Nuclear-Free World
核のない世界へ「核持ち込み密約」


核密約:複数の元次官ら「認識」 有識者委調査に回答

 外務省の日米密約に関する有識者委員会(座長・北岡伸一東大大学院教授、6人)による聞き取り調査に対し、複数の同省事務次官経験者らが「核搭載米艦船の寄港などを認めた密約の存在を認識していた」と証言していたことが29日、分かった。核密約については、既に関連文書が外務省内に保管されていたことが明らかになっている。文書を扱った当事者らが密約の存在を認めたことで、有識者委は来年1月下旬にもまとめる報告書で「密約はあった」と結論づける見通しとなった。

 今年6月、村田良平元事務次官が前任次官から密約の引き継ぎを受けたことを毎日新聞などに明らかにしているが、今回の調査では、より詳細な文書の管理実態などが裏付けられたとみられる。有識者委は、政府内でどこまで認識を共有していたかなど、検証を深める手がかりになるとして証言を重視している。

 調査に応じたのは、次官経験者ら4人で、村田氏は含まれていない。密約の解釈や交渉経過、背景などをまとめた関連文書の有無や保管状況を証言したという。日本の政権交代に加え、冷戦終結など、密約を結んだ当時と時代背景が異なることから、「密約はない」としていた従来の外務省の公式見解を覆しても、今後の日米関係に与える影響は小さいと判断したとみられる。

 また有識者委は、69年11月に当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領が署名した、沖縄への核再持ち込みを認める密約について、文書を保管していた次男の佐藤信二元通産相に調査協力を要請する。

 岡田克也外相は29日の記者会見で、信二氏が外務省OBに、保管していた文書を同省の外交史料館などに預ける相談をした際、OBが「私文書にあたる」と指摘していたことについて、「外務省関係者の『(文書が後に)出てきては困る』という反応だ」と述べた。【中澤雄大】

毎日新聞 20091230日 232


岡田外相:核密約文書発見に「驚き」 歓迎の意向示す

 岡田克也外相は25日の記者会見で、有事の際の核再持ち込みを認める密約文書を佐藤栄作元首相の遺族が保管していたことについて「具体的な証拠が出てくるのは一番難しいと想像していた。こういう形で出てきたのは驚きで、元首相の遺族もよく決断していただいた」と述べ、発見を歓迎する意向を示した。

 この密約は外務省以外のルートで交渉が行われたとされ、外務省内の調査では見つかっていない。米国でも文書そのものは公開されていない。文書の発見で外務省の調査でも「密約があった」と判断される可能性が高まっている。ただ、密約の外交上の有効性について外相は「中身の話は検証の先取りをして言うべきではない」と明言を避けた。【野口武則】

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毎日新聞 20091225日 1915


核密約:村田元次官と会い証言を確認 河野衆院外務委員長

2009711 1054分 更新:711 1125

 自民党の河野太郎衆院外務委員長は11日、日米安保条約改定(1960年)時の両政府による日本への「核持ち込み密約」を認めた村田良平元外務事務次官と面会し、「核密約はあった」との証言を確認したことを明らかにした。

 河野氏は11日、毎日新聞の取材に対し「村田氏など密約を知りうる複数の人と会い、密約の存在を確認した。密約はなかったとする従来の政府答弁を、認めるわけにはいかない」と指摘。次の外務委理事会で、委員長として政府答弁の修正を求める決議を提案する意向を明らかにした。ただ、政府答弁の見直しには、与党内にも慎重論が根強い。【犬飼直幸】


核搭載艦寄港:外務省に密約本文 元条約局長が証言

2009711 230分 更新:711 424

Pasted Graphic
藤山愛一郎元外相

 外務省条約局長などを務めた元同省幹部が10日、毎日新聞の取材に対し、1960年の日米安保改定交渉の際に合意した核搭載艦船の日本寄港を認める密約本文が、外務省内に保管されていたことを明らかにした。寄港密約は60年1月6日に、当時の藤山愛一郎外相(岸信介内閣)とマッカーサー駐日大使が結んだもので、外務省の元担当幹部が密約管理の実態を詳細に証言したのは初めて。

 この幹部は密約については、米側で公開された公文書と同じものとしたうえで、英文で藤山、マッカーサー両氏の署名もあったと証言した。日本文も添付されていたという。

 63年4月4日に当時の大平正芳外相(池田勇人内閣)とライシャワー駐日大使が、米大使公邸で上記の密約本文を再確認し、大平外相が「持ち込みは核の搭載艦船の寄港・通過には適用されないことになる」と認めたことを示す日本側の会談記録も保管されていたという。

 さらに60年の日米安保改定交渉に外務省アメリカ局安全保障課長(当時)としてかかわった東郷文彦氏(後に外務事務次官、駐米大使)が密約の解釈や交渉経過などについて詳細にまとめた手書きの記録も残っていたとしている。

 その手書き記録は、当時の外務省の書式である2行書いては1行空ける方式で書かれ、青焼きコピーが繰り返されて見えにくくなっていたという。村田良平元外務事務次官の証言でわかった事務次官引き継ぎ用の日本語の文書も含まれている。

 これらの文書は外務省条約局(現国際法局)とアメリカ局(現北米局)で保管していた。

 この幹部は、北米局長、条約局長らの幹部はこれらの密約文書を把握していたと指摘。ただ、01年4月の情報公開法の施行に備えるため「当時の外務省幹部の指示で関連文書が破棄されたと聞いた」と証言している。【須藤孝】

 ◇外務省、打算と保身


 外務省条約局長を経験した元同省幹部が自ら確認した日米密約文書について詳細に証言した。外務事務次官経験者らが核搭載艦船の日本への寄港を認める密約について証言する一連の動きと無関係ではない。

 こうした動きの背景には、同省有力OBの冷徹な打算もあるとも言える。北朝鮮の2回目の核実験やオバマ米大統領の新しい核政策を受けて、発言しにくい現役外務官僚に代わって、「米国の核の傘」を強化するメッセージを発したいという思惑も透けて見える。

 それに加え、密約公開を掲げる民主党による政権交代の可能性が出てきていることから、先手を打ち密約をなし崩しに認めておこうという保身的側面もある。

 しかし、現役、OB一体となって身を切るような密約隠しの検証を続けなければ、国民から理解は得られないのではないか。

 ところが元外務事務次官の1人は「情報公開制度ができた時(01年4月)に、口頭了解など国と国の約束かどうか法的にはっきりしないものは整理した」と暗に破棄したことを認めた。

 独立間もない日本の国力を考えれば、寄港密約を結んだ当時の外交を一方的に非難できないかもしれない。しかし、冷戦が終わって約20年が経過しても密約隠しを続けることが、日米同盟の深奥できしみを生じさせているのも確かだ。

 日本を含めた北東アジアの核を巡る環境は緊張を高めており、日本は核政策について真剣に考える時に来ている。密約の証言はOBに任せ、政府・外務省の現役幹部が「密約はない」と言い続けるのは今後の日米関係にとって大きなマイナスだ。【須藤孝】


