添われ、しっかりした足取りで家族の元に歩み寄り、言葉を交わした。

 3人は、下田海保の川名一徳部長と伊豆漁協の藤井多喜男組合長、鎮西町漁協の梅崎博昭組合長と握手をかわし、「ありがとう」と礼を述べた。【山田毅、田口雅士、平林由梨】

毎日新聞 20091031日 1130分(最終更新 1031日 1202分)


漁船転覆:生還の3人退院 看護師から花束贈られ 八丈島

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看護師から渡された花束を手に退院する(左から)宇都宮森義さん、早川雅雄さん、鳰原貴光さん=東京都八丈町の町立八丈病院で2009年10月31日午前8時59分、西本勝撮影

 キンメダイ漁船「第1幸福丸」(8人乗り、19トン)の乗組員3人が入院していた伊豆諸島・八丈島(東京都八丈町)の町立八丈病院で31日午前、退院セレモニーがあり、職員ら約20人が、家族の待つ静岡県下田市へ向かう3人を見送った。

 午前9時、宇都宮森義さん(57)=下田市▽早川雅雄さん(38)=大阪市平野区▽鳰原(にゅうばら)貴光さん(33)=静岡市駿河区=の3人が正面玄関前に現れると、看護師が「気をつけて行ってください」と声をかけ、オレンジ色の「ストレリチア」の花束を贈った。「ありがとうございました」。花束を贈られた3人はやや硬い表情で頭を下げ、手を振って病院を後にした。

 同病院は1966年に設立された島で唯一の医療拠点。内科、外科、小児科、産婦人科があり、スタッフは医師6人を含め計54人がいる。村井邦彦院長(57)によると、3人は28日、船から漏れ出したとみられる重油のにおいを体中に充満させ、救急搬送されてきた。肺に重油が入れば呼吸障害を起こしかねないため、総力を挙げて検査・看護にあたったという。

 脱水症状と筋肉疲労がみられたが、3人は日に日に回復していった。この日、村井院長が病室を訪れ「回復したらゆっくり八丈島へ来てください」と話しかけると、3人は「ぜひ」と答えたという。病院を出た3人はワゴン車に乗り込み、パトカーに先導されて八丈島空港へ。第3管区海上保安本部のヘリコプターに乗り換えて拠点港の下田へ向かった。

 第1幸福丸は20日に下田港から出港し、漁を終え、帰途についた24日、八丈島沖で連絡が途絶えた。台風20号の接近で一時は捜索が中断するなど生存が危ぶまれたが28日午後、転覆した船内から3人が救助された。

 3人は真っ暗な後部船室に閉じ込められ、水もほとんど飲まずに4日間をしのいだ。3人で「頑張ろう」と励まし合って耐え抜いたという。救命いかだに乗っていた船長の牧山新吾さん(40)は死亡が確認され、残る4人は行方不明のままとなっている。【沢田石洋史、菊池まり】

毎日新聞 20091031日 1124分(最終更新 1031日 1156分)


Three fishermen rescued from capsized boat reunited with families

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Takamitsu Nyubara, center, embraces his children after arriving in Shimoda, Shizuoka Prefecture, by Japan Coast Guard helicopter Saturday morning. (Mainichi)

Three crew members rescued from a fishing boat that capsized Oct. 24 in the waters off of Hachijo Island were returned to the mainland by Japan Coast Guard helicopter Saturday morning.

Rescued were Moriyoshi Utsunomiya, 57, Masao Hayakawa, 38, and Takamitsu Nyubara, 33.

"Half of me had hope, while the other half had given up," said Hayakawa of his thoughts while awaiting rescue.

"I wondered how I would die. I wondered when I would stop breathing," said Nyubara.

The three men -- deckhands on the 19-ton fishing vessel Daiichi Kofuku-maru -- were taken to hospital on Hachijo Island after their rescue and later released for their flight to Shimoda, Shizuoka Prefecture, to meet their families, who rushed to greet them as they stepped off the helicopter.

(Mainichi Japan) October 31, 2009


漁船転覆:「よく生きていてくれた。絶対に助けてやろう」潜水士らが会見

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救助した時の様子について記者会見で話す潜水士たち=横浜市中区の横浜海上防災基地に停泊中の巡視船いずで2009年10月31日午後2時39分、米田堅持撮影

 伊豆諸島・八丈島(東京都八丈町)近海で転覆したキンメダイ漁船「第1幸福丸」(8人乗り、19トン)の船内から甲板員3人を救助した海上保安庁の潜水士らが31日、横浜海上防災基地に停泊中の巡視船いず船内で会見し、救出当時の緊迫した様子を語った。

 「海上保安庁です。救助に来ました」。キャリア5年の榎木大輔潜水士(28)と、同10カ月の知念俊助潜水士(25)がプラスチックハンマーやナイフの柄で船底をたたき、呼びかけた。たたき返すような音が聞こえたが不明瞭だったので、大声で呼びかけ続けた。「ここにいる。助けてくれ」。複数の男性の声が聞こえた。榎木さんは「よく生きていてくれた。この人たちを絶対に助け出そう」と思ったという。

 榎木さんが最初に船内に入り、真っ暗で油のにおいがする居室の中で、扉のとれたハッチを囲むようにしていた宇都宮森義さん(57)ら3人を発見、救助活動にあたった。ボンベの空気を吸わせるためレギュレーターをくわえさせ、船体に体を当てないよう、慎重に船外に救助した。

