in the name of fighting terrorism

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テロとの戦いと米国:第1部 見えない傷/1 妻が気づいた奇妙な行動

 ◇脳損傷自覚なく


 治安悪化が続いていたバグダッド郊外。04年10月、米陸軍予備役兵ケビン・オスリーさん(47)の乗った軍用車は前方の不審物を発見し、急停止した。砲手のオスリーさんは銃座に身を置き、上半身は外へ出ていた。

 「ドーン」。突然の爆音と共に、オスリーさんはすさまじい爆風にあおられた。防具をつけた体重は優に100キロを超えるが、それでも浮き上がるほどだった。武装勢力が仕掛けた大砲級の爆弾4個が爆発したのだ。その後、頭痛はしたが「目に見える傷」はなかった。医師の診察を受け、「異常なし」と診断された。

 2カ月後、駐留する基地に迫撃弾が撃ち込まれ爆風で飛ばされたが「外傷」はなかった。さらにその後、別の戦闘で手足を負傷。05年3月、1年の駐留を終えてインディアナ州の自宅に戻った。

 従軍前に勤務していた工場に戻ろうとしたが、手足の負傷で「雇えない」と通告された。失業保険が出るのは帰還から半年だけ。懸命に職探しを続けるオスリーさんの傍らで、妻ドーンさん(50)は別の懸念を抱いていた。夫に奇妙な言動が出始めたのだ。

 「レストランに行こうと一緒に車に乗っても10分後には『どこに行くんだ』と聞いてくる。1人で出かけると道に迷う。何度も言われたことを『聞いていない』と激怒する。記憶力が良くて穏やかだった夫がまるで別人のようになった」

 帰還後、頭痛は激しくなり、視界はぼやけ、めまいも感じるようになった。ドーンさんが病院に行くよう求めても「戦場の疲れだ」と取り合わない。ある日、オスリーさんは息子に庭の芝刈りをさせ「やり方が悪い」と激高した。おびえる息子。「このままじゃ、私たち家族として生きていけないわよ」。ドーンさんは泣きながら、病院へ行くよう懇願した。

 ようやく近くの米軍病院に行ったが、検査はなく診察だけで「異常なし」と言われた。帰還から5カ月後、友人の紹介でミネソタ州退役軍人省病院で詳しい検査を受け、爆風による外傷性脳損傷(TBI)と診断された。

 初めて聞く病名だった。思い起こすのは戦場の仲間たち。同様の症状を訴えていた兵士の中には、十分な検査もないまま「異常なし」と診断され、家族の理解を得られず離婚したり行方不明になった者もいる。

 「記憶力が戻らず、役立たずだ。時々死にたくなる」。オスリーさんがつぶやくと、妻は静かに見つめた。【中西部インディアナ州で大治朋子】

  =  ◇  =

 米陸軍病院脳損傷センターの資料(06年12月)は戦争の長期化で複数回従軍する兵士が増え、脳損傷を起こす「危険性が高まっている」と指摘。米陸軍医のマーク・マクグレイル中佐は「米軍がベトナム戦争や湾岸戦争で、これほど長期間、大量に爆弾攻撃を受けたことはない。過去の戦争でもTBIはあったかもしれないが、認識されていなかった」と話す。

 01年9月の米同時多発テロを受けた「テロとの戦い」は、米社会にさまざまな影を落としている。テロ対策を優先させたブッシュ前政権下での秘密主義、人権軽視……。揺らぐ米社会を追う連載の第1部として、武装勢力の爆弾攻撃が米兵をむしばむ「見えない傷」の波紋を検証する。=つづく
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毎日新聞 2009217日 東京朝刊


テロとの戦いと米国:
第1部 見えない傷/2 帰還した息子、突然死

 「マクドナルド軍曹が亡くなりました」。午前6時。ウィスコンシン州中部の小さな町ニーナの民家を、2人の陸軍兵士が訪れた。軍曹の母親ジョアンさん(52)はその言葉の意味がのみ込めず、「ノー」と声を振り絞るのがやっとだった。

 長男ジェームズ・マクドナルドさん(当時26歳)は07年5月、イラク南部でパトロール中、武装勢力の爆弾攻撃を受けた。車列の先頭で砲手を務め、上半身を外に出して周囲に目を光らせていた。突然、数十メートル先で爆発が起きた。

 身長180センチ、体重120キロの体は爆風で大きくのけぞり、しばらく気を失った。目に見えるけがはなかったが、ドイツにある米軍病院に運ばれた。検査の結果、爆風による重度の外傷性脳損傷(TBI)と診断された。