余録:「われわれが過去40年以上にわたって核保有国の核戦略を

 「われわれが過去40年以上にわたって核保有国の核戦略を主導してきた考え方から脱却できるとしたら、われわれは『(核の)魔物をビンの中に戻す』ことができると思います。もしできなかったら、21世紀が核の悲劇を目の当たりにする危険が相当あります」▲そう回顧録(共同通信社刊)に記したのは元米国防長官のR・マクナマラ氏だ。その氏は44年前に「もしもソ連が米国を先制攻撃すれば米国は核報復でソ連人口の25%、工業力の50%を破壊する」という確証破壊戦略を発表したその人である▲当然、ソ連も対米核報復力の整備に全力を挙げた。こうしてできたのが、米ソが互いに自国の都市と工業を失う覚悟なしに相手を先制攻撃できない「相互確証破壊」の抑止戦略だ。この互いの国民を人質に取り合う恐怖の均衡は、その英語の頭文字からMAD(狂気)とも呼ばれた▲そのマクナマラ氏の訃報(ふほう)のあった同じ日、モスクワからは米露首脳の戦略核削減合意の報が届いた。MADの下で世界の核弾頭の9割以上をため込んだ米露の核軍縮はオバマ米大統領の掲げた「核兵器なき世界」への欠かせぬ第一歩だろう▲MADを生んだマクナマラ氏も回顧録の言葉のように晩年は核廃絶に向けた現実的アプローチを提唱した。北朝鮮のような無責任な国への核拡散や核テロなど、今や前世紀の抑止戦略が機能しない新たな核の恐怖に脅かされる21世紀である▲ビンから出た魔物が人目を盗んで増殖・拡散すれば、そのすべてを元に戻すのは容易な話ではなかろう。耐用期限の切れた戦略で管理しきれなくなった魔物は、少しでも早くビンに戻していくのが核保有国の義務である。

毎日新聞 200978日 東京朝刊


非核三原則修正:74年、核艦船寄港の容認検討大河原氏

200978 230分 更新:78 230

 1974年11月のフォード米大統領(当時)の来日に合わせ、日本政府が非核三原則の「持ち込ませず」を事実上修正し、核搭載艦船の寄港を公式に認める方向で検討をしていたことがわかった。外務省アメリカ局長から官房長に就任していた大河原良雄元駐米大使(90)が毎日新聞の取材に明らかにした。核搭載艦船については60年安保改定交渉時に結ばれた寄港を認める密約がある。現職米大統領の初来日をきっかけに密約を解消し米国の核の傘を明確化する動きだったとみられる。

 大河原氏によると、フォード米大統領の来日を控えた74年秋、田中角栄内閣の木村俊夫外相(故人)、東郷文彦外務事務次官(同)、大河原氏らによる少人数の外務省最高幹部の会合で、木村外相が「米国の核の傘の下にいる日本として(核搭載艦船の)寄港を認めないのはおかしい」と発言。「非核三原則の『持ち込ませず』は陸上のこと。寄港は持ち込みに含まれない」と解釈を変更する案について検討を指示した。

 木村外相は「総理にあらかじめ(解釈修正の諾否を)聞いたが、総理は『じゃあ(修正を)やるか』と言っている」と、田中首相が了承していることも伝えた。しかし、フォード氏来日直後の同年11月26日、田中首相は金脈問題などの責任を取り退陣表明、12月9日に三木武夫内閣が発足。木村氏に代わって宮沢喜一氏が外相に就任、話はそのまま立ち消えになったという。

 政府の公式見解は、寄港も「持ち込ませず」の対象で「米側から事前協議の申し入れがない限り、核は持ち込まれていない」とするもの。しかし、74年9月にラロック退役米海軍少将が「米艦船は核兵器を積んだまま日本に寄港している」と証言。その一方で当時、米空母ミッドウェーが横須賀を母港にしており、米大統領の来日にあたって問題が焦点になれば日米関係が混乱する可能性もあった。外務省最高幹部の会合は、こうした状況を踏まえてのことだったとみられる。【須藤孝】

 【ことば】非核三原則

 佐藤栄作首相が67年12月の国会答弁で「核の三原則、核を製造せず、核を持たない、持ち込みを許さない」と表明。71年11月に可決された国会決議で「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませずの非核三原則を順守する」と明記され「国是」とされている。

 ◇解説 密約が支える非核三原則 米国依存の矛盾今も


 1974年に日本政府が非核三原則の修正を検討したのは、沖縄返還(72年)という戦後の大きな外交課題が解決し、初の現職米大統領の訪日という日米関係の節目にあたって、密約に象徴される日米間のゆがみを多少とも解消しようという試みだったと言える。

 74年秋、木村俊夫外相(当時)が田中角栄首相(同)に非核三原則の修正を進言、外務省最高幹部と修正を本格的に協議したのは、同年9月のラロック退役米海軍少将による「核持ち込み」発言などの影響を重視したからだろう。

 木村氏は同年10月、国会答弁で「核の存否を明らかにしないという米国の国防上の機密について十分な理解を示しつつも、我が国の非核三原則についての国民的立場も守らなければならない。そこに問題が生じる」と苦しい胸の内を吐露している。それから35年。今になっても、核搭載艦船の寄港を認める密約を結んできた日本政府は、公式見解では「米国から申し入れがない以上持ち込みはない」と繰り返している。それは「発覚したら米国の責任」という保身に他ならない。

 その一方で、日本の安全保障は、核搭載艦船の寄港などで裏付けられる米国の「核の傘」に依存してきた。日米安保課長も経験した外務省OBは「日本は核持ち込みで米国に負い目がある」と指摘。元外務事務次官の一人は密約の存在を認めたうえで「日本の安易なやり方に米国が調子を合わせてきてくれた。冷戦時代だから許されたことだったんだが」と苦渋の表情で語った。

 米国の「核の傘」という現実と、非核三原則に象徴される唯一の被爆国の立場との間の矛盾を密約であいまいにしたことが、日米間の不透明な関係を作った。その矛盾は今も変わらない。

 オバマ米大統領は「核兵器のない世界」を掲げ、新しい核政策を推進しようとしているが、北朝鮮の核実験の脅威を受ける日本にとって、米国の「核の傘」は今すぐには手放せない状況にある。しかし、日本の核政策の根本にある矛盾に日本政府が向き合わない限り、日米関係に潜む不透明さはより増幅されていくだろう。【須藤孝】


核持ち込み密約:与野党、究明求める声 元次官は「招致」固辞

 村田良平元外務事務次官が日米安保条約改定(1960年)時の両政府による日本への「核持ち込み密約」を認めたことに対し、波紋が広がっている。自民党の河野太郎衆院外務委員長は、今国会中に委員会として事実関係を調査し、村田氏の証人喚問や参考人招致も辞さない姿勢を表明した。

 しかし、村田氏は毎日新聞の取材に対し、「国会で証言する気はない」と強調。与党幹部も「次期衆院選を前に野党を勢いづかせることをやるべきではない」と消極的で、参考人招致などの実現は難しそうだ。

 河野氏は1日、国会内で記者会見を開き、「冷戦が終わっている中で、立法府として、密約はなかったとする今までの政府答弁をそのまま看過するわけにはいかない。(参考人招致など)どういう形が取れるか、村田氏と相談したい」と明言。会見の直前の委員会では、与野党議員から何らかの対応を求める声が続出したため、「委員長として何ができるか対応したい」と語った。

 政府は、密約について「(条約が定めた)核持ち込みの事前協議がない以上、核の持ち込みはない」(河村建夫官房長官)と否定し続けている。ただ、密約の存在を認めた村田氏も2日、毎日新聞の取材に「(密約は)著書や新聞にも述べており、参考人などで出る気はない」と述べ、公開の場での証言を拒否した。与党幹部の一人は「元次官が国会に出て証言する意味は重い。密約は戦後の自民党政権がかかわってきたことで、避けたほうがいい」と指摘した。【犬飼直幸】