 「皆さんを助けに来ました」という声に3人は「よく来てくれました。早く出してください」「死を覚悟していた」と生還を喜びつつも、他の乗組員の安否を気にしていたという。

 今回の潜水士6人は、転覆船からの救助は初めて。会見では達成感をにじませながら「船長が亡くなり、まだ4人が見つかっていないので、大手を振っては喜べない」と複雑な表情で語った。【米田堅持】

20091031


漁船転覆:「水を一口か二口飲んだだけだった」

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救助された乗組員3人がいた第1幸福丸の後部船室=八丈島付近で2009年10月29日午後、第3管区海上保安本部提供

 鎮西町漁協(佐賀県唐津市)所属のキンメダイ漁船「第1幸福丸」(8人乗り、19トン)の転覆事故で、4日ぶりに救助された甲板員3人が、入院先の伊豆諸島・八丈島(東京都八丈町)の町立八丈病院で「(救助されるまで)ペットボトルの水を一口か二口飲んだだけだった」と話していることが分かった。転覆当日か翌日に船室内でペットボトルを見つけ、3人で回し飲みしたが、それ以降は一切、水を口にしておらず、生還はまさに「奇跡」だった。

 同病院の複数の医師によると、水が入ったペットボトルは1本だけしかなかった。回し飲みしたが、味に違和感を感じたため、3人は全部は飲まずに捨てることで合意した。このため、下痢などの症状を引き起こさずに済んだという。

 村井邦彦院長(57)は「残りの期間、水を飲まずにいて生還できたのは奇跡的だ。水にぬれず、船室内でじっと動かずにいたことに加え、空気の密度や室内の湿度など良い条件が重なったのだろう」と話している。

 一方、救助された3人のうち、宇都宮森義さん(57)=静岡県下田市=が29日、見舞いに訪れた遠縁の浅沼好子さん(78)=同島在住=に「3人いたから助かった。『頑張ろう』と励まし合いながら過ごした。1人だったら死んでいただろう」と救助までの様子を語った。

 宇都宮さんは24日の転覆当時、船室で休んでいたといい、「あっという間にひっくり返った。怖かった」と振り返った。真っ暗で狭い船室に閉じ込められ、足を伸ばすのがやっとのスペースで3人が身を寄せ合っていた。のどの渇きと飢えでほとんど眠れなかったという。「駄目か」とあきらめかけていた28日午前、頭上からコンコンと船底をたたく音が聞こえた。思わず、そばにあった棒を手にしてドンドンとたたき返した。間もなく、第3管区海上保安本部の潜水士が船室のドアを開け、懐中電灯で室内を照らしたという。

 同病院によると、3人の退院は30日夕以降の見通し。退院後は3管のヘリコプターか巡視船で静岡県下田市の下田港へ向かう。海保による事情聴取の後、記者会見に臨む予定という。【沢田石洋史、菊池まり】

毎日新聞 20091029日 2336分(最終更新 1029日 2353分)


漁船転覆:遭難信号機の電源オフ 操作、間に合わず?

 鎮西町漁協(佐賀県唐津市)所属のキンメダイ漁船「第1幸福丸」(8人乗り、19トン)の転覆事故で、第3管区海上保安本部(横浜市)が29日に船内を捜索した結果、電源が切れた状態の遭難信号発信装置(イパーブ)が操舵(そうだ)室で見つかった。遭難信号が発信されていれば、転覆直後に船の位置情報が外部へ伝わった可能性があるが、何らかの事情で発信されなかった。

 3管によると、見つかったイパーブのスイッチは▽手動で発信させる「オン」▽水を感知すると自動的に発信する「待機」▽「オフ」--の3段階がある。発見時はオフの状態で、操舵室内の水中に浮いていたという。水深が深いと信号が外部へ届かないため、水圧を感じると外れて浮上する「自動離脱装置」で船室外に固定し、待機状態にしておくのが望ましいという。

 同船にはイパーブの設置義務はなく、自動離脱装置はなかった。操舵室には転覆時、死亡した牧山新吾船長(40)がいたことが分かっているが、急な転覆で操作が間に合わなかった可能性もある。

 3管は29日正午すぎから約3時間、潜水士12人が船内を捜索。救助された3人の話では、行方不明の乗組員4人は転覆後に船外へ脱出したが、捜索で4人の手がかりは見つからなかった。

 潜水士が撮影した船内の動画を確認した3管職員は、3人がいた船室は「ひざ(の高さ)程度の水位だったのではないか」と推測している。【高橋直純】

毎日新聞 20091029日 2141分(最終更新 1029日 2354分)


Fishermen rescued after 90-hour ordeal in capsized boat in good health

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Japan Coast Guard officials examine the capsized Daiichi (No. 1) Kofuku-maru on Wednesday, in this photograph taken from a Mainichi helicopter. (Mainichi)

Three fishermen rescued after spending nearly four days at sea inside a capsized boat emerged dehydrated after the ordeal but in relatively good health.

Moriyoshi Utsunomiya, 57, from Shimoda, Shizuoka Prefecture; Masao Hayakawa, 38, from Osaka; and Takamitsu Nyubara, 33, from the city of Shizuoka were hospitalized on the island of Hachijo after being rescued from the 19-ton Daiichi (No. 1) Kofuku-maru on Wednesday.

The captain of the vessel, Shingo Makiyama, 40, was found in a drifting life raft, but he was later declared dead. A search is continuing for four other missing crew members.

Officials from the 3rd Regional Coast Guard Headquarters in Yokohama, which had been searching for the fishermen, said that the three rescued men had stayed in the rear cabin of the capsized vessel, where a pocket of air had formed. The temperature of the water was a relatively warm 24-25 degrees Celsius.