 所属するテキサス州の基地に帰還。間もなく記憶障害や頭痛に悩まされるようになった。「自分で言ったことをその場で忘れてしまう」「アイスピックで頭を刺されているようだ」。基地の寮で1人暮らしだったマクドナルドさんは、両親には気丈に振る舞ったが、時々姉には電話で実情を打ち明けていた。基地の診療所の治療には「痛み止めなどをくれるだけで、診察は月に一、二度しかない」と不満げだったという。

 帰還から半年後の11月、マクドナルドさんは自室で急死しているのを発見された。その2日前、仲間と食事した時は変わった様子はなかった。解剖では自殺や他殺、事故死の可能性は否定されたが、遺体の腐乱が激しく死因は「不明」とされた。解剖記録には「最も可能性の高い死因」として「戦闘による頭部外傷」とあるだけだ。

 ジョアンさん夫妻は「TBIによる戦死だ」と抗議したが、軍は「死亡直前の診察では、本人は記憶障害も頭痛も大きく改善されたと話していた」と反論した。だが父親のダグさん(55)は「あの若さで急死するなんて、検査か治療が不十分だったからとしか考えられない」と訴える。

 マクドナルドさんは半年後の08年春に軍を辞職し「消防士になる」と希望に燃えていた。ジョアンさん夫妻の要望と仲間の兵士たちの支援で、その名前は同年6月、特別に基地の「戦死者の壁」に刻まれた。【米中西部ウィスコンシン州で大治朋子】=つづく
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毎日新聞 2009年2月18日 東京朝刊


テロとの戦いと米国:
第1部 見えない傷/3 脳損傷、転院で逆に悪化

 「一時は、イラクから帰還したときの状態に戻ってしまった」。外傷性脳損傷(TBI)と闘ってきた帰還兵、ティモシー・バービークさん(25)=米中部ネブラスカ州フレモント=は、米軍の医療体制への強い不信をぬぐえないでいる。

 バービークさんは州兵として05年6月から1年間、イラク西部ラマディに駐留した。武装勢力の手製爆弾攻撃で計3回爆風を受け、うち2回で気を失った。しかし、目に見える傷はなく、すぐに任務に戻った。

 帰還後、体調の異変に気づく。「友達」が自宅に来ても、誰だか分からない。頭痛と不眠から自室に閉じこもり、酒をあおった。ミネソタ州ミネアポリスの退役軍人省の病院で検査を受け、爆風によるTBIと診断されて入院した。

 「初めて聞く名前」だったが、同じ症状の帰還兵が多数入院していた。医師は「若いから治療すれば治る」と励ます。頭痛薬などを飲みながら、毎日朝7時から夕方4時まで、記憶力や認識力などの脳機能を回復させる治療を受けた。身体運動も続け、約1カ月後、体調は大幅に回復。「通院治療で大丈夫」と言われ自宅に戻った。

 ところが間もなく、首都ワシントンにある米最大規模の医療施設ウォルター・リード陸軍病院から「入院」を求められた。同病院は当時、TBIの研究のため症状を訴える帰還兵を集めていた。

 入院しても最初の1カ月は投薬だけで、薬の種類は目まぐるしく変わった。翌月から身体運動の訓練が始まったが、週に1~2回程度。そして2カ月半後、症状の悪化を自覚する中で、突然退院を言い渡された。

 自宅に戻った当時の様子を、祖父ダナさん(68)は「悪い状態に逆戻りしていた」と説明する。両親はバービークさんが幼い時に離婚。母方のダナさん祖父母が親代わりとなってきた。バービークさんは地元の基地の診療所に1年以上通い、ようやく昨年春、薬なしでも「自分」でいられるまでに回復した。

 「遠回りをした。つらかった」。この間の経緯をそう振り返るバービークさん。その傍らで祖母のナンシーさん(68)は「TBIの良い治療ができる病院が、もっと必要だ」と話した。【米ネブラスカ州フレモントで大治朋子】=つづく
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毎日新聞 2009年2月19日 東京朝刊


テロとの戦いと米国:
第1部 見えない傷/4 一斉検査、ようやく軌道に

 「認識力や反応の速さを調べる検査です」。指導官の指示に従い、兵士たちは真剣な表情でパソコンに向かった。07年11月、米南部ケンタッキー州の陸軍基地フォート・キャンベルは、他の基地に先がけ戦地に向かう兵士全員を対象に認識検査を始めた。

