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「これ以上がんばれない」

家族が危ない:シリーズ介護・第2部 反響特集/上 これ以上、頑張れない

 「介護保険があるのに、なぜこんなに大変なの」「もう限界です」。3日から5回にわたり連載したシリーズ介護第2部「家族が危ない」には、在宅介護を続ける家族の窮状を訴える多くの手紙やメールをいただきました。その一部を2回にわたり紹介します。

 ◇夫は「要介護5」 介護報酬3%アップで、サービスの上限額を超過


 <これ以上、頑張れない。どうしてもヘルパーさんの協力が必要です。利用限度額の上限を上げてほしいのです>

 山口県防府市の会社員、村野京子さん(50)は3月初旬、舛添要一厚生労働相のホームページにメールを送った。連載「家族が危ない」に目がとまったのはその翌日だった。

 京子さんは夫婦2人暮らし。夫の邦彦さん(50)は糖尿病で失明したうえに脳梗塞(こうそく)で倒れ、最も重い「要介護5」と判定されている。京子さんは一家の大黒柱として働きながら、夫の希望する在宅生活を支えている。介護と仕事の両立は、介護保険サービス(1割負担)を最大限利用することで、かろうじて成り立ってきた。週5日のサービスだけで利用上限額(要介護5は35万8300円)いっぱいになり、週末はすべて1人で介護している。

 ところが2月末、ケアマネジャーから「サービスを減らさないと4月以降は上限額を超えてしまう」と聞かされた。国は介護の人手不足解消策で4月から介護報酬を3%上げる。そのためサービス単価が上がり、しわ寄せが来るというのだ。

 京子さんの日々は分刻みだ。午前5時に起き、小さな体で夫を抱えて簡易トイレへ。血糖値を測りインスリン注射を打ち、朝食を食べさせ、7時半前には会社へ向かう。日中、邦彦さんは透析やデイサービスに送迎付きで通い、京子さんが帰宅するのは午後5時半。夜は毎日2、3回トイレに起こされ、お互いストレスがたまる。邦彦さんが「殺してくれ」と叫んだ時には「このまま2人で人生を投げ出せたら楽だろうに」という思いが頭をよぎったという。

 結局、4月からの負担はケアマネジャーが市役所に掛け合い、透析の前後に利用するヘルパーを医療保険でカバーできる見込みになった。それでも京子さんの制度への不安は消えない。「介護報酬をアップするなら、利用上限額も上がると思っていた。仕事をしながら介護するのは、ぜいたくなのでしょうか」【有田浩子】

 ●介護で燃え尽きた母

 記事を読み、寝たきりの祖父母の介護に明け暮れた母のことを思い出しました。近所の人や父は「嫁が親の面倒を見るのは当たり前」と言いました。母が体を壊した時、私は休養を取るよう勧めましたが、母は聞き入れませんでした。祖父母が亡くなった後は「燃え尽き症候群」になりました。あの時、母の心を介護以外に向けてあげるべきだったと後悔しています。でもどうやったらそれができたのか、今でもわかりません。=栃木県、主婦(36)

 ●国は現状を直視して

 母ががんを発病し、仕事を辞めました。貯金を取り崩し、お互い「二人で一つ」を合言葉に生きてきました。私も体が丈夫ではなく、気丈な母は私を気遣い、調子がいいと炊事などもしてくれます。でももしバランスを崩したら、どうなるでしょう。介護保険制度ができてもうすぐ10年目だそうですが、介護を取り巻く状況が良い方向に向かっているとは思えません。制度を中心になって作った人、提唱した人、現状をもう一度直視してはどうでしょうか。=山口県宇部市、家事手伝い、大石文女さん(54)

 ●3人の親が「要介護」に

 父は有料老人ホームに入居。パーキンソン病の母は妹の家で暮らしています。昨年、母を妹に預けて落ち着いたところで、姑(しゅうとめ)が倒れ入院しました。病院への支払いは次男の嫁である私がしています。仕事とボランティアは続け、友人・知人も愚痴や悩みを聞いてくれます。家族の理解もあります。それでも父、母、姑と3カ所を回って気遣う生活は正直、つらいです。経済的負担も大きく、せめて父だけでも費用の安い特養に、と願っています。=大阪府、自営業、女性(52)