At the time the fishing boat capsized, the captain was in the pilothouse and the remaining seven crew members were in the cabin, but four of them swam out of the boat and remain missing. They were reportedly not wearing lifejackets.

Experts say it is a miracle that the three men survived the 90-hour ordeal. In similar accidents in the past, survivors were rescued from capsized boats off Wakkanai, Hokkaido, in 1971, and Nemuro, Hokkaido, in 2005, after 25 hours and 10 hours, respectively.

Patrol vessels reached the Kofuku-maru at about 11:45 a.m. on Wednesday. When a diver climbed on top of the vessel's hull, banging was heard from inside. About one hour later Utsunomiya, Hayakawa and Nyubara were brought to the surface by rescuers, with a team of six divers forming a relay to provide the fishermen with air from tanks.

The Kofuku-maru is made of fiberglass reinforced plastic. It is believed that the vessel quickly flipped over without being filled with a large amount of water, trapping a pocket of air in the cabin. One of the rescued men was quoted as saying that hardly any water entered the cabin. He said the crew members had remained still to conserve energy.

Takio Fujii, president of Izu Fishery Cooperative, said the warm water conditions probably played a part in the men's survival.

"The water temperature was around 24 degrees due to the effect of the Kuroshio Current, which probably helped them ward off the cold," Fujii said.

The 42-year-old deputy head of the hospital where the three men were hospitalized said the trio were probably able to avoid evaporation of the water in their bodies because they were not exposed to direct sunlight. Meanwhile, a director of the Japan Association of Marine Safety said there was a possibility that the men being together played a large part in their survival.

"They probably encouraged and supported each other," the director said.

(Mainichi Japan) October 29, 2009


漁船転覆:わずかな水分け合う 救助の3人

20091029 1133分 更新:1029 1220

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「第1幸福丸」から救助した乗組員を潜水支援艇に引き上げる潜水士ら=第3管区海上保安本部提供

 伊豆諸島・八丈島(東京都八丈町)近海で4日ぶりに救助された漁船「第1幸福丸」の乗組員3人は生還から一夜明けた29日、船内の状況について「暗くて狭い空間だった。ほとんど身動きできなかった」と語った。入院先の町立八丈病院で看護師に話した。船内に食べ物はなく、残された水を分け合い、救出までの約90時間をしのいでいた。3人は首や足首などに痛みを訴え、湿布を張るなどの手当てを受けた。

 会見した沖山みよ看護師長(57)によると、救助された宇都宮森義さん(57)=静岡県下田市=は足首、早川雅雄さん(38)=大阪市平野区=は全身、鳰原貴光さん(33)=静岡市駿河区=は首筋に痛みを訴えた。沖山看護師長は「船室内が狭いため、寝たままの状態だったのではないか」と話した。

 3人とも夜はほとんど眠れなかったというが、朝食は全員ご飯の大盛りを注文した。「助かったらケーキを食べたいと思っていた」という鳰原さんは病院側が用意したロールケーキを一口で平らげた。鳰原さんは第3管区海上保安本部の潜水士が救助のため船室内に入ってきた様子を「格好良かった。映画の『海猿』を思い出した」と話したという。

 3人は29日午前に受ける血液検査の結果次第で退院日程などが決まる。

 八丈町消防本部によると、救助された1人は28日午後、八丈島空港から救急搬送される途中「水を飲んでいました」と話した。病院には「4日間何も食べなかった」と話しており、水だけでしのいだとみられる。

 一方、第1幸福丸が拠点としていた下田港に対策本部を置く伊豆漁協の藤井多喜男組合長(56)は29日午前、3人について「病院の判断もあるが、29日中に何とか(下田へ)お連れしてほしいと下田海保に申し入れた」と語った。【沢田石洋史、竹地広憲】


漁船転覆:「第1幸福丸」捜索続く 八丈島沖

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行方不明の船員の捜索に向かう漁船を見送る「第1幸福丸」乗組員の家族ら=静岡県下田市で2009年10月29日午前6時37分、武市公孝撮影

 鎮西町漁協(佐賀県唐津市)所属のキンメダイ漁船「第1幸福丸」(19トン)の転覆事故で、残る行方不明の乗組員4人の捜索が29日も続いた。第3管区海上保安本部(横浜市)の巡視船などに加えて、下田港(静岡県下田市)を拠点とするキンメダイ漁船6隻が出港、捜索に加わった。28日に先発した8隻や九州から応援の1隻と八丈島沖で合流する。

 下田港では午前7時半までに6隻が次々と出港。行方不明者の家族や関係者ら約50人が祈るような表情で見送った。28日に死亡が確認された牧山新吾船長(40)の義兄(39)、母親(63)らは漁船に駆け寄って「よろしくお願いします」と、何度も頭を下げた。【竹地広憲】

毎日新聞 20091029日 1042分(最終更新 1029日 1134分)


八丈島沖・漁船転覆:3人救助 「奇跡」漁業関係者 /静岡
 ◇依然4人不明に表情硬く

 伊豆諸島・八丈島沖で連絡が途絶えたキンメダイ漁船「第1幸福丸」(19トン、佐賀県鎮西町漁協所属)の甲板員3人が28日、4日ぶりに船内から発見された。波間に浮かんだ繊維強化プラスチック(FRP)製の船内に残った空気が3人の命をつないだとみられる。