毎日新聞 200973日 東京朝刊


核密約:与野党に究明求める声

 村田良平元外務事務次官が日米安保条約改定(1960年)時の両政府による日本への「核持ち込み密約」を認めたことに対し、波紋が広がっている。自民党の河野太郎衆院外務委員長は、今国会中に委員会として事実関係を調査し、村田氏の証人喚問や参考人招致も辞さない姿勢を表明した。しかし、村田氏は毎日新聞の取材に対し、「国会で証言する気はない」と強調。与党幹部も「次期衆院選を前に野党を勢いづかせることをやるべきではない」と消極的で、参考人招致などの実現は難しそうだ。

 河野氏は1日、国会内で記者会見を開き、「冷戦が終わっている中で、立法府として、密約はなかったとする今までの政府答弁をそのまま看過するわけにはいかない。(参考人招致など)どういう形が取れるか、村田氏と相談したい」と明言。会見の直前の委員会では、与野党の議員から何らかの対応を求める声が続出したため、「委員長として何ができるか対応したい」と語った。政府は密約について「(同条約が定めた)持ち込みの事前協議がない以上、核の持ち込みはない」(河村建夫官房長官)と否定し続けている。【犬飼直幸】

毎日新聞 200972日 2057


早い話が:核の密約と北朝鮮の核=金子秀敏

 村田良平元外務事務次官が実名で、核持ち込みの日米密約はあると証言した。核ミサイルを積んだ米国の軍艦や爆撃機が、日本の港や飛行場に立ち寄る場合、日米安保条約の事前協議の対象にしないという秘密合意だ。

 「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という日本の国是「非核三原則」のうち、「持ち込ませず」は空証文だったことになる。

 6月、韓国の李明博(イミョンバク)大統領が訪米しオバマ大統領と会談した。北朝鮮の核の脅威に対抗して米国の「核の傘」を再確認し、それを共同文書に初めて明記した。

 「核の傘」を、最近は「拡大抑止」と呼ぶ。「拡大抑止(核の傘)」と書く新聞もある。「拡大抑止」と「核の傘」を同じ概念と見ている。ところがである。米韓が発表した「同盟未来ビジョン」では「拡大抑止(核の傘・を含む)」になっていた。「を含む」に注目だ。「拡大抑止」のほうが「核の傘」より大きいのだ。なにが増えたか。

 韓国当局によると、バンカーバスターだ。レーザー誘導の地中貫通爆弾である。通常爆弾だが、岩盤を貫通して地下深く構築されたミサイル基地を破壊するという強力な兵器である。首脳会談の直前、米国はこの新兵器を韓国軍に供与することを決めた。

 「核の傘」とは、陸上発射の大陸間弾道ミサイル(ICBM)、潜水艦発射の弾道ミサイル(SLBM)、戦略爆撃機の核ミサイルの3本柱である。米ソ冷戦時代、両国が吹き飛ぶほどの悪魔的な破壊力で「恐怖の均衡」を作りだした。

 そんなものを北朝鮮が保有する程度の核には使えない。「鶏を割くにいずくんぞ牛刀を用いん」というが、牛(旧ソ連の核)に使う牛刀では大きすぎて鶏(北朝鮮の核)はさばけない。そこでバンカーバスターや日米ミサイル防衛システムが登場した。

 それだけだろうか。かつて日本周辺に展開する米軍艦には、小型の核を搭載した巡航ミサイル「トマホーク」が装備されていた。冷戦後、核は外されたが、北朝鮮の核の脅威が生まれたいま、鶏を割く小刀としてトマホークによる「拡大抑止」が復活しないか。

 米国は、日本や韓国に小型であっても核兵器を渡す気はない。日韓が拡大抑止ここにありと誇示するには、核付き米軍艦の寄港という手がある。核密約の時代が終わり、「非核二原則」の時代が来るのだろう。(専門編集委員)

毎日新聞 200972日 東京夕刊


核持ち込み密約:衆院外務委が調査--河野委員長方針

 河野太郎衆院外務委員長は1日、国会内で記者会見を開き、1960年の日米安全保障条約改定時に両政府が結んだ日本への「核持ち込み」の密約に関し、村田良平元外務事務次官が「歴代外務事務次官に引き継がれていた」と証言したことについて、「米側にも(密約を認める)ライシャワー元駐日大使らの発言や文書もあり、次官経験者が発言し、政府が一方的に密約はないと繰り返すのは、常識で考えるとやや違うのではないか」と述べ、委員会として事実関係を調査する考えを示した。【犬飼直幸】

毎日新聞 200971日 東京夕刊


核持ち込み密約:河野衆院外務委員長、事実関係調査も

 河野太郎衆院外務委員長は1日、国会内で記者会見を開き、1960年の日米安全保障条約改定時に両政府が結んだ日本への「核持ち込み」の密約に関し、村田良平元外務事務次官が「歴代外務事務次官に引き継がれていた」と証言したことについて、「米側にも(密約を認める)ライシャワー元駐日大使らの発言や文書もあり、次官経験者が発言し、政府が一方的に密約はないと繰り返すのは、常識で考えるとやや違うのではないか」と述べ、委員会として事実関係を調査する考えを示した。

 今国会中に村田氏ら歴代外務次官や外相経験者などに事情を聴き、参考人招致なども検討する方向だ。【犬飼直幸】

毎日新聞 200971日 1340


核持ち込み密約:政府に説明責任 村田元次官「冷戦終結、時代違う」

 1960年の日米安全保障条約改定時に、核兵器搭載艦船の寄港などを日本政府が認めた「核持ち込み密約」について、元外務事務次官の村田良平氏(79)が前任次官から文書で「引き継ぎ」を受けていたと毎日新聞に証言した。日米安保体制の構築にまつわる秘密交渉プロセスは、米公文書や日米の交渉当事者による証言でも明らかにされてきているが、事務次官経験者が「密約」の存在を初めて実名で認めた意味は極めて重い。唯一の被爆国として核廃絶の旗振り役になる一方で、密約を否定し続ける日本政府には明確な説明責任が求められる。【中澤雄大、犬飼直幸】

 「(外務省を)辞めてもう十数年たち、冷戦も終わって時代が全く違う。だから、もういいだろうと判断した」。村田氏は証言した理由を語った。昨年出版した著書「村田良平回想録」(ミネルヴァ書房刊)でも、寄港などの事前協議は必要ないとする日米間の「秘密の了解」があったと明らかにしている。

 60年の日米安保条約改定では、核兵器の日本への持ち込みは事前協議対象とされたが、核兵器を搭載した米艦船の寄港・通過は事前協議の対象としないと秘密合意していた。しかし、63年3月、池田勇人首相(当時)が「核弾頭を持った船は日本に寄港してもらわない」と国会答弁。密約との矛盾を懸念したライシャワー駐日米大使が大平正芳外相(同)との間で、寄港密約を再確認した。村田氏の証言は、こうした密約を改めて裏付けるものだ。

 核密約について、河村建夫官房長官は29日の会見で「核持ち込みの事前協議がない以上、核持ち込みはない」と重ねて否定した。こうした政府の姿勢に対し、村田氏は「明らかにうそ」と断言。著書の中でも「(非核三原則のうち)持ち込ませないとの原則は、直ちに廃止すべきだ。国民を欺いているものだからだ」と強調している。

 日米密約問題を研究する信夫(しのぶ)隆司・日大教授(日米関係史)は「(村田氏は)政治状況が変わりつつあり、密約を隠し通す意味がなくなったと思っているのではないか」と指摘した。

 ◇「日本のウソ、明らか」--村田氏の一問一答


--事務次官になる前から密約の存在は知っていましたか。
 密約があるらしいということはいろんな意味で耳に入っていましたけど。密約に関する日本側の紙を見たのは事務次官になった時が初めてです。