 ●先の見えない苦しさ

 8年前、祖父を看取(みと)りました。祖父は妻子を先に亡くしており、24時間態勢で看病したのは私たち孫でした。先が見えずに追い詰められ、亡くなる前日、意識のない祖父に「私、疲れたよ」と言ってしまいました。亡くなったのはあの言葉のせいかと今も後悔しています。たった10日間でもつらいのですから、(介護殺人の記事で紹介した)寝たきりの妻を13年介護して死なせた男性の苦労は、計り知れないものだったのでしょう。=埼玉県、主婦(41)

 ●今度は私がサポーターに

 昨秋まで22年間、在宅で母の介護をしていました。6年間は父の介護もあり、一人っ子の私は仕事を辞めました。あらゆるサービスに支えられてきましたが、父が「丈夫な娘が一人いてよかった」と言ったように、家族の介護力あってのことでした。続けられた理由は(1)深刻に考えない(2)他人と比べない(3)介護から時間的にも空間的にも意識して離れる(4)弱音を吐ける友人を持つ(5)緑の中を散歩する--など。今度は私が介護者のサポーターになりたいと思っています。=東京都北区、フリーライター、藤田越子さん(50)

毎日新聞 2009324日 東京朝刊


家族が危ない:シリーズ介護・第2部/1 自らの死予感、妻絞殺
 ◇意識不明、自宅で世話 突然の腹痛「もうだめだ」
 房総半島が菜の花で彩られる季節がまた巡って来た。小さな農村の一軒家で、男性(88)は毎朝元気だったころの妻の遺影に手を合わせ、かすれた声でお経をあげる。この1年間、一度も欠かしたことはない。
 千葉県鴨川市。昨年3月5日夕方、男性は寝たきりで意識のない「要介護5」だった妻(当時82歳)を死なせた。衰えた手には力が入らず、妻が孫娘のために用意した着物用のひこ帯をベッドの柵に結び、妻の首に巻きつけた。
 1時間後、仕事から帰った三男が息絶えた母を見つけた。「オレは長くない。先に逝ったら、ばあさんの面倒は誰がみる」とうなだれる父に、三男は声を荒らげた。「なぜ相談してくれなかった。子が親を世話するのは当たり前じゃないか」
 殺人事件として捜査にあたった警察幹部は振り返る。「遺体には床ずれ一つなかった。丁寧な介護をしてきたのだろう」。事件から3カ月後、裁判所は「結果は重大だが、献身的に被害者の面倒を見てきた」として、男性に懲役3年、執行猶予5年の有罪判決を言い渡した。
     ◇
 「体が丈夫で、働き者で。医者にかかったことなんて一度もなかった」。水を張り始めた田んぼを望む自宅の土間で、男性は妻との思い出を静かに語り始めた。
 終戦直後、中国戦線から復員した男性の元に、妻は19歳で嫁いできた。夫婦でコメを作り、4人の息子を育て上げた。夏、稲刈りを前に仕事が一段落すると、マイカーに妻を乗せ、2人で温泉地へ。1週間かけて九州の別府や桜島を巡った時、旅好きの妻はことのほか喜んでくれた。
 幸せな老後は14年前、暗転する。ミニバイクで美容院に向かった妻が乗用車に追突された。一命は取りとめたが、転院先で急変し、意識が戻らない。男性は毎日、車で病院に通った。語りかけても何も答えない。ベッドの脇から見守りながら、コーヒーを飲んで一日を過ごした。
 だが80歳を過ぎた男性にも老いが忍び寄る。脳梗塞(こうそく)で倒れてから車を頻繁にぶつけるようになり、三男に「お袋の二の舞いにならないでくれ」と懇願され、運転免許を返納した。電動四輪車で片道1時間をかけて見舞ったが、やがてそれもままならなくなった。
 追い打ちをかけたのがお金のことだ。入院代で毎月20万円以上が消え、事故の保険金も乏しくなる。入院から10年がたった05年、自宅に引き取った。
 介護保険サービスを利用し、ヘルパーと看護師に交代で来てもらった。それでも3度の食事介助は男性の仕事。胃に通したチューブから毎回2時間がかりで流動食を食べさせる。せきをすればすぐに痰(たん)を吸引できるよう、いつもそばにいた。