 漁業関係者は「奇跡」と驚きを隠さない。しかし、牧山新吾船長(40)が死亡。残る4人の乗組員も依然、行方不明で、表情は硬いままだ。

 下田港を拠点に操業しているキンメダイ漁船「第10福一丸」(83トン)の機関長、藤原一起さん(58)は「同じ仲間として助かってくれたのは良かった。船内にまだ2、3人はいるなと思ったが。しけの中で外に投げ出されたらなあ……」と、行方不明者の安否を気遣った。

 藤原さんは、助かった宇都宮森義さん(57)と旧知の間柄で、幸福丸の消息が途絶えた24日は八丈島の南方で操業し、遭難現場海域の捜索にあたった。29日午前7時からの全16隻による捜索に再び加わるという。

 また、助かった宇都宮さんと友人だという下田市内に住む男性(73)は「幸福丸が行方不明になってから毎日のように漁協に行っていた。宇都宮さんの無事を聞いただけでもホッとした」と話した。【安味伸一、中村隆】

毎日新聞 20091029日 地方版


漁船不明:船底から「コンコン」 潜水士、聞き逃さず

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転覆した第1幸福丸を調べる海上保安庁の保安官ら=八丈島沖で2009年10月28日、本社ヘリから馬場理沙撮影

 波間に浮かぶ赤い船底から「コンコン」と生存を示す音が響いた。乗組員3人の生還に専門家も「奇跡だ」と驚く。海上保安庁によると、過去に起きた同様の事故では、71年に北海道・稚内沖で転覆した「第18幸徳丸」で25時間ぶり、05年の北海道・根室沖の「第3新生丸」で10時間ぶりに船内から生存者が救助された例がある。

 第3管区海上保安本部によると、午前11時45分ごろ、巡視船が転覆した幸福丸に到着。潜水士が船底に上ってたたくと、「コンコン」という音と声が返ってきた。約1時間後、後部船室から宇都宮さん、早川さん、鳰原さんの3人が、潜水士とともに海面に姿を見せた。6人の潜水士が、ボンベのレギュレーターをリレーのように3人にくわえさせ、船外に運び出したという。

 3人は浸水が少なかった後部船室の居住区にとどまり、暗闇の空気だまりの中で救助を待っていた。幸福丸は繊維強化プラスチック(FRP)製。多量の海水が入る間もなく、一気に転覆し空気だまりができたとみられる。救出された3人と行方不明の4人は転覆時、船底部の居住区におり、全員が救命胴衣を着けていなかったという。4人はその後船外に脱出して行方不明になった。3管の広報担当者は「転覆した船からは離れたくなるもの。どちらが正しい判断だったかは言えない」と話した。

 また、伊豆漁協の藤井多喜男組合長(56)は、船底を上にして浮かんだことに「空気が入った状態。生存の可能性がある」と望みをつないだ。「海水温も黒潮の影響で約24度あり、寒さをしのげたのではないか。助かる条件が重なった」と語った。社団法人「日本海難防止協会」の甲斐文雄常務理事は「一人きりではなく、複数でいられたことが大きかった可能性がある。お互いが励まし合い、支え続け乗り切ったのではないか」と話した。【池田知広、高橋直純】

毎日新聞 20091028日 2209分(最終更新 1029日 018分)


漁船不明:家族に「無事だったよ」 90時間ぶり3人生還

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救助され、八丈町立八丈病院へ搬送された第1幸福丸の乗組員、鳰原貴光さん(中央)=東京都八丈町で2009年10月28日、菊池まり撮影

 「奇跡だ」--。荒れ狂う台風の海を越えて海の男3人が生還した。鎮西町漁協(佐賀県唐津市)所属のキンメダイ漁船「第1幸福丸」(8人乗り、19トン)の連絡が途絶えて約90時間、3人は転覆した暗い船内で水も飲まず救助を待ち続けた。関係者は、空気の消費を最小限にとどめ、海水温の高さや直射日光を浴びなかったことが幸いし、体温や体内の水分が奪われなかったのではないかと指摘する。しかし船長は死亡、残る4人も行方不明のまま。3人の生還を喜んだ家族らは「まだ生存の可能性がある」と無事を祈り続けた。

 ●八丈島

 生還した、いずれも甲板員の宇都宮森義さん(57)=静岡県下田市▽早川雅雄さん(38)=大阪市平野区▽鳰原(にゅうばら)貴光さん(33)=静岡市駿河区=の3人は八丈島(東京都八丈町)の町立八丈病院に収容された。脱水症状がみられるが「おなかがすいた。食事してもいいですか」と話す人もいるほど元気だという。

 3人は午後2時過ぎ、ヘリコプターで八丈島空港に到着し、救急車2台に分乗して入院した。3人とも青いジャージー姿。隊員らに支えられながらも自分の足で病院内に入った。その際、1人はため息をつくように安堵(あんど)の表情を浮かべた。

 病院によると、3人は4人部屋の病室に一緒に入り、「無事だったよ」と家族に電話をかけ無事を喜び合った。そして、熱い緑茶を飲んで体を温めたり、テレビを見てくつろいだ。夕食は白米にゆで豚、小松菜のごまあえ、カボチャの煮物などを食べたという。

 会見した村井邦彦院長(57)らによると、3人に外傷はなく、レントゲン検査でも骨などに異常はなかった。1人は脱水症状がやや激しく吐き気を訴えたが、受け答えはしっかりしている。