--その時に初めて確認をされたということですか。
 まあ、確認もへったくれもない、ああそうだろうと思っただけです。ライシャワー(元駐日米大使)だったかな。「ずいぶん前にそういう約束がある」と言ったことが、アメリカの外交文書として公開された。日本の新聞が少し騒ぎましたよ。「ライシャワーがこんなことを言ってる」と。そうしたら政府は必死になって「いや、そんな密約はない。ない」と言った。アメリカが外交文書を公開して「密約があった」と言ってるのにね、日本は「そういう密約はない」と言ってる。どっちかが言ってることがウソなんです。どちらがウソかといえば、日本がウソをついていることは明らかですよ。

--密約についての引き継ぎの紙はどういう紙か覚えていますか?
 外務省で普通に使う事務用の紙ですよ。

--取り扱い注意とか機密とかの印はなかったんですか。
 ありません。

--紙一枚なんですか。
 外務省で使う紙に書いて、封筒に入っていて、前任者(柳谷謙介氏)から私は渡された。「この内容は大臣に説明してくれよ」と言われて、それは(第3次中曽根内閣の)倉成(正・外相)さんと(竹下内閣の)宇野(宗佑)外務大臣には話しました。

--紙に書いてある文言はどのような文言かご記憶は。
 正確には覚えていません。まあおおよその内容はもちろん覚えていますけどね、「てにをは」までは覚えていません。

--おおよその内容としてはどのような。
 (「核を搭載した米艦船の寄港及び領海通過には事前協議は必要ではない」と)本に書いたようなことです。

--米国の外交文書の公開があって、日本が否定しましたが、その反応についてはどうみていたんですか。
 なんでそんなウソを言い続けるのかなとぶぜんたる気持ちになりましたね。どうせ明るみに出る話ですから、いつかは。遅かれ早かれ。

--密約引き継ぎの時は「きちんと説明してくれ」の一言だけだったのですか。
 はい。

--後任の次官(栗山尚一氏)に同じように引き継がれた?
 そうです。

--外務省にいた立場として「密約」を理解できる部分はないのですか。
 ありません。非核三原則なんてものを佐藤(栄作)内閣の時に出したでしょう。そんなこと自体が私に言わせれば、ナンセンスだと思ってまして。当時。個人的な見解ですけど。

--三原則を打ち出すこと自体が問題か?
 3番目の核を持ち込ませないという話がね。持たない、作らない。これらはいいですよ。しかし、核兵器をたまたま積んでいるアメリカの船が日本の横須賀に立ち寄って燃料を補給して、またベトナムに行くとかいう場合、そんなものは「持ち込み」には入らないですよ。(核搭載艦船の)寄港も領海通過も全部「持ち込み」と言ったこと自体がナンセンスです。(ただ当時は)冷戦時代だし、日米それぞれの都合もあれば機密もあっての話ですからね、とがめだてする話でもない。だから黙っていただけですよ。【聞き手・朝日弘行】

毎日新聞 2009630日 東京朝刊


社説:核持ち込み密約 詭弁はもう通用しない

 1960年の日米安全保障条約改定時の核持ち込み密約について、村田良平・元外務事務次官が毎日新聞の取材に対しその存在を認めた。密約が外務省内で文書によって引き継がれてきたことを事務次官経験者が証言したのは初めてだ。

 外交を預かる外務省の事務方トップが自らの体験を踏まえて証言したことは重い意味を持つ。政府は速やかに密約の存在を認め、事実関係を国民に明らかにすべきである。

 村田氏が認めた密約は、安保条約改定に際し60年1月に東京で行われた当時の藤山愛一郎外相とマッカーサー駐日大使の会談記録などだ。日米両政府は在日米軍基地の運用に関し米軍が装備の重要な変更をする場合は事前協議を行うことにしていたが、核兵器搭載の米艦船の寄港や領海通過、米軍機の飛来については事前協議の対象外とすることを確認したものだ。

 これについて村田氏は87年7月の次官就任時に前任次官から文書で引き継ぎを受け、2年間の在任中に当時の外相に説明し後任次官にも引き継いだという。外務省が組織的に密約を管理していたことを意味する重大な証言である。

 核持ち込み密約は81年に毎日新聞が報じたライシャワー元駐日大使証言で発覚し、その後米側の公文書でも裏付けられている。しかし、日本政府は一貫して密約を認めていない。今回も「密約は存在しない」「事前協議がない以上、核持ち込みはなかったということに全く疑いの余地を持っていない」(河村建夫官房長官)と否定している。

 それにしても不思議なのは、内外の証言や公文書でこれだけ明らかになっている事実をいまもって日本政府が認めないことである。外交や安全保障政策では国益や相手国への配慮から、すべてをオープンにできない場合があることは理解できる。しかし、核持ち込みに関しては安保条約改定から半世紀近く、ライシャワー証言からも30年近くがたっている。米側がすでに公表し、日本政府の元高官も証言していることをなぜ認められないのか理解に苦しむ。

 日米間ではこのほか沖縄返還にかかわる密約の存在もわかっている。民主党の岡田克也幹事長は「沖縄密約に限らず、政権交代をしたら情報公開を徹底する」と明言している。日本の安全保障政策の根幹にかかわる問題をいつまでも隠し続けているのは外交に対する国民の信頼を得るうえで大きなマイナスである。

 「事前協議がない以上、核持ち込みはなかった」という詭弁(きべん)はもう通用しないことを、安保条約改定後ほぼ一貫して政権を担ってきた自民党も深く認識すべきである。

毎日新聞 2009630日 東京朝刊


核持ち込み密約:村田・元次官「冷戦終結、時代違う」

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密約について語る村田良平・元外務事務次官=京都市中京区で、望月亮一撮影

 1960年の日米安全保障条約改定時に、核兵器搭載艦船の寄港などを日本政府が認めた「核持ち込み密約」について、元外務事務次官の村田良平氏(79)が前任次官から文書で「引き継ぎ」を受けていたと毎日新聞に証言した。日米安保体制の構築にまつわる秘密交渉プロセスは、米公文書や日米の交渉当事者による証言でも明らかにされてきているが、事務次官経験者が「密約」の存在を初めて実名で認めた意味は極めて重い。唯一の被爆国として核廃絶の旗振り役になる一方で、密約を否定し続ける日本政府には明確な説明責任が求められる。【中澤雄大、犬飼直幸】

 「(外務省を)辞めてもう十数年たち、冷戦も終わって時代が全く違う。だから、もういいだろうと判断した」。村田氏は証言した理由を語った。昨年出版した著書「村田良平回想録」(ミネルヴァ書房刊)でも、寄港などの事前協議は必要ないとする日米間の「秘密の了解」があったと明らかにしている。

 60年の日米安保条約改定では、核兵器の日本への持ち込みは事前協議対象とされたが、核兵器を搭載した米艦船の寄港・通過は事前協議の対象としないと秘密合意していた。しかし、63年3月、池田勇人首相(当時)が「核弾頭を持った船は日本に寄港してもらわない」と国会答弁。密約との矛盾を懸念したライシャワー駐日米大使が大平正芳外相(同)との間で、寄港密約を再確認した。村田氏の証言は、こうした密約を改めて裏付けるものだ。

 核密約について、河村建夫官房長官は29日の会見で「核持ち込みの事前協議がない以上、核持ち込みはない」と重ねて否定した。こうした政府の姿勢に対し、村田氏は「明らかにうそ」と断言。著書の中でも「(非核三原則のうち)持ち込ませないとの原則は、直ちに廃止すべきだ。国民を欺いているものだからだ」と強調している。

 日米密約問題を研究する信夫(しのぶ)隆司・日大教授(日米関係史)は「(村田氏は)政治状況が変わりつつあり、密約を隠し通す意味がなくなったと思っているのではないか」と指摘した。