 そして事件の3日前、突然腹に激しい痛みが走る。病院で脱腸と診断されたが、医師には「手術すれば寝たきりになる」と告げられた。処方薬を飲んでも、激痛はやまない。「もうおれはだめだ」
 妻を残して先に逝けば、息子は働けなくなり、孫の進学もかなわなくなる--。迷いはなかったという。
 ◇「保険」導入後も乏しい支援
 老いた家族が支える在宅介護の足元はもろい。急に衰え、自らの死を覚悟した男性。それでも誰かが手を差し伸べることはできなかったのだろうか。
 農業、漁業と観光で支えられてきた鴨川市は、65歳以上の高齢者人口が3割を超える。独居老人の孤独死や老老介護は珍しいことではなくなった。事件前、地元では介護うつなどを防ぐリフレッシュ事業として、在宅介護者の集いが開かれた。主催した市社会福祉協議会の担当職員は「踏みとどまらせることができたのではないか」と今も自問する。
 脱腸と診断されてから事件を起こすまでの間、近隣住民は男性が腹を押さえてあぜ道を歩く姿を目撃している。事件当日に家を訪問した看護師も、部屋でうずくまる男性が「もう人間っていう商売はやめにしたい」と漏らすのを聞き、励ましたという。だが派遣元の病院は「事件を起こすとまでは予想できなかった。看護師らもショックを受けており、思い出させたくない」と多くは語らない。
 男性の弁護を担当した吉澤功弁護士は言う。「誰かのちょっとした支えがあれば、悲劇は回避できるはず。介護保険制度ができても、何も変わっていない」
 男性自身も今は「要介護3」の認定を受けている。三男が買ってくれた脱腸用のベルトで痛みは和らいだが、足腰はすっかり衰え、家の中でも伝い歩きになった。週に3日、送迎バスでデイサービスに通うと、事件を知るスタッフらが気遣い声をかけてくれる。ありがたいが、心が晴れることはない。
 「一緒に行ければ一番良かったが……これで良かった。じき私もばあさんの所だ」。男性は自分に言い聞かせるように、何度もつぶやいた。【有田浩子】
   ×  ×
 毎年30人を超える高齢者が、介護をする家族によって命を奪われている。保険料を払い介護サービスを利用してもなお、さまざまな負担と不安が家族にのしかかる。「シリーズ介護」第2部では、在宅介護の現状と介護者支援の必要性について考えたい。=つづく
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 ■08年に起きた主な老老介護による事件
 発生 地域 加害者   概要
 2月 大阪 90歳夫  骨粗しょう症で寝たきりの妻(87)を絞殺
 2月 東京 76歳夫  脳梗塞で寝たきりの妻(71)と無理心中
 2月 京都 86歳夫  脳梗塞で3年前倒れた妻(82)を介護サービスを受け世話したが、無理心中
 2月 茨城 77歳妻  寝たきりの夫(77)に「殺して」と懇願され心中図る
 3月 奈良 87歳夫  10年以上前から認知症の妻(84)をデイサービス受け世話。夫も認知症の症状出始め妻を絞殺
 3月 静岡 77歳妻  84歳夫を介護し無理心中。「自分も足腰が悪くなり、迷惑をかける」と遺書あり
 4月 千葉 74歳夫  認知症の妻(70)の入院を病院に断られた翌日、介護に限界を感じ絞殺
 5月 千葉 82歳夫  10年前から闘病中の妻(79)と無理心中。遺書に「これ以上長生きしたくない」
 6月 千葉 77歳夫  脳梗塞の妻(77)を1人で介護し疲弊。介護保険申請中に心中図り失敗、自首
 6月 秋田 65歳息子 父(93)の介護に疲れ病気の妻も余命わずか。一家4人で無理心中図る
 7月 山梨 72歳妻  末期がんで住職の夫(73)を「痛がる姿がかわいそう」と絞殺
 8月 東京 79歳夫  パーキンソン病で5年間寝たきりの妻(79)と無理心中
10月 群馬 76歳妻  脳出血で足が不自由な夫(74)を絞殺後、自分も農薬飲み無理心中
12月 埼玉 71歳妻  糖尿病や動脈瘤(りゅう)を患う夫(78)と無理心中図る