 島では「奇跡だ」との声が上がった。タクシー運転手の佐々木裕子さん(40)は「台風が来た日は大しけ。生存者がいたとは」と驚いていた。【菊池まり、沢田石洋史】

 ●下 田

 救出された鳰原さんと、死亡した牧山新吾船長の親族3人が28日夜、静岡県下田市の伊豆漁協下田支所で記者会見した。

 鳰原さんの義母、山梨和子さん(68)は遭難の知らせを受けた時に「震え上がってしまった」と言う。「孫を抱き締めて、何とか良い連絡をと思っていた。孫が『お父さんに会いたい』と泣いていたが、これで落ち着いた」とやや表情を和らげたものの、「乗組員全員がそろったわけではないので、複雑な気持ちでいっぱいです」と言葉少なだった。

 鳰原さんとはまだ話をしておらず、「もし本人が目の前に姿を見せても、どう対応できるか。心の準備ができていません」と語った。

 牧山船長の弟健太さん(35)と義兄の梶原敏幸さん(39)は会見の冒頭、立ち上がり「私どもの船が事故を起こし、乗組員や家族の皆さん、関係者に多大な迷惑をかけ、深くおわびします」と、深々と2度、頭を下げた。

 健太さんは約30分間の会見中、現在の心境などを聞かれて顔をしかめたり、目をつぶってしばらく考え込む姿が目立った。死亡が確認された牧山船長に対面していないため、「自分の目で確認するまでは生きていると思っている」と声を振り絞った。【竹地広憲】

毎日新聞 20091028日 2206分(最終更新 1029日 104分)


漁船不明:転覆船内から3人救出 いかだの船長は死亡

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転覆した第1幸福丸の救助活動を行う海上保安庁の保安官ら=八丈島の北北東約55キロの海上で2009年10月28日午後0時38分、本社機から幾島健太郎撮影

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漁船発見場所の地図

 伊豆諸島・八丈島沖で連絡が途絶えた鎮西町漁協(佐賀県唐津市)所属のキンメダイ漁船「第1幸福丸」(8人乗り、19トン)を捜索していた第3管区海上保安本部(横浜市)は28日午前、八丈島の北北東約55キロの海上で、転覆した同船を発見、船内から乗組員3人を4日ぶりに救出した。連絡が途絶えてから約90時間、3人は脱水症状を起こし、八丈島内の病院に入院したが元気だという。また、同日朝、救命いかだに乗った牧山新吾船長(40)も発見したが死亡が確認された。残る乗組員4人の行方を捜している。

 3管によると、救出されたのは、いずれも甲板員の、宇都宮森義さん(57)=静岡県下田市▽早川雅雄さん(38)=大阪市平野区▽鳰原(にゅうばら)貴光さん(33)=静岡市駿河区。

 午前10時半ごろ、海上自衛隊機が転覆している同船を発見。午前11時45分に到着した3管の潜水士が海面に出た船底をたたくと、船内から「コンコン」と反応があり、生存を確認した。3人は乗組員が寝泊まりする後部船室にいて、空気だまりができていたため助かったらしい。救出時の海水温は24~25度程度で、比較的温かかったという。

 転覆時の状況について、「船長は操舵(そうだ)室にいた。残る7人は船室にいたが(行方不明の)4人は船外に出た。救命胴衣はつけていなかった」と話しているという。同船を八丈島近海にえい航し、改めて船内を捜索する。

 一方、いかだは午前7時15分ごろ、八丈島の北約20キロの海上で見つかった。内部に救命胴衣を着た牧山船長が倒れており、間もなく死亡が確認された。

 第1幸福丸は24日夕、八丈島の西約90キロで、僚船と無線を交わしたのを最後に連絡が途絶えた。現場海域は台風20号の影響で一時大しけとなり、3管は26日午前から丸1日、捜索を中断していた。【池田知広、高橋直純】

毎日新聞 20091028日 1313分(最終更新 1029日 106分)


漁船不明:漂流いかだに船長 死亡確認

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ヘリで運ばれる牧山新吾・第1幸福丸船長=2009年10月28日午前11時28分、竹地広憲撮影

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巡視船に収容された救命いかだ=2009年10月28日午前9時20分ごろ、第3管区海上保安本部提供

 伊豆諸島・八丈島沖で24日夕に連絡が途絶えた鎮西町漁協(佐賀県唐津市)所属のキンメダイ漁船「第1幸福丸」(8人乗り、19トン)を捜索していた第3管区海上保安本部は28日午前、同島の沖合で転覆している同船と漂流している救命いかだを発見した。いかだには牧山新吾船長(40)が乗っており、巡視船しきしまへ収容し、ヘリで下田港へ搬送したが、死亡が確認された。

 3管によると、同船は午前10時半ごろ、八丈島の北北東約55キロの海域で転覆しているのを捜索中の海上自衛隊機が発見。いかだは同島の北約20キロの海域で午前7時15分ごろに発見され、食料や救命道具は積んでいなかったという。

 また、27日午後7時50分ごろには、3管の巡視船が同島の北東約80キロの海域で「幸福丸」と書かれた水色のプラスチック製のかご11個を発見し、回収した。【山衛守剛、高橋直純】

 ◇「必ず見つける」僚船8隻が出港


 「第1幸福丸」を捜索するため、同じく下田港(静岡県下田市)を拠点とするキンメダイ漁船8隻が28日午前7時ごろ、相次いで同港を出港した。幸福丸の乗組員8人の家族ら約20人が見送り、中には手を合わせたり、ハンカチを手に涙ぐむ姿もあった。