 ◇「日本のウソ明らか」
村田氏の一問一答

--事務次官になる前から密約の存在は知っていましたか。
 密約があるらしいということはいろんな意味で耳に入っていましたけど。密約に関する日本側の紙を見たのは事務次官になった時が初めてです。

--その時に初めて確認をされたということですか。
 まあ、確認もへったくれもない、ああそうだろうと思っただけです。ライシャワー(元駐日米大使)だったかな。「ずいぶん前にそういう約束がある」と言ったことが、アメリカの外交文書として公開された。日本の新聞が少し騒ぎましたよ。「ライシャワーがこんなことを言ってる」と。そうしたら政府は必死になって「いや、そんな密約はない。ない」と言った。アメリカが外交文書を公開して「密約があった」と言ってるのにね、日本は「そういう密約はない」と言ってる。どっちかが言ってることがウソなんです。どちらがウソかといえば、日本がウソをついていることは明らかですよ。

--密約についての引き継ぎの紙はどういう紙か覚えていますか?
 外務省で普通に使う事務用の紙ですよ。

--取り扱い注意とか機密とかの印はなかったんですか。
 ありません。

--紙一枚なんですか。
 外務省で使う紙に書いて、封筒に入っていて、前任者(柳谷謙介氏)から私は渡された。「この内容は大臣に説明してくれよ」と言われて、それは(第3次中曽根内閣の)倉成(正・外相)さんと(竹下内閣の)宇野(宗佑)外務大臣には話しました。

--紙に書いてある文言はどのような文言かご記憶は。
 正確には覚えていません。まあおおよその内容はもちろん覚えていますけどね、「てにをは」までは覚えていません。

--おおよその内容としてはどのような。
 (「核を搭載した米艦船の寄港及び領海通過には事前協議は必要ではない」と)本に書いたようなことです。

--米国の外交文書の公開があって、日本が否定しましたが、その反応についてはどうみていたんですか。
 なんでそんなウソを言い続けるのかなとぶぜんたる気持ちになりましたね。どうせ明るみに出る話ですから、いつかは。遅かれ早かれ。

--密約引き継ぎの時は「きちんと説明してくれ」の一言だけだったのですか。
 はい。

--後任の次官(栗山尚一氏)に同じように引き継がれた?
 そうです。

--外務省にいた立場として「密約」を理解できる部分はないのですか。
 ありません。非核三原則なんてものを佐藤(栄作)内閣の時に出したでしょう。そんなこと自体が私に言わせれば、ナンセンスだと思ってまして。当時。個人的な見解ですけど。

--三原則を打ち出すこと自体が問題か?
 3番目の核を持ち込ませないという話がね。持たない、作らない。これらはいいですよ。しかし、核兵器をたまたま積んでいるアメリカの船が日本の横須賀に立ち寄って燃料を補給して、またベトナムに行くとかいう場合、そんなものは「持ち込み」には入らないですよ。(核搭載艦船の)寄港も領海通過も全部「持ち込み」と言ったこと自体がナンセンスです。(ただ当時は)冷戦時代だし、日米それぞれの都合もあれば機密もあっての話ですからね、とがめだてする話でもない。だから黙っていただけですよ。【聞き手・朝日弘行】

毎日新聞 2009630日 034分(最終更新 630日 119分)


余録:引き継がれた密約

 「知らぬが仏」は英語では「無知は至福」といった言い方になる。知れば面倒も起こるが、知らなければ平静な心でいられるのは洋の東西を問わない。やがて「知らぬが仏」はもっぱら周囲の人が分かっているのに本人だけ知らない様をあざける言葉に転じた▲一方「町内でしらぬは亭主斗(ばか)り也(なり)」は江戸後期の雑俳だ。たちまち後段がことわざとなったのも、とかく当人だけに真実が見えない浮世の事情をみごとに意地悪な笑いにしたからだ。笑う方は自分が「仏」や「亭主」になると思っていない▲だが亭主--主権者である国民を、仏--平静にさせておく方策ならばいただけない。政府が何十年も米国との密約を国民に知らせようとしないのは笑える話でない。米艦の核兵器持ち込みや沖縄返還の経費負担をめぐる日米の密約問題だ▲うち核持ち込みの密約について元外務次官が、文書で前任者から引き継いだと本紙取材に明らかにした。元次官は当時の外相に内容を説明したと話している。これまでの別の報道では外務省が首相によっては報告しなかったとの証言もある▲核持ち込みの密約は81年にライシャワー元駐日大使の証言でその存在が明らかになったが、政府は今日までそれを否定している。沖縄返還協定の密約にいたってはとっくに米国の公開公文書で裏付けられているのに政府は認めようとしない▲外交の秘密取り決めは民主主義国ではその是非が問われるし、仮に必要な秘密でも役人の私物ではない。何十年か後にはどんな政治決断も外交合意も必ず歴史の法廷に立ってもらわねばならない。各国の情報公開が進む中「知らぬは日本人ばかりなり」はごめんだ。

毎日新聞 2009630日 002


社説:核持ち込み密約 詭弁はもう通用しない

 1960年の日米安全保障条約改定時の核持ち込み密約について、村田良平・元外務事務次官が毎日新聞の取材に対しその存在を認めた。密約が外務省内で文書によって引き継がれてきたことを事務次官経験者が証言したのは初めてだ。

 外交を預かる外務省の事務方トップが自らの体験を踏まえて証言したことは重い意味を持つ。政府は速やかに密約の存在を認め、事実関係を国民に明らかにすべきである。

 村田氏が認めた密約は、安保条約改定に際し60年1月に東京で行われた当時の藤山愛一郎外相とマッカーサー駐日大使の会談記録などだ。日米両政府は在日米軍基地の運用に関し米軍が装備の重要な変更をする場合は事前協議を行うことにしていたが、核兵器搭載の米艦船の寄港や領海通過、米軍機の飛来については事前協議の対象外とすることを確認したものだ。

 これについて村田氏は87年7月の次官就任時に前任次官から文書で引き継ぎを受け、2年間の在任中に当時の外相に説明し後任次官にも引き継いだという。外務省が組織的に密約を管理していたことを意味する重大な証言である。

 核持ち込み密約は81年に毎日新聞が報じたライシャワー元駐日大使証言で発覚し、その後米側の公文書でも裏付けられている。しかし、日本政府は一貫して密約を認めていない。今回も「密約は存在しない」「事前協議がない以上、核持ち込みはなかったということに全く疑いの余地を持っていない」(河村建夫官房長官)と否定している。

 それにしても不思議なのは、内外の証言や公文書でこれだけ明らかになっている事実をいまもって日本政府が認めないことである。外交や安全保障政策では国益や相手国への配慮から、すべてをオープンにできない場合があることは理解できる。しかし、核持ち込みに関しては安保条約改定から半世紀近く、ライシャワー証言からも30年近くがたっている。米側がすでに公表し、日本政府の元高官も証言していることをなぜ認められないのか理解に苦しむ。

 日米間ではこのほか沖縄返還にかかわる密約の存在もわかっている。民主党の岡田克也幹事長は「沖縄密約に限らず、政権交代をしたら情報公開を徹底する」と明言している。日本の安全保障政策の根幹にかかわる問題をいつまでも隠し続けているのは外交に対する国民の信頼を得るうえで大きなマイナスである。

 「事前協議がない以上、核持ち込みはなかった」という詭弁(きべん)はもう通用しないことを、安保条約改定後ほぼ一貫して政権を担ってきた自民党も深く認識すべきである。

毎日新聞 2009630日 002


Japan should acknowledge secret pact with U.S. over port calls by ships carrying nukes

Former Administrative Vice Foreign Minister Ryohei Murata has admitted that there was a secret Japan-U.S. agreement over port calls by U.S. vessels carrying nuclear weapons at the time of the 1960 revision of the Japan-U.S. Security Treaty. His remarks, made during a recent interview with the Mainichi Shimbun, were the first for a former administrative vice minister to attest that the pact was passed down among Foreign Ministry officials in the form of documents.