毎日新聞 200933日 東京朝刊

家族が危ない:
シリーズ介護・第2部/2 苦労した母、私が大事に
 ◇父看取り、障害ある弟と「少しでも笑える生活を」
 少子化や晩婚化が進み、親の介護に直面する男性が急増している。仕事との両立が難しい中で、どんな日々を送っているのか。介護生活が11年目を迎えた独身男性を追った。
 AM2・00ごろ 母がトイレに行こうとする
 近くを都電が走る東京都荒川区の一軒家。隣の部屋で眠っていた母(80)が介護ベッドから体を起こす物音がする。長男の神達五月雄(かんだつ・いつお)さん(47)は反射的に目を覚ます。
 母はひざが悪く、狭心症などもあり「要介護3」と判定されている。トイレは毎夜2~3回。杖(つえ)をついて歩く母の脇を、息子は倒れないように抱える。
 母の隣では知的障害のある弟(41)が眠っている。神達さんは弟の成年後見人でもある。
 AM7・00 起床。朝食を作る
 食事の済んだ弟を福祉作業所に送り出すと母が起きてくる。骨を弱くしないように、毎日カルシウムの入ったヨーグルトとココアを欠かさない。母が「おいしいものを作ってくれるんですよ」と笑う。
 デイサービスを嫌うので、介護保険サービスは週2回の訪問介護と車椅子のレンタルだけ利用している。ヘルパーには掃除を頼み、食事はすべて自分で作る。リハビリは週3回。近所の接骨院まで車で送迎する。
 PM0・00 2人で昼食を済ませ、仕事
 神達さんは大学を出てゴルフ場経営会社に就職し、32歳で生命保険会社に転職。ファイナンシャルプランナーの資格も取り、保険マンとしてやりがいを感じていた。
 転職4年目の98年、父がうつ病になった。やがて認知症も発症。知識も心構えもないまま介護になだれ込んだ。徘徊(はいかい)もあり、「殺してくれ」と叫ぶことも。00年には自宅から飛び降り、一命を取り留めた。朗らかだった父の変わりようを受け入れられなかった。
 「下の世話」も想像を絶した。汚れた尻をふいて暴れられた時は、思わず手を上げた。介護殺人のニュースを見るたびに「一歩間違えば自分も向こう側に行っていたかもしれない」と振り返る。
 父を看取(みと)ると、母がみるみる衰えた。近くの会社に転勤したが、通院が必要になり、「勤め人では介護は無理だ」と判断。04年、サラリーマン生活に終止符を打った。
 今は自宅で保険の代理店を営む。取引先まで出向くこともあるが、母に何かあった時にすぐ帰宅できるよう、遠くの顧客は取らない。そんな制約もあり、収入は会社員のころの3分の1以下にまで減った。最近、家計の不安を少しでも解消しようと、インターネット上の一般向け有料相談システム(http://www.fpoa.jp)を立ち上げた。子育て中の仲間と一緒に生命保険や相続などの相談をパソコンを使って10分間1500円で受け付け、アドバイスする。
 ふと頭をよぎることがある。「サラリーマンを続けていたら、結婚していただろうか。今ごろどんな役職についていたのか」
 PM6・30 取引先から帰宅。夕食を作りながら一人で晩酌
 在宅介護を続けられるのは、母の苦労を見てきたからかもしれない。自分が幼いころは義母を介護していた。弟の障害も何とかしたいと、良い病院や施設があると聞いては訪ね歩き、認知症が悪化していく父にも献身的だった。「私が大事にしなければ」と思う。
 PM11・00 母と弟を寝かせ、就寝
 2人が寝た後は録画ビデオの編集。時代劇などテレビドラマ好きの母が一人でも機械を操作しやすいように。
 母は時折、息子に世話になることを申し訳なさそうにする。そんな時は母を時代劇風に「ご母堂様」と呼んで場を和ませる。「少しでも笑える生活をしたい」。ささやかだが、大切な目標にしている。【遠藤和行】=次回は10日掲載
毎日新聞 2009年3月4日 東京朝刊