 幸福丸の牧山新吾船長(40)の母芳子さん(63)は「よろしくお願いします」と、港を離れる僚船に何度も頭を下げた。捜索に出た「第5朝潮丸」の宮崎和夫船長(53)は出漁時、牧山さんと無線交信していたといい、「沖でしゃべってる仲間がおらんけ、さみしい。必ず見つけたい」と話した。

 幸福丸乗組員8人の家族が待機している伊豆漁協下田支所(下田市)の研修室では午前10時ごろ、漁協関係者が状況説明。八丈島沖で救命いかだが見つかり、乗っていた男性1人は意識がないことなどを伝えた。男性のむせび泣く声が部屋の外に漏れた。【竹地広憲】

毎日新聞 20091028日 1116分(最終更新 1028日 1330分)


3 fishermen rescued from inside capsized boat, captain found dead in life raft

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The Japan Coast Guard conducts rescue operations near the capsized fishing boat Daiichi Kofuku-maru off the coast of Hachijo island at around noon on Wednesday. (Mainichi)

A Japan Coast Guard rescue team searching for the Daiichi Kofuku-maru, a fishing boat with eight crew members that went missing near Hachijo island on Saturday, located the capsized boat and rescued three crew members on Wednesday.

Around 10:30 a.m., approximately 55 kilometers north-northeast of Hachijo island, Maritime Self-Defense Force aircraft participating in the search spotted the Daiichi Kofuku-maru, which belongs to Chinzei Fishery Cooperative in the Saga Prefecture city of Karatsu. The Patrol Boat Izu arrived at the scene around 11:45 a.m., and divers who searched the capsized boat found three crew members in space left inside.

According to the Third Regional Coast Guard Headquarters, the rescued crew members are Moriyoshi Utsunomiya, 57, Masao Hayakawa, 38, and Takamitsu Nyubara, 33, and are all in good condition.

The boat, which does not appear to have suffered any major damage, was drifting with the bottom of its red-painted hull facing upward.

Meanwhile, around 7:15 a.m. on Wednesday morning, a life raft was found drifting in waters some 20 kilometers north of Hachijo island. Aboard the raft -- which was not stocked with food or life preservers -- was Captain Shingo Makiyama, 40. He was declared dead after being transported to Shimoda Port.

A Coast Guard patrol vessel had recovered 11 light blue plastic baskets labeled "Kofuku-maru" approximately 80 kilometers northeast of the island around 7:50 p.m. on Tuesday evening.

(Mainichi Japan) October 28, 2009


漁船不明:船長「走るのに難儀」 台風で捜索一時中断

20091026 1116分 更新:1026 1340

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不明漁船の捜索状況等について話す藤井多喜男・伊豆漁協下田支所組合長(右)。左は「第一幸福丸」が所属する佐賀県鎮西町漁協の冨田賢作業務課長=静岡県下田市で2009年10月26日午前8時10分、武市公孝撮影

 伊豆諸島・八丈島沖で連絡が途絶えたキンメダイ漁船「第1幸福丸」(8人乗り、19トン)の牧山新吾船長(40)が24日午後6時24分から約30分間、船舶電話で大阪府の友人に「走るのに難儀している」などと話していたことが分かった。これまでは24日午後4時ごろの無線交信が最後のやりとりとみられていたが、下田港(静岡県下田市)に帰港途中の同日夜に何らかの事故に遭ったとみられる。第3管区海上保安本部(横浜市)は台風20号接近に伴う荒天のため26日午前11時半、捜索を一時中断した。手がかりは得られていない。

 26日に記者会見した伊豆漁協下田支所(下田市)の藤井多喜男組合長(56)によると、牧山船長は船舶電話で「海がしけている。走るのに難儀している」と話していたという。藤井組合長は「『漁から戻ったら酒を飲もう』という約束もあったという。その時は緊迫した状況ではなかったはずだ」との見方を示した。

 24日午後4時ごろに幸福丸と無線交信した僚船の「第1ふじ丸」の阿部圭男船長(53)は取材に「普通は食料を10日分ぐらい積むから漂流してもある程度は大丈夫だ。だが、エンジンが動かないと、しけの中で船の姿勢を保つのは難しい」と表情を曇らせた。

 牧山船長の伯父と弟、甲板員の早川雅雄さん(38)の義父は26日午前、幸福丸が拠点にしていた下田港に到着。藤井組合長によると、乗組員の親族3人は「情報が少なく、どうなっているのか心配だ」などと話し、不安を募らせているという。幸福丸が所属する鎮西町漁協(佐賀県唐津市)の冨田賢作業務課長も駆け付け、「天候悪化もあり、一刻も早く安否を確認したい。何とか命だけは助かってほしい」と話した。【竹地広憲、平林由梨、中島和哉】


Boat with 8 fishermen aboard missing off Shimoda

President of Izu Fishery Cooperative's Shimoda office Takio Fujii, right, talks about the search for a missing fishing boat in the Shizuoka Prefecture city of Shimoda on Monday morning. (Mainichi)

SHIMODA, Shizuoka -- A fishing boat with eight crew members aboard has gone missing off the coast of Hachijojima island, after its last radio communication on Saturday.

On Sunday morning, the Japan Coast Guard's Shimoda branch received an emergency call from the Izu fishery cooperative's local office, saying that the Daiichi Kofuku-maru, a boat belonging to a fishery cooperative in the Saga Prefecture city of Karatsu, had gone missing on its way back to Shimoda Port.