It bears a grave significance that a former top administrative official with the Foreign Ministry has made such a testimony based on his own experience. The government should immediately acknowledge the existence of the pact, and make the facts clear to the public.

The secret pact that Murata has attested to includes records of a meeting between then Foreign Minister Aiichiro Fujiyama and then U.S. Ambassador to Japan Douglas MacArthur II in Tokyo in January 1960, at the time of the revision of the Japan-U.S. Security Treaty. Tokyo and Washington had agreed to hold prior consultations when the U.S. military instituted major changes to their equipment at U.S. bases in Japan. At the meeting, it was confirmed that port calls and passage through Japan's territorial waters by U.S. vessels carrying nuclear weapons would not be subject to prior consultations.

Murata told the Mainichi that he received a document on the pact from his predecessor when he assumed the post of administrative vice foreign minister in July 1987, and that he passed it down to his successor after using it to explain about the pact to foreign ministers during his two-year tenure. This is a significant testimony that implies the Foreign Ministry had systematically administered the secret pact.

The secret pact first surfaced when the Mainichi Shimbun reported in 1981 the remarks by former U.S. Ambassador to Japan Edwin Oldfather Reischauer, who admitted that U.S. military vessels carrying nuclear arms called at Japanese ports under a bilateral accord. His accounts were later underscored by official documents on the part of the U.S. However, the Japanese government has adamantly denied that there was a secret pact. This time around, the government showed no sign of change, with Chief Cabinet Secretary Takeo Kawamura saying, "There was no secret pact," and, "There are no grounds for doubt over there being no entry of nuclear weapons (into Japanese territories) since there were no prior consultations over the issue."

What is inapprehensible is that the Japanese government has never admitted to the secret pact, after all the revelations by testimonies and official documents here and abroad. It is understandable that the government can not make everything public concerning foreign affairs and security policies in consideration of national interests and the other countries concerned. However, as far as the issue of entry of nuclear weapons into Japanese territories is concerned, almost half a century has passed since the 1960 revision to the Japan-U.S. Security Treaty, and it's been nearly 30 years since Reischauer's testimony. While the U.S. government has already publicized the pact and a former top Japanese government official has attested to it, Tokyo's denial is beyond our comprehension.

It has also been revealed that there was a secret pact in connection with the U.S. return of Okinawa to Japan. "If we were to take the reins of government, we will make sure to disclose information to the public, including the secret pact concerning Okinawa," said Katsuya Okada, secretary general of the opposition Democratic Party of Japan. If the government is to maintain secrecy over an issue that deeply concerns the country's security policy, it will only adversely affect the government in its attempt to gain the public's trust in Japan's foreign diplomacy.

The Liberal Democratic Party, which has almost consistently served as the nation's ruling party since the revision to the Japan-U.S. Security Treaty, should clearly recognize that it can no longer get away with its distortion of the issue by saying, "There was no entry of nuclear weapons because there were no prior consultations."

(Mainichi Japan) June 30, 2009


米核持ち込み:密約文書証言 官房長官が内容を否定

 河村建夫官房長官は29日午前の記者会見で、1960年の日米安全保障条約改定時に両政府が結んだ日本への「核持ち込み」の密約に関し、村田良平元外務事務次官が毎日新聞に「歴代外務事務次官に引き継がれていた」と証言したことについて、「密約は存在しない。歴代首相、外相は存在を明確に否定している」と証言内容を否定した。

 河村氏は「(同条約が定めた)核持ち込みの事前協議がない以上、核持ち込みはなかったということに全く疑いの余地を持っていない」とこれまでの政府見解を改めて強調。村田氏から事実関係を聞くなど再調査する可能性も「政府として密約的なものを承知していないから、そこまで及ぶ話ではない」と否定した。【坂口裕彦】

毎日新聞 2009629日 1257


核持ち込み密約:米核持ち込み、密約文書引き継ぐ 村田元次官「外相に説明」

 1960年の日米安全保障条約改定時に核兵器搭載艦船の寄港などを日本側が認めた密約について、87年7月に外務事務次官に就いた村田良平氏(79)=京都市在住=が、前任次官から文書で引き継ぎを受けていたことを明らかにした。村田氏は28日夜、毎日新聞の取材に「密約があるらしいということは耳に入っていたが、日本側の紙を見たのは事務次官になったときが初めて」と証言した。日本政府は密約の存在を否定しており、歴代外務次官の間で引き継がれてきたことを認める証言は初めて。【朝日弘行】

 村田氏によると、密約は「普通の事務用紙」1枚に書かれ、封筒に入っていた。前任者から「この内容は大臣に説明してくれよ」と渡され、89年8月まで約2年間の在任中、当時の倉成正、宇野宗佑両外相(いずれも故人)に説明。後任次官にも引き継いだという。

 60年の安保改定時、日米両政府は在日米軍基地の運用をめぐり、米軍が装備の重要な変更などを行う際は事前に協議することを確認したが、核兵器を搭載した米艦船の寄港や領海通過、米軍機の飛来は事前協議の対象としないことを密約。81年5月、毎日新聞がライシャワー元駐日大使の「核持ち込み」証言を報じて発覚したが、日本政府は「米側から事前協議がない以上、核持ち込みはなかったと考え、改めて照会はしない」と密約の存在を否定し続けている。

 村田氏はこうした日本政府の対応について「詭弁(きべん)だ。いつまで続けるのか、ぶぜんとした気持ちだ」と批判。密約に関しては「冷戦時代だし、日米それぞれの都合もあれば、機密もあっての話だから、とがめだてする話でもない」と存在を認めるよう求めた。さらに、非核三原則で禁じた「持ち込み」の中に核搭載艦船の寄港や領海通過を含めたことは「ナンセンスだ」として見直しを主張している。

 また、77年制定の領海法で宗谷、津軽、対馬など5海峡の領海の幅を3カイリと規定したことについて、村田氏は「(国連海洋法条約で認められている)12カイリまで広げればいいものを広げていない。おかしいと思っていたけど、直接関係していなかったから黙っていた」と指摘。米艦船が5海峡を通過しても「核持ち込み」とならないよう、あえて領海の幅を狭める意図が外務省にあったことを明らかにした。

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 ■ことば
 ◇日米の密約

 核兵器を搭載した米艦船の寄港や領海通過を認める密約のほか、69年の沖縄返還交渉で「有事の核持ち込み」を認めた▽71年の沖縄返還協定で米国が払うべき「400万ドル」を日本側が肩代わりした--などの密約も発覚。いずれの密約の存在も日本政府は否定し続けているが、関係者の証言や米側の公文書などで裏付けられ「公然のうそ」との見方が定着している。

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 ■人物略歴
 ◇村田良平氏(むらた・りょうへい)

 1929年生まれ。京大法学部卒。52年外務省入省。外務事務次官、駐米大使、駐独大使などを歴任。

毎日新聞 2009629日 東京朝刊


 ◇日米の密約

 核兵器を搭載した米艦船の寄港や領海通過を認める密約のほか、69年の沖縄返還交渉で「有事の核持ち込み」を認めた▽71年の沖縄返還協定で米国が払うべき「400万ドル」を日本側が肩代わりした--などの密約も発覚。いずれの密約の存在も日本政府は否定し続けているが、関係者の証言や米側の公文書などで裏付けられ「公然のうそ」との見方が定着している。