家族が危ない:
シリーズ介護・第2部/3 貯蓄崩さず生活できた
 ◇保険から特例で現金給付 秋田県上小阿仁村、1年前から
 家で介護をするために仕事をやめる。経済的にきつくなる。「家族の苦労に報いたい」と、高齢化の進む過疎の村が全国で初めて介護保険の特例を使い、在宅介護をする家族に現金を給付してほぼ1年になる。
 秋田県北部の山あいにある上小阿仁(かみこあに)村。人口は約2850人で県内最少。人口のうち65歳以上の割合の高齢化率43・7%は県内最高だ。要介護認定者は約200人おり、その4分の3が自宅、残りが村営の特別養護老人ホームで暮らす。
 「体調どう。よく眠れた?」。朝6時ごろ、武石順子さん(47)は居間の隣部屋で介護ベッドに横たわる義母美代さん(83)に声をかける。左半身マヒで障害者手帳1級を持つ美代さんは「うん」と小さく返事をする。
 美代さんは00年1月末、雪かき中に脳梗塞(こうそく)で倒れた。半年後に退院し、自宅に戻った。社交的な人柄が一変した。会話が難しくなったため、人付き合いを避けるようになった。
 順子さんは、村営の特別養護老人ホームに勤める夫の忠夫さん(56)と共働きだったが、美代さんの介護のため退職した。「子ども2人の保育園時代に私が体調を崩して入退院したことがあり、母には2人の母親代わりになってもらった恩返しなんです」
 最初は要介護1。介護保険でデイサービスなどを利用したが、「こんな姿を見られるのは恥ずかしい。この部屋にいるのが一番よ」と外出を嫌がった。その後、要介護3と重くなったが、美代さんの心理的な負担を考えて昨年2月、デイサービスをやめた。以来、介護保険のサービスは使っていない。
 一家の収入は、順子さんの退職で半減。生命保険の保険料を抑えたり、貯蓄を崩しながらのつましい生活を心掛けた。子どもたちも家計を心配し、長女は秋田市内の寮付きの看護学校、長男は自衛隊にそれぞれ進んだ。
 在宅介護を続けて8年目の昨年春、村から朗報が舞い込んだ。08年度から、自宅で家族を介護する一定条件の世帯に現金を給付すると説明された。家族をヘルパーなどの「事業者」とみなし、介護保険法42条に基づいて介護保険から報酬を払う「特例居宅介護サービス」制度だ。
 特例を使うには「離島などで介護サービスの確保が困難な地域」が大きな条件だが、同村は農林水産省の「山村振興地域」であることを根拠にした。やみくもに現金給付するのではなく、複数の制限を設けた。
 もともと介護保険導入の際に、家族への現金給付を設けるかどうかは論争になっていた。介護保険の本家、ドイツでは国が要介護者のいる家庭に現金給付していた。しかし、結局は「現金給付は家族を介護に縛る」との批判に押されて現金給付が見送られた経緯がある。
 ドイツ法の学者で渡独経験の多い小林宏晨(ひろあき)村長は「家族を介護に縛り付けるのではなく、介護せざるを得ない家族の精神的、経済的負担を軽減したい」と説く。