The boat with eight crew members, including Captain Shingo Makiyama, 40, left the port together with three other vessels on Oct. 20. At around 4 p.m. on Saturday, Makiyama talked with the captain of another boat via radio, urging each other to be careful as they navigated back to the port from some 90 kilometers west of Hachijojima island. At the time, there were high waves in the area and wind speeds of about 15 to 18 meters per second, the 53-year-old captain said.

The three boats that left the port together with the Daiichi Kofuku-maru returned safely to port on Sunday morning as scheduled.

It has also been learned that Makiyama called a friend in Osaka Prefecture shortly before 6:30 that evening using a ship telephone, and told him "We are having a hard time navigating in the storm." It is believed to be the last contact the boat made before losing contact.

The Japan Coast Guard sent out two patrol vessels and two aircraft to search for the missing vessel, however, no progress has been reported so far.

(Mainichi Japan) October 26, 2009


八丈島沖・漁船不明:「無事でいて」祈る家族 唐津の漁協、3人現地に

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第1幸福丸が行方不明との連絡を受け、電話対応に追われる漁協職員ら=佐賀県唐津市の鎮西町漁協で25日午後5時、田中雅之撮影

 はるか八丈島の西海上で何が起きたのか--。25日午前、佐賀県唐津市の鎮西町漁協(梅崎博昭組合長)に入った「第1幸福丸」=牧山新吾船長(40)、19トン=の消息不明のしらせ。漁協幹部は同船の拠点がある静岡県下田市に向かい、留守家族の家には親せきらが駆け付けた。少ない情報に不安と焦燥が募る。関係者は乗組員の無事を祈り、安否を気遣った。【関谷俊介、原田哲郎、野呂賢治】

 鎮西町漁協に下田海上保安部から連絡が入ったのは、25日午前10時ごろ。同日昼には、同漁協の馬渡(まだら)島支所長ら3人が現地に出発した。漁協には幹部や職員ら約10人が待機し、海保や現地の漁協と連絡を取り合った。

 梅崎組合長は「(牧山船長は)漁師らしい漁師。乗組員の無事を祈りながら待っている。近くなら船で捜索できるのだが」と歯がゆそうな表情だった。

 同漁協によると、漁場の狭い佐賀県では、隣接する福岡県や長崎県の漁協に許可をもらって漁をする漁師は多いが、牧山船長のように九州外の漁協の許可を取るのはまれ。キンメダイ漁に使うはえ縄は長いもので3キロほどあり、引き揚げの際に多くの人手が必要で、いったん漁に出ると、半月ほど戻らないこともあるという。

 漁協から約2キロ離れた牧山船長の自宅兼事務所には夕方以降、親族や関係者が集まり、漁協と電話連絡を取りながら乗組員らの無事を祈った。ドア越しに報道機関に応対した女性は「こっちはまだ何も分からなくてパニック状態」と話した。

 「ただただ、びっくりしている。無事でいてくれたら……」。牧山船長と同じ馬渡島出身で機関員の牧山静男さん(40)の母・サツ子さん(72)は祈るように話した。

 今も同島に住むサツ子さんの話などによると、静男さんは5人兄弟の次男。兄弟の中で1番漁が好きだったといい、幼いころには父親と一緒に出漁していた。5、6年ほど前に島を離れ、妻子を唐津市の妻の実家に残して漁に出ていたという。

 今年のお盆、静男さんは妻と2人の子供を伴い、馬渡島に帰省。サツ子さんは「一日しかいなかったが、その間も漁の準備をしていた」と振り返る。

 数年前、静男さんと共に別の漁船に乗ったというおじの牧山直光さん(61)は「漁師一本でいくと言っていた。どうか無事で」と力を込めた。静男さんの妻の実家に駆けつけた親類は、不安そうな様子で「早く見つけてほしい。心配でたまらない」と話した。

20091026


海難事故:八丈島沖で8人乗り漁船不明 静岡・下田出港、「波高い」交信後

 下田海上保安部(静岡県下田市)に25日朝、伊豆漁協下田支所(同)から入った連絡によると、鎮西町漁協(佐賀県唐津市)所属の漁船「第1幸福丸」(19トン)が伊豆諸島・八丈島沖で連絡が途絶えた。漁船には牧山新吾船長(40)=下田市=ら計8人が乗っていた。第3管区海上保安本部(横浜市)は、巡視船2隻と航空機2機で連絡が途絶えた海域を中心に捜索している。【山田毅、中島和哉、山田麻未】

 下田海保などによると、幸福丸は20日、下田港から僚船3隻とともに八丈島南方海上にキンメダイ漁に出漁。24日午前11時ごろ、漁を終え、僚船とともに帰途についた。同日午後4時ごろ、八丈島の西約90キロ付近で、僚船との無線交信で「波が高くなってきたから気をつけて帰ろう」などとやり取りした後、連絡が取れなくなった。この僚船の船長によると、当時、波の高さは3~4メートル、風速は15~18メートルだった。僚船3隻は予定通り25日午前、下田港に帰港した。

 伊豆漁協によると、下田港はキンメダイの水揚げ量日本一で、八丈島付近が好漁場とされている。同港を拠点に出漁する漁船は第1幸福丸を含めて17隻で、半数以上が愛媛、大分など他県の漁協に所属している。乗組員は自宅を離れ、船員寮やアパートなどを借りて働くケースが多いという。

 牧山船長以外の乗組員は次の皆さん。

 甲板員、浜田広之さん(41)=下田市▽同、宇都宮森義さん(57)=同▽同、鳰原(にゅうばら)貴光さん(33)=静岡市駿河区下島▽同、中田聖悟さん(25)=東京都町田市忠生2▽同、早川雅雄さん(38)=大阪市平野区瓜破西1▽同、岩本海人さん(31)=福岡県古賀市千鳥6▽機関員、牧山静男さん(40)=佐賀県唐津市肥前町田野