毎日新聞 2009629日 東京朝刊


米核持ち込み:密約文書引き継ぐ 村田元次官が証言

 1960年の日米安全保障条約改定時に核兵器搭載艦船の寄港などを日本側が認めた密約について、87年7月に外務事務次官に就いた村田良平氏(79)=京都市在住=が、前任次官から文書で引き継ぎを受けていたことを明らかにした。村田氏は28日夜、毎日新聞の取材に「密約があるらしいということは耳に入っていたが、日本側の紙を見たのは事務次官になったときが初めて」と証言した。日本政府は密約の存在を否定しており、歴代外務次官の間で引き継がれてきたことを認める証言は初めて。

 村田氏によると、密約は「外務省で使う普通の事務用紙」1枚に書かれ、封筒に入っていた。前任者から「この内容は大臣に説明してくれよ」と渡され、89年8月まで約2年間の在任中、当時の倉成正、宇野宗佑両外相(いずれも故人)に説明。後任次官にも引き継いだという。

 60年の安保改定時、日米両政府は在日米軍基地の運用をめぐり、米軍が核弾頭の持ち込みを含む装備の重要な変更などを行う際は事前に協議することを確認したが、核兵器を搭載した米艦船の寄港や領海通過、米軍機の飛来は事前協議の対象としないことを密約。この密約は81年5月、毎日新聞がライシャワー元駐日大使の「核持ち込み」証言を報じて発覚したが、日本政府はその後も「米側から事前協議がない以上、核持ち込みはなかったと考え、改めて照会はしない」と密約の存在を否定し続けている。

 村田氏はこうした日本政府の対応について「詭弁(きべん)だ。いつまで続けるのか、ぶぜんとした気持ちだ」と批判。密約に関しては「冷戦時代だし、日米それぞれの都合もあれば、機密もあっての話だから、とがめだてする話でもない」と存在を認めるよう求めた。さらに、非核三原則で禁じた「持ち込み」の中に核搭載艦船の寄港や領海通過を含めたことは「ナンセンスだ」として見直しを主張している。

 また、77年制定の領海法で宗谷、津軽、対馬など5海峡の領海の幅を3カイリと規定したことについて、村田氏は「(国連海洋法条約で認められている)12カイリまで広げればいいものを広げていない。おかしいと思っていたけど、直接関係していなかったから黙っていた」と指摘。米艦船が5海峡を通過しても「核持ち込み」とならないよう、あえて領海の幅を狭める意図が外務省にあったことを明らかにした。【朝日弘行】

 村田 良平氏(むらた・りょうへい)1929年生まれ。京大法学部卒。52年外務省入省。外務事務次官、駐米大使、駐独大使などを歴任。

 【ことば】日米の密約

 核兵器を搭載した米艦船の寄港や領海通過を認める密約のほか、69年の沖縄返還交渉で「有事の核持ち込み」を認めた▽71年の沖縄返還協定で米国が払うべき「400万ドル」を日本側が肩代わりした--などの密約も発覚。いずれの密約の存在も日本政府は否定し続けているが、関係者の証言や米側の公文書などで裏付けられ「公然のうそ」との見方が定着している。

毎日新聞 2009629日 230分(最終更新 629日 1428分)


Ex-top bureaucrat acknowledges secret Japan-U.S. pact on port calls by vessels with nukes

Pasted Graphic 1
Former Administrative Vice Foreign Minister Ryohei Murata (Mainichi)

A former top bureaucrat in the Foreign Ministry has admitted that he received from his predecessor a document on a secret Japan-U.S. agreement on port calls by U.S. vessels carrying nuclear weapons.

Ryohei Murata, 79, who now lives in Kyoto, received the document from his predecessor when he assumed the post of administrative vice foreign minister in July 1987.

"I had heard that there was a secret agreement, but I first saw a Japanese document on it when I became administrative vice minister," Murata said in an interview with the Mainichi Shimbun.

The Japanese government has denied that Tokyo ever reached a secret agreement with Washington to allow U.S. military vessels carrying nuclear arms to call at Japanese ports when the two countries revised their bilateral security treaty in 1960.

Murata said his predecessor handed him an envelope containing the document when he took over, saying, "Please explain its contents to the minister."

While he was in his post from July 1987 to August 1989, he explained the details of the secret agreement to two foreign ministers, Tadashi Kuranari and Sosuke Uno, who are now deceased, and handed the document over to his successor when he stepped down.

When revising the Japan-U.S. Security Treaty, Tokyo and Washington agreed that the U.S. would seek prior consultations with Japan when it made major changes to the U.S. military's equipment and operations in Japan's territory. At the time, the two countries reached a secret accord that calls at Japanese ports and passage through Japan's territorial waters by U.S. military vessels carrying nuclear weapons would not be subject to prior consultations.

The secret agreement surfaced in May 1981 when the Mainichi Shimbun reported that Edwin Oldfather Reischauer, who served as U.S. ambassador to Japan in the 1960s, admitted that U.S. military vessels carrying nuclear arms called at Japanese ports under a bilateral accord.

Nevertheless, the Japanese government has denied ever having reached such a secret agreement. "We don't think the U.S. ever brought nuclear arms into Japan's territory as the country never sought prior consultations over the issue. We have no intention of asking the U.S. about the matter."

Murata criticized the Japanese government's stance as "distortion." "I feel sad when I wonder how long it will maintain this stance."

He urged Japan to admit the existence of the secret agreement. "The accord was reached during the Cold War era. Both Japan and the U.S. had their own circumstances and confidential information they had to protect. It's not something that should be criticized."

He also said port calls and passage through Japan's territorial waters by U.S. vessels carrying nuclear arms shouldn't be covered by the Japanese government's three non-nuclear principles of which nuclear weapons must not be produced, possessed or enter Japan's territories.

Moreover, Murata revealed that the ministry chose not to widen Japan's territorial waters in five straits -- including Soya, Tsugaru and Tsushima -- in order to ensure passage through these straits by U.S. vessels carrying nuclear arms, so as not constitute bringing nuclear weapons into Japan.

"Japan could have widened it to 12 nautical miles but did not do so. I thought it was unreasonable, but I didn't say anything about it because I wasn't in charge of it," he said.

Japan designated the width of its territorial waters in the five straits as three nautical miles under its 1977 Law on the Territorial Sea and the Contiguous Zone -- instead of 12 miles permitted under the U.N. Convention on the Law of the Sea.

(Mainichi Japan) June 29, 2009


社説:視点:核の傘=布施広(論説委員)

 今の日本には英語のvulnerableという形容がぴったりするだろうか。軍事報告などに頻出するこの言葉は、カニが甲羅を脱いだような無防備な感覚を意味する。北朝鮮が核実験やミサイル発射を繰り返す中、日本人が甲羅をなくしたような不安を覚えるのも当然だ。

 01年の同時多発テロ後の米国社会にも、今の日本に通じる不安感があった。未曽有の惨事が先行き不安を呼び起こし、全米に愛国心と同時に翼賛的な空気が強まった。そんな空気の中で米国はイラク戦争の泥沼へはまり込んでいったのである。

 8年前の体験を振り返りつつ、こう思う。北朝鮮を想定した敵基地攻撃論や核武装論が浮上しているのは、無理からぬ部分と危険な部分がある。国民の不安をくんだ論議は大事だが、核武装などに国を導けば取り返しがつかない、と。

 守られているという感覚を国民に与えるには、米国の役割が欠かせない。米国のブッシュ前大統領は01年、台湾を「どんなことをしても」守ると述べ、08年には「イスラエルがテロや悪に立ち向かう時は3億700万人の強さになる。米国(人口3億人)が味方する」と語った。