 まず、特例の対象は要介護3~5に絞ったうえで、家族は介護のプロではないとして、給付の上限額を各要介護度のサービス利用限度額の3分の1程度(要介護5=12万円▽「4」=10万円▽「3」=9万円)にとどめている。
 さらに、ケアマネジャーが介護計画を作る際は、介護事業者のサービスを優先する。それでも上限額に達しない場合に現金給付する仕組みだ。抜き打ち訪問調査も月3回程度行い、家族が適切に介護しているかをチェックする。
 昨年4月に武石さんを含む13世帯が対象となり、ほぼ同数で推移している。武石さん方は美代さんの要介護度が3から2に変更後の今年2月まで月平均7万円を受け取り、その間は貯蓄を取り崩す必要がなかった。
 順子さんは「経済的にも助かったが、自分の介護が第三者に評価されたこともよかった」と話す。
 村は制度を導入する際、厚生労働省に対し、介護に伴う経済的負担を抱えた家族は過疎地に限らないとして介護保険法42条の要件を緩和するよう提案した。しかし、厚労省は(1)制度開始前と同様に家族の心身の負担が重くなり、家族の人間関係が損なわれる恐れがある(2)家族が倒れたら介護ができなくなる(3)新たなサービスとなって保険料が上がる恐れがある--との理由で、「全国的に認めるには問題があり困難だ」と否定的な見解を示した。
 介護保険のサービスがあっても、要介護者の中には、家族から介護を受けたいと願う人も多い。その切なる願いに応え、家族を精神的にも、経済的にも支える仕組みの必要性が高まっている。【遠藤和行】=つづく
 ◇懸命な介護、評価する仕組みを--介護保険に詳しい矢野聡・日本大教授(社会政策論)
 在宅介護では、要介護者とともに家族にもケアが必要だ。その認識や配慮が介護保険の制度設計に欠けている。
 要介護度が重い場合、夜間や休日の介護、カテーテルが必要な人などの介護は、介護サービスの利用だけでは維持できない。今は会社を辞め、排せつ物にまみれて懸命に在宅介護をしている人が評価されているとはいえない。その行為の価値を認め金額の多寡を問わず現金給付制度を導入すべきだろう。
 上小阿仁村の取り組みは、画期的といえる。厚生労働省は例外扱いとしているが、他市区町村長が工夫し、広がることが望ましい。
 ◇若い世代ほど負担感重く
 労働政策研究・研修機構は06年、「介護を必要とする同居家族がいる人」1111人にアンケートし、そのうち931人の回答を分析した。介護が原因で家計が苦しくなったか、将来苦しくなると思うか質問したところ、「あてはまる」「ややあてはまる」と答えたのは33%に上り、3人に1人が経済的不安を感じていた。
 年齢別にみると、「30~39歳」が最多の42・5%で、40代(34・7%)、50代(28・5%)より高かった。同機構は「30~40代は子どもの養育費がかかる時期のため、より経済的な切迫感が増すことがうかがえる」と分析している。
毎日新聞 2009年3月10日 東京朝刊