 ◇「漂流だと信じたい」


 静岡県下田市の伊豆漁協下田支所では、職員数人が事務所に集まり「行方不明対策本部」を設置し、電話対応や関係各所への連絡に追われた。

 事務所には、約20人の報道陣が詰め掛けた。取材に応じた藤井多喜男組合長(56)は「転覆したのではなく、電気系統の故障で漂流しているのだと信じたい。早く発見されてほしい」と話した。

 甲板員の中田さんは東京都町田市に住む叔母の田口悦子さん(45)方に滞在後、19日に下田へ向かった。中田さんは青森県八戸市出身。数年前に他界した父も港で仕事をしており、自らも船に乗った。【伊澤拓也】

 ◇佐賀の船長宅は「パニック状態」


 鎮西町漁協に下田海上保安部から連絡が入ったのは、25日午前10時ごろ。昼には、漁協の馬渡(まだら)島支所長ら3人が現地に出発した。漁協には幹部や職員ら約10人が待機し、海保や現地の漁協と連絡を取り合った。

 梅崎博昭組合長は「(牧山船長は)漁師らしい漁師。無事を祈りながら待っている。近くなら船で捜索できるのだが」と歯がゆそうな表情だった。

 漁協によると、漁場の狭い佐賀県では、隣接する福岡県や長崎県の漁協に許可をもらって漁をする漁師は多いが、九州外の漁協の許可を取るのはまれという。牧山船長の自宅兼事務所には夕方以降、親族や関係者が集まった。ドア越しに報道機関に応対した女性は「こっちはまだ何も分からなくてパニック状態」と話した。

毎日新聞 20091026日 東京朝刊


八丈島沖・漁船不明:「無事に帰ってきて」 伊豆漁協、連絡追われる /静岡
 ◇8人乗り漁船不明

 伊豆諸島・八丈島沖で、佐賀県唐津市の鎮西町漁協所属のキンメ漁船「第1幸福丸」(19トン)の音信が途絶えた事故。出港した下田港にある伊豆漁協下田支所は25日早朝から情報収集や関係者への連絡に追われ、乗組員の関係者らは無事の帰港を願った。

 同支所によると、幸福丸は数年前から下田港を拠点にキンメダイ漁をしており、乗組員は市内の寮やアパートに住んで働いていたという。18日に漁から戻ってきたばかりで、19日に1日休み、20日に再び漁に出たらしい。

 同支所の藤井多喜男組合長(56)は「現場は潮の流れが速く、エンジンや無線の故障で流されているのかもしれない。無事に帰ってきてほしい」と話した。甲板員として幸福丸に乗っていた宇都宮森義さん(57)=下田市=の親せきで、下田市内で水産会社を営む男性(64)は「みんな仲間だから心配だ」と不安そうに話した。【田口雅士、竹地広憲、平林由梨】

毎日新聞 20091026日 地方版


漁船不明:8人乗り連絡取れず 海保が捜索 八丈島沖

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行方不明になった漁船を捜索する巡視船=第3管区海上保安本部提供

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第1幸福丸の遭難を受け、電話対応に追われる漁協職員ら=佐賀県唐津市の鎮西町漁協で2009年10月25日午後5時、田中雅之撮影

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最後に通信が確認された地点

 下田海上保安部(静岡県下田市)に25日朝、伊豆漁協下田支所(同)から入った連絡によると、鎮西町漁協(佐賀県唐津市)所属の漁船「第1幸福丸」(19トン)が伊豆諸島・八丈島沖で連絡が途絶えた。漁船には牧山新吾船長(40)=下田市=ら計8人が乗っていた。第3管区海上保安本部(横浜市)は、巡視船2隻と航空機2機で連絡が途絶えた海域を中心に捜索している。

 下田海保などによると、幸福丸は20日、下田港から僚船3隻とともに八丈島南方海上にキンメダイ漁に出漁。24日午前11時ごろ、漁を終え、僚船とともに帰途についた。同日午後4時ごろ、八丈島の西約90キロ付近で、僚船との無線交信で「波が高くなってきたから気をつけて帰ろう」などとやり取りした後、連絡が取れなくなった。この僚船の船長によると、当時、波の高さは3~4メートル、風速は15~18メートルだった。僚船3隻は予定通り25日午前、下田港に帰港した。

 伊豆漁協によると、下田港はキンメダイの水揚げ量日本一で、八丈島付近が好漁場とされている。同港を拠点に出漁する漁船は第1幸福丸を含めて17隻で、半数以上が愛媛、大分など他県の漁協に所属している。乗組員は自宅を離れ、下田市内の船員寮やアパートなどを借りて働くケースが多いという。

 牧山船長以外の乗組員は次の皆さん。

 甲板員、浜田広之さん(41)=下田市▽同、宇都宮森義さん(57)=同▽同、鳰原(にゅうばら)貴光さん(33)=静岡市駿河区下島▽同、中田聖悟さん(25)=東京都町田市忠生2▽同、早川雅雄さん(38)=大阪市平野区瓜破西1▽同、岩本海人さん(31)=福岡県古賀市千鳥6▽機関員、牧山静男さん(40)=佐賀県唐津市肥前町田野【山田毅、中島和哉、山田麻未】

毎日新聞 20091025日 1406分(最終更新 1026日 038分)




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