 日本を同列には論じられないにせよ、そんな力強い言葉をあまり聞けない点に日本の一つの問題があると思う。クリントン国務長官が5月、日韓防衛は米国の義務と語ったのは貴重な例外だ。日米安保があるから防衛は自明との意見もあるが、その意思を明言しても悪くはない。

 新たな時代に即した防衛論議も大事だ。北朝鮮の脅威を軸に、今の日本が重大な局面にあるのは確かである。安全保障に関する問題は、超党派的に徹底して考える必要がある。「核の傘」や核抑止などの概念も整理すべきだ。例えば、実に物騒な仮定だが、北朝鮮が日本に核ミサイルを撃ち込んだ場合、米軍は核兵器で反撃するだろうか。

 冷戦期の相互確証破壊(MAD)によれば、核攻撃には核兵器で反撃する。しかし、中国やロシアが日本を核攻撃した場合、同盟国の米国が中露に核ミサイルを撃ち込み、日本のために米露中が滅びる。そんな大国の「自殺行為」はありえないというのが、今や有力な考え方だ。

 では北朝鮮を想定した「核の傘」などがどこまで役立つのか。また、冷戦後の安全保障のかなめとしてブッシュ政権が推進したミサイル防衛(MD)は、日本の安全保障に本当に有益なのか。再検討すべき課題は多い。北朝鮮が新たなミサイル発射を準備しているとされる今こそ、冷静に考えてみたい。

毎日新聞 2009623日 007


発信箱:幻の「悪人」論=伊藤智永(外信部)

 高坂正尭執筆「佐藤栄作論--政治の世界における悪人の効用」。日の目を見なかったこんな長期連載のプランが1970年代にあったと聞いて、思わずうなった。

 休刊した月刊誌「諸君!」の名編集者だった東真史氏が企画。佐藤の自民党総裁4選で、まんまと一杯食わされた前尾繁三郎元衆院議長に取材も始めていたが、立ち消えになったという。惜しい。

 今でこそ戦後の偉人とされる吉田茂も、60年安保のころまでは、世論に耳を傾けない対米追従のワンマンとしてすこぶる不人気だった。評価を一変させたのが、高坂氏の名著「宰相吉田茂」だ。

 佐藤は今も往年の吉田以上に人気がない。自由党幹事長の時、疑獄事件での逮捕を指揮権発動で免れ、沖縄返還は総裁選でライバルへの対抗上公約したのがきっかけだった。中国が核実験を行うと米国に日本の核武装の可能性をちらつかせつつ、国会では非核三原則を表明。しかも沖縄への「核持ち込み」密約を結び、猛烈な集票工作でノーベル平和賞まで勝ち取った。

 「保守政権にすり寄るタカ派御用学者」との陰口にもめげず、佐藤ブレーンであり続けた高坂氏なら、この「悪人」ぶりを現実政治に不可避な「効用」として、どう得心させてくれただろうか。

 高坂氏は、佐藤を「政治的悪人」と好感する半面、例えば田中角栄は全く評価しなかった。政治の「悪」は、庶民感覚や道徳倫理の「悪」とは別モノというわけだ。

 一体、政治指導者の大衆人気ほど当てにならない物差しもないだろう。最近は「嫌われ者」で名高い明治の元勲・山県有朋の再評価も始まっている。マニフェストに「悪」の数値は載っていない。

毎日新聞 2009620日 018分(最終更新 620日 047分)


沖縄密約開示訴訟:国側「文書保有せず」 初弁論で争う姿勢--東京地裁

 72年の沖縄返還に伴い、日米両政府が交わした密約の存在を示す外交文書の開示を求め、西山太吉・元毎日新聞記者ら25人が起こした情報公開訴訟の第1回口頭弁論が16日、東京地裁(杉原則彦裁判長)で開かれた。国側は「文書は保有していない」と述べ、全面的に争う姿勢を示した。

 訴状などによると、原告側は米公文書館が開示した密約文書を証拠提出し「米政府が保有している密約文書や関連した報告書は、日本政府も保有しているはずだ」などと主張している。杉原裁判長は「原告の主張は十分理解できる」と評価したうえで、国側に▽当初から密約文書は存在しないのか▽過去にはあったがその後廃棄されたのか--などについて「充実した説明を期待したい」と述べた。また、杉原裁判長は沖縄返還交渉の担当者で、密約の存在を認め密約文書にイニシャルを署名した吉野文六・元外務省アメリカ局長について「証言を聞きたい」と、証人申請を原告に求めた。

 次回の口頭弁論は8月25日。【臺宏士】

毎日新聞 2009617日 東京朝刊


沖縄密約訴訟:「文書保有せず」国側が争う姿勢

 72年の沖縄返還に伴い、日米両政府が交わした密約の存在を示す外交文書の開示を求め、西山太吉・元毎日新聞記者ら25人が起こした情報公開訴訟の第1回口頭弁論が16日、東京地裁(杉原則彦裁判長)で開かれた。国側は「文書は保有していない」と述べ、全面的に争う姿勢を示した。

 訴状などによると、原告側は米公文書館が開示した密約文書を証拠提出し「米政府が保有している密約文書や関連した報告書は、日本政府も保有しているはずだ」などと主張している。杉原裁判長は「原告の主張は十分理解できる」と評価したうえで、国側に▽当初から密約文書は存在しないのか▽過去にはあったがその後廃棄されたのか▽密約文書に対する国の考え--などについて「充実した説明を期待したい」と述べた。【臺宏士】

毎日新聞 2009616日 2048


密約訴訟:きょう第1回口頭弁論

 【東京】沖縄返還交渉中に、日米が交わした財政負担に関する秘密文書の情報公開請求をめぐり、「不存在」を理由に不開示決定した外務・財務両省の対応を不服として、県内外の学者やジャーナリストら25人が提訴した3文書開示を求める行政訴訟の第1回口頭弁論が16日午後、東京地裁で開かれる。知る権利が侵害されたとして、一人10万円の慰謝料も求めている。第1回口頭弁論では原告側2人が意見陳述する予定。

 原告側が開示請求しているのは、軍用地の原状回復費用400万ドルの日本側肩代わりについての当時の吉野文六外務省アメリカ局長とスナイダー駐日米公使との討議文書、ボイス・オブ・アメリカ(米短波放送中継局)の移転費用の日本側負担についての合意文書など。

(琉球新報)

2009616


1972年の外務省機密漏えい事件を基にした /奈良

 1972年の外務省機密漏えい事件を基にした小説「運命の人」(山崎豊子著、文芸春秋)を読んだ。沖縄返還に絡む日米交渉の密約スクープに始まり、ストーリーは国家公務員法違反容疑での逮捕・起訴に発展する。スクープを入手した記者は言う。「沖縄返還交渉の実態があまりに不透明で、国民に知らされる事実と違いすぎることを座視出来なかった」

 日米安保、基地問題、アメリカ原潜日本入港。激動の時代に生きた記者だからこその過去物語かもしれない。しかし、「沖縄返還……」に別の言葉に当てはめれば、自分たちの取材に通じるものがある。「国民に知らされる事実と違いすぎること」は、今も多く存在すると感じるからだ。(大森)

毎日新聞 2009526日 地方版


 ◇沖縄密約事件

 71年の沖縄返還協定で、米国側が負担すべき軍用地復元補償費400万ドルについて、日本側による肩代わりを示唆した記事を西山さんが執筆。西山さんは、外務省の女性職員から、極秘電信文を入手したとして起訴され有罪が確定。日本政府は密約を否定し続けている。

毎日新聞 2008221日 東京朝刊



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