家族が危ない:
シリーズ介護・第2部/4 「私がやらねば」支援拒み
 ◇悩む地域センター「心開いてくれない」
 06年の介護保険法改正で各地に新設された「地域包括支援センター」。高齢者に関するさまざまな相談を受け、訪問活動などで実態を把握し、必要なサービスにつなぐ役割も担っている。センターの活動の最前線からは、在宅介護をする家族の現状と危機介入の難しさが浮かぶ。
 「もう嫌だ。夫を殺して私も死にたい」。東京都杉並区の高齢者施設で2年前、夫をデイサービスに預けに来た妻が訴えた。夫は若年認知症で徘徊(はいかい)や暴力がひどく、特別養護老人ホームへの入所を申し込み待機中だった。体の小さな妻はかっぷくの良い夫の行動に振り回され、介護疲れはピークに達していた。
 施設に併設された地域包括支援センター「ケア24上井草」では、土屋俊彦センター長(47)を中心に、妻が来た時にはできるだけそばにいて、話を聞くよう努めた。やがて特養に入所できる順番が回ってきた。ところが妻はこう言った。「入所はやめました。夫のめんどうは家で私がみます」。夫は寝たきりになり徘徊の心配は消えたものの、介護負担がなくなったわけではない。スタッフは家族の心情を理解することの難しさを痛感した。
 センターには、住民からの高齢者虐待の通報にくわえ、ケアマネジャーや民生委員が対応できない困難例も舞い込んでくる。深夜も4人の常勤職員が交代で24時間対応の電話を持つ。娘に虐待された認知症の母親が民生委員の所に逃げ込んだ時は、真夜中に駆けつけ、母親をなだめて自宅に連れて帰った。
 在宅介護による過度なストレスで倒れそうな人たちには、少しでも楽になれるよう、お年寄りをショートステイに預けるよう勧める。それでも「ショートに預けると、介護の質が下がる」と、拒む家族が少なくない。
 家族会や相談窓口を設けても、本当に深刻な人は自分からは頼ってこない。「自分がやらなければ、と抱え込み、なかなか家族の扉を開いてもらえない」と土屋さんは言う。
 それでも自然発生的に癒やしの時間が生まれることもある。1人で母親を在宅介護し、疲れ切っていた娘がいた。母が施設に入り、周囲が「これで元気になるだろう」と思った時、燃え尽きたように弱ってしまった。娘はボランティアに加わり施設に通ううちに、編み物を始めた。そこにもう1人女性が加わった。母親をデイサービスに預けるのが不安で、ついて来てしまう娘だ。
 月曜の午後、センター脇の小さな部屋で、2人の娘は言葉を多く交わすこともなく、コーヒーを飲みながら編み針を動かす。作品は地区のバザーで売っている。そんな家族たちの姿を、スタッフは温かく見守っている。
 ◇後退続く保険制度 窮状救う選択肢も減少
 昨年暮れ、埼玉県新座市の北部第一地域包括支援センターに住民から通報があった。「ご近所のおばあさん、最近姿が見えないんです」。センター長の神谷秀樹さん(37)は早速その家を訪ね、ベルを鳴らした。
 ドアを開け出てきたのは、おばあさん本人。歩くのもおぼつかないが、とりあえず元気なようだ。間もなく家の奥から嫁が現れ、「何の用です? うちは大丈夫ですから」とドアを閉められた。神谷さんは「何かあったら、いつでもご相談ください」とだけ言い残し、センターのパンフレットを置いて帰った。
 東京と隣接する新座市は人口約16万人。都心のベッドタウンとして新住民が増え、地域のつながりは希薄になっていく。オートロックのマンションも増え、プライバシー意識も高まる。センターには困難例が月に7~8件寄せられるが、「訪問活動や家族への介入はどんどん難しくなっていく」と神谷さんはため息をつく。
 だが、家族が介護に行き詰まっていく背景には、地域や家族のせいにばかりできない現状もある。その一つが、慢性疾患を抱えたお年寄りの問題だ。厚生労働省は療養病床の削減を進め、入院できる施設が減ったことで医療が必要な高齢者を在宅介護せざるを得ない人たちが出ている。なのに介護保険のヘルパー派遣では、同居家族がいる高齢者のサービス利用が制限される。
 さらなる高齢化に備え、国も自治体も公的負担を抑える政策を進める。代わりにその負担を担わされているのが家族だ。「介護の社会化」を目指して介護保険制度が導入されたが、現実は家族が介護を担う時代に逆戻りしているようにも映る。
 「介護者の状況も含めて家族を把握し、支えていかなければならない。でも窮状を把握しても、楽になれる選択肢を示してあげられない。これでいいのだろうか」。神谷さんはジレンマを口にする。【磯崎由美】=つづく
 ◇事務量膨大、少ない職員--赤字経営も
 地域包括支援センターは医療、介護、福祉の専門家が連携し、高齢者が住み慣れた町で暮らす支援拠点として生まれた。人口2万~3万人に1カ所を目安に整備が進み、08年4月現在で3976カ所、全市区町村に設置された。
 しかし、約8割のセンターは職員が5人以下。介護予防のプラン作成など事務量が膨大なうえ、権利擁護、虐待や認知症への理解促進、孤独死防止など役割は増え、「相談に十分対応できない」との悲鳴も聞こえる。自治体が医療法人などに委託して運営されているセンターでは、委託料が削られ赤字の所もある。
 介護に関する情報を発信する「市民福祉情報オフィス・ハスカップ」の小竹雅子さんは「理念は良いが、お金と人が足りなすぎる。何もかも任せるのではなく、ゆとりある窓口にすべきだ」と指摘する。
毎日新聞 2009年3月11日 東京朝刊