 イラク戦争では03年夏以降、武装勢力による手製爆弾攻撃が激化。多くの米兵が爆風により脳の組織を破壊される外傷性脳損傷(TBI)と診断されている。記憶障害や反応力の低下などが主な症状で、検査を従軍前後や戦場で随時行うことで、「変化」が分かり診断に役立つという。

 「陸軍はこれまで、爆風による負傷に十分な用意ができていなかった。でもいま、こうして急ピッチで対応を進めている」。基地の軍医マーク・マクグレイル中佐が強調した。

 検査は15~20分ぐらい。簡単な計算や数字、記号などを記憶する問題で、正確性や反応の速さを測定。アンケートで、病気や事故の経験、記憶障害の有無などについて確認する。

 マクグレイル中佐によると、基地が検査を始めたきっかけは「私の前任の軍医の提案だった」という。陸軍ではこれまで、爆弾攻撃などで兵士が意識変調を訴えた場合、口頭で行う簡易な認識検査しかなかった。

 前任の軍医は07年春、スポーツ選手の間で数年前から使われていたこのコンピューター検査に注目。米航空宇宙局(NASA)などと共同開発したオクラホマ大に提供を依頼したという。同大のロバート・シュレーゲル教授(生産工学)は「爆風とスポーツでの損傷は違うが、とにかく現時点では最善の検査方法だ」と話す。

 その後、他の基地も同検査を相次いで導入。昨年夏までに、派遣の可能性がある米兵全員(4万人以上)の従軍前検査が終わった。一昨年11月にフォート・キャンベル基地で検査を受けた部隊は徐々に帰還しており、初めて従軍前後の兵士の「変化」が分かる記録が集まりつつある。

 米バンダービルト大のシュナイダー医師は「爆風によるTBIは医学的データがない。なぜ一斉検査をもっと早く始めなかったのか」と疑問を投げかける。【米ケンタッキー州で大治朋子】=つづく
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毎日新聞 2009年2月20日 東京朝刊


テロとの戦いと米国:
第1部 見えない傷/5止 「メカニズム解明」道遠く

 90年代前半、旧ユーゴ紛争で揺れたセルビアの首都ベオグラード。地元の元兵士(19歳)は雑貨屋を訪れた後、自宅への帰り道が分からなくなって泣き出した。数日後、青年は母親と共に市内の病院を訪れた。

 「次から次へと同じような症状を訴える兵士らがやってくる。記憶障害、めまい、判断力の低下。でも目に見える傷はない」。当時ベオグラードの病院に勤務していた米ジョンズ・ホプキンス大のイボラ・セルナック医師が振り返る。セルナック医師はその奇妙な症状の原因を突き止めようと、同病院で大規模な調査を開始した。

 戦闘で負傷し、頭部に外傷がない患者1300人余りを対象に、脳波などを調査。爆発でけがをしたグループでは36%に脳内の異常が見られたが、銃弾などで外傷を負ったグループでは12%にとどまった。「爆発が脳に見えない損傷を与えるのではないか」。さらに調査が進んだ。

 その後動物実験などを通じ、一つの仮説にたどりついた。「爆風が体を直撃すると、その運動エネルギーが血管を振動させながら急激に脳に達して、脳の神経細胞を破壊する」。セルナック医師は、ヘルメットや頭蓋骨(ずがいこつ)に守られた脳が爆風で傷つくメカニズムの一端には、この「体内を伝わる力」があるとみる。ジョンズ・ホプキンス大は特別研究チームを設け、脳損傷の解明に取り組んでいる。

 06年3月、陸軍病院脳損傷センターなどは兵士の外傷性脳損傷(TBI)をめぐる内部会議で、セルナック医師のこの仮説を可能性の一つとして紹介した。だが陸軍外科医のジョン・ホルコーム大佐はこれを疑問視する。昨年3月、医療専門誌の取材に「爆風の衝撃波は瞬間的で、影響は限定される」と指摘。爆発から至近距離でない限り影響はないとの考えを示した。軍医の間でも、見解は分かれている。

 米国防総省は昨年、戦地に向かう陸軍2部隊にセンサー付きのヘルメットを配布した。直接的な衝撃から爆風まで、あらゆる「力」を検知できるという。そのデータは医師や研究者の間で共有される。開発担当者は「戦場の実際のデータが集積される」と胸を張る。同省による「メカニズム解明」は、始まったばかりだ。【ワシントン大治朋子】=おわり
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毎日新聞 2009年2月21日 東京朝刊
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