家族が危ない:
シリーズ介護・第2部/5止 女性の声が英国変えた
 ◇新聞への投書契機、官民挙げて介護者支援
 英国の首都・ロンドン中心部から列車で南へ約20分。真冬の朝、フォレスト・ヒル駅近くにある一軒家を記者が訪ねると、15人ほどの女性たちが紅茶やコーヒー、菓子が並ぶテーブルを囲んでいた。ロンドン南部のレイシャムで介護者を支援する市民団体「ケアラーズ・レイシャム」が定期的に開いている「コーヒー・モーニング」だ。
 ケアラーズ・レイシャムは地方行政の支援を受け、介護者のさまざまなニーズに対応する活動を続けている。
 コーヒー・モーニングは介護者が普段の悩みを気軽に話せる場だ。1人の女性が病気の娘を世話してきた経験を語り始めた。「私がどれだけ彼女を大事に思ってきたか……」。声が震え、涙が抑えられない。女性スタッフが「つらかったのね」とうなずき、女性の肩に手をかけた。
 80歳の女性は脳卒中の後遺症がある兄を介護して10年になるという。独身の2人暮らし。「老老介護」の負担は重いが、「自分の時間が欲しくなると、ここに電話します。兄を預けられる所を探してくれるから、その日は外出して好きなことができるの」と、温かいカップを両手で包んだ。
 英国ではこうした団体が各地で支援のネットワークを張り巡らせている。当事者の声を受け、政策提言する市民団体「ケアラーズUK」のエミリー・ホルツハウゼンさん(39)は「介護者は家族の介護を休んでしまうことに罪悪感を抱いてしまいがち。でも長く続けるには、きちんとした休息が必要」と話す。
 そもそもの始まりは1963年、ある女性の新聞への投書だった。女性は両親の介護のため仕事を辞めざるを得ず、一家は貧困に陥った。投書は大きな反響を呼び、2年後にケアラーズUKの前身が設立された。政府に働きかけ低所得介護者への年金支払い猶予や、介護費用の所得税控除が実現した。さらに76年には介護者手当制度がスタート。一定の所得で週35時間以上介護する人に対し08年には週50・55ポンド(09年3月現在で約7300円)が支給されている。
 95年以降は「介護3法」が順次制定された。介護負担で健康や生活が侵害されていないか。複数のチェック項目で介護者のリスクを判定し、「危機的状況」とされた人にはヘルパー派遣などのサービスも用意されている。
 日本で介護殺人や心中が相次いでいることを告げると、ホルツハウゼンさんは「そこまで多くはないが、この国でも同じ悲劇はある」と言った。「でも支援があれば介護と仕事は折り合いを付けられる。英国では女性が立ち上がり、現状を変えた。まずは声を上げることです」
 日本でも最近、介護者同士が悩みや情報を共有できる場として家族会の役割が期待されている。だが公的な支えは乏しく、当事者任せになりがちだ。
 英国の介護制度に詳しい三富紀敬(みとみきよし)・静岡大教授は提言する。「介護者支援は米国やカナダなどにも広がり、今や世界標準といえる。欧州でも04年に『EUケアラーズ』が設立され、欧州委員会の資金援助を受けて活動している。家族がいかに気持ちよく介護を続けられるかを考え、日本の制度も見直す時期に来ている」【ロンドンで工藤哲】=おわり(24日から読者の反響特集を掲載予定です)
毎日新聞 2009年3月12日 東京朝刊
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